青山亭縁起(ま)
40年以上も前、高知から大阪には室戸岬廻りの「明石丸」が就航していた。フェリーではなく、千トンあまりの貨客船であった。まだ、あちこち自由に旅行する風習はなかったので級友の多くは大学受験で初めて四国を出るというくらいのものであった。僕は船の甲板に出て、満天の星空を睨んで、轟々たる波の音の中で、月性の詩を口ずさんだ。
男児立志出郷関
学若無成死不還
最近は学校で漢文を履修しない人もいるから、白文では読めないかもしれないので書き下すと、「男児志を立てて郷関を出ずれば、もし学成る無くんば死すとも還らざり」となる。正確には月性の原詩とはちょっと違うが、「死すとも還らざり」という悲壮感が雰囲気に合っていた。大学に行く位で大げさなと言われそうだが、当時はそれくらいの気持ちだった。お金を儲けたいとか、幸せな家庭を築きたいとか、そんなことはこれっぽちも考えなかったが、勉強してひとかどの人物になりたいと言う思いは強かった。そう、僕は極限まで気負った少年だったのだ。
人生は思うようにはならない。逆に思いもかけぬ展開に出会うこともある。7年もアメリカで暮らすことになるとは夢にも思わなかった。学が成ったとも思えない。研究で飯を食っていると言ったら、「夢がかなったのだからいいよな」と幼友達に言われてしまい、愕然とした。夢とはこんな物ではなかったはずだ。研究生活を振り返って見れば内実は寂しい。郷関を出た時の思いに照らして、この詩は気恥ずかしいものと思っていたが、還暦を迎える年になって初めてこの詩の後半に目が行くようになった。
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山
「骨を埋づむるに、あに、ただ墳墓の地のみならんや 、人間到るところ青山あり 」青山とは墓地のことで、「死に場所なんか何処でもいい」と言うのが本来の意味だけど、ここは「場所や境遇なんかにこだわることはない。人間として生きる限り、心を落ち着かせる安住の地は何処にでも見出せる。」と解釈したい。この地に住み着き、家族に恵まれ、病気を患い、思うことは残された限りある人生を悔いることなく楽しむことが僕の人生に対する義務でもあると言うことである。そういえばこの家にはまだ名前が無かった。(名前が必要というものでもないが)これからは我が家を「青山亭(せいざんてい)」と呼ぶことにしよう。
青山亭(笑)・・・うーん、実際のイメージと響きがだいぶ食い違うように思うけど。
ま、いいんじゃない?
壁色をブルーにこだわったのも、
屋根に登れば筑波峰が見えるのも、
偶然ではないかもしれないしね。
これを詠んで、私は自分の書いた修士論文のことを思い出したよ。
昔と違っていまや、生まれる場所が必ずしも人生を終える場所とは限らない。それに、これといったルーツとか故郷がない人がたくさんいるんだよね。私の帰るところはたくさんあって一つもないかな。あえて言えば、今は両親がいるところ何処でも。それもいつか違うところになるかな。
by MI (2008-01-17 22:25)
>実際のイメージと響きがだいぶ食い違うように
僕もそう思うが、芥川龍之介は澄江「堂」、内田 百間は百鬼「園」、夏目漱石は漱石「山房」。どの方式で名前をつけても、どうせイメージは合わない。
by おら (2008-01-20 21:15)