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文化大革命とはなんだったのか [社会]

60年代から70年代にかけて中国の文化大革命というのがあった。当時からよくわからないものではあったが、勢いがあり、日本の大学には、あちこちで造反有理というスローガンが掲げられ、マスコミもこぞって好意的に報道していた。社会党などはもちろん絶賛していたし、自民党訪中団などでさえ、外交辞礼もあっただろうが、賞賛していた。公明党も池田大作が『中国の人間革命』などを出して毛沢東との親近性を自慢していた。一貫して批判していたのは日本共産党だけといってもいいくらいで、そのために日本共産党は孤立していた。

ところが、最近は文化大革命のことはだれも口にしない。当事者である中国政府が黙して語らずを決め込んでおり、北京の「中国国家博物館」の展示では70年代のことがすっぽり抜け落ちている。当時、あれほど書棚を埋め尽くしたのに、日本でも文化大革命に関する書物は見つけるのも難しい。あったとしても、単なる派閥争いで、多くの人が死んだとして、いかにひどいことが行われたかを延々と書き連ねてあるだけだ。それでは、あの熱気はなんだったのだろうか?毛沢東に公然と敵対するような実力者などいなかったのだから、単なる権力争いであるなら、粛清で済んでしまうはずだ。文化大革命については、いまだに何も解明されていないというのが実態ではないだろうか?

中国共産党は上海でインテリや労働者により発足した。孫文が率いる国民党政府に参加し、党内の党として徐々に勢力を拡大していった。しかし、労働者階級そのものが未成熟だったから強大にはなりようがない。孫文の死後、右派の蒋介石に弾圧され、長征と称する逃避行をよぎなくされた。この中で、さらに勢力は減少したのだが、長征中に、農民に依拠した戦略を樹立するようになったことが大きい。

中国の99%を占める下層農民は地主と領主の収奪にあって、真から飢えていた。展望もない破れかぶれな農民反乱が何度も起こっているくらいだ。毛沢東たちは、この貧農たちに地主から土地を取り上げる反乱を提起し、それを正当化する政府の樹立を訴えた。この戦術転換が功を奏し、共産党は支持を拡大していった。農民が持つエネルギーに方向を与えたのだ。

戦闘に負ければ撤退してどこかに行ってしまう国民党軍と異なり、日本軍の支配地域となっても踏みとどまりゲリラとして頑強に戦ったから農民の信頼を得た。日本軍が敗退し、国共内戦となった時には、たちまちのうちに中国全土を支配するようになり、中華人民共和国を成立させることとなった。だから中国革命はプロレタリア革命ではなく農民革命だということになる。

革命後、農地解放を行い、多くの農民に土地を与えた。農民は歓喜して畑に出た。中国共産党の戦略では、これで大いに農業生産が高まり、都市労働者も生活が安定して工業化が進むと踏んでいた。労働者が増えて、社会主義建設が始まる予定だった。「大躍進」と銘打つ計画を高々と掲げた。

ところが、農業生産はいっこうに高まらない。あり得ないことなのだが現実だった。当初は、天候不順のせいにしていたが、何年たっても変わらない。「大躍進」が失敗だったとも言えないので統計データの改ざんまで行われたようだ。人民公社で集団作業を行うように強制したりもしたが同じだ。

飢えた農民が望んだことは「生きさせろ」であり、「自給自足させろ」であった。農地を手にして自給自足ができるようになれば、それ以上は望まない。野良に出るのに晴れ着はいらない。物見遊山をしたいとも思わない。自分たちが食える以上の物を生産する必要がどこにあるのか?

毛沢東にとって貧農はもっとも信頼が置ける階層だ。彼が呼びかければ、手に手に鎌をもって命がけで立ち上がった。増産を呼びかけて通じないはずがない。国家権力のすべてを手にしていた彼に届く報告は、増産が順調に進んでいる、人民公社は成功していると言ったものばかりだった。ところが、結果は無残なものだった。これでは社会主義建設はおぼつかない。

農民はプロレタリアートではなく、おのずと保守的な反動的ともいえる限界性を持っている。工業化のために必死になって働いたりするはずも無い。しかし、毛沢東にはそれが信じられなかった。戦略方針は正しく、生産現場は常に正しい。だとすれば、彼と農民の間に問題があるに違いないと見込んだのである。誰を見ても異論を唱えず、彼を賞賛するものばかりなのだが、その中に「資本主義の道を歩む一握りの実権派」がひそんでいて、それがすべてを妨害している。

毛沢東は生産現場の人たちに「資本主義の道を歩む一握りの実権派」を見つけ出して戦うことを呼びかけた。魔女狩りが始まった。共産党の中堅幹部が次々と槍玉にあがった。そのやり方を批判する中央幹部も批判された。それは民衆の鬱憤晴らしでもあった。怒りは、役人だけでなく、何も生産しない学者や技術者にも向けられた。工業生産も科学も10年以上の停滞を見た。

文化大革命で一番不可解なのは林彪事件だ。文化大革命を推進し、毛沢東の後継者と指名される副主席にまでなった林彪がソ連に亡命しようとして墜落死した。毛沢東を暗殺しようとしたとの罪状が公式にあるが、張聶尓の研究によると、これは違う。後継するものとなれば、文化大革命の始末をつけねばならないと考えるのは当然だろう。いつまでも実権派の摘発ばかりやっていたのでは何も進まない。富民国強への転換を図ったのだが、4人組に阻止され、追い落としを受けたのが事の真相だとする推理だ。これは説得力があると感じる。

結局、この騒ぎは毛沢東の死去で沈静化した。4人組が力を失えば、富民国強への転換は自然の流れとなる。問題の所在が単に実権派の陰謀などという単純なものではないことは誰でもわかる。農民の自給自足から工業化への転換は単純に発展という形で行えなかった。中国共産党の新路線は、たぶん農民を見捨てることだっただろう。農業生産はそのままで食料を輸入し、外国資本を受け入れて工業化を進めた。食い扶持を減らすため一人っ子政策が進められた。低賃金労働で外資を稼ぎ、食料を輸入しながらではあったが工業化は進んだ。いまや北京は高層ビルが立ち並び東京と変わりがない。工業生産は近々品質面でも日本を追い越すだろう。

しかし、一歩農村に出ればいまだに自給自足から変わっていない。格差がとんでもなく拡大しているのだ。格差といっても、都市と農村の地域格差であり、アメリカのような都市スラムが発生しているわけではない。高い生活水準を求めて、人口はどんどん都市に流出しており、農村では過疎化が進んでいる。一人っ子政策の帰結として、驚くばかりの高齢化が間近にせまっている。

世界最大の人口を抱える中国の危機は世界の危機でもある。では、どうすればいいのか?その答えはない。中国の抱えている問題は、単に政治体制の問題ではないことがわかる。クーデターが起こって別な政治体制になったところで、問題は解決しない。翻ってみれば、「高齢化」「格差」はそのまま日本にも当てはまる。

世界はなかったことにして口をつぐんでいるが、実は文化大革命を引き起こした問題を今も未解決で引きずっているのだ。人は食べなければならない。しかし、農業の生産性は他の産業のように高くなりようがない。当然のように格差が生まれる。食料を輸入してごまかすことはいつまでも通じないだろう。やがて食糧危機が世界を襲うのか、工業生産に停滞をもたらすのか、世界の経済が行き詰まりを迎えることになるだろう。


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