SSブログ

なぜ靖国参拝が問題になるのか [政治]

安倍内閣になって、100人以上もの議員が靖国神社に参拝したことが近隣諸国の反発を買って問題になっている。靖国神社が戦没者を慰霊するものであれば、どこの国でもやっていることであり、とりたてて問題にすることでもないように思われる。先の戦争では多くの人々が亡くなり、それを悼む気持ちは誰にでもある。

ところが、実は靖国神社は戦没者を祀っているのではない。ここが問題である。特定の個人を名前を挙げてまつり、これを合祀者と呼んでいる。この合祀者の多くは戦没者なのだが、選択がなかなか複雑なのだ。例えば戦没者として最も痛ましいと思える広島の原爆や東京の大空襲で死んだ40万人は合祀されていない。基本的には軍人でない一般人は除外するらしい。

軍人だけかと思えば、坂本竜馬などの勤皇の志士などの侍も含まれている。合祀の範囲は明治以前の幕末にまで及んでいるのだが、西南戦争で死んだ西郷隆盛や会津の白虎隊は除外されている。どうも、侍も軍人とみなし、軍人であってしかも政府に忠実だった官軍側に属した人でないと合祀されないようだ。

どうしてこのような差別をするのだろうか。基本的な基準から外れたさらにおかしな選別もある。合祀者の中には松岡洋右なんて人もいる。この人は外務大臣で、日本が国際連盟から脱退して孤立化したときの立役者だ。ナチスが大好きで日独伊軍事同盟を作って日本を第二次世界大戦に引きずり込んだヒットラーのお友達だ。

松岡洋右は戦争が好きだったかも知れないが、もちろん、軍人ではない。戦後、A級戦犯に問われたが、別に死刑にされたわけでもなく裁判中に病死した。だから戦没者の中に入れることさえおかしな話になる。昭和天皇でさえ、松岡の合祀には不快感を示したというが、靖国神社側は改めることもしなかった。

こうして見ると、靖国神社というのは、「戦争を率先して遂行するのに役だった人」というのが合祀の選考基準になっていることがわかる。軍人でなくともかまわない。戦死でなくともかまわない。ただ戦争推進派であることが基準になっているという国際的に見ても極めてエキセントリックな神社だと言える。信仰の自由で、中にはそのような偏った考えを持つ神社があってもよいだろう。しかし、国を代表するような人たちが、こぞってそこに参拝するとなると、日本の侵略戦争でひどい目にあった近隣諸国としては、反発せざるを得ない。

戦没者を悼む気持ちを表すのに靖国神社へ行く必要はない。安倍首相がアメリカに行って、靖国参拝はアーリントン国立墓地への献花のようなものだと言い訳をしたのだが、そのあと安全保障協議委員会のために來日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行って献花して見せた。アメリカ側の安倍首相に対する見事な回答である。安倍首相の言い草は、とっくに見透かされてしまっている。

先の戦争で日本は何も悪いことはしていないなどと発言している靖国派議員もいる。悪いことでないのだから当然もう一度同じことをやってもいいことになる。これは、もう一度侵略するぞという宣言に等しい。近隣諸国が反発しなかったらそのほうがおかしい。

日本はもう少し、近隣諸国の人たちの気持ちを理解する必要がある。少しばかりの経済的豊かさで傲慢になっているのではないだろうか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。