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厚化粧こそわが命------続・小池百合子の正体 [政治]

マスコミはこぞって小池新党を話題にしている。何か新しいことをしてくれると期待しているようだ。テレビでは初の女性総理かとまで持ち上げている。それなら小池百合子の正体を明かしてみよう。石原慎太郎は小池百合子に激怒して「厚化粧女」と罵ったが、あながち間違っているわけでもない。厚化粧とは地肌を隠して見せかけで欺くことだ。

小池百合子が都知事に名乗りを挙げた時に違和感を感じた。それまでの国会発言で取り上げていたことは改憲、軍拡、核武装、原発輸出などタカ派の議論ばかりだ。子育てとか生活密着の発言はほとんどない。地方自治に関心があるとは思えなかったからだ。都知事は方向違いだろう。

都知事への立候補そのものが本性を隠した厚化粧でしかない。にこやかに登場して舛添とは異なる透明性のある都民ファーストの都政を期待させたのは見事なパフォーマンスではある。若いころから派手なパフォーマンスをよりどころにして、世の中を渡って来た。小池百合子にとって厚化粧こそわが命なのだ。

厚化粧の下にある本性は、タカ派の右翼おばちゃんの顔だ。小池百合子には強さへの願望がある。少子化は強い男がいないからだなどとも言っていた。強いもの勝ちのどこが悪い。世の中は所詮力の世界だ。弱い奴らは切り捨てればよい。そういった考えは当然軍事に結び付く。軍事力で作られる強い日本を率いて国民に命令したい。それが小池百合子の夢なのである。

石原や舛添などこれまでの知事は豊富な税収を使って「事業」の推進ばかりをやってきた。都民の生活を顧みなかったといってよい。さすがに都民もこれには愛想をつかしており、自民党では票を集められない状況にはなっていた。自民党の序列を飛び越えるチャンスだった。都民の生活には関心がなくとも、都知事は権力であり、オリンピックの時期にはとりわけ目立つ地位だ。逃す手はない。

変革の期待から最初に小池知事を担いだのは、市民運動から出た生活密着派の都議たちだ。だが、地肌が現れると当然ながら期待は裏切られることになった。情報公開、オリンピックの簡素化、豊洲移転の見直し、すべて不発だ。実際に行ったのは、「特別顧問」といった側近の内輪で全てを決める密室政治のようなものだ。「希望」の事務局長にもこういった側近を送り込み、都議会では都民ファーストを立ち上げて小池知事実現に働いた都議にその手下になれと要求した。「自分ファースト」でしかなかったのである。

あたかも移転を取りやめるような雰囲気を漂わせて結局豊洲に移転する。補修をして移転なら全く舛添と同じだ。豊洲移転の経過は隠蔽して記録も残さなかった。小池百合子が要求する議員の役割は知事のイエスマンになれということだけだ。与党だから質問するな、独自の活動はするな。結局、最初に小池知事を担いだ都議たちは落胆して「希望」からは離脱することになった。

原発ゼロを口にしているが、菅首相に語気鋭く原発輸出産業の振興を迫っていたのは彼女だ。東電の最大株主は東京都なのだが、東電に脱原発をせまったことはもちろんない。小池新党の面々には原発推進派が集まっている。政策の一致しない人は排除するなら原発推進派を入れるのはおかしい。改憲派でありさえすれば原発に対する意見は問わない。原発ゼロは塗りたくった化粧に過ぎず、反原発票を詐取するパフォーマンスである。

有利と思えばどこまでも居丈高になる「自分ファースト」が前面に出てきた。前原のやったことはまるで土下座だ。民進党から希望に移るためには、まだ中身も示されていないのに「希望の党の公約を守ります」と誓約しなければならない。改憲、戦争法賛成の踏み絵を踏まされ、全面屈服を要求される。公認を貰うためには金を出せとあからさまな要求まである。その上、立候補できるかどうかは協議することなく小池百合子が勝手に決める。まさに選別排除の党である。

しかし、図に乗り過ぎて「自分ファースト」はつまづきを見せ始めた。大坂で維新と連携するために民進党議員を全員切り捨てた。その中には電機連合の組織内候補も含まれていたから当然連合の反発は起こる。民進党の集票力の実体は連合なのだから連合の反発を受けたら民進を取り込む意味は無いはずだ。東京都議たちの離脱も厚化粧がポロリと外れる一幕だ。小池百合子の素顔が現れる。

だらしのない民進党議員たちは唯々諾々と「自分ファースト」を受け入れるかのように見えたが、あまりに独裁的な選別排除に首を傾げる人たちも出てきた。民進党は枝野が立ち上げた立憲民主党との分裂となった。こちらは当然、共産・社民との共闘が力になる。選挙は護憲・平和か軍拡・改憲かの争いになる。

厚化粧は剥げるしかない。冷静にみれば、自民党や維新となにも変わらない右翼おばちゃんに何の魅力があろうか。ブームは急速にしぼみ、投票日に異変は起こらないだろう。
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衆院選後の政局を悲観的に予想する [政治]

まだ選挙が公示されたばかりだが、この時点で選挙後を予想して見る。残念ながら、悲観的にならざるを得ない。徹底して悲観的な予想を書いてみよう。予想が外れることを願いたいものだ。

この選挙で結局は自民党の過半数は動かないだろう。非正規雇用が増え、経済は暗雲が立ち込め、福祉は減らされ、何一ついいことはないのだが、まだ人々は飢えるところまで追い込まれていない。選挙民は基本的にアホだからアベノミクスでそのうち良くなるとか、北朝鮮問題で危機を煽ってごまかすことが出来るのだ。

公明党は「下駄の雪」だからもちろん自民党を離れられない。カルトのイメージを払拭するために大臣の肩書とかが極めて有効だから与党であることが布教のために絶対必要なのだ。希望と維新は利権を握る自民党へのすり寄りが顕著になる。どちらも伸び悩んでおそらく合併に動くだろう。自民党の補完勢力として公明党に劣らぬ地位を持つには合併しかない。自民党へのすり寄り競争になる。

維新は橋下人気に頼ることが出来なくなり、小池人気にでもあやからなければ先行きがない。自民党を極右・安倍が牛耳っている状態では自民との違いの見せようがないから何の目標も持てない。「希望の政策は6年前に維新を結党した時の政策と変わらない」などと言っているが嘘だろう。6年前は大阪都構想一色だったではないか。小池のどこが大阪都なのだ。正直に言え、「なんとか人気にあやかりたい」と。

小池にすがるのもすでに有効ではない。都知事選では、石原・舛添とは違った都政を期待させてポピュリズム選挙に成功した小池だが、豊洲も情報公開もオリンピックの簡素化も全て期待を裏切り、人気も落ち目になっている。民進を取り込んで数を増やそうとしたが、選別排除が裏目に出た。単なる「自分ファースト」の右翼であることが知れ渡ってしまったし、取り込んだ元民進の議員は質が低いと言う定評が出来てしまった。政見主張などどうでもよく、当選しさえすればいいというのではそれも仕方がない。むしろ筋を通した立憲民主の株が上がるのは当然のことだ。

さて、筋をとおした立憲民主だが、実のところ結果的に筋を通したことになってしまっただけだ。前原が希望との合流案を示したとき、両院議員総会で全員一致で賛成し、一人の反対もなかったという事実がある。小池のお気に召さなかったため行き場を失っただけのメンバーもいる。大阪では維新との連携のために、大企業お抱えであり、本来「希望」に行くべき連合の組織内議員も希望からはじかれてしまった。この連中の本音は希望と変わらない。立憲民主は安倍政権へのすり寄りへの未練をすっきりと捨てられていないのだ。原発廃止にも消費増税反対にもまして安保法制への反対に腹をくくって取り組めない状況は続くだろう。

政策的に一番まともなのは共産党であるが、いかんせん、まとも過ぎて尻込みをする人が多い。そこまで自民党を批判しなくてもいいんじゃない。中にはいい人もいるよ。などと思う人も結構いるのだ。こういった人、リベラル保守とか中道右派という人の投票の受け皿がないと言う状況がが続く。これが日本の不幸なのだが、結果的に安倍政権の暴走が続く。一強が長期化してくると「忖度」の度合いが増すのは当然だろう。政権の私物化がさらに横行する。

国の借金が増えるにも頓着せず、ひたすら軍備を拡大し、年金も医療も社会福祉は後退していく。少ない収入は消費税でさらに目減りする。それでも980円でランチができるならまあいいやと自らを慰める毎日が続く。日本人は徹底的に痛めつけられるまで立ち上がることができないのだ。比例復活付きの小選挙区制という歪んだ選挙制度のもととはいえ、まともな投票ができないアホ国民は地獄を見るしかないのかも知れない。

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この選挙は一体何だったのか ---- 2017年衆院選 [政治]

安倍政権は森友・加計問題で政府の私物化を追求されるはずの臨時国会で、審議抜きの冒頭解散という暴挙に出た。ところが野党第一党の民進党は自党の公認を出さず、他党に公認してもらうという前代未聞の対応をした。ジリ貧状態から抜け出そうとしたのかも知れないが小池ブームに悪ノリした形だ。当然のごとく反発が生まれ3分解してしまった。このため自民党の大勝となった。

これは今の政治に人々が満足しているということではもちろんない。人々の意思はなかなか選挙には反映されない。希望などが出てきたこと自体が安倍内閣に対する不安の表明ではある。実際、日本の産業は衰退が見えており、技術力の低下は著しいし、生活向上の期待もない。しかし、明確な方向性をもって大企業優遇の政治、軍備拡大の政治に批判をあらわにし、根本的改革を求めるほど、人々の考えは整理されていない。だから何かブームに乗って新しい政党に期待したりするのだ。

世の中はわかりやすいものではない。技術の崩壊があっても株高なら表向きは景気が良い。正規雇用が失われ、非正規雇用ばかりになっても、一応職にはありつける。多くの人々が表層で動くのは仕方がないことだ。時給800円であっても、ファミレスで980円のランチが食べられるなら暴動は怒らない。まだ国民は追い詰められているとまでは感じていない。

争点になったはずの加計問題については語られず、消費税も戦争法も争点にはならなかった。与党の優位が動かないという無気力感の中で、今回の焦点はもっぱら立憲か希望かという野党の行方になってしまっていた。結果として立憲民主党の圧勝となり、自民党に追随するような野党はいらないということが示された。もし、当初予想されたように希望に票が集中してしまっていたら、大政翼賛改憲議会になっていたところだ。

この点ではまだ日本人の理性も見捨てたものではない。安倍政権に対して追随する勢力ばかりでは危ないという感性が、ぎりぎりのところで働いたのである。大勝と言っているが特に自民党の議席が増えたわけでもない。しかし、国会の中が沈みゆく日本を大国妄想で乗り切ろうとする改憲勢力で占められている事実は変わらない。現在の右傾化現象は展望が見いだされない時に必ず現れる過去の栄光への寄りかかりである。過去を美化して回帰を夢見るのだ。

もちろん、そんなことで国民は救われない。国民にとっては困難な時代が続く。ますます困窮を深めるから、明日の食い物にも困るというところまで追い詰められれば、いかに歪んだ選挙制度といっても人々の意思が選挙に反映されないわけには行かないだろう。しかし、それまでに払う犠牲の大きさを思うと、少しでも早く多くの人に目覚めてほしいと思う。

今回の選挙はこうした歴史の流れがたどる紆余曲折の一里塚として記憶されるしかないだろう。
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