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小保方さんとルイセンコ--- 再現実験ならず [サイエンス]

小保方さんが、STAP細胞の再現にチャレンジしたが、所定の期限までに結果が出ず、敗北を認めたようだ。監視付での実験で、なかなか思うように実験できず、多分本人は、不本意な結果発表だったと思う。しかし、再現性が実証できないということは、学説としては致命的である。

生物の進化、あるいは発生は、なかなか不思議なものだ。一個から始まった細胞が増殖し、あるところでは心臓になり、あるところでは肺になる。同じDNAを持ちながらも違いが生じる。何にでもなる万能細胞がどのような条件で生まれるかは謎のままである。

生物の遺伝はDNAで決められているということと、進化が起こるということの矛盾は、単に突然変異の説明では釈然としない。外界からの刺激によってこうしたDNAの変化が起こるのではないかと考える発想は自然なものではある。

小保方さんは、細胞を弱い酸につけたり、低温にさらしたりして刺激することで、細胞は先祖がえりをして万能細胞に戻ると主張した。実際に、実験では、何度かその事実を見出した。現在疑われていることは、実験にES細胞などが混入したことである。先入観を持って実験をすると、冷静な目を失い「希望的観測」をしてしまいがちなことは、実験研究者なら誰でも知っている基本中の基本ではある。

小保方さんが考えた外界からの刺激で遺伝形質が変わるのではないかという説は、過去にも多くの研究者を捕らえたことがある。卑近な例では、あの森口尚史さんもipsを化学薬品による刺激で作ったと言っていた。

有名なのは、ルイセンコ学説だ。ミチューリンという園芸家が、秋撒き小麦を、低温にさらすことで春巻き小麦に変えられるということを発見して、ソ連の農業収穫を増大させた。ルイセンコは、こういった事象を理論化して、獲得形質の遺伝が起こることを提唱した。進化を単なる偶然で理解することに疑問を持っていた多くの生物学者にこの学説が広まった。

次々と品種改良に成功したミチューリン農法と結びついていたことで、これがソ連の国定理論となり、スターリン体制のソ連で、ルイセンコ学説に異論を唱えるものは非国民であるとされてしまった。マルクスレーニン主義を体現する学説であるとしてソ連で賞賛されたのだが、今考えてみれば、唯物弁証法とは、なんの関係もない。冷戦下で学説がイデオロギーとなり国際論争も引き起こしたし、様々な弾圧事件も起こった。

その後、植物には、低温下に置かれることで、開花能力が促進される仕組みが、もともと備わっているのだということがわかって、ルイセンコ学説は影を潜めていった。DNAの仕組みなども解明された現在、ルイセンコ学説は完全に否定されたとも言える。

ネットで検索すると、ルイセンコ学説は何の根拠もない政治的言説であるとする解説に満ち溢れているが、そうではなく、当時としては、科学者の心を引き付けるものがあったのである。小保方さんの発想も、彼女はルイセンコなんて全く知らないだろうが、まさにルイセンコの説を引き継いだものである。

生物の発生や進化は、奥が深い。科学者は、DNAで全てが決まるということで飽き足らず、どうしても外界刺激との関連に引き付けられるのである。遺伝で全てが決まるのではなく、努力次第で人生は大きく変わる。これは、多くの人々の信念でもあり、実際にこれを信じる根拠はいっぱいある。


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