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憲法と国のかたち [政治]

憲法改変の議論の中で安倍首相などが言い出していることは、憲法を「国のかたち」を表すものにしたいということである。「国のかたち」として中心に据えたい事は、万世一系の天皇を戴いて発展した長い伝統と文化を持つ国ということになるらしい。

しかし、こういった規定を「国のかたち」として体系的に取り入れるのは、実は簡単ではない。世襲制の天皇と言うのは、身分制度に基づいたものである。象徴などではなく、はっきりと元首とした場合は、国の原理として身分と言うものを認めなければならない。事実、長い日本の伝統を見れば、政治形態はすべて身分に基づいたものであった。上下の身分をわきまえて調和を保ち、下は上を敬い、上は下を可愛がる。その頂点に将軍なり、天皇があった。

この長い伝統の延長線上に民主主義を置くのは難しい。身分制度の対極として現れたものが民主主義である。人はみな平等であり、生まれながらにそれぞれが尊重されなければならない。これは誰もおかすことが出来ない権利である。日本国憲法はこの原理に基づいているし、他の多くの国々でも採用されて、「人類普遍の原理」となっている。

日本だけでなく、ほとんどの国の歴史と伝統はこの民主主義の原理と矛盾する。どの国でも「伝統」と戦って民主主義が獲得されて行った。だから、民主主義を掲げる「国のかたち」として万世一系の天皇などを持ち込むのは、哲学的に大変難しい。

自民党の憲法草案では、万世一系の天皇を元首に持ち上げることを謳いながら、「民主主義」「人権」などの言葉を、唐突に並べる愚をおかしている。矛盾したものを並べるから、前文でも、なぜ民主主義でなければならないのか、なぜ人権は尊重されなければならないかを一切語ることができない。哲学が無いのだ。結果として全く品性のない文章になってしまっている。このような文言をもって憲法と呼ぶには世界に対して恥ずかしすぎるしろものだ。

独自の伝統と文化だけを国のかたちとして強調した場合、もう一つの矛盾がある。誰でも天皇になれるのではない。天皇がなぜ元首たりえるかといえば、それは天皇の神性に基づいている。「世界で唯一の神の国」と言わざるをえない。神の国である限り八紘一宇の精神を発揮せざるを得ない。神が、外国が定めた国境などにより、ちっぽけな日本列島に閉じ込められていること自体が原理的にはおかしい。必然的に世界征服が出てくる。第二次世界大戦を戦った日本の精神的支柱は八紘一宇なのである。

自民党憲法草案では、日本国憲法にあった人類の到達点である先進的な憲法という、位置づけがすっぽりと消えてしまっている。世界のことがまったく語れないのだ。もし、語るとすれば、世界は天皇に従属すべきであるとしか書きようがないから押し黙るしかない。人類的視野も世界も語らない憲法という時点でもう品格もくそもあったものではない。

憲法とは国の基本だから哲学でなければならない。そこまで突き詰めてないのじゃない? と言われるかもしれない。まさに、それが自民党の意図するところだ。憲法などという面倒なものはいらない。多数派のやり放題のどこが悪いというのが彼らの本音だ。これまでも憲法を軽視してきたが、この際96条を変えてしまい、単なる法律程度のものにしてしまいたいと言う事だろう。96条改変で日本は憲法不在の国になる。

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