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四島一括返還論にこだわるアホらしさ [国際]

安倍政権が北方二島返還論に軌道修正しつつある。アホ晋三がプーチンに丸め込まれたとも言えるが、二島返還論への転換はむしろ必然の帰結だ。これまで固執していた四島一括などという珍論がどこからも相手にされないしろものであるのは明らかだ。「サンフランシスコ条約で千島の放棄を表明したがロシア領にする意味ではない」ではどこの領土だというのか。

「千島は放棄したが南千島(国後択捉)は千島ではない」なんて誰が見ても「白馬は馬に非ず」というたぐいの詭弁でしかない。外交の場で持ち出せば笑われるだけだ。サンフランシスコ条約を肯定する限り南千島(国後択捉)を日本領とする主張はなり立たない。千島列島からはずれており、ロシアには何の領有根拠もない歯舞色丹と抱き合わせにする議論をするのはアホでしかない。

サンフランシスコ条約が連合国の一部だけが参加した不当なものだと言う立場に立てば話は違う。歴史的経緯としては千島樺太交換条約と言うのがある。間宮林蔵が間宮海峡を発見したことで樺太は日本領だとする主張が成り立つようになった。困ったロシアは千島との交換を申し出た。幕府とロシアが対等な立場で結んだ条約だからこれに立ち返って千島全島を日本に返還せよという日本共産党の主張は筋が通っている。

しかし、いまさらサンフランシスコ条約を改定するなどというのは全く現実性のない話だ。それに、領土は法や条約がすべてではない。千島樺太交換条約は島の住民の意向を無視して江戸とペトログラードとの間で勝手に結ばれたものだ。このため住んでいたロシア人は一部は日本に帰化し、一部は追い出されて、また戻って来ている。千島全島返還は島の帰属は住民の意思を尊重するべきだという民主主義の立場から外れている。

国境問題を解決しようと思えば、国後択捉はあきらめるしかない。歴史的に考えても択捉に最初に入植したのは赤蝦夷すなわちロシアだ。近藤重蔵は択捉に大日本の国標を建てたが、「ロシア国教会の国標を引き抜いて」と報告している。現在も多数のロシア人が住んでおり、日本領にしてこの人たちを追い出すと言うのは全く現実性がない。いまさら日本領にしたところで、住む人がなく、過疎の限界集落になるのがおちだ。

歯舞色丹はほぼ無人島だから返還で現実的問題も発生しない。実は二島返還は、鳩山一郎首相の時に日ソで合意しかかっていた。それをアメリカのダレス国務長官の訪日で無理やり止められてしまった。各国を冷戦に引きずり込みたいアメリカは日ソ平和条約を結ばせたくなかったのだ。

四島一括は平和条約をつぶすために持ち出された珍論なのであり、問題を長引かせるだけのものだ。落としどころは二島返還しかなく、二島返還ならもっと早く実現していたはずだ。アメリカの時々の意向に翻弄され、四島一括を引っ込められなくなってしまっていた歴代政権の愚を問われる問題である。
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放射線の規制値を下げるという御用論文 [原発]

福島で除染という事が行われている。人の住めない土地の放射線量を減らして無理やり「安全」にすると言う作業だ。家の周りの汚染された土を入れ替えて放射線量を減らす。どこまで減らせばいいかという基準として0.23μSv/hが定められた。

ところがである。実際問題としてこれを達成する除染と言うのは難しい。放射線は、家の周りの土からだけでなく、裏山の森からもやってくる。合計で0.23μSv/h以下にするには相当広範囲の土を入れ替えねばならない。あばら家の周りの除染に何億円もつぎ込むことになる。少し放射線量の低い所に新築の家を建てた方がよっぽど安い。

しかし、国も自治体も除染にこだわる。「安全」な土地になったと言う事をどうしても示したいのだ。この馬鹿馬鹿しさは現場でも当然意識されており、関係者の間では、そこまで下げなくてもいいのではないかと言う声が絶えない。そうなると、こういった「要望」に応える学説が現れる。残念ながら曲学阿世の輩は世の常である。今ではほぼ否定されているが、100μSv以下ではガンにならないといった学説もあった。

自治体が住民にガラスバッジ線量計を配って、実際に浴びた放射線量を測った。このデータを使って放射線量の高い所に住んでも、実際に浴びる放射線量は低いという結論を出したのである。実際のデータであることを強調し0.23μSv/hは4倍の余裕があるとする。

しかしながら、この議論は根本的におかしい。確かにその場所の放射線量と実際の被ばく量はちがう。家の中にいれば遮蔽されて屋外よりも被ばく量は少ない。一日8時間以上も屋外で過ごす人はあまりいない。0.23μSv/hの根拠と言うのは、毎日8時間を屋外で過ごすと仮定して、被ばく量が年間1mSvになる値だ。

これに対して、実際の被ばくデータと言うのは平均値であり、これを規制値として用いたならば半数の人が年間1mSvを越えてしまうという価である。全く比較の対象にならない。<平均値>と<規制値>のすり替えがこの論文の全てだ。

データそのものにも問題がある。住民は外に出るときは必ずバッジを身に着けるように言われているが、これを励行した人がどれだけいただろうか。自治体は何の断わりもなく、住所、氏名、年齢などの個人情報を提供してしまっている。この事も規制値を下げたがっている自治体・東電との癒着を示すものだ。

論文を書いたのは僕も面識がある素粒子研究者だが原発や放射線とは関係がなかった人だから中立と思われる分だけ悪質である。本人は直接「社会」の役に立つことをして見たかったと語っているが、彼にとって「社会」とは何だったのだろうか。高放射線量が残る土地に帰還を強要されている住民が見えず、こんな論文で晩節を汚すことになったのが残念だ。

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年金と失業保険の二重取り [雑学]

インターネットで検索すると手軽にいろんな情報が得られる。しかし、下手に検索してしまうと間違った情報を掴んでしまう。困ったことにネットには増幅機能があり、間違った情報が拡散されて常識化してしまうことがあるのだ。その一つに「年金と失業保険の二重取りはできない」と言うのがある。

定年退職で収入が減ると思うとセコい事を考えたくなるものだから、いろいろ検索する人は多いだろう。とりあえずの収入の道は年金と失業保険なのだが、どちらが多いかを比較している場合が多い。二者択一を迫られると言うことが前提だ。しかし、実は両方を貰うことが出来る裏技がある。

制度の過渡期なので年金には2種類ある。正規の老齢年金は65歳からなのだが、多くの場合、定年はもっと早いから65歳になるまでの間「特別支給の老齢年金」を貰うことになる。この「特別支給の老齢年金」の規定を見ると失業保険を貰った場合はその額にかかわらず、年金は自動的に停止されると書いてある。これが二者択一の理由だ。

一方、正規の老齢年金の方には、失業保険の事は何も書いてない。書く必要がないと判断されているらしい。失業保険の規定の方に、「65歳以上で失業した場合にはもらえない」と書いてある。ここがポイントだ。「65歳以上になるともらえない」とは書いてないのだ。つまり、64歳で失業した場合には65歳になってももらえる。65歳からの老齢年金の支給に失業保険は関係がないということだ。

実際にはタイミング良く65歳の誕生日間際に退職になるという事は少ない。しかし、離職票の提出を少し遅らせて65歳からの支給に調整する事は出来る。だが、このやり方での調節は限定的だ。定年退職は自己都合ではないから、長年勤めた場合には240日間の給付がある。離職票の提出から支給までに2か月かかり、支給は退職から1年に限られていることを考えると、3ヶ月が限度なのだ。

ところがである。定年退職の場合はしばらく休養してから次の仕事を探すと言うことが認められている。失業から60日以内に「しばらく休養してから求職活動をする」という届をすればよい。最大1年は支給をずらすことが出来るのだ。だから、64歳で定年退職した場合は、問題なく65歳からの支給にするころが出来る。

実はもっと伸ばすことも可能だ。親の介護のためにしばらく求職活動を控えたいといった理由にすれば3年でも先延ばしすることができる。介護の必要性を証明する必要はなく、弱ってきているからしばらく一緒に過ごしてやりたいといった程度の事でも良いらしい。結局、62歳以上ならだれでも失業保険の支給を65歳になってからにすることができ、年金と合わせて貰うことができる。

裏技と言えば失業保険の額を増やす裏技もある。多くの人は月給をもらっているが、失業保険は日給で計算される。日給は6か月分の給料を「実労働日数」で割ったものだ。だから退職間際に有給休暇や病気休暇を使うと日給が増えることになる。これもセコイ話だが、バカにはできない金額だ。

あれやこれや調べて見ると、ちょろっとインターネットを検索してもわからない裏技があるものだ。

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トランプにコケにされてる安倍首相 [経済]

森友問題でお尻に火が付いており、それどころでは無いかも知れないが、外務省は大慌てだろう。トランプ政権はアルミと鉄に大関税を打ち出した。全ての国などと言っていたが、南米もヨーロッパも皆除外して、実質中国と日本だけを対象とするものになった。

その理由が「安全保障上の処置」と言うのだからアメリカにとって日本は中国と同じ扱いと言うことになる。安倍首相が事あるごとに強調する「同盟国」はどこに行ったのだ。

安倍首相ははトランプが選挙で勝ったら、大統領に就任する前から、ご機嫌取りにはせ参じた。米軍機が民家近くに墜落しても飛行の差し止めも要求しない。毎年米軍には莫大な金を貢いでいる。これで中国と同じ扱いだと言うのだからバカにされているにも程がある。

安倍首相は事あるごとに、日米韓の連携を謡ってきたが、結局、米韓が頭越しに合意して北朝鮮との対話を決めた。「対話の時でない」と何度も繰り返していた安倍首相の発言には、何の注意も払われなかった。

トランプは「安倍首相はいい人だ」と褒めている。そりゃそうだろう。どれだけバカにされてもヘラヘラ笑ってトランプに付き従う。トランプが世界の非難を浴びるような発言をしても、安倍首相だけは、いつも無条件で賛成だ。

ヨーロッパの政権などはもう少し骨がある。ドイツのメルケルなんかは公然とトランプ批判をする。それでいて今回のアルミ・鉄鋼関税からは除外だ。何を言ってもニタニタ受け入れるアホだから気にしないと言うのがトランプの安倍首相に対する見方だろう。

何とも情けない首相を持ったものだ。森友問題でこれだけ味噌をつけているのだから、往生際悪くいつまでも政権にしがみつかないで、さっさと辞任してほしい。


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朝鮮戦争の歴史 [北朝鮮]

核開発を誇示して世界の嫌われ者になるし、ミサイルは打ちまくる。バカじゃないかと言われているが、金正恩は案外賢いのではないだろうか。北朝鮮にとって一番大切なことはアメリカに先制攻撃をさせないことだ。イラクのフセインはこの戦略を誤ってアメリカに攻撃させてしまった。化学兵器の存在を疑われ、それが侵攻の理由になった。今ではこれがアメリカのウソだったことが明らかになっているが、フセインはむきになってこれを否定した結果、世界はアメリカの侵攻を容認してしまったのだ。

北朝鮮は、逆にアメリカを脅している。核実験を繰り返し、反撃用のミサイルを誇示し、北朝鮮の滅亡は近隣諸国を道連れにすることを強調している。これでは周辺諸国にとばっちりの被害があれば、アメリカの責任になる。アメリカを経済制裁の方向に誘導しているとも言える。経済制裁に腐心して、諸国を説得すればするだけ軍事侵攻はやりにくくなる。経済制裁に協力しろは軍事攻撃をしないという言質と引き換えになるからだ。イラクの時は経済制裁などということがなかったからアメリカの対応が仕方のないものに写ったのである。

北朝鮮がアメリカの先制攻撃をそこまで恐れるのは理由がある。ミサイルを撃ったりしなければ、アメリカの攻撃も経済制裁もないのにとは考えない。なぜなら朝鮮戦争は終わっておらず、休戦してはいるがまだアメリカとの戦争中であるという認識だからだ。そもそも朝鮮戦争はアメリカが海を渡って朝鮮に攻めてきた戦争だと考えている。まあ、歴史的にみればこの見方は正しい面もある。

第二次世界大戦が終わり、日本が朝鮮半島を放棄したあと、4、5年は国連の信託統治下に置いて独立の準備をさせようと米ソは考えた。38度線を境界に米ソが治安を受け持つということで合意した。しかし、これは朝鮮を見くびっていたとしか思えない。もっと文明的には遅れたフィリピンでさえ戦後すぐに独立だから、朝鮮の人たちがそれに満足するはずがない。

日本の撤退と同時に「朝鮮人民共和国」の立ち上げが始まって、日本の朝鮮総督府は権限の委譲を承認した。今見れば名前からして共産主義風だが、まだ中華人民共和国もなかったから「人民共和国」にそのようなニュアンスはなく、実際、右翼から左翼までオール朝鮮といった構成になっていた。翌年の4月には選挙を行い正式な政府を樹立することが予定された。いち早く朝鮮に進出したソ連もこれを認めた。

ところがである。9月になって朝鮮に上陸したアメリカはこれが気に食わなかった。米軍は日本を軍政下に置いたのだが、朝鮮半島の38度線から南もこれに含めようとして、南朝鮮を米軍の軍政下に置くことを一方的に宣言した。新政府樹立のための「人民委員会」が各地で組織され、自治が始まっていたから、米軍の軍政部と二重行政になってしまった。米軍は人民委員会の解散を命令し、選挙も中止させた。米軍は朝鮮人民共和国を38度線より北に追いやったのである。

アメリカとソ連が38度線の南北を占領して、それぞれに北朝鮮と韓国を作ったと思っている人が多いが、子細を見るとそう単純ではない。人民委員会は北ばかりではない。済州島にもできて、これが何万人もの死者を出しながら一番強力に米軍に抵抗したという事実がある。南の端にあるからソ連が影響を与えたわけではないことはわかるだろう。朝鮮人民共和国に配慮してソ連軍は朝鮮半島から撤退した。

アメリカ軍は李承晩に「大韓民国」を組織させ38度線から南だけで選挙を強行した。これに対抗して北では「朝鮮民主主義人民共和国」が出来たのだが、この時はまだオール朝鮮の「朝鮮人民共和国」を引き継いだものだった。朝鮮から見れば攻めてきた米軍に南半分を取られたという意識で、これを取り返すために米軍に戦争を仕掛けたのが朝鮮戦争である。ソ連軍は撤退していたし、韓国はまだ名目だけのようなものだったから朝鮮軍対米軍の戦争になった。

ソ連から武器の供給を受けたこともあるが、北朝鮮は強かった。一時は米軍を釜山まで追い詰めた。日本の帝国陸軍は実際のところマッカーサーには負けてばかりで、一度として米軍を押し返したり出来なかったことを考えると北朝鮮の士気がいかに旺盛だったかがわかる。アメリカの侵略に反撃するという大義があったのだ。

しかし、米軍は増強され、仁川に逆所陸して形勢は逆転した。今度は逆に米軍が38度線から北に攻め込んだ。朝鮮全土を平定しようとしたのである。ここで米軍が中国にも侵入するのではないかとの懸念から中国が「義勇兵」を朝鮮に投入して38度線まで押し返すことになった。勝手に38度線を越えて進軍したことでマッカーサーは失脚した。北朝鮮は大日本帝国にも出来なかったマッカーサー軍に勝つという偉業を達成したことになる。これが今の北朝鮮の強気につながっている。

38度線で休戦協定が結ばれ、南北の朝鮮はそれぞれの道を歩み出した。韓国は独裁政権や軍事クーデターといった紆余曲折はあったのだが、経済発展を経て民主主義が育つようにもなった。オール朝鮮だったはずの北朝鮮は、朝鮮戦争の戦時体制の中で強硬派が力を持つようになった。リベラル派は粛清されるようになり、金日成の独裁になっていった。歴史は必ずしも大義が正統とはならないのである。

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