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石原・橋下・小沢 新党はどうなるーー小選挙区制の末路 [政治]

石原新党なるものができる。変な話ではないか。石原氏は「立ち上がれ日本」の代表だったはずだ。この政党はどうなるのかというと石原新党に合流すると言う。それでは一体何処がちがうのか。要するに新党立ち上げが流行っていて、それにあやかって看板をかけ直すと言うことでしかない。橋下新党、小沢新党などこのところ新党が多いのだ。この新党は、果たして政党なのかという疑問もある。政党というのは、一定の考え方を持った人たちの集まりである。ところが最近のものは、人の名前で呼ばれており、それが長続きするとは誰も考えていない。そういうのは、本当は政党でなく単なる派閥なのだ。新党というより新派閥と言うほうがよかろう。

石原氏は、ついこのあいだ高齢引退説を押し切って再選を果たしたばかりなのに、「もう、やり残したことはない」と知事職を放り出した。横田基地を取り返すと言って知事に初回に選ばれたのではなかったのか。都民銀行なるものを作って出した巨額の赤字もそのままだ。東京都民を愚弄するような人を知事に選ぶと言う都民はいったい何を考えているのだろう。都民でなくてよかったと思う。

これまでの流れとしては、小選挙区制にして、二大政党制の定着をはかったのだが、こういった事実は二大政党制なるものが、破綻したことを示している。「民主党にはがっかり、自民党にはこりごり」が人々の実感であり、政治には民衆の期待の受け皿がなくなってしまった。民主党政権が倒れるのは必定だが、自民党への回帰が望まれていないのは明らかだから、第三極が必要になる。

第三極に名乗りを挙げているのがこれらの新党だが、実際のところこれらはどれもかなり小さい。小選挙区制というものは、かなり強引に二大政党を作り上げる。第三極の存在は抑圧される制度だ。だから右翼少数党がまとまって第二極と匹敵する大きさにならなければ第三極とはなりえない。しかし、これは本質的になかなか難しい。新派閥の首魁はいずれも、独裁志向である。独裁連合なんてものは最初から矛盾している。「俺を親分にするなら合流する」を互いに言い合うことになるだろう。現在のところ、橋下が石原と「立ち上がれ」を分断する作戦に見える。意見の違いは石原のほうが大きいのだが「ジジイはどうせすぐにくたばる」と言う読みだろう。

それで結局どうなるかと言えば、折り合いがつかずに第三極は出来ない。おそらく自民党橋下派、自民党石原派などということに落ち着く。考えて見れば自民党はずっと昔から派閥連合だ。橋下も、河村も政策内容では実は自民党と変わりがない。「言い方」がちがうだけだから十分党内に飼っておける存在だ。野田派なども自民党に含まれても何等違和感はない。第三極であるかに見せるため「立ち上がれ日本」に習って、自民党が「維新党」に看板を架け替えるくらいの事は起こるかもしれない。自民党はますます派閥連合体化していく。

アメリカで二大政党制が維持されているのは、基本的な考え方が違う民主党と共和党が、互いに対立・譲歩しながら大統領に対して影響力を高めるという共通した課題を追求するからだ。与党といえども大統領・行政とは一線を画す立法府であると言う自覚は高い。日本のような議員内閣制度だと、行政と立法が分離されず、よらば大樹の陰で、すべての議員が行政にすりよる与党化が生じる。大臣になるために政党を替わるなどということが平気で行われるくらいだ。二大政党ではなく安定与党が極端に強くなり、その代わり与党の中で派閥が形成されて行くことになる。

自民党から民主党への政権交代があったと言うが、結果的には、政権交代と言うほどの政策転換はなかった。途中に鳩山・管といったはみ出し内閣はあったが、同じ大政翼賛会の中で、安倍派から野田派に変わっただけだと考えたほうがわかりやすい。日本では小選挙区制による二大政党のバランスなどということは出来ないのだ。

政治はバランスである。どこかでバランスが取れないと混迷が起こる。その意味では、中選挙区制のもとに、万年野党と万年与党が国会で衝突し、基本的には与党の主張が通るが、抵抗の大きさによっては、その実行が躊躇されるといった70年代のバランスの取り方が、今思えば日本に適していたことがわかる。小選挙区制の導入とともに、こういったバランスが取れなくなり、政策が暴走して日本経済を凋落させていった。



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