SSブログ

アメリカの銃はなぜ無くならないか [社会]

アメリカでは銃の乱射事件があったりして、社会不安がつのっている。なぜこんなにも危険な拳銃所持が無くならないかは、日本から見れば不思議な事だろう。銃所持擁護論など聞いたこともないからだ。

テキサスに住んだことがあり、銃所持を擁護する立場の話を何度も聞いたからこれを紹介しよう。一番説得力があったのは、「銃は民主主義の象徴」だと言う議論だ。

アメリカはご存知のとおり強いもの勝ちの社会だ。しかし、根本ルールとして、「徹底的に苛めてはいけない」ということがある。このルールが守られているのは、徹底的に苛められた人は、死刑覚悟でピストルを使うことが出来るからだ。これが弱肉強食の世の中で人間らしさを保つ原理なのだ。弱いものを自暴自棄になるまで追い詰めたら自分が危ない。おのずと良き隣人であろうとする意識が働く。

金持ちは必ず社会貢献として慈善事業に寄付をする。いい人だという宣伝をする必要があるのだ。日本ほどの悪質な苛めはあまりない。地上げなどといった嫌がらせもいくら暴力団でも危険すぎて出来ないからあまりない。一度脱落した人の社会復帰にもハードルが低い。追い詰めてはいけないと言う意識は社会全体に高いからだ。

修練の要る刀剣や体力のいる拳固などと違って、拳銃は誰が使っても同じ威力を発揮する非常に民主的な武器である。ピストル所持の自由は、どの人にも一様に人間としての尊厳を保つ最後の手段を保証すると言うのだ。

日本では、不当なリストラで職を奪われた人、非正規雇用で差別されている人、いくら働いても低賃金でどうにもならない人など、多くの人が平気で追い詰められている。確かにもし銃があれば、もう少し遠慮するのではないだろうか。

銃所持の自由は合衆国憲法で「A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed」と規定されている。国は人々に強制を与えるものではない。その証拠にいつでも反乱が起こせるように武器を禁止したりしませんよ。といった建国時の姿勢をつらぬけば、銃所持は禁止されるべきではないことになる。これにはもちろん「時代が違う」という反論がある。

もう一つの論点として、すでにある拳銃をなくすことは出来ないという「現実的に困難論」というのがある。もし銃を禁止して、全ての銃を差し出せということになれば、良識のある人は法に従って差し出し、無法者だけが銃を持つことになる。これはあまりにも危険だという議論だ。これも一理ある。

「銃なしで君はどうやって家族を守れるんだ」というのもよく聞く。無法者が家に侵入して来たら、警察が後から来たって手遅れなんだという。いわゆる「戸締り論」で、実際にそんなことが起こるかどうかの問題だが、世の中にはアホな無法者が居るということも確かだ。外国が攻めて来るかも知れないから、福祉予算を減らしてでも、自衛隊予算が要るという議論をする人は、これに同意せざるを得ないだろう。

銃所持擁護論を紹介したが、もちろん日本で銃解禁などと言うつもりはない、アメリカだけでも毎年1万人以上がピストルで死んでいるのだから、代償はあまりにも大きい。民主主義は誰もが最低限の理性を持っているという原理に基づいているが、近年アメリカでも銃規制が支持を得ているのは、中には、そういった最低限の理性すら持たないバカが増えてきて、銃の乱射などが起こるという現実に起因するものだろう。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。