SSブログ

資本主義の非効率 [社会]

「資本主義の非効率」などということを聞いたことがないという人も多いだろう。むしろ効率を追求しすぎるのが資本主義の弊害だと理解されているようだ。民営化すれば効率的になるとして、何でも民営化しようとする傾向さえある。

しかし、「資本主義の非効率」という事が盛んに言われた時代もある。1960年代、ソ連のフルシチョフ首相が平和共存を打ち出し、資本主義と社会主義が優劣を競争する時代であると宣言した。世界初の人工衛星を打ち上げ、高度な社会保障を実現し、社会主義の優位性を誇示していたようである。

よく例に出されたのは、石鹸の生産だ。資本主義国では、石鹸の生産費用の多くが宣伝費になってしまう。製品の優劣よりも、イメージ戦略が大切で、ソープオペラと言われるようにテレビ番組のスポンサーは石鹸会社が多い。結果的に石鹸の値段は高くなる。社会主義国では、どの石鹸の性能が良いかを判断して、大量生産できるから価格ははるかに安い。

資本主義と社会主義の経済競争の結果は、明らかな社会主義の敗北であり、ソ連は崩壊してしまった。お役所仕事のほうが、「資本主義の非効率」を上回る非効率を持っていたことが明らかになったと言える。

しかし、それで「資本主義の非効率」が解消されたわけではない。相変わらず無駄が多いのである。それは必要な無駄なのかもしれない。市場経済の利点は、判断をしないことにある。国がどの製品が良いかを決めてしまうと訂正が効かない。少なくとも間違った判断をした役人の責任が問われる。しかし、市場に任せた場合、売れる製品が変わっても誰の責任にもならない。いい製品が選ばれて行くのである。結果が必ずしも適正でないこともあるが、それは必要な無駄のうちなのだろう。

民主主義も無駄が多い。選挙とか、ろくでもない議論に時間を費やし、なにも決められないようなことが良く起こる。リーダーシップを発揮する人が、さっさと決めれば話が早い。しかしこれも必要な無駄なのだ。製品の良し悪しでさえ国が決めることは難しい。まちがった方針は、政権交代という形で抵抗なく正して行けるのが民主主義の利点だ。民主主義は、政策の市場経済であるとも言える。

今日では、この市場経済の利点は広く認識されており、日本共産党は社会主義になっても市場経済は残すと言っているし、政権交代はあると明言している。えっと驚くが、考えてみれば、市場は資本主義以前からあり、なにも資本主義だけのものではないのだ。ソ連が市場経済を否定したのは、社会主義を国家主義に置き換えるスターリンの誤りの一環だったとしているようだ。

むしろ今日の市場を歪めているのは資本主義である。発展した資本主義には独占が生まれる。独占は市場経済の否定につながる。どう考えても原発はコストがかかりすぎる。市場で淘汰されるはずなのだが、電力会社が独占であることから、無理やり電力料金を原発に注ぎ込んでいる。大企業が支配する業界では、下請け企業が、市場で獲得できるはずの適正価格が得られないことが常態化している。新しいベンチャーが生まれないのだ。

政治でも、独占企業の御用政党=自民党の独占が強まっている。小選挙区制で流動化がなくなり、国民の反対が多い、秘密保護法や、消費増税が次々と実行されるようになった。やはり資本主義が市場経済を破壊しているのだ。上意下達が浸透し、県議会などではどこも一様にオール与党化が進み、白熱の議論など見られなくなった。

日本人が、本当の意味での市場の大切さ、民主主義の大切さに気づいて立ち上がり、新しい社会の仕組みを構築できるかどうか、ここ20年が勝負なのだと思う。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。