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帝国主義論と世界の未来 [社会]

19世紀末から20世紀にかけて、世界は帝国ばやりだった。大英帝国、ドイツ帝国、フランス帝国、ロシア帝国、大日本帝国といった国々が互いに軍備を競い、属国の支配をめぐって衝突を繰り返していた。戦争の被害が最も激しかったのは庶民の生活で、働き手を徴兵され、肉親を戦争で失った悲惨な人々が続出した。なんでこんなことになるのか?どの国も戦争国家になってしまうのはなぜだろう。この疑問に回答を見出したのがスイス在住のロシア人イリイチ・レーニンだった。

 産業革命以来、工場生産が発展し、多くの人々が労働者として生活するようになった。しかし、労働者の賃金は決して労働によって生み出された商品の価値を超えることはない。だから購買力は常に十分でなく、生産された商品は必ず過剰になる。デフレが必然であり、リストラが始まる。商品の価格破壊が進行するが、労働力そのものも商品であり、賃金破壊が生活におそいかかる。この結果さらに商品は売れなくなる。このような資本主義の末路はマルクスによって解明され、社会は破綻を迎えると理論付けられていた。しかし、実際には崩壊は起こらなかった。相変わらず労働者の生活は苦しかったが、賃金破壊は際限なく進むのではなく、ある一定の低い水準を保った。

 発達した資本主義生産はより安い原料を国外に求め、商品を国内に売りさばくということで破綻を回避したのだ。だから発達した資本主義は必然的に外国に勢力を拡大する必要があり、軍事力で国外に進出する帝国主義に転化せざるを得ない。多くの国々が帝国主義に転化すれば、属国の支配権を巡って必ず対立が起きる。このような世界規模の戦争こそが資本主義の行き着くところである。帝国主義戦争で資本主義は自滅して行く。帝国主義戦争で負けて弱体化した政府を倒すことこそ労働者国家を立ち上げるチャンスである。こう考えたレーニンはロシアに戻り、理論どおりにロシア革命を成功させた。

 その後世界はどうなったか? 帝国主義戦争による資本主義の破滅は起こらなかった。社会主義国の出現でその存在自体がおびやかされることになった資本主義は、やりたい放題ではなく、節度を持った搾取にする必要を感じ出した。8時間労働制や労働組合を受け入れ、社会保障制度など、ある程度社会主義的な施策が導入された。資本主義は、こうした社会主義的施策を受け入れて、破滅を回避したのである。計画性を取りいれ、経済刺激で恐慌をさけるといった手法もとれるようになった。しかし、資本主義の本質は変わっておらず日本やドイツなどは相変わらず帝国主義的侵略を続けた。

 様相が変わって来たのは、侵略される側の国々での抵抗運動が力を持ち出したことである。侵略している帝国主義が末路をたどっているとすれば抵抗運動には未来がある。自然発生的な抵抗が、理論的展望を持った共産主義勢力が荷担するようになると、侵略もだんだんと楽なものではなくなってきた。賢い資本主義国は露骨な侵略をやめてむしろこれらの抵抗運動を支援する側に回るほうが市場の獲得には有利だと判断するようになってきた。

 こうして第二次世界大戦は「侵略国」対「被侵略国を支援する国々」の戦いとなった。資本主義国のこうした分裂こそが世界変革の機会であるという理論が現れた。おくれた国々は帝国主義の侵略を受けて疲弊し、買弁資本は帝国主義に従うことでわずかな利益を得るばかりである。だから、いつまでたっても資本主義的発展はなく、自覚的な共産主義者が労働者農民を組織して人民民主主義政府をしなければ植民地からの脱却は達成できない。逆に、おくれた被侵略国であっても労働者農民が立ち上がり帝国主義の侵略を打ち破れば、資本主義的発展を飛び越して社会主義への道が開けるという人民民主主義革命の理論を提唱したのは毛沢東である。毛沢東の理論に従い、事実中華人民共和国が成立した。

 このように帝国主義をめぐる理論が世界を動かして来たことは明らかだ。さて問題はこれからである。第二次世界大戦の敗戦国である日本はいったいどの位置にあるのだろうか?戦後世代の学生達の間で盛んに行われた帝国主義論争のテーマである。資本主義が発達すれば帝国主義になるのに決まっているから「GNP世界第二位という国が帝国主義でないはずがない」と言われればそのとおりなのだが、帝国主義国どおしは対立し帝国主義戦争に陥るはずなのだが、アメリカへの追従はそんな気配もない。第一アメリカ帝国主義がいったんは支配した日本をまた敵対する帝国主義に発展させるものなのか?帝国主義ってそんな甘いものなのか?という疑問がわいてくる。

実践でも日本が帝国主義かどうかで課題がまったくちがってくる。日本がアメリカ帝国主義に支配された従属国なら、民族資本家、農民を巻き込んだ反米闘争が大切だし、日本が自立した帝国主義なら敵対するアメリカを助けてでも日本政府をたたくことが第一になる。安保条約・米軍基地をかかえたGNP第二位国日本では、帝国主義と従属国の両面が出てくるから「アメリカに従属する独占資本」とか「帝国主義同盟」の言い方で繕うことになる。どうも釈然としない。

問題をもとに戻して考えてみよう。もともと帝国主義と言う概念は各国がそろって植民地分割に参加し、互いに争う状況を分析して生まれたものだ。資本主義が発達すれば、破綻を避けるためにどうしても外国侵略をすすめねばならないと言う分析は、他の帝国主義国との争いはあるものの,植民地の獲得自体はたいした苦労でもないと言う仮定に基づいている。民族自立の勢いは強く、アフリカのほとんどの国は独立したし、ベトナムのようにアメリカを追い払うだけの抵抗を示すところも出てくると、武力による制圧はコストがかかるようになる。やがては、割りにあわないものになってしまう。つまり、古典的な帝国主義が経済的に成り立たなくなったとも言える。

発達した資本主義は必ずしも帝国主義という形態をとらず、「平和的な」手段で支配権を広げるようになったのではないだろうか?工場を安い労働力の場所に移し、生産物を購買力の大きな自国で売る。こうすれば、当面デフレに悩むことはなくなる。それでも、独占資本はその領域を広げずに存在できないということに変わりがない。ここに多国籍企業となっていくグローバリゼーションの契機がある。ちょうど通信・交通手段の革命的進歩をして、多国籍企業が続々と生まれつつある。

多国籍企業は、原料や労働力を発展途上国に求め、自国に限らず購買力の高い国で売る。かつては多くの独占資本を率いて海外進出した国家が、今や独占資本に見放されつつある。日本の経済が破綻しようがトヨタ資本にとってはどうでもいいことになるだろう。世界の国々を支配する多国籍企業が生まれ、国家はこういった多国籍企業の手先に過ぎなくなる。しかし、すべての国が、多国籍企業を養うだけ十分な国内需要を発達させているわけではない。日本のように、国内需要を十分発達させることなく、一足飛びに海外進出してしまった国では、結局、国内経済はデフレに悩むことになる。

途上国生産・国内消費の多国籍企業方式も、多くの発展途上国が安い労働力を提供するだけでなく、自国に産業を発達させるようになれば、やがては、進出国の国内購買力を超えるようになる。この方式は未来永久に続くものではない。国内経済基盤の弱い国日本だけでなく、すべての国がデフレに陥ることになるだろう。世界は、またマルクスの予言した破綻に向かって進みつつあるのだ。マルクスを待つまでもなく、歴史のあらゆる体制には必ず終わりがあった。資本主義は未来永劫のものではあり得ない。

しかし、レーニンや毛沢東の理論に従い、一時は変則的に資本主義から脱出したかに見えた国も、教条的な社会主義建設を行って崩壊ないし変質してしまった。マルクスは資本主義を解明したが、その破綻を受けて作られるべき次の体制を研究してはいない。人類が、資本主義の後に何を建設するかは、いまだに残されたままになっている課題である。



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