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川崎中一殺人事件の背景 [社会]

2008年、リーマンショックで経済はどん底に落ち込んだ。企業の活性化の手立てとしてコストダウンが言われだした。それまで当たり前だった正社員の仕事がどんどん減って行き、非正規雇用が当たり前の世の中になって行った。いくら働いても先の見通しはつかない。都会での生活に見切りをつけた遼太の父親は、漁師になることを決意して西ノ島に渡った。

西ノ島は、今も近海漁業が盛んに行われている。しかし、若者はなかなか島に残らず、後継者不足に悩まされていた。漁師の仕事は楽ではなく、離島の暮らしに飽き足らない若者は島を出て行く。漁協が島にIターンする人を募集しており、遼太の父親はこれに応じたのだ。月給20万円以上の正社員。住居手当も、社会保険もある。

しかし、勤務は午後6時から午前6時。土曜と時化の日が休みだ。都会から来た人に人口3500人の島での暮らしは、簡単ではなかっただろう。慣れない仕事にとまどう父親と、田舎暮らしに疲れた母親とのいさかいが絶えないことになった。遼太が3年生の時に両親は離婚した。漁師への転進に挫折した父親は、妻子を残して島を出て行ってしまった。

母親は、病院で看護助手として働いて遼太たち5人を育てていたが、もちろん暮らしは厳しい。看護助手というのは、病院の雑用係りで賃金も安い。たまりかねて役場に生活保護を相談したら、両親のいる川崎に帰ることを勧められた。体よく追い払われたようなものだ。たしかに、漁業との関わりもなくなり、島に居る理由もない。母親の両親がいる川崎に戻ることになったのが遼太君が5年生の時だった。

5歳から島で育った遼太は都会に出たいとは思わなかった。バスケットボールで地区優勝したり、周りの子ども達とも仲良かったから、島の生活は楽しかったが、1人で残るわけには行かない。母と一緒に人口140万人の大都会に移ることになってしまった。

実家に戻ったはいいが、実家そのものが頼りにならなくなっていた。祖父が寝たきりになり、祖母はその介護で手一杯。娘が子どもを連れて帰って来ても、温かく迎えるといった余裕はない。1人で5人の子育てをしなければならないことに変わりはなかった。都会でもシングルマザーが子どもを育てて行くのは楽ではない。生きることに精一杯で、下の子に目をやることだけで、上の子である遼太のことまで考える余裕はなかった。

貧乏でも工夫をすれば暮らして行ける。スーパーに行けばお買い得の品々も多い。しかし、残業で疲れた母親にそんな余裕はない。近所のコンビニで出来合いのものを買って子ども達に食べさすことが多かった。結果的に生活費はかさむ。働いて稼ぐしかない。遼太にしてやれることは、都会で友達となじめるようにスマホを買い与えることくらいだった。それが良かったかどうか、とにかく母親は考える余裕がなかった。

遼太は、西ノ島では明るく元気な子だったと誰もが言っている。川崎に来て中学生になっても、バスケットボール部に入って、都会生活にも溶け込んでいるように見えた。しかし、実際には、川崎の都会は、島の子がそう簡単に馴染めるものではない。自分が取り残される違和感を味わっていたことだろう。

こうした子どもが親近感を覚えるのは、都会にいながら、学校や授業に違和感を持つ子ども達だ。RFたちと知り合ったのは、ストリートバスケだったという。なかなか帰ってこない母親を待ちながら夜の公園で、バスケットにボールを投げ入れているとRFやKSといった少し年上の夜遊びする子達が近づいてきた。アニメが好きだといったことでも意気投合して遊び仲間になった。

子ども達は携帯を持っていて、付き合いは24時間いつでも続く。こういった子ども達は5分毎に連絡を取り合う。すぐに返信しないと、「無視した」と言われる。いつしか、この仲間たちとの関係は、学校や部活よりも深いものになっていった。ゲームセンターに出入りしたり、都会らしい生活を教えてもらった。

かなり年上だから、対等な友達ではない。子分として引き回されることになる。関係は、だんだんとエスカレートして、万引きを命令されたりして、それを断れば、暴力を加えられるようになる。知り合って半年でのことだから、親も教師もなかなか子ども達の急変する人間関係を把握できない。客観的には、遼太は苛められ役だった。だけども、遼太はそれを受け入れるようになっていた。苛められるけれども、仲間であるということが自分の居場所になっていたのだ。

RFは、体も小さく中学生の時は苛められっ子だったとい。う。父親はトラックの運転手で、母親はフィリピンから来たホステスだった。フィリピンは元はスペインが支配した国だ。RFも容貌が西洋系であり、それが重荷だったと思える。日本は英語のできない外国人に冷たい。定時制高校を中退している。その仲間のKSは、高校生だがやはり定時制である。もう一人のRHは、高校に行かず建設現場で働いたりしている。いずれも、社会から見放されていると感じている子ども達だ。

目の周りに隈を作ったり、相当な暴力を受けていることは誰にもわかった。母親も気づいてはいたが、手を打つ気力を失っていた。どうせ、片親だし、貧しく、特に勉強が出来るわけでななし、非行があっても当たり前だという諦めがあった。それよりも、明日をどう生きていくか。そのことで頭がいっぱいだ。母親も、まともな判断が出来なくなるほど追い詰められていたのだ。

亮太が暴行を受けていると言うことは自然に伝わる。その相手が、RFだと聞いて、バスケの先輩たちは驚いた。RFってあの弱虫のチビじゃないか。あいつなら、俺は何度も殴ったことがある。あんな奴をのさばらせておくものか。5、6人で、RFの家に押しかけた。RFは怖くて家から出られなかった。家人が警察を呼んで、騒ぎになった。押しかけた先輩たちは、俺たちがRFを苛めに来たんじゃない。暴行を謝罪させに来たんだ。取り締まるなら奴を取り締まれと口々に言った。

警察は、子ども達の喧嘩としか受け止めなかった。ともかく、引き揚げろと指示した。大丈夫かと聞かれた涼太は、もう仲直りしたから大丈夫と答える他なかった。しかし、この事件はRFに大きな遺恨を残した。体が小さく、いつも苛められていた自分。あの悪夢がよみがえる。実際、家に押しかけられた時には、震えが止まらなかった。自分が情けなくて仕方が無い。

このままでは、遼太にだって馬鹿にされかねない。いずれ涼太も自分より背が高く立派な体格になるだろう。そのときの惨めさを想像もしたくない。ともかく、遼太に自分の優位を叩き込んでおきたい。つげ口をするなどと言う不正義を俺は絶対に許さない。俺がどんなに恐ろしい男なのかを見せなくてはならない。これはもう、自分の存在自体がかかっている問題だ。RFの頭の中はそのことで一杯になっていった。

涼太がいじめ殺されることになる悲惨な事件は、起こるべくして起こった。一体だれがこの事件を食い止められただろうか。それぞれが、あと少し頑張れればよかったと言うのは事実だ。しかし、ここまでには至らないが、同じような物語が、あちこちにありふれている。庶民の暮らしをここまで追い詰めた者の罪は大きい。
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