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平成大合併の後難 [社会]

平成の大合併から10年になろうとしている。あちこちで、小さな町がつぶれ、広域の市が生まれた。もとの役場は支所になったり、地域センターなどという訳のわからないものになったりしている。市役所は遠く、身近な問題を解決してくれるものではなくなった。

どうして、このようなことが行われたかと言えば、財政難がその根源である。合併すれば、合理化で行政コストが安くなり、施策に廻す予算が増える。そう宣伝された。多くの合併は、町長や議員たちが音頭を取って行われた。彼らにはエサが与えられていた。町会議員よりも市会議員のほうが圧倒的に格が上だ。見入りも大きい。県会議員などにランクアップを望めない議員たちにこれは魅力だ。

首長にとっての魅力は合併債だ。地方自治体は勝手に借金を出来ない。しかし、合併すれば合併に要する費用として債務を認められることになった。この金が手に入れば大型の箱物が作れる。自治体とは名ばかりで、日本の場合、国が何でも基準を決めて、自治体はその事務を取り扱う機関にすぎない。小さな町の首長の裁量権は非常に限られたものだ。しかし、箱物については違う。どこに何を作るかは、首長が最も権限を発揮できることだ。汚職とは行かないまでのキックバックも多いだろう。

合併で多くの新庁舎や何とかセンターが作られた。合併債はあくまでも借金である。返済しなければならないので負担は大きい。それだけではない。当然ながら、その維持費・改修費が後年重くのしかかる。実際、自治体の財政は少しも楽にならなかった。

合併10年を経て、更なる問題が起こっている。地方交付税の減額である。国がなぜ、合併を促したかというと、地方自治への国の負担を減らすためであった。合理化して行政コストを下げたのは、それを住民サービスに廻すためではなかったのか。少なくとも、今の行政サービスを維持するために必要だと納得したのではなかったのか。単に国の負担を減らすために不便を我慢して合併した住民は騙されたようなものだ。

もちろん、10年後に地方交付税が減らされることは、始めから決まっていた。街の政治家たちは、目先の合併債や市議昇格に目がくらんだだけだ。どうせ10年後には町長も町議も引退している。住民自治など知ったことかということだったのだろう。

住民にも悔悟はある。誰もが、うまい話には気をつけろという賢明さは持っていた。しかし、対案を見つけられなかったのだ。地方小都市の地盤沈下ははなはだしい。どこの駅前もシャッター通りになっている。大都市さらには東京への一極集中が続いている。地方小都市には展望がなかった。現状をなんとか打破したいという気持ちが、合併にひきつけられてしまったことは否めない。

地方復活の見通しは簡単には見えない。しかし、原発事故のあと、一極集中体制と集中豪雨のような輸出による日本経済は行き詰まりを見せている。ある意味では破局ではあるが、地方の再生は必ずやってくる。人間は地べたに張り付いて生きているのだ。

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