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オリンピック東京召致はなくなった---猪瀬発言の意味するもの [社会]

オリンピックを再び東京に招致するという企画がつぶれた。 猪瀬知事が阿呆な発言をしたことが報道されたが、これは失言ではすまない。知事がオリンピックが何であるかを全く理解していないことを世界にアピールしてしまったのだ。

近代オリンピックはどのようにして生まれたか? 平和の祭典と呼ばれるように、国際的にはいろいろと緊張があっても、人間の本来の姿を理想化するスポーツについては、国境を越えてお互いの尊厳を尊重しようというのがその主旨である。フェアプレイの精神を尊び、お互いに友好的に参加することが一番大切なのだ。だから「オリンピックは勝つことでなく参加することに意義がある」と言うのだ。

創始者が、クーベルタン「男爵」であるIことからもわかるように、オリンピックの精神は、多少現実離れした貴族趣味のところがあり、年月とともに本来の精神は失われて行っている。選手たちはプロ化し、国家間の競争が前面に出てきて、ヒットラ-の発案で優勝国の国旗を揚げたりするようにもなった。しかし、IOCの委員たちはこのオリンピック精神を誇りとしており、単にスポーツバカの集まりが権力者に利用されているという実態の指摘を、最大限に忌み嫌っていることは言うまでもない。

オリンピックに最後に残されたのは「対戦相手を褒め称え、紳士として振舞う」である。これがなければオリンピックは単なる競技会になってしまう。単なる競技会であってはならないと考えるのがIOCだから、猪瀬知事の発言はその意識を逆撫でするものでしかない。

イスタンブールをこき下ろしたり、日本をやたら自慢したりする猪瀬発言は、こういったオリンピックの本質をまったく理解せず、「世界一を競う会」「都市を自慢する会」としか認識していなかったことを明らかにした。これがIOC委員たちの逆鱗に触れないはずがない。オリンピックの東京招致はこれで無くなったと見て良いだろう。

もともとオリンピックの東京誘致は成金趣味そのものでしかない。日本の自治体はどこも財政難で汲々としているが、東京だけはちがう。東京への一極集中が続いており、ほとんど全ての大会社の本社があり、税収が集中するからだ。その実態から言えば乱脈そのものの都政が続いているが、豊かな税収のおかげでまだ破綻が見えない。

銀行を作って赤字を出したり、超豪華な都庁を建ててみたり、無駄遣いを散々やって来た。最後に石原の殿様が思いついたのがもう一度オリンピックをやるというお遊びだ。このお遊びは跡継ぎの猪瀬知事の代でつぶれたが、それは都民にとってはむしろ良いことだろう。オリンピック開催の莫大な資金を別に振り向け、都民のための施策をやってくれと要求していける。

------------------ 追記 ---------------------------
予想に反して東京招致が決まってしまった。イスタンブールの政情不安のなせる業だ。2020オリンピックの行く末が気になる.

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