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明治維新否定論 [社会]

安倍首相の靖国参拝は、近隣諸国からの非難だけではなくアメリカ副大統領からも止めろと言われる騒ぎになった。世界から批判されるのは当然のことなのではあるが、日本国内にごうごうたる非難が巻き起こっているというわけではない。仮にこれがもしドイツであり、大統領がヒットラーは国のために死んだ英雄だなどと発言したら、即日辞任は間違いない。

200万人の日本人と2000万人の周辺諸国民が死んだ先の戦争は誰が考えても良い事ではあり得ない。問われれば、誰もがこれを誤りだったと認めるだろう。しかし、誰が悪くて、日本がどこで間違ったかと問われると、明確に答えられる人は少ない。ドイツ人の場合ははっきりしている。悪いのはヒットラーで、ナチスに政権を取らした時点でドイツ人は間違いを犯したと答えるだろう。

日本人は、戦争に対する反省を、はっきりとしていない。なんとなく、ぼんやりと、軍部の独走があって、それに引きずられたと考えている程度だ。間違ったのはいつの時点か、具体的に誰が悪かったのかは、答えられない。

歴史を見れば、日本の戦争はずっと引き続いている。日清戦争の結果が必然的に日露戦争につながり、日露戦争で得た満州利権を確保するために、必然的に満州事変そして、抵抗する中国に対する日中戦争、中国を援助するアメリカとの戦争へとつながる。この間、どこで間違ったかなどということを見つけ出すことは出来ない。

そしてここに、明治維新の虚構が重なる。明治維新を日本の近代化として肯定する史観が日本には骨の髄まで染み込んでいるのだ。明治維新を賛美すれば、欧米の進出に抵抗することが嵩じた日清戦争などという考えが容易に出てくる。これが第二次世界大戦にまで連続であるのは先に述べたとおりだ。

よく考えてみれば、明治維新は虚構の塊であることがわかる。「士農工商」を廃して「四民平等」を実現したなどと言うのは大嘘だ。江戸幕府が「士農工商」の序列を定めた事実はない。金持ちの商人が百姓にへりくだるなどと言うことはありもしない。あったのは、将軍・大名・武士・平民の序列であり、明治になっても皇族・華族・士族・平民の身分制度は歴然としてあった。

「文明開化」も明治維新とは実は関係ない。そもそも開国をしたのは幕府だ。明治維新派は尊王攘夷を唱えて、開国に反対していたのである。大政奉還は、攘夷が実行できないことが理由で行われた。「王政復古」で、権力を手にした新政府は、もはや幕府によって作られた流れに逆らうことが出来なくなって、開国政策を受け継ぐことになっただけである。だから、文明開化は、幕府時代に始まり、明治維新とは関係なく進んだはずだ。

福沢諭吉が大学を作ったのは、慶応であり、明治維新以前であるし、東大は幕府を起源とする開成学校を引き継いだものであるし、阪大は幕末からある緒方洪庵の適塾から始まっている。いずれも、文明開化は明治になってからではないことを示している。

明治維新とはなんだったのかというと、結局は、徳川と薩長の権力争いのクーデターでしかなかった。その中で、薩長の下級武士が下克上で華族になったりした。明治の「元勲」たちが利権を手にするためのものだったにに過ぎない。このような身分制度の流動化も、明治になってからではない。旗本株を買った町人上がりである勝海舟を幕府の筆頭に取り立てたのは将軍家だ。世の中はすでに動いていたのである。

日本は明治維新で道を誤った。その立役者は勤皇の志士たちである。世間から忘れられていた天皇を引っぱり出して自分たちの利権を固めた。その成れの果てが第二次世界大戦である。ついでに言えば、今も続く料亭政治は、勤皇の志士たちが寺田屋でやっていたことが、その始まりだ。政治の裏工作体質は今も続いているのである。

では、どうしたら良かったかというと、ジョセフ彦が「国体草案」で述べたように、幕府が政権を投げ出した時点で、二院制議会を開設すべきだったのだ。世界の政体を見聞きしたジョセフ彦が見た当時の力関係は的確だった。諸大名が協議する院が、多分当時の世論を代表しただろう。これに「百姓町人の院」を加えた二院制を提唱している。慧眼である。松平春獄も「虎豹変革備考」で二院制議会を提唱し、この中に百姓町人の参加を示唆している。こうした市民民主主義への流れをひっくりかえしたのが明治維新だった。

もし、薩長士族のクーデター陰謀がなく、これが実現されていたら、文明開化はもっと順当に進み、やがて「百姓町人の院」が「諸大名の院」を圧倒する力を持つようになって、おそらく、20世紀に入ることには民主主義が実現されていただろう。日本を戦争の道に進め、1945年の敗戦にいたるまで、民主主義の実現を阻んだのは明治維新だったのである。

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細谷暁夫

今晩は
 私は、明治「維新」が、太平洋戦争の遠因であったと考えますので、ご意見に近いかも知れません。フランス革命、ロシア革命、中国革命も同様に、暴力により権力を奪取したものは、軍隊を手放しません。長州閥は、1873年の徴兵令により強大な陸軍を作り、統帥権の隠れ蓑のもとにそれを独占しました。それが、引き続く戦争の中で肥大化していきましたが、私は、フランス革命がナポレオン戦争で破綻するまでの歴史と比較することをしています。
 明治「維新」を相対化して、日本の近代史を再構築する必要があると考えています。その向こうに日本の進路が見えてくると思うのです。
by 細谷暁夫 (2015-08-01 22:16) 

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