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国家と会社を混同しちゃいけません [社会]

朝日新聞に載った中村文則さんの寄稿にあった友人の言葉
「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴らの人権をなぜ国が守らなければならない?」
これには、一瞬、虚を突かれた思いがした。筋が通っている。

会社であれば、「俺は、会社のために一生懸命働いている、だから給料をもらって当然だがサボっている奴らにまで同じ給料をやることはない」となり、同じことを国について語ったに過ぎない。会社などといった組織形態に慣らされておれば、いわば当然の発想である。一瞬たじろいだと言うことは、その発想が、僕にまで染み渡っていたことになる。

会社と国とは違う。会社の運営は主権者である社長が勝手に決めるのであって、社員はそれに従うのが当たり前だ。社長の方針が気に食わなければ会社を辞めればよい。だが国は違う、国民であることを辞められないし、為政者は国民の意向を尊重しなければならない。主権者は国民なのである。会社は社員に給料を払うためにあるのではない。しかし、国は国民の人権を守るためにある。すべての国民が給料を受け取れるようにするのが国の勤めだ。

国は無条件に国民の人権を守らなければならないし、それを全うしない政府に対しては、むしろ反対する義務が国民にあると言ってよい。この友人は、国が自分の外にある存在として、とらえているが、そうではなく、国民が国であり、国が何をするかを決めるのは自分達なのである。

こういった国のあり方については、日本国憲法が明確に示しているのだが、日常生活については、会社のような組織形態があまりにも当たり前になってしまっている。だから中村さんの友人のような発言が生まれる。一人一人が、自分が主権者であると意識する機会があまりにも少ない。物事は、勝手に決められるものであって、個々人はそれに参加するか離脱するかの自由があるくらいであるのが、当たり前になっている。

昔は、小学校には学級会があって、議長や書記を決めて、議論し、遠足や行事に関しても学級会で決めていた。話し合って、相違があれば多数決で決める。自分達が主権者なのだから、それ以外に決めようがないということを繰り返し学んだ。しかし、最近は小学校でも、こういった学級会がなくなってきている。高校の生徒会や大学の学生自治会も活発ではない。

個々が尊重される人間の社会は、自治が基本であるはずだ。会社のような、上位下達の組織は、効率よい生産のための特殊な形態なのである。ところが、それが意識されない。会社があまりにも日常化して、当たり前になりすぎている。結果として日本人には自治能力が失われて来ている。悲しいかなそれが現実だろう。増税、軍拡、無駄使いを推し進める議員達が繰り返し選挙で選ばれているのは、その現れである。

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