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塩原温泉 [旅行]

塩原温泉は、いくつもの湯質があり、湯量も多いいい温泉だ。古くから開けた温泉のためか、観光地としては垢抜けしない。温泉以外何も無いという感じが行き渡っている。箒川のせせらぎに沿った配置になっており清流が心地よい川音を響かせている。

川音に馴染んで揺れる草の葉に、生きて今ある我が命嬉しく

日本奥地紀行 [旅行]

日本奥地紀行」は1878年(明治11年)に日本の「奥地」を旅行した英国婦人イザベラ・バードの旅行記である。明治以後とはいえ、まだ「奥地」ではちょんまげが残る時代であり、西洋文明に触れる前の日本が克明に記述されている。ここで言う「奥地」とは当時の西洋人の多くが横浜や東京がある太平洋岸から離れないに対して、本当の日本の姿を見るために奥地に行かねばならないとした、北関東、東北、北陸のことである。

現代の日本人はは明治初期の日本について、映画や小説である程度理解しているつもりになっているが、実はそれは後世に希望的に作られた偶像であることが多い。当時の記録はもちろん豊富であり、ことさらこの紀行に頼らなくても良いのだが、日本人の書いたものは、当時当たり前だったことはことさら書いてないと言う欠陥がある。しかし、外国人の目から見た場合、すべてが新鮮で特異なこととして記述されているのだ。

例えば、当時の女性の服装だ。どのような映画でも和服でしゃなりしゃなりと歩く姿になっているのだが、実際は豊かでない人たちは多く着物らしい着物を持っていなかった。腰巻一つで乳房を放り出して表を歩いている女性は珍しくなかった。既婚女性は全て、眉を剃り、お歯黒で歯を真っ黒に染めた奇怪な姿をしていた。年よりかなり老けて見えたようだ。着物は全く労働に適していないので、働く人々は殆ど褌一丁の裸だった。もちろん子どもたちは裸が多い。つまり、アフリカやオセアニアの原住民に抱いているイメージとそう遠くないのだ。

130年がどのように世の中を変えたかは驚くべきものがある。この先100年、またとんでもない変化があるのだろう。昔が、今の想像を超えた状態であることは、未来もさらに想像を超えた状態だということだ。

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シェーバー(髭剃り)は回転式と振動式のどちらがいいのか [旅行]

旅行中にヒゲをそるのは面倒なことで、携帯用の髭剃りを持ち歩くはめになる。この髭剃りの不思議なところは、何十年も「回転式」と「振動式」が技術を競い合っているということだ。VHSとベータ、メモリースティックとSDメモリー、マックとウインドウズなど大抵の場合数年で勝敗が決る。ところが髭剃りだけは何十年もこの2つの異なる方式が競い合っているのだ。いったいどちらがいいのかを考えてみよう。もちろん、双方の高級機種は欠点を補う対策を施しているのだが、旅行用にでかい荷物は禁物だし、値段がべらぼうに高いくせに、少し古くなれば刃がなまって、たいして安物とかわらない。

形状から言えば振動式は四角いあるいは平べったい形になり収納しやすい。回転式はどうしても丸型になり、収まりは悪い。回転式は静かで、振動式のほうはやかましい。これで朝の忙しい時に、しゃべりながら使えるかどうかの違いがある。顔に密着させているのだから、振動式はテレビの音も聞こえないくらいだ。ただ、振動式は速く剃ってしまうことが出来るという大きな利点がある。同じ値段レンジの物を比べると、振動式の方がかなり速く剃れるのだ。髭剃りは外歯の穴に入り込んだヒゲを内歯でちょん切るのだから、外歯の穴の数が多い方が有利で、振動式は細かな穴が沢山空いているし、回転よりもかなり早い歯の動きが達成されている。

共通事項ではあるが、電源方式はよく考えたほうがよい。乾電池式は小型になるが、非力で、よほどヒゲの薄い人でなければ実際上役に立たない。交流式は常に強力なパワーが期待できるが旅先も夜行だったりすると使えないこともあるし、コードがぶら下がっているのが、朝の「ながら髭剃り」にはわずらわしい。充電式はいざ使おうと言うときに充電を始めていたのではとても間に合わない。あらかじめ充電しておく手回しのよさが必須だ。交直両用充電式というのはその点安心できる。

回転式の良いところは「剃り残し」の少ないことだ。小さな穴に入ったヒゲをちょん切る振動式では、横に寝てしまった毛はお手上げだ。不精して休みの日に剃らなかったひげを月曜の朝に剃る御仁は、この横に寝てしまったヒゲに閉口する。回転式の場合、穴が細長く広がっている設計が多い。これなら、この穴が広がった方向にヒゲそりを動かせば、寝たヒゲも溝にはまり込んで剃られてしまう。

結局、どちらがいいのかという結論は場合による。私の場合、両方を用意して、まず振動式でざっと剃ってしまい、残りを回転式に切り替えてやることにしている。剃り残しは毛の寝方によるようだが、二種類併用すればほぼ完璧にそれる。これで髭剃りに使う時間を随分短縮できるようになった。高級品を買うよりも、普及型を二台買ったほうが安いのは言うまでもない。

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筑波山神社の謎 [旅行]

東京から手軽に行ける山ということで、つくばエクスプレス(TX)が出来てから筑波山へ行って見る人が多くなった。茨城の観光資源としても貴重なのだが、どうも設定がまずい。おしゃれな雰囲気がなく、うんざりするような土産物屋がならんでおり、公園としての整備がいまいちなのだ。山全体が筑波山神社の私有地なのだから、これはどうしようもない。まあ、乱開発を防いで、自然を残したいという意味からはこれも、まったく悪いことではないだろう。

筑波山に行けば、当然、ここの神社にも立ち寄ることになる。私は筑波山神社には大きな謎があると思っている。

一つは、その格付けが非常に低いことだ。かなり、立派な神社に見えるし、歴史も古いと考えられるのに、神社格付けでは、非常に低いところにある。戦前の神社は、国家が管理した社格制度があった。官幣社、国幣社、諸社と分かれていて、それがまた官幣大社とか官幣小社とかのランクに別れていた。で、筑波山神社はどのような位置にあったかというと。諸社の中の「県社」と言うものである。ちなみに官幣社、国幣社は全国に223もある。筑波山神社はそれ以下なのだ。

この理由は、ある程度わかった。簡単に言えば筑波山神社は明治の初年にでっちあげた新参神社だったということだ。筑波山には筑波女神社、筑波男神社と言う山岳信仰の素朴な神社がそれぞれの山頂にあった。しかし、筑波山で隆盛を誇ったのは中腹にあった護持院という寺だった。日本の寺は、神仏混交で境内に神社を持つ。護持院にも、春日神社・日枝神社・厳島神社があったが、これらは、仏教神で寺を守護するために置かれたもので、山上の山岳信仰神社とは関係がない。

現在の筑波山神社は寺をもとにしたものだったのである。筑波山護持院は、将軍家加護で関東で最も格式の高い寺であり、5万石の領地まで与えられていた。ところが明治になって、将軍家がなくなるとなると、この5万石も微妙な事になってきた。

廃仏毀釈の機運に乗るためには神社に転換するのがよさそうだということで、内部の利権争いもあったらしいのだが、結果的に山上の神社もあわせた事にして筑波山神社を立ち上げた。護持院の僧侶が、髪の毛を伸ばして、神職に転職したのである。しかし、寺の本堂や伽藍を壊したりの努力もむなしく、結局のところ5万石はなくなってしまった。

もちろん、神社の公式見解ではもともと3つが神仏混交だったというのであるが、神仏混交は境内にあった神社とのもので、山岳信仰である男体・女体とは別物である。伝統を無視して3つをあわせるなどということは、宗教的には何の脈絡もないことになる。神職も、ど素人ばかりだし、これでは、高く格付けのしようがない。だから低い格付けになってしまったのである。

しかし、格付けは必ずしも宗教的観点から行われるものではないので、もっと他の理由があるかもしれない。「生類哀れみの令」につながる護持院暗闘の歴史は、それはそれで、面白いものだ。

もう一つの謎は、その建物だ。筑波山神社は、神社らしからぬ伽藍を備えており、どう見てもお寺の建築だ。廃仏毀釈でお寺が神社に変換されたというならこれも不思議ではないのだが、実は護持院の大御堂や三重塔、六角堂などの建物は全部壊された。仏像や鐘なども、あちこちに散逸している。明治になってから、跡地に新たに神社として建てたのに、このお寺様式の建物はどうしたことだろう。

仏教存続派と神社転換派に分かれて争い、妥協点として建築様式を仏式にしたとか、宮大工が仏式建築しか知らなかったとかが考えられるが、どうもそのような痕跡が見当たらない。調べては見たが、この謎はいまだに解けないままである。神社の人に聞いても見たが、何も記録はないとの事だった。五万石の利権争いがからむ神社設立のごたごたにについては、語りたくないだろう。

クルーズの値段が日本で不当に高いという件 [旅行]

豪華客船によるクルーズの宣伝が目立つようになってきた。外国船が日本を起点とした航路を運行し始めたことが大きい。10万トンを超えるような大型船で、様々な設備・エンターテインメント・食事を提供して、しかも費用はそう高くなく、一日あたり1.5万円位に設定されている。これで日本でもクルーズが身近なものとなったと言える。しかし、船旅の愛好者たちは、これでも高いと不満をつのらす。実は、このクルーズの代金が、外国人に対しては一日あたり0.7万円位で売り出されているからだ。

船が大きくなればなるほど一人当たりのコストは下がる。燃料費は船の表面積に比例し、積載量は体積に比例するから当然ではある。エンターテインメントのコストも観客が多ければそれだけ一人当たりの単価は下がる。食材の仕入れも安くなる。多くの乗客さえ見込めれば、かなり料金を下げても事業は成り立つのである。だから、空席が出そうだとなれば、どんどん値を下げた販売が行われるのが普通だ。少しでも払ってくれれば空で運行するよりはましだからだ。

しかし、日本では、旅行社に均一料金を押し付けている。インターネットを通じて、外国から買うことも出来るはずだが、これも船会社が手をまわして、日本人には販売を禁止している。このやり口に非難が殺到しているのだが、もちろん船会社は改めるつもりがない。これは、周到に準備された戦略に基づくものなのである。

これまでも日本にクルーズと言うものはあった。日本丸とか飛鳥といった船が知られているが、この料金はかなり高いもので、一日あたり数万円もの費用がかかった。豪華客船などといわれる所以だ。むしろ、富裕層にしか乗れないことに価値が見出されていたのかもしれない。外国では、豪華などといわず、単にCruise shipつまり巡航船と呼ばれているに過ぎない。もっと大衆的な船旅文化というものが根付いている。

この違いがどこから来るかというと、日本では、値段を下げたからといって乗客が増えるわけではないという経験則が確立されていたからだ。日本船のクルーズの乗船率は決して高くなかった。低い乗船率でも採算が取れるような値段設定が、ずっと行われていたのだ。なぜ、値段を安くしても乗客が増えないかというと、日本人は、休みが取れないからだ。値段を下げてもクルーズできる人口は限られている。年間20日もの有給休暇が保障されているのに、10日間のクルーズに行くことが出来ないという不思議な社会なのである。

新規参入の外国船は、時間的に余裕のあるリタイア世代のうち多少金銭にも余裕のある層をターゲットにしたのだが、やはり超大型船を満杯にすることは望めない。そこで日本船より少し値段を下げて、世界標準から見ればかなり高い値段設定にした。多少空席が出ることを覚悟した上で利益を確保する運行である。その空席は、外国で安売りすれば良いという考えはもちろんある。日本のクルーズ市場を世界から分離すること。これは船会社にとって必須の要項であった。そのために、なかなか凝った工夫をしている。インターネットも、日本語仕様のコンピュータであったり、日本のIPドメインであったりするとアメリカでの値段が見えないようにしてある。日本進出には、周到な準備がなされていたのだ。

かなりの航路を旅行社によるチャーターにしたり、日本支社ですべての予約を受け付けて、旅行社を単なる中継エージェントにして利益を保証するなど、営業的にもそのための工夫をしている。

こういった変則的な市場操作はいつまで続くのだろうか。そのうち日本にも安くうる国外旅行社が現れる。どんどん拡大している中国起点のクルーズとの兼ね合いも出てくる。これを維持するのは難しいだろうが、休みが取れない社会が続く限り、日本と世界の乖離はなくならないとも思える。日本が「普通に休みが取れる国」になるまで、クルーズ船の高値は続くのである。

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