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恐るべし中国の基礎科学 -ニュートリノ実験- [サイエンス]

物理学で最近最も熾烈な競争が展開されているのはニュートリノ振動の観測だ。陽子崩壊実験のために建設されたカミオカンデが偶然スーパーノバのニュートリノを捉えたことから、日本がこの分野で世界に先駆けることになった。ニュートリノ天文学は日本から始まったのである。

太陽ニュートリノの観測で、ニュトリノ振動の存在を確定的なものにして、トップに立った。その後もスーパーカミオカンデが世界最高のディテクターとして優位に立っていた。各国で次々に観測が始まったが、太陽ニュートリノは日本の圧勝だったのではないだろうか。ニュートリノ質量の存在を確定した功績は大きい。

自然観測の次の段階は加速器を使ったより精密な実験になる。日本では高エネルギー加速器研究機構からのビームを立ち上げ、K2K実験が加速器実験の先鞭をつけた。一番乗りを果たしはしたが、精度は足りず、結果としては太陽ニュートリノ観測以上のものは出せなかったと言えるだろう。

加速器実験となれば、もちろん、世界各国も黙ってはいない。ヨーロッパではOPERA、アメリカではMINOSが立ち上がり、強力な加速器のビームにものを言わせて実験を進め、ニュートリノ振動に関わるパラメータのうち、θ12、 Δm212が測定されてしまった。加速器のエネルギーが12Gevでは太刀打ちできない。

残された課題であるθ13パラメータに挑むため、日本は800億円をかけて東海にJPARC加速器を作り、T2K実験を開始した。これで、パラメータ決定で後塵を拝したヨーロッパ、アメリカを一気に追い越すつもりだったのだ。

競争に参入したのは欧米だけではない。ニュートリノは太陽、加速器だけではなく原子炉からも出てくる。原子炉なら多くの国が持っている。原子炉の場合雑音が多いのでバックグラウンドの排除という難しい問題を抱えるがビームは強い。フランスのDoubleChoozがさきがけとなって韓国がRENOを立ち上げ、中国も遅れてDaya Bayを立ち上げた。

先頭を切っていたのは、2010年12月にT2K実験を開始した日本だと言えるだろう。ところが、3月11日に地震が起こり、JPARCの加速器が停止してしまった。震災までの3ヶ月分のデータを解析して確かにニュトリノ振動があることは認めたれたが、6事象に過ぎず、もちろんこれではθ13の決定には程遠い。T2Kが再び動き出すのが2012年4月ころだから、T2Kがθ13を見つけるのは早くても2014年くらいになるだろうと予測された。

こうなってくると韓国のRENOが俄然有利となったように思える。RENOの実験は3年に渡ってデータを集積し、3°以上と言うところまでつきとめているからθ13を決めるまではあと一息というわけだ。日本のT2Kが復帰すれば追いつける可能性も高い。Minosも近い所まで来ている。OPERAも追い上げて2012年はまさにニュートリノ競争の年になった。

ところが2012年3月8日、いきなり中国のDaya Bayが結果を発表した。実験開始後わずか55日でθ13= 8.8°と言う値を得た。誤差は10%以内だ。完勝と言える。これでは、たとえ日本に震災が無かったとしても、全く歯が立たないのは明らかだから震災はいいわけでしかない。6基の2.9GW原子炉の近くに2台の100トン検出器を置き、1.7km離れたところに同じ検出器を4台並べているから、物量的にもすごいものだ。これだけの実験をやりとげる科学者の層の厚さがあるということだ。

中国の基礎科学恐るべし。これは800億円を棒に振った日本にとっても大変なことだ。欧米に対しては厳しい競争と認識していたが、正直なところまさか中国に負けるとは思っていなかっただろう。金儲けにならない基礎科学でもこの状態なのだ。中国製品は安いけど質が悪いなどと言っておれるのもあと数年だろう。本気で考え直さないと日本は確実に立ち遅れる。


なぜ日本発の抗がん剤が出来ないのか [サイエンス]

野田首相がNHKのインタビューで、日本が医薬品の輸入国になっていて、貿易収支が赤字であることに言及していた。色々と目配りしているなと思った人もいるだろうが、住友化学の長谷川社長に入れ知恵されただけのことだ。実際、医薬品については輸出は輸入の三分の一ほどしかない。

日本ほど医学部偏重の国はない。どの大学も医学部の偏差値は格段に高い。優秀な研究者をかき集める分野だ。研究費もバイオと名が付けばバブルと言われるほど潤沢だ。新聞では絶えずガン研究の成果が披露されている。ところが医薬品が外国頼みとはどういうことだろう。

野田首相は、大学と企業との連携が悪くて、研究成果が産業に生かされておらず、もっと企業の要望に答えることができる大学に変えていかねばならず、メリハリをつけた予算配分が必要と言っていた。そんなはずはない。

医学部が製薬会社と結びついていることは誰でも知っている。この上なく連携はいいのだ。大学の経常研究費をどんどん減らして重点と認めたところに集中する「メリハリをつけた予算」はこの20年、一貫して進めてきた結果、ほとんど経常研究費は無くなる所まで来てしまっている。

研究とは言うまでもなく失敗の連続だ。七転び八起きで散々失敗をした挙句にやっと成功するものだ。このことは誰でも理解できるはずなのだが、不思議なことに、誰でもわかる理屈が、政治家や官僚には理解できない。

官僚が研究費にメリハリを付けたらどうなるか?「失敗が続いているがもう少しがんばりたい」などという研究は簡単に切り捨てられる。「確実に成果がでます。失敗などしたことがありません」というような研究ばかりがはびこる。こんな研究がどんなものかは想像がつくだろう。新しい原理にもとづいた抗がん剤などできっこないのだ。

最近の日本の研究成果はアドバルーン型が多い。「新発見.....糸口をつかんだ」「新発明......実用化が期待される」などだが、実際には実用にはなり得ないものだったり、発見が確定できていないものがほとんどだ。失敗が続き、苦労するのはこれから先なのだが、そんな事をやっていては予算が取れなくなる。

実用に程遠いところで放り出されても困るというのが企業側から見て連携の取れていない所だろうが、実は研究テーマがアドバルーン型であることが本質なのだ。メリハリなど付けずに、一律配分して、じっくりと研究できるようにすることこそ、学問的にも価値があり、また本当に実用になる成果を生み出すのだ。金につられてやる研究にまともなものはない。



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iPS細胞 森口事件と研究費のありかた [サイエンス]

iPS細胞を使った虚偽手術が話題になっており、森口尚史氏の研究費が問題になっている。森口氏の研究費というより、森口氏周辺の研究費と言うほうが適切だ。森口氏は「研究代表者」ではなく、「研究分担者」になっているからだ。

森口氏が東大特任教員などと名乗っている理由は、彼が月給50万円で東大に雇われていたことによる。「特任」というのは、特定の研究任務ということで、東大が外部から取ってきた臨時の経費で給料が支払われていることを示している。どうして、こんな人が東大特任教員になれたかを不思議がる人もいるが、不思議でもなんでもない。

何年か前に規制緩和で研究費が人件費に使えることになったのがそもそもの始まりだ。月給50万円というと多いように見えるが、保険や通勤費などを含んでの総額だから実質はそう多くない。家賃6万円のアパートに住んでいるのも不思議ではない。誰が彼を雇ったかというと三原誠という助教の立場にある人だ。森口氏は特任助教授を名乗ったこともあるが、多分そのときは雇い主が教授だったのだろう。現在の雇い主は助教だから特任教員とでも言うしかない。

三原誠氏は厚生省から1億6380万円の研究費をもらっている。1億6380万円はやはり大金であり、助教というのは大学では一番下のポストだから、配下もなしにこの研究費に見合う成果を出すのは大変なことだ。ありあまる研究費がある場合、年600万円で、一応自分で論文を書くだけの能力を持った人を雇えるのは安いことになる。成果として発表できる論文の数が二倍になるのだからありがたい。森口氏はむしろ貴重な存在だったのだ。多少の”うさんくささ”には目を瞑る気になったはずだ。

ではなぜ、三原氏にこのような大きな研究費が出たのか? バイオバブルといわれる現象があり、バイオとかiPSとか言えば研究費が沸いてくる。 もともと大学の研究費は講座費などと言われ、全国の大学に均等に配分されるものが多かった。ところが、次第にメリハリをつけることが行われだし、「競争的資金」といわれるものが今ではほとんどになっている。研究者は皆、研究計画を作って資金に応募しなければならない。応募書類を作る労力たるや大変なもので、本来の研究に使う時間もなくなる。だから研究費で雇える人はさらに貴重だ。

メリハリを付けると言えば聞こえが良いが、研究というのはやって見なければわからないし、失敗の連続なはずであり、計画書を出せといわれても、結局は作文でしかない。アイデアなどと言っても研究を始める前に出せるものはたいしたものではない。結局、これまでの実績や、風評、所属機関のネームバリューで研究費の当否が決まっているのが実情だ。官僚がメリハリに口を出せば、当然世間的に注目される分野に集中して金をばら撒くことになる。バイオが流行ればバイオに資金が集中し、ナノが流行ればナノに資金が集中する。東大の看板がある三原氏が森口氏を研究分担者にして論文数実績を増やせば当然大金が舞い込むわけだ。森口氏に学位を与えた児玉龍彦教授などは28億円も、もらっている。研究費がこういった所に集中するから、逆に地方大学の地道な研究は日の目を見ることがなくなる。

他にも森口氏を分担者にしている慶応や杏林の研究者もいる。三原氏が森口氏を東大の所属にしているから森口氏を入れれば、東大の看板がついて、資金を獲得しやすいと言う思惑も少しあるだろう。森口氏の論文共著者になっていたことであわてている御仁も多い。論文の中身も見ずに、共著者に納まって平気だったことの表れだろう。その論文に対してなんの貢献もないのに、義理やその他の配慮で共著者にするということが蔓延している。「成果」が少しでも多ければそれだけ、資金獲得がやりやすいからだ。

研究費から人件費を支出できるようにした規制緩和の罪は大きい。人を雇って研究させることができれば、研究は事業でしかなくなる。自分の能力とはかかわりなく、多くの人を雇い多くの成果を出せば、さらに大きな研究費を獲得でき、さらに多くの成果を出して出世につながる。大学で出世しようと思えば、事業家にならざるを得ない。一流の研究者には才能がいるが、ハッタリを効かせて、宣伝できればだれでも研究事業家にはなれる。

研究者を研究費で雇うから、森口氏のように、あちこち研究プロジェクトを渡り歩く人も出てくる。森口氏のような立場から、マスコミ受けする「成果」の宣伝に成功して、大学に正規のポジションを得た人も実際にいる。森口氏もアメリカでハッタリをかまして一旗あげようとしたのではないだろうか。年齢的には、そろそろ追い詰められており、あせったために大事になってしまったということだろう。

こういった研究費連鎖が日本の科学をだめにしていく。ウソでも何でも論文にさえすればよいというところまで行き着いたといえる。今回の森口事件は起こるべくして起こった事件でもあり、氷山の一角でもある。


日本人のルーツ---日本は多民族国家 [サイエンス]

DNA解析を基にした日本人のルーツを探る研究の結果が、総研大などから公表されている。大変興味深い。現代人はアフリカ生まれのある女性一人を先祖とし、その子孫が世界に広まったものである。日本へは、インド、東南アジアを経て到達した。これが縄文人であり最初に日本に住み着き、縄文式土器の文化を残した。

人類が伝播したルートはもう一つあり、それは中東から中央アジア・モンゴルを通って南下したルートだ。稲作文化を持った中国系と重なり、朝鮮半島を経て日本にも遅れて渡ってきた。紀元前2000年頃に、日本列島にやってきたモンゴル系人種が弥生人であり、縄文人を駆逐し、また混血もして現在の日本人になった。

北海道の縄文人は稲作を拒否して狩猟生活を続け、弥生人との混血があまり進まず、むしろオロッコなどと混じって現在のアイヌ人を形成した。同様に混血があまり進まない段階で本土から切り離された琉球人もまた縄文人の痕跡を強く残した。この理由で、沖縄人は本土人よりもむしろアイヌ人に近い。それがはっきりDNA解析の結果として現れている。図はいくつかの人種の距離関係を示したものだ。

この図によれば、本土日本人に一番近いのは、朝鮮人ということになる。朝鮮の人々は、アイヌや沖縄の人たちよりも本土日本人に近い。中国人と北方モンゴル人との混血で朝鮮半島に生まれたのが弥生人なのだが、朝鮮半島でもその後の変化があった。現代の朝鮮人は弥生人が、もっと中国人に近づいたものだ。

渡来の波は何度も繰り返された。鉄器を持った部族、騎馬をあやつる部族などが次々に渡来して、日本の支配権を獲得していったから、日本国内でも、人種の固体分布がある。たしかに、人によって見た目に中国人に近い人や、アイヌ人に近い人など様々だ。これは、単に見た目だけでなく、DNAが中国人型であったり、朝鮮人型であったりしていると言うことだ。

日本人全体ではどのような分布になっているかと言うことを総研大の宝来教授が、ミトコンドリアDNAタイプ分析している。日本人は朝鮮型が24.2%中国型が25.8%琉球型が18.1%、アイヌ型が8.1%、その他21%であり、日本固有型は4.8%しかない。日本は、もともとが多民族国家なのである。大和民族による単一民族国家などという妄想は過去のものになったと言える。

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研究開発力弱体化法ができてしまった。 [サイエンス]

秘密保護法を通した翌日に、こんどは、「研究開発力強化法」なるものを、自民・公明が押し切って通した。この中身はどう考えても研究開発力弱体化法でしかない。

日本の研究開発力はどんどん弱体化している。各企業がコスト低減ばかりを優先して、研究開発をリストラしていった結果だ。それを棚に上げて、今度は大学などの研究開発を、改革して「強化」するという。その中身は、まったく逆の効果をもつものばかりだ。

「資金効率的配分」が第一に挙げられているが、これは政府が長年やってきたことであり、「官僚が研究資金を牛耳る」と同意語になっている。研究はやってみなければわからない。失敗の連続でもある。最初から、結果がわかっていて、失敗のない研究計画を作文できるようなものに、ろくな研究はない。官僚が口出しして、効率的配分をやればやるほど、つまらぬ研究がはびこる。研究開発力を弱体化させる最も効果的な手法だ。

次に言うことが「人材の確保」だ。企業の開発技術者をリストラして、なにが人材の確保なのか。ここ10年くらい、研究費や学生の就職と抱き合わせで、企業から大学への人材の流れが相次いだ。要するに、リストラのための受け皿に大学を使ったに過ぎない。これを称して「人材の流動化」とは笑わせる。人事交流とは、双方向の流れのはずだが、大学の教授を引き抜いて、研究を推進しようとする企業などどこにも無い。研究開発に取り組む気が無く、コスト削減だけを考える企業ばかりがはびこることが最大の問題なのだ。

人材確保の具体策は、有期雇用の上限を5年から10年延長するというものだ。使い捨ての研究員を増やすことで、研究開発力が増えると、本当に考えているのだろうか。じっくりと腰を落ち着けて研究に取り組める環境を作ることこそ研究開発力の強化であることは、どんなアホでもわかりそうなものだ。

「実用化へのバリアを取り除く」が、その次に言われているのだが、実際のところ、そんなバリアなど有りもしない。実用に耐える研究成果そのものが枯渇しているのだ。「外部資金獲得の推進」は、もう十分に行われている。競争的資金を獲得するために奔走し、実際の研究は、アルバイト研究員や学生に任せたままで、いかにもしっかりした成果が出たように取り繕う。ウソとは言わずとも、誇大広告的な論文が、書き散らされている。そうしなければ生きのこれないように駆り立てるのが、「競争環境の導入」である。数多くの論文が出ているのに、実用化される成果が少ない原因はここにある。

「研究費の弾力的運用」も行き過ぎれば、不祥事を産み出すだけだ。研究費とか軍事費とかは、歯止めをはずせば、いくらでも流用できる。実際、弾力的運用のために、まじめに事務に精力を使っていたら研究はできない。研究費で人を雇ったりすれば、その管理が大変であり、IPS細胞の偽造で問題になった森口氏の事件のようなことがいくらでも起こる。研究者が研究に専念できるように、人をつけ、金をつけるのが、政府がやるべきことなのだが、研究に専念できないようにすることばかりが増えている。結果的に事務能力ばかり達者で、研究しない研究者が増えてしまっている。

この法律で言われていることは、すべて、これまで先取りしてやられてきたことばかりだ。そして、その結果も研究開発力の弱体化として、はっきり現れている。いい加減に目を覚ませと言いたい。本当に研究開発力を強化するためには、この法律に書いてあることを全て逆にすれば良いだけだ。


STAP論文は撤回すべきではない [サイエンス]

小保方晴子さんのSTAP論文に写真の使い回しやデーターの加工跡が見られて、論文を撤回するかという問題が生じている。共著者の間で意見が分かれているのだということだが、僕が共著者だったら、撤回はしないと思う。これが、発表前の議論であるならば、もちろんこの状態で発表すべきではないというのだが、発表後の撤回は、未発表とは異なる。

ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授は、刺激によって通常細胞が万能細胞に変わるというアイデアを提唱し、このアイデアがこの論文における彼の役割である。このアイデアが、根も葉もない空想でなく、実現された可能性があるというのが、彼にとっての論文の意義であるから、これには論文の中での実証が不十分であっても、変わりがない。もしここで、論文を撤回したら、アイデアを出さなかったことになる。すでにアイデアの中身は知れ渡っているのだから、未発表とは異なるのである。

論文というのは、完璧なものとは限らない。発表後、他者によって否定されるものもある。もちろん、ゆるぎない結果を示すことができれば、そのほうが当然価値が高いのだが、否定されたからと言って、論文の価値はゼロになるのではない。テーゼとアンチテーゼは学問発展の過程なのだ。まして、STAP論文はまだ誰にも否定されてはいない。

だからバカンティ教授の姿勢は全く正しい。ところが、他の共著者は平気で撤回を口にしている。論文に対する思い入れが全く感じられず、まるで第三者の審査員のような口調である。これらの共著者については、論文の中での役割が非常に不明確だ。「過去に小保方さんを指導したことがある」「小保方さんが世話になっている上司である」そんなことが共著者に値するものではないはずだ。

実際に、論文の中身に対して、どこまで一緒に考え、実験したのかは、定かではないが、もし共著者にふさわしい役割があったなら、もっと悩まなければならないはずだ。そう簡単に撤回などと言えるわけがない。共著とは連帯保証人と同じで、論文に対して全責任が伴うはずだ。とりわけ、若い研究者が血気にはやって結果を主張した場合、しっかりと検証することに、職を賭する覚悟が求められる。

この問題で、若い研究者の教育の問題が浮上しているなどと言われるが、もっと大きな問題は、自分で研究せずに、義理で共著者におさまって恥じることのない、ボス的研究者の問題だろう。予算獲得の手腕に優れているだけで、若手研究者をこき使い、上前だけをはねている輩が少なくないのが現実である。

小保方さんとルイセンコ--- 再現実験ならず [サイエンス]

小保方さんが、STAP細胞の再現にチャレンジしたが、所定の期限までに結果が出ず、敗北を認めたようだ。監視付での実験で、なかなか思うように実験できず、多分本人は、不本意な結果発表だったと思う。しかし、再現性が実証できないということは、学説としては致命的である。

生物の進化、あるいは発生は、なかなか不思議なものだ。一個から始まった細胞が増殖し、あるところでは心臓になり、あるところでは肺になる。同じDNAを持ちながらも違いが生じる。何にでもなる万能細胞がどのような条件で生まれるかは謎のままである。

生物の遺伝はDNAで決められているということと、進化が起こるということの矛盾は、単に突然変異の説明では釈然としない。外界からの刺激によってこうしたDNAの変化が起こるのではないかと考える発想は自然なものではある。

小保方さんは、細胞を弱い酸につけたり、低温にさらしたりして刺激することで、細胞は先祖がえりをして万能細胞に戻ると主張した。実際に、実験では、何度かその事実を見出した。現在疑われていることは、実験にES細胞などが混入したことである。先入観を持って実験をすると、冷静な目を失い「希望的観測」をしてしまいがちなことは、実験研究者なら誰でも知っている基本中の基本ではある。

小保方さんが考えた外界からの刺激で遺伝形質が変わるのではないかという説は、過去にも多くの研究者を捕らえたことがある。卑近な例では、あの森口尚史さんもipsを化学薬品による刺激で作ったと言っていた。

有名なのは、ルイセンコ学説だ。ミチューリンという園芸家が、秋撒き小麦を、低温にさらすことで春巻き小麦に変えられるということを発見して、ソ連の農業収穫を増大させた。ルイセンコは、こういった事象を理論化して、獲得形質の遺伝が起こることを提唱した。進化を単なる偶然で理解することに疑問を持っていた多くの生物学者にこの学説が広まった。

次々と品種改良に成功したミチューリン農法と結びついていたことで、これがソ連の国定理論となり、スターリン体制のソ連で、ルイセンコ学説に異論を唱えるものは非国民であるとされてしまった。マルクスレーニン主義を体現する学説であるとしてソ連で賞賛されたのだが、今考えてみれば、唯物弁証法とは、なんの関係もない。冷戦下で学説がイデオロギーとなり国際論争も引き起こしたし、様々な弾圧事件も起こった。

その後、植物には、低温下に置かれることで、開花能力が促進される仕組みが、もともと備わっているのだということがわかって、ルイセンコ学説は影を潜めていった。DNAの仕組みなども解明された現在、ルイセンコ学説は完全に否定されたとも言える。

ネットで検索すると、ルイセンコ学説は何の根拠もない政治的言説であるとする解説に満ち溢れているが、そうではなく、当時としては、科学者の心を引き付けるものがあったのである。小保方さんの発想も、彼女はルイセンコなんて全く知らないだろうが、まさにルイセンコの説を引き継いだものである。

生物の発生や進化は、奥が深い。科学者は、DNAで全てが決まるということで飽き足らず、どうしても外界刺激との関連に引き付けられるのである。遺伝で全てが決まるのではなく、努力次第で人生は大きく変わる。これは、多くの人々の信念でもあり、実際にこれを信じる根拠はいっぱいある。


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