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宮沢賢治は大食いだったのか? [社会]

雨ニモマケズ 風ニモマケズ雪ニモ
夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ

だれでも知っている宮沢賢治の詩「雨にも負けず」はこのように詠っている。問題は一日に玄米4合ということで、一合はだいたい大茶碗2杯だからかなりの量である。現代の日本でこれだけの米を食っている人はほとんどないだろう。しかし、メタボの小父さんでは詩の雰囲気に全く馴染まない。筋肉質であっても痩せて小柄な人物像を思い浮かべる。こういった人がそんなに米を食べたのだろうか。

実際、当時の人々はもっと米を食べていた。現代人は副食物が非常に多いから米が少なくても十分な栄養が取れるが、副食が「ミソと少々の野菜」ならカロリーさえ足りない。川柳に「居候、3杯目にはそっと出し」とあるが、肩身の狭い身でもご飯は3杯お代わりをしたくらいだ。

旧陸軍の昭和2年度での一日の既定配給量が5合6勺、これが平均的な労働者の消費量だった。下級武士の扶持米は5合x年間日数で計算されていた。だから「一日に玄米4合」は、むしろ小食と言うことを表している。現代の日本人は昔に比べると非常に米の消費が少ない。米あまりになるのも仕方がない。日本の農業は守るべきだが、なんとか米以外の食物生産に軸足を移す必要があるだろう。

ついでに米に関する数値を書いておこう。米の反(10坪)当りの収量は今で2.5石、江戸時代で1.5石、一石は10斗、1斗は10升、一升は10合。重量で言えば一升は1.5kg。他に俵という単位もあるが多分昔は2俵が1石で、今では30kg袋二個で1俵と勘定することになっている。



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