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格差は悪か? [経済]

日本では、貧富の格差が増大している。金持ちは株高でどんどん太り、貧者は非正規雇用に追い込まれて、ますます苦しくなってきている。格差是正を望む声は大きい。

歴史的に見れば、格差は決して悪いことではなかったのである。原始、人々は皆平等だった。森の木の実を取ったり、貝を拾ったりの生活だから格差のつきようがない。しかし、生活は一様に不安定なその日暮らしだった。

やがて、農耕が始まり、収穫が計画されるようになると、生活は格段に安定した。多く収穫した者は、体力も付き、さらに収穫が増える。穀物は貯蔵できるので、格差は積み重なっていった。格差が大きくなると、他人に働かせるということも出来るようになり、ますます格差は増大していった。格差は、増大して行くものなのだ。

食料供給は常に不十分で、天候不順で収穫の少ない年に死滅した部族もあっただろう。しかし格差の大きな場合は、底辺は餓死したにも関わらず、格差があることにより、富裕層が翌年の種籾を確保することができた。人類は、格差によって生き延びて来たのである。格差で世の中は進んだ。

余裕のある者は、ますます蓄え、余裕のない者は飢えて、種籾、や農具、土地をも手放す。格差は、どんどん広がり、ついには、全国の富が一点に集中してしまった。大和朝廷の誕生である。「公地公民」などという制度は、すべての土地は天皇のものであり、すべての民は大和朝廷のために働くということを示している。

一種の奴隷制といっても良い。全国各地の収穫は、都に送られ、多くの部民が食うや食わずで働くだけの毎日であったのに、朝廷貴族は歌を詠んだりする優雅な日々を送った。しかし、このことが、文字を使った文化を生み出した。格差により、日本文化は生まれたのである。

格差が常に世の中を進めるものではない。ある程度収穫が増えてくると、王朝貴族たちは、すでに十分に食っているので、それ以上の増産を望まない。奈良時代には、開墾禁止令が出されたりした。格差が、世の中の進歩の妨げになることもあるのだ。

人々は、依然として飢えていたので、増産が必要だった。中央政府の意向に従わず、各地で勝手に増産を促進する乱暴者が出てきた。これが武士である。武士たちは地方分権的に領地を確保し、互いに競争した。この結果、日本の隅々まで耕地を広げることになった。

各領域内で、やはり武士と農民の格差は重要だった。農民が、ただ働くだけであったお蔭で、武士には学問をする余裕ができ、富裕層として、手工業製品の買い手となっていった。農産物以外の産品が各地に生まれたのは格差のなせる業なのだ。

農産物以外の産品が増えると、商工業者が増えてくる。世界では、こうした商工業者と武士との対立が起こってくるのだが、日本では、外国からの圧力で、その前に武士による支配が終わってしまった。地方分権がくずれ、中央政府の力が増すのだが、日本では、「王政復古」と言われる、貴族社会への逆戻りという形が取られた。実際には、工業化という流れには逆らえず、天皇制と資本主義の癒着という奇妙な形態になった。

工業化にも、格差は必要だった。工場を作るのは資本がいる。小さな規模で生産を始めて、利益をためることで資本を生み出す。資本の投入でさらに大きな工場が出来る。急速な発展のためには、賃金を抑えて、資本の蓄積を促進する必要がある。明治時代の日本は、今よりももっと格差が大きかった。丁稚奉公、女中奉公など食事が支給されるだけで、ほとんど無給のようなものだった。

格差で超金持ちが生まれることで出資が可能になり多くの工業が立ち上がった。もちろんその裏には労働者の劣悪な賃金があった。日本の工業化は格差のたものなのである。

日本は格差の少ない国だといわれていた時代があった。敗戦により、ほとんどの産業がいったん壊滅し、資本の蓄積が解消したからであるが、再生にあたって、銀行や株式会社の制度が発達したことも大きい。

自己資本の蓄積なしに、迅速な経済発展をみた実例が60年代の日本の高度経済成長だ。今では、有望なベンチャー企業には、資産家の決断に拠らずとも、銀行や投資家から資金が集まる。かならずしも、小さな規模から始めて、利益を積み上げて行く必要はない。外食チェーンなどは、あっと言う間に全国展開だ。むしろ、低金利で資金が行き先を求めているような状態だ。

これは非常に大きな変化だと言える。格差は多くの人々を苦しめるが、社会進歩のために役立って来た。必要悪として人類は格差を甘受してきた。しかし、今を見れば、これまでの歴史を推し進めてきた格差が、もはや必要でない時代に入ったということがわかる。"人類の前史が終わる"と言う表現もある。格差は、その歴史における役割を終えることになるのだ。

にも関わらす、近年、格差が増大しているということは、どういうことだろう。格差は、有用であるかどうかに関わらず自然に増大するのだ。社会発展にとっては、もはや必要でなくなった格差は社会の発展を妨げながらも、自己増殖を続けるものなのだ。

マルクスは格差と言わずに、階級という言葉で説明している。支配階級は、自らその権力を手放すことはない。延命のためにますますその支配を強めようとするのだ。弾圧立法、選挙制度、秘密警察、マスコミ操作などなど、そして、どのような手立ても尽きた時点で、一気に支配が転覆する。これを革命と呼んでいる。

マルクスが予言したように、革命となるのが必然なのか、あるいは、何らかの方法で、広がり続ける格差を是正する道を取れるのか、いずれにしても、格差をどうするかが、絶対的な課題となることに間違いはない。

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