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「最後は金目でしょ」の真意 [原発]

石原環境相が福島の廃棄物保存施設で 「最後は金目でしょ」と発言して物議をかもしている。ぶらさがり記者の質問に対して、管官房長官との打ち合わせ内容を語った時の発言だ。原発事故で古里を追われ、廃棄物保存施設で永久に帰れないことが確定する元住民の怒りをを逆撫でするものだとして批判が相次いでいる。ただの議員ではなく環境相という行政上の立場にあろものとしては、絶対に言ってはならない言葉だろう。

住民の気持ちを配慮しない失言として軽率さや思慮のなさの表れと言う指摘は多い。しかし、フロイトではないが、失言には必ず、無意識の思想的背景があるものである。この発言にはもう少し深い意味がある。

石原親子は、きれいごとに留まらず、現実的な政治見解を出していくことが売りになっているので、今回も、官房長官に金銭保障の遅滞無い執行を促したものではあっただろう。住民に対する説明会はこれまで16回も開かれているが、石原ジュニアは一度も出席していない。環境相が行って説明するなどというセンチメンタリズムよりも、金額が重要だと考えるのは石原親子の思想である。

あまり使わない「金目」と言う言葉を使っていることにも注意しよう。つまり、廃棄物保存施設は、金目になるかどうかが正否の分かれ目になるという考え方を示している。原発は、これまで金目になることで、多くの寂れた地方で受け入れられてきた。原発を受け入れさせたと同じ考え方で廃棄物保存施設を進められると思っているのだ。

原発が、人類にとって、地震国日本にとって、正しい選択なのかどうかを考えるのではなく、金目になるものとして受け入れられるかどうかだけを考えるのが、「現実的」な政治の課題と考えている。廃棄物保存施設が必要になった背景を考えようとしない。原発のコストの大きさも、これまで宣伝されて来たよりもはるかに大きいことが、今回の事故以来明らかになっているが、石原親子は、これも正視しない原発推進派である。

石原シニアは、多くの国民が戦後の苦難を耐え忍んで経済復興に苦労していた時代に、ヨットを乗り回すような金持ちの家に生まれた。それなりに頭も良かったので慶応に入り、受験で苦労することもなく、当時の学生としては珍しいノンポリ青春を謳歌した。自分の文章や、弟の映画で常に注目を浴びた。社会を見つめ、深く考えるなどと言うこととは無縁だったのだ。

ぬくぬくと成長した石原にとって、日本は常に美しい国であり、これまで日本がやって来たことに何の間違いもあろうはずがない。ジュニアにとっても、親父の威光がまるまる通用するありがたみを十分に享受している。日本は素晴らしい国なのだ。その信念だけが全てと言ってもよい。無条件に今進んでいる右傾化路線の行く末を確信する。原発も改憲も悪いことのはずがない。彼らにとっては、何の努力もなく、金が転がり込む素晴らしい世の中なのである。

本人も自分が特別な存在である背景に金があることを自覚している。取り巻きは、そういったやからばかりだから、世の中の人間は、金さえばら撒けば、なびくのだと言うことを若いときから何度も経験してしまった。だから、彼らは、世の中が金で解決できることに疑問を持たない。それどころか金が支配する日本の現実が美しいと居直れる自分の勇気に酔いしれてしまっている。

この親子の発言には、こういた思想的背景が常に表れている。だから、同じような失言を繰り返すのである。




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