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合格者が減った司法試験 [社会]

司法試験合格者が2000人を切った。2000年に始まった法科大学院は危機に陥っているようだ。明らかに司法改革は修正を余儀なくされている。

なぜ、見通しが崩れたのか?司法改革の狙いは弁護士の活動の場を増やすことにあったといわれている。アメリカでは、物事を裁判で決着する風潮が高く、多くの弁護士が社会のあらゆる分野で活躍している。弁護士の社会的評価も高い。日本もそれに倣って弁護士を増やせば、法律を国民生活に浸透させて行けるというものだ。

これは考え方が逆だろう。法律が日常となって初めて弁護士の需要が増えるのだが、日本の裁判制度では弁護士の活躍が非常に限られている。良い弁護士に頼めば、給料が増えるだとか、隣地のマンション建設を阻止できるだとかは、起こらない。まじめにやってくれれば、弁護士なんてだれがやっても変わらない。判決はすべて、判例にしたがって決められるからだ。

アメリカでは、判例に拠らず、陪審員の表決で決まるから、説得力のある弁護士であるかどうかが勝敗の決め手になる。日本の裁判制度では弁護士の出来ることは論点の整理でしかない。弁護士の需要が増える社会的素地は生まれるはずもないのだ。日本では、司法試験のような難しい試験はないのに、弁護士より医者のほうがよほど職業として人気がある。

誰でもわかる無謀な司法試験改革がなぜ行われたのか? 理由は他にあったのだ。高収入の自由業として弁護士はもちろん人気がある職業ではあった。志望者が多く、司法試験の難しさが高まっていた。なかなか現役では合格出来ず、合格年齢が年々上昇していた。実はこれが問題だったのである。

日本の法曹界では、裁判官、検察官、弁護士と言う序列が厳然としていた。弁護士は検察官になれなかった司法修習生の集まりと見下されていたし、法曹界を牛耳っていたのはもちろん最高裁判所だ。官が民を支配する構造は温存されている。公務員は年功序列であるから、若くして任官しないとエリートコースは歩めない。司法試験合格年齢が上がると、優秀な人でも官界を敬遠するようになる。実際、裁判官志望は減り、多くの優秀な人材が、弁護士を目指すようになったのだ。

本来保守的なはずの「官」が率先して行った司法試験改革は、こうした法界序列が崩れるという危機感が作用して始まったのだ。やたら難しい試験をするのではなく、若くしてエリートを選抜して法曹教育を施す意図だった。本当は、東大、京大など一部のエリート大学だけに絞りたかったのだが、法科大学院を設置するとなれば、どの大学にも法学部はあるから、公開の基準では絞ることが出来なかった。

雨後の竹の子のように、法科大学院が出来て、結局、大学院卒業者にも試験をしなければならなくなってしまった。法よりコネ、憲法が平気で蹂躙されるような国で、法律を国民生活の基盤に据えることの難しさというものだろうか。今回合格者数を減らしたということは、弁護士の活躍の場を増やすことの見通しを失ったことを意味する。

法科大学院修了者に受験回数の制限をして、法曹エリートを官界にとどめる体制は確保したから、もう、それで彼らにとっては、本来の目的を達成したのかも知れない。しかし、本当に必要だったのは、コネや権力ではなく、法が、全ての人々に平等に行き渡る世の中を作ることだったはずだ。首相の一存で憲法の解釈を自由自在に変えられるのでは、望むべくもないことだ。




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