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尖閣問題の論点--アホウドリ [尖閣]

尖閣は「固有の領土」であり、領土問題は存在しないなどという現実離れした見解がまかり通っている。その中で、多くの論者が、「実効支配」を根拠に入れているが、領土でこれを言い出すと、強いもの勝ち、強行したもの勝ち、という泥沼に陥る。韓国が実効支配している竹島や、ロシアが実効支配している歯舞島の議論とダブルスタンダードになってしまう。

実効支配の例として、一番よく持ち出されるのは、古賀辰四郎のあほうどり事業である。無人島であった尖閣の島を、あほうどりの採集や漁業拠点として開発したことが、領有の根拠として挙げられるのであるが、実は、こういった既成事実は、外務省が言う領有が確定した日、1895年1月4日以後のことである。だから、これは、領有の根拠ではなく、領有の結果でしかない。本当は、1895年というのもウソで、官報で初めて尖閣の領有を外国に知らせたのは、1897年06月03日である。

日清戦争前の1884年(明治17年)に古賀辰四郎が尖閣を探検したということが、言われているが、1895年以前の政府文書に、あほうどり事業のことは一切出てこない。この探検の根拠は、日清戦争後に古賀が出した尖閣の借用願いに書かれているだけである。借用願いを有利にするために古賀が脚色した経緯ではないかと疑われる。というのは、この文書の中で、古賀は「永康丸」を使っての航海を記述しているのだが、この船が作られたのは、1895年になってからであることが判明したからだ。古賀が出稼者35名を送って事業を始めたのは、日清戦争後の1895年9月に政府から無償貸与を受けたそのまた翌年の1896年3月である。

帝国政府が堂々と尖閣を古賀に使わせたのは、日清戦争の結果である。尖閣領有は、もちろん日清戦争と強い関連がある。たまたま時期が重なったなどという言い分は、どの国も相手にしないだろう。日本政府の働きかけにも関わらず、英国なども「固有の領土」とは認めてくれないのは当然だろう。


参考文献:平岡昭利「明治期における日本人の尖閣進出と古賀辰四郎」(人文地理57巻5号pp45-60 ,2005年)

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コメント 2

いしゐのぞむ

明治17年に古賀辰四郎が永康丸を使ったといふのは單純な誤りです。他にも平岡氏の論據は一つも成立しません。
いしゐのぞむ「尖閣最初の上陸記録は否定できるかーー明治から文政に遡って反駁する」
島嶼研究ジャーナル4の1。
http://senkaku.blog.jp/archives/19685182.html
by いしゐのぞむ (2015-01-10 14:07) 

kodomo

古賀氏の明治17年探検を擁護する記事を読みましたが、積極的な立証はなく、いいわけに終始しているようで、説得力を感じませんでした。古賀氏が無償貸与を受けるためにハッタリをかましている様子は随所に見受けられますし、もし探検しておれば、明治18年は、政府が国標のために必死で調査していた時ですから、必ず尋問したはずです。このとき事業として有力と見なしたなら、目ざとい商人として、10年も放置しておくのは不自然でしょう。やはり、古賀氏の尖閣進出は日清戦争後の機運に便乗した思いつきだったと考えるべきでしょう。
by kodomo (2015-09-19 18:56) 

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