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北朝鮮を煽るバカ [政治]

核実験を繰り返し、世界の非難を一身に集めるバカがいることは事実だ。しかし、これを煽るバカがいると言う事もまた事実だ。金正恩、トランプ、安倍の3バカ競演に人々が愚弄され続けている。

航空母艦を近海にまで進出させて脅しをかければロケット発射や核実験を中止するとでも思っているのか。逆だろう、トランプの空母が近海にまで来て演習として大砲をぶっ放したら、金正恩としては意地でもロケットを飛ばさなくてはならなくなる。自国民に対して、空母が怖いから止めますなんてことがいえるはずないだろう。

アメリカはまだいい。今のところ北朝鮮が何をやろうとアメリカ本土には影響ない。しかし、日本と北朝鮮は目と鼻の先だ。何か事が起これば大きな被害をこうむるのは目に見えている。北朝鮮がつぶれるかどうかは問題でない。そのために日本国民の命が失われるのではたまらない。日本国民の命を守ることが政府の最大の責任であるはずだ。

ところが、政府は手放しでトランプを礼賛している。自国民を危険にさらして平然としている輩が日本国の首相なのだ。この点では韓国の政治家のほうがまだましだ。どの大統領候補も北朝鮮への武力行使には反対している。戦争が起これば、勝敗とはかかわりなく、韓国人が多く死ぬことになるのは、朝鮮戦争で経験済みだからだ。「死ぬのはアジア人だ」とフィリピン大統領もトランプに自制を求める気概を示した。まともだ。

北朝鮮の動きが何かあると、すぐに日米、日韓の協議をする報道が目立つが、協議などしなくても結論は見えているから茶番でしかない。「連携を強めて制裁を強化する」ばかりだ。これを一体何回繰り返したことだろう。経済制裁もやり続けると脅しにすらならない。北朝鮮は鎖国状態になってしまっており、もはや経済制裁の効果なんかあり得ない。

日本では医療も福祉も教育もまったく金が足りないという状態なのに、惜しげもなくミサイル防衛に金をつぎ込んでいる。バカな話だ。ミサイル防衛というのは全くのウソだ。至近距離から来るミサイルは防ぎようがない。あたかもミサイルで国民の命が守れるかのようなウソが繰り返され、それを信じてしまう人がいるのが腹立たしい。

大陸間弾道弾を打ち上げフェーズで破壊するなどと言う話があるが、近距離ではそうはいかない。ノドンは発射後6分で東京まで飛んでくる。イージス艦で検知して、3分で日本を標的にしているかどうかを判断した時にはすでに300㎞の高度に達していて、打ち上げフェーズは終わっている。いまさらSM-3を発射しても撃ち落とせるはずがない。

日本近くまで来たミサイルを撃ち落とすとして、さらに金をつぎ込んでPAC-3を配備するというが、これも役立たずだ。PAC-3はミサイル近くで爆発して狙いをはずすが、立川基地をねらったものが霞が関に落ちても、市民の被害は増えるばかりだ。直撃機能もあるが、鉄砲の弾を鉄砲で撃つようなものだからこれは難しい。

高々度から急降下してくるミサイルはマッハ8にもなっている。これをマッハ3の迎撃ミサイルで追いかけられるはずがない。原理的には真正面から向かい打てば正面衝突は可能だが、それが有効なのは真正面にある基地の防衛に限られている。浜岡原発に向かうミサイルを立川基地から発射したミサイルで横から撃ち落とすことは出来ない。

そもそも迎撃ミサイルと言うのは、基地防衛、反撃兵器防衛のために設計されたものであって、ミサイルに都市防衛はありえない。市民の命を守るためには、北朝鮮のミサイル発射を思いとどまらせる以外に道はない。これ見よがしの軍事演習をやるなどといった挑発は絶対にしてはならないことだ。「北朝鮮の挑発」などと言う言葉を使うが、冗談ではない。挑発しているのはアメリカと日本だ。

近距離からのミサイルは防ぎようがないという現実を踏まえ、北朝鮮問題はどうすればいいか? 問題の解決には、今までと逆のことをすればよい。国交を樹立し、日本製品をどんどん輸出して、鉄鉱石などを買い付ける。そうすれば、北朝鮮には日本経済への依存関係が出来てしまう。

第二次世界大戦以来、先進国どうしの大きな戦争はなかった。それは、互いに経済を依存しあうという関係を築いたからだ。今やアメリカの最大貿易国は中国だ。トランプがいくら中国が嫌いであっても、中国経済が混乱すればアメリカ経済は破綻するから戦争は出来ない。

北朝鮮を国際社会に引きずり込む必要がある。これこそが現実的な道だ。国際社会との接触が強まれば、多分、北朝鮮の内部にも変化が起こるだろう。それには時間がかかるが、トランプや安倍がアホな動きに出て破れかぶれのミサイル発射に追い込みさえしなければ、何の脅威もない。自衛隊に比べてさえ一桁貧弱な軍事力で何かをできるはずもないからだ。核を持っていても自国内で爆発させることしかできない。現状大きな経済発展は見込めないからそれがずっと続くだけである。

教育勅語が教えるいびつな世界 [政治]

教育勅語は戦前の教育の根本をなすものであり、1948年6月9日に、国会において廃止確認決議された。その理由は「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残す」ということである、

教育勅語には14もの徳目を並べているが、「以テ...天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と結んで、これらが天皇家の隆盛のためのものであるとしているので、間違いなく主権在君であり、主権在民の日本国憲法と相容れないことは明白だ。だからこれに対しては唯一人の反対もなく全員一致で可決された。国会決議としては重い意味をもつものだ。

しかし、復古主義者の中には、「徳目自体は悪いものではない」「教育勅語のどこが悪い」などと言いだす輩が出始めている。幼稚園の子供たちに暗唱させるといった極端なことまで行われ、それを首相夫人が激励したと言う。徳目を並べれば、何であれ、ちょっと見たところ悪いものには見えない。それなら山口組綱領を暗唱させても良いことになる。実際、山口組綱領は教育勅語とかぶるところが多い。

しかしながら、山口組綱領なども、よく読んでみるとやはり暴力団らしく、いびつな世界を描き出していることがわかる。徳目の目的は「侠道精神に則る国家社会の興隆」であり、これが「以て...皇運ヲ扶翼スヘシ」に対応している。民主主義社会から見れば、どちらも、いびつな世界を目指していることが明らかだろう。

教育勅語の徳目も良く見ればかなりゆがんだものである。何が強調され、何が抜け落ちているか少しその中身を見て見よう。おのずと徳目のもととなる考え方が浮かび上がってくる。

父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ
教育勅語の徳目の最初は家族愛といったものだが、これをわざわざ三つに分けているのは、それぞれ異なる性格のものだと言う考え方をしているからだ。親に対しては「孝行」という一方的な家族愛を要求する。封建制の名残である。親が子供に注ぐべき愛情には全く触れられない。兄弟は相互的なものだが、夫婦になるとまた一方的になる。これを定めた明治天皇は10人以上の愛人を抱えていたことを鑑みれば、愛人と不倫している夫とさえ「相和す」ことを要求するのであるから、たちが悪い。

朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ
次の3つは社会に対する所作である。ここで強調されているのは恭儉すなわち自己抑制だ。自らの独創性を発揮したり、議論して新しいものを生み出すといった姿勢は否定される。社会を前進させるためには、各自がしっかりと自分の意見を表明して行くことが大切なのだが、ここにはそれが見られない。「もの言えば唇寒し」の世の中を受け入れろということだ。言動を慎まなければ友人を信頼すること、人情厚く振る舞う事につながらないと言うのは、自由に発言すれば村八分だぞという脅しでもある。あまりにも古い考え方だ。

學ヲ修メ 業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 德噐ヲ成就シ
この4項目は自己啓発なのだが、それが何のためであるかが問題だ。自他ともに豊かな人生を目指すといった考え方はなく、「以て...皇運ヲ扶翼スヘシ」に直結している。学ぶ喜び、働く喜びといったものを見出すことなく、ひたすら難行苦行を天皇家への忠誠のために要求するのである。学ぶことが権利であるという教育の基本的な考えが欠落してしまっている。

進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ
国家との関係は、従順であれとの一言につきる。国家が決めた公益に進んで協力することを強調する。法律を守ることは教育以前のものであるのに、わざわざここで述べているのは、国家に都合の良い人間になれとの指示を強調するものにすぎない。そして、志願して兵隊となり、人を殺すこともいとわない勇敢さも徳目としているのである。

教育勅語の徳目の考え方も問題なのだが、徳目の取り上げ方にもひどい偏りがある。「ウソをつくな」「迫害にめげず正義をつらぬけ」「命を大切にせよ」「希望を失うな」といった人として大切なことが全部抜け落ちている。教育勅語はウソをつきまくる詐欺師でも信奉できる内容のものだということが森友事件で示された。総じて教育勅語の道徳観はあまりにも古いと言うしかない。「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」などと「皇運ヲ扶翼スヘシ」を外国にまで押し付けるのは確かに国会決議の言うとおり、国際信義に背くものであり、世界征服の野望を表現したものとも受け取られる。

教育勅語が指し示すものは、まさに民主社会から隔絶した「いびつな世界」に他ならない。

MRJの行方---日本に航空機産業は育つのか [技術]

2015年にMRJが初飛行して注目を浴びた。順調に行けば、2018年には納入が始まり、すでに250機の受注を受けていることもあって、大いに期待された。しかし、2017年になって、またもや納入時期の延期が発表されることになった。2020年を目指すと言うが、それもどうなるかわからない。

延期の理由は型式認定取得の困難である。航空機を販売するためには十分な安全を確保しているという認定が無ければならない。これはなかなか厳しいもので、電線の一本一本にまで基準が設定されている。この基準を全部クリアーするためには、大幅な設計変更が必要であることがわかった。これまでにも何度も審査があって、そのたびに小さな設計変更を行ってきたが、それでは収まり切らないことになったのだ。

納期の遅れは、2つの重要な問題を引き起こす。ひとつは、先行する競合機に市場を奪われることだ。受注しているものも、取り消される可能性がある。2つ目は開発コストの増大である。今回の延期で開発コストは30%増えることになると言う。2015年段階では、700機納入すれば採算ラインを越えることができると考えられていたが、こうなってくるとそれは厳しい。

日本はかつて政府主導で、ゼロ戦以来の航空機技術を復活させて、各社共同の旅客機YS11を開発したことがある。この時は結局採算割れになって、生産を中止してしまった。寄り合い所帯で、天下り官僚が口出ししたことが反省点となり、MRJでは、三菱重工一社にまかせ、500億円をくれてやった。YS11の時代とは異なり、三菱重工はボーイングの下請けで部材を作ったり、ジェット戦闘機のライセンス生産などの経験を積んでいる。MRJは性能的にも十分世界に太刀打ちできる意欲的なものになった。

しかしながら、体質的にはYS11と変わっていない。相変わらず政府の金をあてにしているし、軍事技術をバックにしている。軍事開発はいくらでも金をせびることができることができるという強みがあるが、このことで、どうしても生産・開発コストの管理にゆるみが出てしまう。中型ジェット旅客機はビジネスの世界であり、軍事技術の延長では対抗できない。

現在の中型ジェット旅客機はカナダのボンバルディアとブラジルのエンブラレルが席巻している。MRJがこれに割り込んで行って採算が取れるかどうかは疑問が残る。採算ライン700機がどうなったかは言明されていないが、開発費が増大してしまった今では、もっと増えているはずだ。設計が古くなる前に1000機も売るのは誰が見ても厳しい。

この先さらに競合が見込まれるのは中国のARJ21である。アメリカ航空機のライセンス生産から始まっており、マクダネルダグラスのMD-90そっくりではあるが、ウイングレットがついているなど違いがある。航空機は少し違えば全体設計が必要になるのでやはり独自技術として消化しなければ作れない。今後、中国機が世界を飛ぶことになるのは必然だろう。

MRJが苦労している型式認定はアメリカないしヨーロッパのもので、これがないとアメリカやヨーロッパに売れないから採算の見込みが立たない。中国の強みは、国内需要だけで採算が取れることだ。ARJ21はすでに成都上海間の航路に就航した。国内で実績を積めば、やがてはアメリカやヨーロッパにも進出することができるだろう。

日本の自動車産業や電器産業は、ます小型車の国内需要で生産体制を確立して、国内で得られた利益をもとに安い値段で輸出をすることで発展した。しかし航空機には、最初から世界を販売市場としなければならないと言う課題が課せられている。果たして自動車・家電を引き継ぐものとして航空機が「離陸」できるかどうか、まさに正念場ということになる。

現在の日本の産業は自動車・エレクトロニクスで持っている。家電にはすでに陰りが見え、自動車もアメリカなどでは徐々に韓国車が増えている。やがて日本の独壇場ではなくなることが必至だ。それでなくとも自動車は現地生産が主流になってきており日本の生産物であり続けることはない。大量輸出の夢を捨てきれず、将来を原発と航空機に賭けるという無理な選択が非常に怪しげになってきた。

一番気になるのはこうした技術発展の基礎となる技術者基盤が失われていることだ。MRJ開発でも今後欧米人技術者の比率を増やして行くと言う。非正規雇用が増えて技術者の育成ができない。宅配・外食・介護といった低賃金労働のピンハネばかりが増える産業構造になってきており、学校では、道徳や英語に時間を取られて理科がしわ寄せをうけている。こうした施策を続ける政府のもとでは、未来産業の立ち上げはおぼつかない。まず足元を固めないことにはいかなる方策もないだろう。

失業率の秘密 [経済]

安倍内閣の経済政策は基本的に庶民から搾り取って大企業にくれてやるというものだ。諸費税を上げて法人税を減らした。ゼロ金利で会社に必要な金はいくらでも貸し出す。だから株高は当然のことで、会社は景気がいい。

会社が儲かれば給料が上がり庶民もおこぼれに預かるというトリクルダウンの理論が庶民への言い訳だ。しかし、非正規雇用が増え、過労で死ぬまで働かされ、国民の暮らしは明らかに良くなっていない。会社の内部留保が増えるばかりで給料は上がるそぶりもない。

それでも、安倍晋三は国会で胸を張って答えていた。「失業率は下がっている。」「高校生、大学生の就職率は高い。」アベノミックスの成果がでるまでもう少しの辛抱だと国民に我慢を強いる。

確かに統計は安倍内閣以来、これらの数値が向上している事を示している。これはある程度アベノミックスの効果なのだろうか? しかし、家計支出は相変わらず低下しているのだから、トリクルダウンが働いているとも思われない。

ここではたと気が付いたのが人口変動だ。失業率にはトリックがある。日本の若年人口は減少している。今年、60歳を迎えた人は160万人。多くが定年退職になった。人減らしをしない限り、企業は160万人を雇用しなければならない。ところが22歳人口は120万人でしかない。かなりの人減らしをしても大学生の就職率は上がらざるを得ない。

65歳を越えて就労人口でなくなった人は220万人、これに対して新たに就労人口に加わった18歳人口は110万人で半数だ。当然失業率も下がる。まともに雇用が保持されておれば、とんでもない人手不足に陥るはずなのだ。

失業率が少し下がる程度に収まっていると言うことは、かなりの雇用破壊が進んでいるということだ。やっぱり、アベノミックスは何のプラス成果も出していない。失業率の数値を持ち出すのは安倍内閣のごまかしに過ぎない。

もともと失業率にはごまかしがある。日本の失業率は諸外国に比べて低いことになっている。実はこれも失業者の定義の問題だ。失業者の定義は、現に就職活動をしている人で一週間のうち一日のアルバイトも出来無かった人となっている。

職が見つからず、アルバイトで急場をしのいだら失業者ではない。就職をあきらめた専業主婦は失業者ではない。職がないから就職をあきらめた高齢者は失業者ではない。病気で寝込んでいたら失業者ではない。しかも、世界でも稀な少ない失業保険で失業者をアルバイトに追い立てるのだ。これでは失業率は低くなるはずだ。

言葉のごまかしに乗らず、悪政を糾弾して行かなければならない。多くの人たちが姑息なトリックを見破られるかどうか、日本人の賢さが試されている。

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