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三上満さんの生き方 [社会]

三上満さんが亡くなった。いくつかの本を読んだり、演説を聞いただけなのだが、この人の生き方には、感銘するところが多い。

人間の能力には3つの種類があると思っている。実際の仕事をこなして成果を出す現場力、多くの人を指導して物事を達成する組織力、じっくりと冷静に考える学問力、この内のどれか一つでも達成できれば、人は人生をまっとうしたことになる。

三上さんはこれを全部達成した。脚本家の小山内美江子は「3年B組金八先生」を三上さんをモデルにして書いたと言う。三上さんは、教育現場で、非行を始めとする教育の問題に敢然と立ち向かう熱血教師だった。彼の実践記録は多くの心ある教師たちの道しるべとなった。東大を卒業して公立中学校の教師になったのだが、そんな人を他に聞いたことが無い。エリート志向とは無縁な教育に対する情熱がなんとも素晴らしい。

三上さんは、自分が教育に取り組むだけで留まらなかった。教員仲間を組織して教員組合を組織していった。全ての子供たちに自分が接することが出来るわけがない事を理解していたからだ。彼の教育実践は決して自己満足ではなかったということだ。組合活動の中でも血のにじむような苦労をしている。

日教組の中でも反主流派で、教師は単なる労働者ではないと言う主張を曲げず、日教組中央からは排斥されることになった。東京都教組委員長時代に、日教組が分裂し、全教委員長、さらに全労連委員長になった。困難の中で組織をまとめる能力は誰にでもあるものではない。

現役を退いてから、宮沢賢治の研究を進めた。「明日(あした)への銀河鉄道 わが心の宮沢賢治」(新日本出版社)は、数ある宮沢賢治研究のなかでも秀逸である。雨ニモ負ケズの中で、「行ッテ」を何度も使い、「行ッテ思想」のこだわりがあることを見出している。三上さん自身も、3.11のあと、何度も東北に足を運び、「行ッテ」を実践した。世の中は空論では進まない。啄木賞の授賞式で、「組合活動で戒告や減給など罰ばかり受けてきたが、賞をもらうのは初めてで嬉しい」と言っていたのが強く印象に残る。

出世、名誉、金、自己満足、 そんなものをはるかに越えた大きな人生だったと言える。

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