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平和に対する意識の違い [社会]

2014年はのっけから、安倍首相の靖国参拝事件ではじまった。近隣諸国だけでなく、世界中の識者から批判が集まったのだが、国内の反応はいまひとつだったような気がする。どうも、これを近隣諸国との外交問題だととらえる人が多いようだ。

秘密保護法や、解釈改憲、軍事費増大といった動きが、国内では平和に対する脅威と受け止められていない。日本人は、これらの動きはあっても、まさか戦争になりはしないだろうと思っている。しかし、事実はもっと重い。先の戦争でも、昭和10年代になって、中国で小競り合いが続いても、多くの日本人は、まさか大戦争で、ここまで大きな惨禍になるとは、だれも思わなかった。

第二次世界大戦では、300万人の日本人が死に、2000万人のアジア人が殺された。東北大震災で3万人の人が亡くなったことは、大きな惨禍であるが、戦争はもっと大きな桁違いの禍である。避けがたい天災ではなく、人間が意図的に行った行為だから、避けようとすれば避けられたはずだ。しかし2000万人を殺すなどということが、現実に起こったのだ。人間とは、これほどまでに愚かな生き物なのである。

人間が愚かであることは、いやというほどわかった。戦勝国も勝った勝ったと浮かれていたわけではない。全世界で、戦争には深刻な反省があった。どうすれば、このような戦争を二度と起こさずにすむかを、どの国も真剣に考えた。国連の発足などは、その結果である。現在の世界は、こういった第二次世界大戦の反省の上に成り立っている。

ところが、敗戦国である日本は、復興ばかりを追及してきた。経済を立て直し、新たな発展を目指すことだけに集中してきたといっても過言はない。日本政府は、世界の平和のために、どう努力すればよいかを真剣に考えたことがなかった。

日本こそが第二次世界大戦にたいする反省が必要なのだが、その気配が見えなくなっている。ひたすら経済振興をはかり、ひたすら国家利益を追求しようとしている。周辺諸国から、非難が起これば、なんとかごまかす対応をするだけだ。靖国批判も、外交問題ととらえて、輸出の妨げになることを懸念するだけだ。

各国が自国の利益だけを追求すれば、戦争は必然的だと理解しよう。唯一の被爆国であり、戦争の犠牲者も多く出した日本に、世界が求めているのは、二度と第二次世界大戦のような事態を招かないように、真剣な努力を率先して行うことなのだ。ところが日本のやっていることは、あいも変わらず、利益、権益の追求である。

世界は日本にいらだっている。このいらだちをもっと真摯に受け止めなければならない。世界は日本よりももっと平和に対して敏感だ。日本人はもっと、平和に対する意識を高めねばならない。
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