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統一地方選の茶番 [政治]

地震騒ぎの影でいつのまにか統一地方選挙が終わった。なんの争点もなく、選挙を実施する意味がどこにあるかを疑わさせるような選挙だった。与野党相乗りなどというあり得ないようなことが起こり、実際にどこの知事選挙でも同じ演説が行われた。

曰く「○○県を元気にする」「住んでよかった思える○○県にする」。有権者はだれも住みたくない県にしたいはずがない。そんなことはわかりきっている。選挙ではどうやって「住んでよかった思える○○県にする」のかを争うはずなのだがその中身が全く無い。これらの有力候補者は一様に「国の言うとおりにします」しか具体的な内容を語れないのだ。「○○県を元気にする」は単なる言葉のあやでしかない。

地方の状態はひどいもので、今回当選した知事の多くが中央官庁の官僚上がりだということでもそれがわかる。地方自治は完全に中央官庁の支配下にあるということだ。教育も警察も、裁判も、産業基準もすべて国が決めたことを県が実行するだけにすぎない。国への陳情に明け暮れ、補助金をいただくことしか考えていないから、国に反して地方独自の政策を打ち出すことがない。県は国の単なる下請けでしかない。

東京や大阪の知事がたまに国を批判して見せたりするが、たんなるわがまま発言でしかない。だから決して本格的な対立とはならない。これらの知事は言ってみれば「都会」であって決して「地方」ではない。大都市をかかえ、他の県の税収をくすねている都府ばかりで、こいつらは現在の地方自治体制の恩恵を蒙っているのだからもちろん、本当の地方を見殺しにして平然としているやからだ。地方の知事は大都会の知事を羨み、卑屈に大都会に頭をさげるばかりなのだ。

実際には地方は多くの問題を抱えている。しかし、それを解決するだけの金がない。大きな会社の本社を全部東京が持っていってしまった結果、地方都市の税収は少ない。大体、国の下請け仕事だけで全ての税金が使われてしまう。地方が豊かになるためには東京に取られたものを取り返す必要がある。地方の県知事は東京や中央と戦わなければ元気になれるはずがないのだが、そんな知事はいない。かつて京都府には蜷川虎三という反骨知事がいて、東京に陳情など絶対にしないと言って徹した。その後そのような骨の有る知事は皆無になった。

どの知事も中央との「太いパイプ」を競い、どれだけ国から目を掛けてもらうかに腐心するばかりだ。これでは地方自治にもならない。だから与野党相乗りなどという奇妙なことが平気で行われる。選挙は政治的判断を問うものだから、政治的主張なければ意味のない、選挙になるしかないのだ。

県で決めることとと言えば箱物の発注くらいのものだから、知事は箱物建設に熱中する。多分、地方の人々そのものが東京に対抗するだけの元気をなくしてしまっているのだろう。選挙民も都会を羨むばかりで、本気で東京に対抗しようとしないから、お仕着せの官僚知事を選ぶ結果になるのだろう。これではだれが知事になっても決して「○○県が元気になる」ことはないだろう。
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