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オサマ・ビン・ラディンの殺害と民主主義 [政治]

パキスタンの首都イスラマバードからも遠くない町アボタバードでオサマ・ビン・ラディンが殺された。殺害したのは米国CIAと特殊部隊だ。もちろん彼らは他国であるパキスタンで警察権限を持たない。米国がパキスタン政府に通告したのは全てが終わってからだった。当然、下手人たちはパキスタン入国のビザも持っていなかっただろう。これは完全にテロ行為である。

アメリカが9.11の犯人と決め付ければ何処で何をしても許されるのか?アメリカ人の多くは単純に9.11の仇が討てたと喜んでいる。アメリカは独立宣言以来の民主主義の国であるが、それは国内に限られており、国と国との間の民主主義ということに関して全く思いつかないのだ。

アメリカがイラク侵攻したときも、サダム・フセイン大統領を捕らえた。サダム・フセインは戦争の3ヶ月前の選挙で、選挙の公正さに疑問はあるとしても、圧倒的多数で大統領に再選されている。この時点で大統領であったことに間違いはないのだが、日本の報道機関はサダム・フセイン元大統領と報道し、裁判が始まるとサダム・フセイン被告というようになった。一体いつだれがサダム・フセインを大統領から解任したのか?裁判に引き出されたサダム・フセインは人定質問に対して「イラク大統領である」と答え、裁判官に対して「お前は誰だ?」と聞いた。「大統領としてお前を裁判官に任命した覚えはない」と言ったところで黙らされた。アメリカが武力でサダム・フセインを解任し、裁判官を任命したことになる。

これは明らかに民主主義に反する。しかし、アメリカ人はそれを思いつかない。一方でアメリカ合衆国が民主主義の国であると信じている。確かに、国内では住民の自治を重んじ、警察署長や教育委員も公選するし、三権分立は何処の国より厳しく護られている。アメリカ人の民主主義に対する確信は確固としたものといえる。

それが昂じて、「民主主義とはアメリカの意見に賛成すること」に国際的には転化してしまっているのだ。アメリカではプロ野球の決勝戦をワールドシリーズと言うようにワールドとは全米のことなのだ。もともと13州で始まったアメリカ合州国(なぜか日本では合衆国と書く)に他の州が加わり51州にまでなった。アメリカ国民にとって、全世界が民主主義に賛同して州としてさらに参加することに何の不思議もない。世界征服に疑問を持たない国であることが国際的横暴につながり、世界のひんしゅくを買っていることに気が付かない。

かつて日本は、天孫降臨の国であり、世界の中心であるべきだという国是を持っていた。皇恩を全世界に及ぼすことに何のためらいもなかった。これがどんな悲劇をもたらしたかは明らかだろう。この点ではイスラムも似たようなところがある。アラーのほかに神はなし、全世界にアラーの恵みが行き渡ることに何のためらいもない。これが極端なテロリズムを生んだりしている。ヨーロッパも、かつては、キリストの教えを全世界に広めることが、使命として受け止められていたし、これがアジアやアフリカでのその後の禍の原因であった。

確固とした信念は、たとえそれが「民主主義」であろうとも、全世界に押し付けてはならない。あくまでも自国の内部の正義なのだと限定しなければならない。もちろん、長い時間をかけて世界共通の認識になることを期待しても良いが、性急な押し付けは人類の不幸をもたらす。国家間の民主主義、地域間の民主主義、民族間の民主主義、それが第21世紀の時点で世界に必要なことである。

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