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県議選はなぜ面白くないのか [政治]

国政選挙は政権交代があったりして話題になる。市議選は身近な生活に直結したことが争点になったりして盛り上がることもある。ところが県議選となると全く盛り上がらない。市議会は派閥争いや利権で必ずしも前向きではないことも多いのだが、対立で乱闘騒ぎなども新聞を賑わす。しかし県議会というのは、そんなことも無く、平穏無事で、一体なにをやっているかもよくわからない。実際の話、自民党も民主党も公明党も一体になったオール与党の県議会がたくさんある。

なぜこのようなことになるかは、日本の地方自治というものの本質的な問題だろう。もともと日本に地方自治などと言うものは無かった。大日本帝国では内務省が出先機関として知事を県に任命・派遣していた。つまり、中央政府の命令を地方に伝えるのが県だったわけだ。県から市に命令が下り、市から町会長、さらに家長へ、家族は家長の命令を受けるという一貫した体制だった。

戦後、新憲法のもとで、家長は廃止され、市町村も少しは身近な代表を選ぶようになった。しかし、内務省は自治省として生き残り、選挙による知事も多く自治官僚から輩出した。県はやはり中央政府の下部機関として残されたのである。総務省が地方交付税の配分権を握っているだけではなく、全てが下請け体制になっている。

「騒音規制法」というのを例に取ってみると。この法律の中身はは国が決める。ところがその実施について国は何もしない。実施は県条例で行うことになっている。「騒音規制法」の引き写しで「××県騒音防止条例」を定める。これを各市に下ろし、市役所が市民の騒音問題の窓口になる。結局、県の役割りは中央政府の命令を各市町村にあたかも自治で決めたかのように伝えるだけである。当然中身はザル法であらゆる工事騒音が許されている。

騒音も、保健も、教育も、警察も、雇用促進も、全部、国の下請けだけである。では県独自で何か施策があるかといえば、大抵、どこに公民館を作るとか県民センターを作るとか、空港、ダム、工業団地といった建設物の選定ばかりだ。こういったものは水面下で行われるから議会でもめることはない。県会議員というのはこういう活動ばかりしているから一般市民には何をやっているのかもわからない。選挙の時に「○○に××を誘致しました」以外に実績を語れる議員は殆どいない。


しかし、県の予算規模は市よりもはるかに大きい。本当はいろんなことが出来るのだ。選挙民も議員も慣れっこなって県議会議員に何も期待しなくなっているが、頑張っている議員もいることはいる。つくば市から茨城県に出ているY議員の活動は通常の県議会議員の枠を越えている。彼女は失業率の問題なども、「国のやることだ」と他人事だった県庁を説き伏せて役人に企業訪問させた。実際に日立建機などで500人の解雇が取りやめになったという。高層マンションの問題でも、市役所の問題だとしり込みせずに出かけて来てくれた。原水爆禁止の平和行進でも、いつも市内歩きとおしをやっている。

国と市の谷間である県の問題だけに閉じこもっておれば県議は何も出来ない。 市の問題にも、国の問題にも積極的に口を出して行く姿勢が県議には求められると思う。それは知事にも言えることだ。残念ながら、ほとんどの知事は国のいうままで、一部の「わがまま知事」は権限を要求することだけで国と対立している。独自の施策で国を越える自治を実現する知事は出ないものだろうか。そうでなければ日本人にとって自治は永遠のかなただ。

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