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ヒットラーがお好きな麻生さん [政治]

麻生副総理がまたヒットラーを持ち出して物議をかもしている。政治は結果が大切で動機がどうであろうと結果が悪かったら駄目だと言う事で引き合いに出したのがヒットラーだった。「いくら動機が良くても結果的に多くの人を殺すことになったからヒットラーはダメだ」という発言だったらしい。びっくり仰天、ヒットラーの動機は正しかったという前提のものだ。

ドイツの新聞シュピーゲルでもこの発言を取り上げ、「Japans Vizepremier nennt Hitlers Absichten "richtig"(日本の副首相がヒットラーの動機は正しいだと!)」と、第二次世界大戦から何も学んでいないことに驚いている。

いくら口が滑ったうっかり発言であるとしても、あり得ないことだ。麻生さんの思考は人類最大の厄災である第二次世界大戦に全く及んでいない。あの大日本帝国の侵略行為でさえ正当化してしまう思想の持ち主だから仕方がないと言えばそれまでだが、一国の副総理としてはあまりにお粗末だろう。世界各国の指導者の政治原点は、あのような悲惨な事が二度と起きないようにすることである。国連などと言う枠組みはそれでなり立っている。

麻生さんがヒットラーを持ち出したのは初めてではない。2013年に都内で講演し、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及する中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。 この時も批判を浴びて発言を撤回したのだが、懲りてはいなかったらしい。

麻生さんだけでなく、安倍内閣の閣僚は皆「日本会議」で、大日本帝国の所業を恥じるところがない。大日本帝国とヒットラーは同盟関係にあり、帝国の侵略戦争を称賛する立場からはヒットラー批判はもともと生まれようがないのだ。ヒットラーと組んで世界征服を狙ったのは「ヒットラーの動機」と「大日本帝国の動機」が同じだったからである。彼らはそれを正しいと思っているのだ。

麻生さんの本格的なナチス指向が現れている暴言は他にもある。それは2013年の社会保障制度改革国民会議で述べた、このような言葉だ。「(高齢者の終末期の高額医療を)政府のお金でやってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない」まさに不要な人間は死ねと障害者を殺したナチスの思想だ。

口が滑って本音が出た時には慌てて訂正する。戦争の惨禍や人類のあるべき姿を考えたこともなく、世界の政治指導者たちと論争する気概がないからだ。安倍や麻生のような人間に大きな顔をさせて、まるで日本人が皆そうであるかのように思われるのは、なんとも恥ずかしい。一刻も早くこういった人たちを放逐したいと、つくづく思う。

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混迷が続く民進党の泥船 [政治]

民進党の混迷が続いている。ボロボロと歯が抜けるように議員が離党している。選挙互助会としての御利益が消えて行けば党に留まる旨味もない。前原さんに付き合って沈む泥船にいつまで居残るかを考えているのだと言われている。なぜこんなことになるのだろうか。

多くの人が民進党に期待しているのは安倍政権の政策に対抗するしっかりとした野党の立場だ。戦争法や共謀罪、留まるところを知らない安倍政権の暴走を止めるのが野党の役割だ。そう考えると野党共闘に後ろ向きな前原支持が民進党の多数を占めることが不思議でならない。野党の総力を結集しないと一強の自民党に対抗できるはずもないからだ。

しかし、民進党の目標とするところは市民の期待とは異なるものだ。議員たちの出自を見れば自民党であったり、維新であったり、いずれにせよ改憲や戦争法にはむしろ賛成の人たちだ。共謀罪にも戦争法にも怒りを持っているわけではない。野党だから一応安倍政権には反対の立場を取らなければならないので反対しておこうと言うだけでしかない。

民主党政権でさんざ市民の期待は裏切られた。消費税を上げ、武器輸出3原則を崩し、原発依存を継続した。一言で言えば自民党と何も変わらなかった。それもそのはず、目標とするところは、自民党と変わらない政治だったのだ。民進党の目指すところは結党の主旨で明確に示されている、二大政党制つまり、「保守二党の政権たらいまわし」である。マンネリ化した自民党の支配体制が続くと国民の反発を招き、革新勢力が台頭する。これを阻止したいと言うのが民進党の理念だ。

民主党がブームになった当時の支持者はすでに民進党を離れ無党派化している。今なお民進党のコアな支持者というのは、あくまでも理念に忠実で「保守二党の政権たらいまわし」を願望している人たちなのである。革新勢力を台頭させるくらいなら、自民一強の方が良いと考えている。当然、前原支持が主流になるだろう。だが、市民の多くはそんなことを望んではいない。自民党政治を転換してもらいたいと思って民進党に投票しているのだ。

選挙ではリベラルな市民層に依拠し、内実では自民党政治を指向する。これが民進党の現実なのである。党外からの期待と党内の願望が完全に乖離している。なぜこのような事が起こったかと言えば、社会党が解体したとき、社民党や新社会党があまりにも弱体化してしまったからだ。旧社会党支持層の行き場がなくなって、本来自民党の亜流でしかない民主党に流れこんだ。集票基盤の弱い議員たちは市民の期待に迎合する姿勢を見せた。

これが今も続いている。民進党の議員の中に、これまでの自民党政治に心から怒りを感じ、打倒を目指す人はいない。積極的に野党連合を志向し、連合政権で自民党に対抗しようなどと考えている人もいないのである。市民の期待とはかかわりなく、現実の力量ともかかわりなく、「保守二党の政権たらいまわし」を夢想しているだけなのだ。

もちろんそんな展望はない。自民党政治が好きな人は、自民党に投票するのが当たり前だ。信念がなく、保守のくせにリベラル票欲しさにポーズを取って見せる二流政治家の集まりでしかないと評価されるだろう。民進党の混迷は続くしかない。
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