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間違いだらけの英語教育 [社会]

社会人は勉強が嫌いなようだが、英語にだけは熱心なようだ。というより、実際に勉強しているかどうかは別として、英語だけは勉強しなければいけないと思っているようだ。随所に英語学習の宣伝がある。そして、最近の英語は会話中心なのだそうだ。

昔は"THis is a pen."で始まっていた教科書は" Hi Michiko" で始まるようになった。会話中心とは文法をしっかり勉強しないと言うことらしい。はなはだ疑問である。外国人が外国語を習得するとき、一番たよりになるのは文法だ。用例や、語彙の使用習慣は母語でなければ蓄積が少ない。これを補うのが文法だから、文法こそが外国語習得の早道だと思うのである。

だのに、なぜ会話中心にしなければいけないのだろうか?日本人は英語の読み書きは上手でも会話が下手だといわれているのを聞いたことがあるが、これは明らかにウソだ。私はアメリカで7年暮らしていたわけだが、その間、いろんな人が日本から来るのに出会った。その中で英語が上手に書けても、会話は出来ないなどと言う人は実は見たことがない。

もちろん現地の人で読み書きは全く出来なくてもしゃべれる人はいる。自分の母語なら当たり前だろう。外国語を習得するのと母語を習得するのとは話がちがう。英語を話せる外国人で読み書きは出来ないというのは珍しいはずだ。日本語は「話し言葉」と「書き言葉」がひどく違っているから、なかには会話だけの外国人もいるかもしれないが英語は両者の差が少ない言語なのだ。

日本のエライ人が、アメリカに来て「会話はにがてでね」と言い訳をするのを何度も聞いたが、こういう人は英語でまともな文章が書けない。「英語がにがて」と言うべきところをごまかして「英会話がにがて」と言っているに過ぎない。読むほうも怪しいのだが、こちらは辞書さえあればいくらでもごまかせる。辞書で単語の意味さえわかれば、つなぎ合わせて意味を汲み取ることはできる。これは英語ができるとは言わない。きっちりと文法を理解して英語が書けるようになれば、会話は出来るのである。

おそろしいもので、こういったエライ人たちの言い訳にすぎない言説が英語教育を動かしてしまった。 日本の英語教育は文法を毛嫌いするようになっただけでなく、文法抜きの英語教育を小学生にまで広げるというのだ。英語に慣れるなどというが、日本人の小学校教師が教えるのだから、なんのことはないカタカナ英語の単語を覚えるだけだ。百害あって一利なしは歴然としている。

日本での英語教育はアメリカ人のように英語を使うのではなく、外国語としての英語を使えるようになることを目指すべきだ。決して文法をおろそかにしてはいけない。とりわけ英語の構文をしっかり把握しなければならない。

それでは昔の英語教育が良かったかというと、そうでもない。日本人が語学に弱い本当の理由があるとすれば、日本語の構文法・文法を知らないからだ。母語であることをいいことにほとんど文法なしで過ごしている。英語の文法に弱いのではなく、全ての文法に弱いわけだ。

現在教えられている日本語の文法と言うのをもう少し改善する必要もある。言語は日本語以外にもあるということが全く意識されていない。活用ばかりで、構文について何も言わないのひとりよがりの文法でしかないからだ。こういった日本語文法の不整備が外国語習得の大きな障害になっているようにも思う。日本語で文法が理解できてから、異なる文法の外国語を習得するのが正しい手順だと思う。
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