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舛添要一のセコさ [政治]

舛添要一のセコさ

都知事に立候補している人をネットで調べてみた。そのなかで際立ったのは舛添要一氏のセコさだ。

舛添が厚労相時代に公表した資産は、
(1)「舛添政治経済研究所」の株
(2)公社債三億千八百九十九万円
(3)定期預金二千万円
(4)郵便貯金百万円
(5)貸付金千六百四十六万円
(6)普通自動車二台、絵画一点。

なかなかの金持ちなのだが、土地や建物は「該当なし」となっている。では、東京・世田谷区代田の一等地にある自宅はどうなっているのかというと。実は舛添政治経済研究所の名義だ。同様に「さがみの小京都」といわれる温泉地、神奈川県湯河原町別荘も同研究所の名義だからということで、資産ではないとしている。これはセコい。

 舛添氏は、同研究所の全株二百六十株を所有、妻が代表取締役になっているのだから資産隠しである。会社名義にして資産隠しをやっているだけではない。舛添氏が支部長を務める「自民党東京都参議院比例区第二十八支部」と、舛添氏の資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」、そして「舛添要一後援会」の三つの政治団体の事務所所在地となっており、二〇〇七年の政治資金収支報告書によると、三団体あわせて約八百九十万円の事務所費を支払っている。

自分が使う自宅に、自分の「団体」から「事務所費」ということで、個人に支払っているのだ。自民党本部から、国民の税金である政党助成金三千五百万円を受け取っている「第二十八支部」が約七百二十万円もの事務所費を支出しているのは税金の私的流用ということになる。これもセコい。


舛添氏は他にも団体を持っている。「舛添要一後援会」の2011年の政治資金収支報告書によると、100万円の借入金「借入先」として「舛添要一」の名前が 記載されている。 この後援会は、同年6月24日に「借入金の返済」として200万円を舛添氏に支出して解散している。倍返しの100万円を懐にいれたことになる。 このセコさはすごい。

同後援会の収入は、舛添氏が代表の「新党改革比例区第4支部」や、同氏の資金管理団体 「グローバルネットワーク研究会」からの寄付がほとんどで、新党改革に支給された政党助成金がこの原資だから、これも税金の着服だ。

新党改革の経理はそもそもおかしい。政党助成金が主な収入なのだが、この金を使って、設立時に作った借金の返済をしている。政党助成金は年度ごとに使い残しを返却する性格のものだから借金返済には使えないはずだ。政治団体間で資金を還流させてごまかすマネーロンダリングをやっている。セコさは、さらにつのる。

これだけうまく稼ぎながら、元愛人との間にできた障害児の養育料をケチる裁判をやっている。ちなみに結婚は三回。婚外子が2人というから、私生活もややこしそうだ。実姉が、北九州市で生活保護を受けているのだが、これに対する支援もはねつけている。これで「いのちを育み、いのちを見守る思いやりと温もりあふれる福祉(公約)」などと言える立場だろうか。究極のセコさと言うしかない。

こういうセコい人が平気で都知事に立候補するというのも、大政党がそれを支援するというのも理解しがたい。知事になったら、オリンピックを舞台に、どんなセコいことをするのだろうか。

逆切れ市長選挙 [政治]

大阪の橋下市長が、辞任して再選挙をする。しかも12月には任期が切れるからもう一度選挙になるという。理由は、彼の大阪都構想に議会が賛成しないということだ。地方自治は2元代表制であり、議会が首長の意見に従う必要はない。議会の決議は民意として受け入れる必要がある。

ところが、これを不満として、5億円もの負担を市財政にかけて、わざわざ市長選挙をやり直すのは、非常に醜い打算でしかない。市長選挙になれば、メディアへの露出度が、橋下ほど多い有名人の対抗馬は見つけにくい。選挙で人気をアピールすることで、議会に脅しをかけようということだ。我儘でしかない。

しかし、市長の再選挙をやったところで、議会には何の関係もない。時間をかせいで、その間に個々の議員に工作するつもりだろう。

市長は市民のために尽くすのがその使命なのだが、橋下市長には、党利党略しかない。勝負に勝つことしか考えておらず、そのために大阪市民が迷惑しようが顧みない。大阪市民は自分の政治構想を進めるための手段でしかないと考えているのだろう。

実際のところ、議会を解散して銀選挙を行ったとしても維新は数を減らすだけだ。堺で負けて、岸和田で負けて、維新は落ち目になっている。維新は、橋下人気に便乗したろくでもない議員の集まりだからだ。橋下に迎合するしか能のない議員たちは、何の実績も示せていない。

メディアの勝者である橋下市長のあまりな傲慢振りを許す大阪市民も情けないのだが、メディアを支配するものが勝ちという現実は根深い。今の選挙制度では、例えば共産党が推薦する候補が、橋下ほどメディアに登場することは考えられない。メディアに登場しなくとも、政策や人柄が染み渡るような、じっくりと訴えられる選挙制度が必要だということだろう。


東京都知事選を総括してみる [政治]

東京都知事選挙の感想は前に書いたが、舛添要一:211万2千票、宇都宮健児:98万2千票、細川護熙:95万6千票、田母神俊雄:61万8千票という結果だが、この得票分析をもう少ししてみよう。

舛添は、下馬評どおりに当選したわけだが、過去の知事選挙で15%しか取れなかった実績があるから個人票が期待できないのは当然だろう。枡添が金に汚いことは知れ渡っているし、結婚3回、婚外子二人など素行も良くないから女性票は逃げる。明らかに、自民・公明・連合の組織戦の結果だ。組織票で舛添でなくとも当選させることはできた。しかし、猪瀬が取った430万票65%から見れば大きな後退ではある。前知事のお墨付きが猪瀬には大きく寄与していたことがわかる。知事選では現職知事の張り巡らした利権ネットワークの力が大きい。

考えてみれば舛添が自民党の候補になるというのもおかしなものだ。舛添は自民党を除名になった人物である。民社党の政権交代にあわてふためき、泥舟から降りるつもりで新党結成に走った。こういった候補を立てた裏には、自民党がもはや都民の心が読めなくなっているということがある。青島以来、何回やっても自民党が立てた候補は当選できないことが20年も続いている。自党の候補を立てる自信を失ってしまっているのだ。争点隠しもやったので、これでは大手を振って原発推進というわけにも行かない結果となった。

マスコミ報道では、舛添・細川の対決という見方が強かった。反原発の世論は60%を超えており、知名度抜群の細川・小泉コンビの威力を大きな話題にしていた。ところが、ふたを開けて見たら、舛添の圧勝で、細川は宇都宮以下ということになった。

細川が振るわなかった理由はあきらかで、最初から「勝敗は問題ではない」などと、やる気がなかった。反原発のパーフォマンスがやりたかっただけで、当選して粉骨砕身都民のために働くなどという意気込みは、さらさらなかったと言える。負けても残念な様子は見えない。これでは、ブームを起こして爆発的な集票などは当然期待できない。

実際、いくつかの運動が、尻馬に乗って細川への鞍替えを策したが、討論会にも応じず、公開質問状にも返答せずじまいだ。これでは、反原発のかなりを占める護憲勢力や反貧困勢力も大義名分上、細川に流れるわけに行かない。細川の立候補は反原発を割るための策略だったなどといううがった見方もできるくらいだ。

反原発勢力からは、細川に統一しろなどと言われた宇都宮だったが、結果的には細川以上の得票があった。反原発を第一に考えるならば、むしろ宇都宮への統一を考えるべきだったのだが、そんな声がまったく聞こえなかった。細川・小泉の過大評価があったことを否めない。こういった運動を率いる人たちにも、マスコミに踊らされない冷静な情勢分析が欠けていたのではないかと思える。

実際、宇都宮票は前回の対猪瀬戦よりも、投票率が低かったにも関わらず、1万票上積みしている。得票率では14.6%から20.1%だから、細川に票が流れたはずなのに、かなりの増加だ。前回の選挙でも、同じような政策、同じようなスローガンで戦った。政党で言えば、前回「日本未来の党」、「生活者ネットワーク」が支持に入っていたのだが、今回は支持から落ちた。前回自主投票だった民主も、はっきりと細川に回った。これだけ見れば、かなり得票が減っても不思議はないのだが、得票が増加したのは何によるものだろうか。

実は、前回と今回では選挙陣営の大きな違いがある。宇都宮氏は、強烈な自己主張をアピールするタイプではなく、人の意見をよく聞いて担がれるタイプだ。この点が、急進派には物足りなさを与える要因だが、こういった候補は、だれに担がれているかで、選挙が違ってくる。

前回の選対本部長は上原公子で、市民ネットワーク系やPOSSE系が取り囲んでいた。これらは、革新的な勢力ではあるが、「共産党嫌い」が結構しみついている。別に嫌いであっても、まともに共闘すれば良いのだが、素人らしく、それを表に出してしまった。

ダブル選挙の最中だったから議員候補との連携も必要だったのだが、初鹿明博2回、山本太郎2回の応援をしながら、笠井亮など全く顧みられなかったし、共産党系の「明るい民主都政を作る会」は事実上選対からはずされてしまっていた。革新統一を実現したいという共産党が、耐え忍んで、かなり譲歩した選挙だったわけだ。選対本部の引き回しがおこなわれ、動員体制もぎくしゃくした。選挙の会計も不明朗な所が生じて公正ではなかったという。

今回は、生活者ネットが細川にまわり、宇都宮選対を手放した。POSSEも細川に接触しようとしたが、貧困について何も語らない細川に肩入れするわけにも行かなかったので残留した。それでも、前とは意気込みがちがう。結果的に引き回しがなくなり、そのため共産党系も選対に入ることができた。選対本部は活力が出たし、運動員の動員体制もスムーズになった。街頭演説の効率も高まり、聴衆も画期的に増えたという。前の選挙とは神輿の担ぎ手がちがうのだ。それが、今回の得票増に結びついたことになる。

共産党の志位委員長は、選挙では負けたが革新統一に踏み出せたことで、まるで勝ったかのように総括している。それはそうだろう。ここ30年あまり、孤軍奮闘を強いられ、20%を超える得票をしたことがない。今回の選挙では、共産党も含む統一戦線という戦術が有効であるということを如実に示せたことになる。次への期待が出来たわけだ。左翼人士も、ソ連が消滅した今、反スタなどと若者には何のことかもわからないことで粋がっているときではなく、あくまで政策の一致をもとに共同戦線を広げねばならないことを思い知るべきだろう。

一方で、田母神などという、一昔前ならキチガイとして相手にもさらなかった候補が60万票も取って、若者に浸透している。もちろんこれには石原が肩入れしたということも大きい。前知事利権が猪瀬400万票の原動力だったことは確かだ。枡添の圧勝が予測されていたので、自民党本流でない枡添に不満を持つ右派人士は気軽に田母上に廻ることができた。金もあったし、著名人も引き入れた。それにネトウヨや面白指向の若者が乗ったというところだろう。日本の経済がおかしくなり、一番の被害を受ける若者は、未熟さゆえにこういった排外主義に引きずられやすい。しかし、鬱憤晴らしはものごとの解決にならないことは、自然にわかって行く。地道な努力。実際、それしかないだろう。


NHKの乗っ取り---安倍の陰謀 [政治]

第一次安倍内閣があっけなくつぶれた。マスコミに叩かれて、憔悴した首相が腹具合が悪いことを理由に退陣したことは記憶に古くない。不況の最中、「美しい国日本」などという、あまりにも、庶民の生活を省みない姿勢が問われたのではあるが、彼はこれを「マスコミ対策に下手をした」と受け取ったようである。

第二次阿波内閣では、国会審議もそっちのけで、連日、マスコミ各社の社長と会食することに専念した。どんな鼻薬を効かせたのかはあきらかでないが、ともかくマスコミの論調を誘導することには成功したようだ。アベノミックスを宣伝できたし、消費税に関する論調も好意的に変わった。財政赤字をさらに悪化させて最悪の状態にしているのではあるが、マスコミはこれを問題にせず、叩いているものはいない。

マスコミ対策さえしておけば、何でもできる。どうも、そういう結論になったようだ。それではと言うことで、こんどはNHK対策に乗り出した。NHKは「公共放送」を自認している。NHKに言わせれば民放は「商業放送」であり、金儲けの立場から放送するが、NHKは、国民から視聴料を戴いて、公共の立場から放送するものだということだ。もちろん国営放送ではない。放送法という国の法律で守られてはいるが、経営委員は国が直接支配するものではない。あくまでも、独自の公平な基準にしたがって放送するとしている。

ところが、許認可権をもつ国の影響は実は大きい。これまでも国営放送だという批判が寄せられてきている。この批判に居直る形で、経営委員に側近を送り込んだのが、今回の騒動の始まりだ。籾井という、聞く耳を持たない極端右翼を会長にした。長谷川などという狂信的右翼も経営委員にした。安倍のNHK乗っ取りがはじまったのだ。

就任する早々、籾井発言というものが現われた。従軍慰安婦は世界各国でやっていたなどと、世界からあきれられる認識を披露した。長谷川は右翼テロリストを賞賛する発言で世の中を驚かせた。NHKはとんでもない異端の右翼に牛耳られることになったのだ。もちろん、経営委員の中には、以前から出来るだけ、公平を、少なくとも装おうとする委員もいる。籾井は、こういった委員に、日付抜きの辞表を提出させた。

なんという露骨な支配だろう。会長の意に反する姿勢を見せたら、いつでも解任することができるという保障を作ったのだ。多くの人が異論を唱えるようなことを強引に進める宣言のようなものだ。籾井の脅しは続く、「政府が黒と言うものを白と言うわけにはいかない」などと、自分のバックには安倍首相が率いる政府があることを誇示するし、自分の右翼路線が政府と一体のものであることも隠さない。

社会の公器である放送を、まっとうな形で進めようとする現場のジャーナリストにとって、このような乗っ取り私物化と戦うのはたやすいことではない。下手をすれば、首を切られるし、気に入られなければ干される。しかし、考えて欲しい。ここがジャーナリストとしての正念場ではないのか。なにも、給料をもらうためだけに報道の世界に踏み込んだのではないはずだ。

インターネットがどんどん発達している今、テレビだけがメディアであり続けるわかがない。NHKにしがみつくことでジャーナリストとしての自分を捨てることのないように、しっかりと考えて欲しい。我々報道の受け手も、良心的なジャーナリストの奮闘を支援していかなければならないと思う。

「名ばかり管理職」に残業手当を払えという大統領命令 [政治]

管理職というのは給料を決められる立場のことだ。しかし日本にはそんな権限もない「名ばかり管理職」が多い。それどころか、「店長」などと称してあらゆる業務の尻拭いを全部しなければならない労働者もいる。バイトチーフなどといって、アルバイトの身分であるにも関わらず、とんでもない責任を負わされている人もいる。

管理職だからということで、いくら働いても残業手当はつかない。まったく管理職でない専門技術者なども、法改正をして裁量労働などということで、「定額使い放題状態」にされてしまっている。サービス残業などという時間外勤務が当たり前という状態さえ見られる。しかし、政府はこれを規制しようとせず、これをますます拡大しようとしている。

多くの人はこの動きを、仕方のないことだと諦めているようでもあるが、これはやはり異常なことなのである。世界の政治家の中でも超超大物であるアメリカ大統領が、真正面からこれを取り上げ、是正しようとしているのだ。
ニューヨークタイムスによれば、オバマ大統領は大統領権限で、アメリカ企業に、white colour exemption で残業手当をもらっていない人の多くに残業手当支払いの指示をだすそうだ。

white color exemption で、残業手当なしの雇用の先端を走ってきたのは確かにアメリカであるが、アメリカという国の偉大なところは、誤りを正すことができるということだ。かつて奴隷制度を持っていたが、自らの血を流してこれを廃止した。黒人差別についても、真摯な反省が見られる。日本がダメなところは、こういった反省がなく、誤りを正せないところだ。安倍内閣に至っては、過去の戦争に対する反省さえ打ち消そうとしている有様だ。反省のないところに進歩がないのは当たり前だ。

オバマ大統領は、残業手当だけでなく、最低賃金も$7.25から$10.1に引き上げるとしている。時給1000円以上を全国一斉にやろうというのだ。日本では共産党以外の政治家は腰を抜かすような政策である。もちろん、アメリカ大企業はこれに反対であり、抵抗している。大企業がこぞって反対しても、敢然と立ち向かう大統領がいるということがすごい。日本では、財界と真正面から対決する気概を持った首相が現われたことは一度もない。

ニューヨークタイムスの記事を引用しておこう

President Obama this week will seek to force American businesses to pay more overtime to millions of workers, the latest move by his administration to confront corporations that have had soaring profits even as wages have stagnated.
オバマ大統領は今週、何十万にもの労働者に残業手当を出すようアメリカ企業に強要する意向を進めるつもりだ。これが、利益を溜め込んで賃金を停滞させたままにしている企業に対応するオバマ政府の最新の動きである。

On Thursday, the president will direct the Labor Department to revamp its regulations to require overtime pay for several million additional fast-food managers, loan officers, computer technicians and others whom many businesses currently classify as “executive or professional” employees to avoid paying them overtime, according to White House officials briefed on the announcement.
ホワイトハウスが発表したところによれば、大統領は火曜日に労働省に残業手当に関する規定を見直しを行い、ファーストフード店長や、ローン会社の事務員、コンピュータ技術者など現在では管理職とか専門職として残業手当が支払われていない何十万人の人々に残業手当の支払いを指示する。

Mr. Obama’s decision to use his executive authority to change the nation’s overtime rules is likely to be seen as a challenge to Republicans in Congress, who have already blocked most of the president’s economic agenda and have said they intend to fight his proposal to raise the federal minimum wage to $10.10 per hour from $7.25.
オバマ氏が大統領権限を使って国の残業規則を変えようとする決意は、大統領の多くの経済政策を阻止してきた議会共和党からは挑戦と見られ、大統領が最低賃金を時給$7.25から$10.1に引き上げようとすることにも反対で戦うことになる。

Mr. Obama’s action is certain to anger the business lobby in Washington, which has long fought for maximum flexibility for companies in paying overtime.
オバマ氏の動きが、これまでずっと会社の残業手当てについての規制緩和に励んできたワシントンの財界筋からの怒りを買うことは必至だ。

Cecilia Munoz, the director of the White House Domestic Policy Council, said the overtime expansion is a way “to fix the system so folks working hard are getting compensated fairly. That’s why we are jump-starting this effort.”
ホワイトハウスの国内政策担当官であるCecilia Munozは、「残業手当の拡大は頑張って働く人々が、公正に報われるように社会の仕組みを立て直すことだ。だから、我々は、この思い切ってこれに取り組むのだ」と言っている。

橋下市長の人を見る目 [政治]

大阪の橋下市長は、独断でものごとを進めるのが好きだ。ぐずぐず相談するばかりで一向に決断しないという通常の偉い人と際立った違いを見せて、これを評価する人も多い。自ら言い出した民間人採用で、区長18人をあっという間に決めてしまった。一年後、3人が不祥事で後送されることになった。橋下市長は、自分の責任を認めつつも、人事更送なんていっぱいあるなどと言い訳している。人を見る目がないということかもしれない。

18人中3人というのは、普通ありえないほどの高率だということはだれでもわかる。明らかに橋下氏の人事は失敗だった。おそらく、橋下イズムへの共鳴度などという、変な判断基準を持ち込んだせいだろう。区長として真面目に仕事ができる人物かどうか、区長として行政を行うのに十分な知識を持っているかどうかが普通の判断基準であったはずだ。3人は真面目に仕事をするという自覚に欠けていた。

逆切れ市長選挙をやるなど、橋下氏というのは、思ったより頭が悪い人物であることは確かだが、橋下氏だって、真面目に仕事に取り組めるかどうかを、どうでも良いことだとは考えていなかっただろうから、じっくりと話し合って決めれば、もう少しましな結果になっただろう。市長は多忙で、そこまでやれないのが実情だ。要するに、何でも独断で決めるというのには無理があるということだ。

民主主義は、手続きが面倒で、まどろっこしい所がある。衆愚政治に陥り、必ずしも正しい道を選ぶとは限らない。ナポレオンのような天才に権限を与えれば、手早くそして正しく進められるのではないかとも考えられる。しかし、人類は長い経験で、たとえ遠回りであっても、結局は民主的手続きを経ることで、大きな過ちを回避することが重要だと学んだのである。

ナポレオンはヨーロッパに大きな犠牲をもたらした。日本でも、権限を天皇に集中する体制は、結局200万人の日本人、2000万人のアジア人犠牲者を出した。いくら右翼の人でもあの戦争が成功だったとは言えないだろう。歴代天皇がバカだったわけでもないし、極端な悪人だったわけでもないと思う。権限が集中すれば、実際に物事を決める情報ルートが極めて限られ、またそれを利用しようとする力学も働く。複雑な社会では、そういった権限集中システム自体が機能しないのだ。だから、現在では王政を敷いている国はほとんどない。

ところが、日本政府はこうした人類の獲得した英知に学ぼうとしていない。やろうとしていることは、道州制だとか、教育委員会の骨抜きだとか、閣議で憲法解釈まで決めてしまうとか、権限の集中を目指すものばかりだ。やりやすさを求めた、安直な政治は、道を誤る。この点ではアメリカに少しは学ぶべきだ。アメリカでは教育は、各市町村の教育委員会に完全にゆだねられており、大統領といえども口出しできない。中央政府には文部省のような省庁すらない。地方自治の独立性や三権分立も厳しく守られている。この面倒な制度が未開の地アメリカを世界一の強国にし、いまなおその地位をゆるがしていない所以でもある。

一般市民からかけ離れた政治----みんなの党 [政治]

DHCの会長が「みんなの党」渡辺喜美に8億円の選挙資金を渡したことを暴露した。仲違いの結果であるが、驚くのはその金額だ。ロッキード事件の田中角栄でさえ5億円だから、これは、およそ普通の「みんな」には縁の遠い金額である。これが選挙資金であったとすれば、報告されてないことは明らかな法律違反だ。しかし、この金額は、もし選挙費用であったと報告されていたら、やはり法律違反になることは疑いない。なぜなら、選挙に使える金は決まっているからだ。運動員に給与を払ううことは禁じられているし、ポスターの数やビラの数も制限されている。こんな大金を個人が合法的に使うことはできないはずだからだ。

こんな大金を、選挙がらみで動かしているということは、「みんなの党」とは裏でいろんな取引をしている党派だということになる。野党的ポーズを取っていたみんなの党が、一転、秘密保護法の賛成に回ったのは記憶に新しい。維新との合同のために、20億円かかるなどと言って資金を要請していたとなると、「維新」もやはり、金で取引する政党だったということだ。こういった政党が、表でなにやら主義主張のようなことを述べ立てていても、まともに聞いてはいけない。うらで金をやり取りして物事を進める政治が行われているということだ。昔からの保守の腐敗体質は変わっていない。

渡辺喜美側の見解は、選挙資金とはかかわりのない個人的な借金だということだ。すでに5億円を使ってしまったと言っている。いったい何に個人的に使ったのか?そもそも、年収3000万円の国会議員が、5億円も借金を個人的に使って、返すめどがあるのかと思ってしまう。簡単に返せるというのなら、一体どこから収入を得ているというのだろうか。どこかで裏金を稼いでいることを自白したようなものだ。

出すほうも8億円などという金を平気で、利子に関する話もなく手渡すというのだから驚く。いずれにせよ、「みんなの党」「維新」「自民党」などというのは、一般市民の常識では、考えられないような金額の金を動かしている人たちの政党であることが、今回の暴露ではっきりした。およそ「みんな」とはかけ離れた政治が行われているのだ。

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「維新」・「みんな」はどうなるか? [政治]

「維新」が躍進し、みんなが急上昇してきた時にこのブログでは、消滅が近いことを予見しておいた。小選挙区制の下では、漸進的な党派の成長は起こり得ない。中選挙区や大選挙区では、少しづつ、実績を積み上げていくことによって、徐々に勢力を拡大していくことができるが、小選挙区制ではとにかく一位にならなくては何の実績も作ることができない。政権政党以外は圧倒的に不利となる。

アメリカのように議会と政府の役割がはっきりと分離されておれば、それぞれに牽制させる作用が働き、二大政党制が成り立つのだが、日本のように政府が議会までコントロールする仕組みの責任内閣制では、一党に利権が集中する。結果的に、二大政党制さえ成り立たなくなる。よらば大樹の陰効果があまりにも強すぎるのだ。

唯一頭を持ち上げられるのは、何の実績もなく、単なる期待感だけで議席を獲得するブーム政党であるが、それではブームが終われば消えて行くしかない。民主党も一時はブーム政党だった。小選挙区制と言うのは、地道な政策論争で持続的に政治の新しい流れを作って行くことができないしくみなのだ。

「維新」や「みんな」は、特に新しい流れでもない。多数派保守に近い政党の場合、受け入れられやすい素地がある。だからブームを獲得しやすい。保守から分離してブームとなり、そして消えていった政党は、過去にも「新自由クラブ」だとか「さきがけ」などという先例がある。

ブームは決して長続きせず、小選挙区制ではブーム政党の凋落は早い。2位では当選できないのだから少し人気が陰れば、全滅する。大阪府議会も、実質的にはかなり小選挙区に近いので、次の選挙での「維新」議席は壊滅的な結果になるだろう。おそらく、維新の議員たちは古巣の自民党になんとか復帰しようと躍起になっているのに違いない。国会議員もまたしかり、おそらく何人かが自民党の中で「元維新派」になるのが精一杯だろう。

「みんな」もこれまでとは違った保守として一部の人気を集めたのだが、DHCの会長とか、財界・金持ちの丸抱え政党であったことが、渡部8億円問題で明らかになってブームを終わらせることになった。やはり、自民党の派閥として生き残ることに保身の道を求めるだろう。

こういうことで、右からの変化すら、小選挙区制がつぶしてしまうことになった。戦後50年以上に渡って続いた自民党=財界の一党独裁体制はまだ続く。新自由クラブとか新生党とか、「さきがけ」だとか、これまで、なんどもこういった茶番を見ては来ているのだが、まあ実際のところ、飽きずに同じ期待を繰り返している。今後も、自民党の一部が飛び出して少し違うことを言うたびに、あらたな期待を抱いたりするだろう。どうせまた、つぶれて自民党に吸収されるのだが。なかなか学べないのだ。マスコミが完全にこういった保守政治家たちの手に握られていることも厳しい。

しかし、手のひらの上で転がされているような状況が未来永劫に続くことはないはずだ。あの強固な、武士の特権に守られて制度上決して壊れることはないと思われた徳川幕府だって、あっけなくつぶれた。90%を占める庶民が、10%の金持ち支配を崩すのに命がけでやる必要もない。投票という簡単な行為で物事は進むのだ。ただ、それを学ぶのにまだ時間がかかるということなのだろう。



「みんな」渡部党首の不可解な辞任 [政治]

「みんな」の渡部党首が辞任すると発表した。「やましい事は何もない」なら、なぜ辞任なのか、不可解ではある。このままでは次の選挙が危ないと踏んだ党内の反発の結果だという。そんな事は党内の都合でしかなく、この問題の本質には関係がない。人々が望んでいるのは、8億円が、どのように動いたかをはっきりさせて欲しいということだ。政治が8億円の金と、どう関わっているのかという疑念を解明するのが一番望まれていることだ。

話は簡単である。渡部氏が使い道と、返済金の出所を正直に語ればよい。「みんな」の議員たちが、何を受け取ったか正直に話せばよい。それをやらずに、辞任で幕引きを図るのは、渡部氏と「みんな」議員たちが共謀して事件を闇に葬ろうとしていることを示しているだけだ。

DHC吉田会長が出した8億円が、渡部個人への政治献金だとしたら違法である。政治家への献金は禁止されている。渡部氏に迂回した「みんな」への政治献金だとしたら、政党は報告義務を負っており、報告がなければ違法である。8億円もの金が使われる選挙の実態とはどういうものかは是非とも明らかにしてほしい。

説明としては、「個人的に借りた」だけで、全額返済したから問題はないという。熊手などで全額使ったと言っていたのに、実は5億は妻の口座に入れてあったというのだから、ウソをついていたことは確かだ。これについての謝罪はない。この点は重要な事だ。多分個人的な贈与が借金に変わったのだ。

8億円の裏事情はおそらくこういうことだろう。

消費税が上がって、多くの人が僅かな金がないことで苦難しているのに、借用書も取らずに何億もの金を政治家に渡す金持ちもいる。化粧品の販売で、社員の給料を値切って富を築いたDHC吉田会長が8億円を出したのは、「みんな」を維新と合併させるためだった。「維新と合同するために金が要る」と渡部が金をせびった時の口上にがそれを裏付けている。

こういった金持ちにとって、維新を強化するのが、将来のために好ましいことである。自民党は官僚とくっついて、あたらずさわらずの政策しか出さないが、維新なら「改革」を口実に、もっと露骨な金持ち優遇が出来る。金持ち優遇政治を続ける自民党政権は、すでに批判を浴びている。民主党に政権を奪われたりもするから、このままだと金持ち優遇政治が途切れるかもしれないという不安がある。金持ちは、もっと確実な政権受け皿となる野党を準備しておきたいのだ。

金を渡して政党の方針を左右するのは一種の政党買収であるが、渡部はこれに応じた。盛んに、野党再編と言って維新に近づいた。8億円はこういった政策の代金なのである。選挙の供託金などに使ったということも憶測されているが、多分これは違うだろう。供託金なら、堂々と「みんな」に寄付して使えば良い。

「使ってしまった」と言っていたのはウソで、実際には、妻の口座に移してしまいこんでいたというのが、最近の弁明で、これを返したという。使ってしまったのなら、新たに何億もの金を短期間で稼いだことになる。それが、簡単に稼げるくらいなら借りる必要もない。8億円は維新との合流路線を取るごほうびに貰ったのだ。だから、ちゃっかり、妻の口座に入れて隠しておいた。

ところが、大阪都構想の破綻で、維新が明らかな失速状態に陥り、渡部にとって、維新との連携に旨みがなくなってしまった。保身のため「みんな」は、自民党に擦り寄ることになり、一部は分裂して「ゆい」になって、維新との合流に進んだ。

DHC吉田会長は「ゆい」路線に肩入れしており、渡部に揺さぶりをかけた。買収に応じたはずなのに裏切った渡部から8億円を取り返そうとしたのだ。猪瀬の時もそうだったが、借用書もなく、よく大金を渡すものだと思うが、じつは、あの世界では借用書はいらない。8億円を渡したことを暴露するだけで、「あれは、借金だった」と言うために返さねばなくなる。政治家に「貸す」と「やる」の区別は必要ない。

無事8億円が返り、DHC吉田会長は満足して「立派だ」などとコメントを出した。これだけのことである。渡部が「みんな」の党首を降りることになったのは、おまけである。「反官僚」とか「改革」などというのは看板だけで、自民党とたいして変わらない理念を持つ右派系野党などと言うものは、金で動く存在でしかないと言う事だけは心しておくべきだ。秘密保護法の時も、土壇場で賛成に回った裏には、きっと自民党筋からの金があっただろう。


御堂筋の愛人向けマンション-----橋下発言 [政治]

このところ、すっかり落ち目の橋下市長だが、またもや「御堂筋に愛人の2、3人を住まわせて下さい」などと発言して顰蹙を買っている。冗談もわからないのかと逆切れしているが、この発言には冗談と済まされないところがある。

そもそも、橋下本人がクラブホステスと不倫をしたり、様々な実績を持っているのだから、軽く冗談と受け取れない側面が出てきてしまう。会場にいた橋下氏の維新のお友達には本当にこれをやりかねない人がいても不思議ではない。橋下氏は、金持ち経営者を集めた講演会で聴衆に呼びかけているのである。

冗談にも事欠いて、こんな下劣なことを言わねばならなかったというところに本質的な問題がある。大阪の御堂筋は、ビジネスの中心街であった。大会社はここに本社を置くなど、大阪の賑わいを象徴するものであった。銀座などと違って、大通りだし、銀杏並木の美しさと風格もある町並みだった。

ところが、近年は、大会社の本社を軒並み東京に奪われ、いまでも決して賑わっていないわけでもないのだが、相対的地位は下がってきている。ビルも多くは70年代80年代のものであり、東京のように建替えが進んで高層化しているわけではない。オフィスビルの空き室率も東京より高い。大会社の本社が東京に奪われただけでなく、支社も東京との行き来に便利な梅田・大阪駅周辺に移っていったからだ。

橋下氏の発想の特徴は、大阪都もそうだが、何でも東京のまねをしたがることにある。御堂筋を高層ビルの街にすることが活性化だと考えるのだ。ビジネス街としての建替え、高層化が進まないなら、高層マンションを建てれば良いという安直な考えになった。これまで、御堂筋の銀杏並木景観は、ビルの高さ制限や2mのセットバック規制で守られてきたのだが、これを規制緩和で取っ払い、無制限に高層ビルを建てられるようにした。

ビジネス街だから、当然地価は高い。マンションを作っても、やたら高いものになる。いったい、こんなところの高級マンションに誰が住むのかという疑問が出てくる。市が、公共の予算を使って、そんなマンション建設を誘導することに何の意味があるのか。

橋下氏の「愛人の2、3人を住まわせて...」といった発言は、これに答えるものだ。ようするに、そうとでもしないと説明がつかないような、あほらしい計画なのだ。 富裕層のきらびやかな表面だけを見て、そのまねをしようとする浅はかな発想がその根底にある。大阪は庶民の町なのだが、橋下氏の目は、庶民を見ようとしない。今回の発言も、慰安婦発言と同様に、起こるべくして起こった根が深い事情を反映したものだ。

腰まで泥まみれ----集団的自衛権を言い出す日本 [政治]

「腰まで泥まみれ」(Waist Deep In The Big Muddy)と言う歌がある。ベトナム戦争の頃に歌われたピートシーガーの名作の一つだ。1942年の行軍訓練事故を歌ったものだが、隊長が新兵を引き連れ、重装備で膝まで来る泥沼を渡ろうとする。怖がる兵隊を叱咤して進ませる。やがて腰まで沈む深さになり、首まで沈む深さになり、勇気があるところを見せていた隊長は、あっと言う間に水没して、ヘルメットが水に浮かんだというすじのバラッドだ。アフタービートの効いた軽快なギターのリズムで歌う。

根拠のない楽観論というのが主題で、今の日本の状況はまさにこの歌がふさわしい。軍備をどんどん拡大し、集団的自衛権の行使まで言い出した。しかし、いくら安倍でも、まさか地球の裏側まで行って戦争はしないだろうと多くの国民が楽観している。憲法を好きなように解釈できても、好んで戦争なんかしないだろうと楽観している。

第二次世界大戦の時もそうだった。中国に出かけて小競り合いをやっているが、まさか世界を敵に廻して戦争はしないだろうと楽観していた。膝まで泥まみれだったが、そんなに深くなるとは思っていなかったのだ。真珠湾攻撃でも、本土空襲になるろなどとは考えていなかった。戦争は、途中で止められなかった。どんどん泥は深くなり、200万人の日本人と2000万人のアジア人が死んだ。

ベトナム戦争でもイラク戦争でも、アメリカからの要請はあったが、日本の出兵は憲法で禁じられているというのが、大きな歯止めになってきた。この65年、日本に戦死者は1人もでていない。集団的自衛権=海外出兵を言い出せば、憲法が完全に無視されてしまうことになる。まさに底なしの泥沼である。

♪膝まで
♪腰まで
♪首まで ♪泥まみれ♪♪

Waist Deep In The Big Muddy

It was back in nineteen forty-two,
I was a member of a good platoon.
We were on maneuvers in-a Loozianna,
One night by the light of the moon.
The captain told us to ford a river,
That's how it all begun.
We were -- knee deep in the Big Muddy,
But the big fool said to push on.

The Sergeant said, "Sir, are you sure,
This is the best way back to the base?"
"Sergeant, go on! I forded this river
'Bout a mile above this place.
It'll be a little soggy but just keep slogging.
We'll soon be on dry ground."
We were -- waist deep in the Big Muddy
And the big fool said to push on.

The Sergeant said, "Sir, with all this equipment
No man will be able to swim."
"Sergeant, don't be a Nervous Nellie,"
The Captain said to him.
"All we need is a little determination;
Men, follow me, I'll lead on."
We were -- neck deep in the Big Muddy
And the big fool said to push on.

All at once, the moon clouded over,
We heard a gurgling cry.
A few seconds later, the captain's helmet
Was all that floated by.
The Sergeant said, "Turn around men!
I'm in charge from now on."
And we just made it out of the Big Muddy
With the captain dead and gone.

We stripped and dived and found his body
Stuck in the old quicksand.
I guess he didn't know that the water was deeper
Than the place he'd once before been.
Another stream had joined the Big Muddy
'Bout a half mile from where we'd gone.
We were lucky to escape from the Big Muddy
When the big fool said to push on.

Well, I'm not going to point any moral;
I'll leave that for yourself
Maybe you're still walking, you're still talking
You'd like to keep your health.
But every time I read the papers
That old feeling comes on;
We're -- waist deep in the Big Muddy
And the big fool says to push on.

Waist deep in the Big Muddy
And the big fool says to push on.
Waist deep in the Big Muddy
And the big fool says to push on.
Waist deep! Neck deep! Soon even a
Tall man'll be over his head, we're
Waist deep in the Big Muddy!
And the big fool says to push on!

安倍さん、嘘ごまかしはいけません。 [政治]

昨今の安倍内閣がやっていることは、あまりにも嘘、ごまかしが多い。オリンピックの誘致で、福島の事故は完全に収束しているかの嘘をついた。それだけではない、社会保障のためと言って通した消費税は、早くも法人税減税の財源に化けた。次期は明示しなかったが、脱原発依存といっていたのに、原発を重要なエネルギー源と位置づけた。TPPの重要5品目維持は消えたも同然だ。すべて嘘である。

集団的自衛権では、砂川判決で最高裁が認めたなどと言い出した。砂川では、米軍の基地が、憲法9条に違反しているかどうかが問われたのであり、集団的自衛権などということは出てきもしない。岸首相がその直後の答弁で、はっきりと集団的自衛権は認められないと言っているくらいだ。ごまかしもいいところだ。

そもそも、憲法の解釈を自由に閣議で決められるなどということがおかしい。権力を取ればこちらのもの、なんでもやり放題という発想があるようだ。嘘をつこうが、ごまかそうが、多数派なら何でも許されると思っている。「僕が民意だ」などと言った橋下さんと同じだ。

世の中には多数派もいるし、少数派もいる。多数派が何でも出来るなら、ウクライナ東部ではロシア人が抹殺されてもいいのか?逆にクリミアではウクライナ人を抹殺することになる。多数派と少数派が互いに相手を尊重しあい、どうしても意見が異なることを決めなければならない場合、少数派の納得の元に、多数意見を取るのが民主主義の知恵だ。

こういった、多数さえ取れば勝ちといった考え方は、金で買えないものはないと言った堀江さんの考え方ともつながる。金での解決をごり押ししない。多数での決定をごり押ししない。それが、人間本来の温かさであり、それをなくしたら、人間は一番凶暴な動物でしかない。

いくら、多数でも、嘘やごまかしは、やってはいけないことなのだ。

百田尚樹の大馬鹿者発言 [政治]

あまりにも品性がない。いやしくも、日本最大のマスコミの責任者がこれである。

「侵略されて抵抗しない国と、侵略されたら目いっぱい自衛のために戦う国、どちらがより戦争抑止力があるかというリアリテイーの問題だ」ということだが、「海外に出かけて、武力でちょっかいを出す国と、平和外交に徹する国と、どちらが戦争に巻き込まれやすいかというリアリティーの問題だ」と返したい。

武力で国を守ろうとすれば、世界最強の武力を持たねばならない。何しろ攻めてくる国は選べないのだから。ちっぽけな面積の国にそんなことは不可能に決まっている。強い国の尻尾にくっついて、海外で武力ちょっかいを出すとすれば、恨みも買うし、ますます戦争に巻き込まれる危険が増える。まさに生兵法怪我のもとだ。

戦争は悲惨なものだ。戦争が始まれば、勝とうが負けようが、多大な命が奪われ、死んだ人にとってみれば、どっちにしろ、自分の命は終わっている。勝ったところで損害は消えない。世界のどの国とも対立を大きくせず、戦争を起こさないようにする努力が大切なのに決まっている。軍備で国民の幸せは守りようがない。

私は非武装論者で、軍備は全くのムダ使いだと思っているが、中には自衛力まで放棄することに不安を持つ人たちがいること知っているし、そのような人たちが専守防衛の自衛力を持ちたいということを理解はする。しかし、日本はそのような時点にいるのではない。「集団的自衛権」(こんなものは、「自衛」ではない)とやらで、自国が攻められなくとも、海外での戦争に首を突っ込もうとしているのだ。

戦争はゲームではない。軍事をもてあそぶ政治家たちに媚びて、報道人の責任をわきまえない発言を繰り返すものこそ、大馬鹿者である。

号泣議員を生んだ有権者 [政治]

西宮選出の兵庫県議会議員、野々村竜太郎が記者会見で号泣してわけのわからない言動をしたことが話題になっている。政務調査費を使った出張として、城之崎温泉などに192回も行った旅費を請求していたことが発端だ。領収書もないから多分カラ出張だろう。

まあ、何とも言えない低レベルな話だが、こうした議員を選んでしまう市民の問題の方が実は深刻だ。落選を繰り返していたのが、「西宮維新の会」を名乗り、「国歌・国旗を尊ぶ、愛国心を育む、閉塞感を打破する」を旗印にして当選を果たしたという。大体、地方議会に、こんな右翼旗印を掲げるだけでろくでもない人物だとわからねばならない。暴力団の旗印はすべて「愛国」だ。

ところが、現実に、西宮市民は、彼を県議会議員に選んだのである。西宮というのは、関西では、まあ品格のある町であると言われている。市民がカラ出張容認派でないことは明らかだ。それでもこんな人物を県議に選ぶのだ。選挙に対する真剣さが足りない。

他の町を笑ってはおられない。私の地元である茨城県民は、もっとアホかもしれない。人口密集地帯に近い東海の原発再稼動について、65%の県民は反対である。にもかかわらず、反対とは決して言わない知事を選んでしまっている。県議会はもっとひどい。原発に反対でない議員(賛成であることを隠している議員)は、実に97%なのである。消費税に関しては県民の63%が反対なのだが、県議会総務委員会では全員一致で請願不採択となった。なんという「ねじれ」だろう。

県議会の賛否投票をみれば、知事提案の案件全てに、ほとんど全ての議員が賛成してしまっている。共産党の2名以外の63名がすべて与党なのだ。これでは議会運営も無茶苦茶になる。代表質問は与党だけがやって野党にはやらせない。一般質問は年間30人に限定されている。つまり、議員の半数以上が全く発言しないというものだ。議会の議論は低調そのものになる。

こんな県議会の有様をほとんどの有権者は知らないだろう。結果として、茨城県というのは、全国8位の財政を持ちながら下のような惨憺たる状況だ。原因は有権者の意識が、投票行動と乖離してしまっていることにある。政策に対する意見で投票するのではなく、「知り合いに頼まれた」とか「テレビで見た」とか「イケメンである」とかで投票する。

日本では選挙をあまりにも粗末にしているとしか言いようがない。戦後、今まで一度たりとも自民党とその亜流(民主党も元自民党がかなりいる)の政治から抜け出たことがない。何度選挙をしても政治が変わることがなかったという悪い経験が積み重なってしまっているのが問題なのだろう。

西宮市民が野々村県議を選んでしまったという問題は、全国全ての有権者に当てはまるものなのである。


    茨城県のランキング
  • 老人ホーム定員数(65歳以上人口千人当たり)……… 38位
  • 身体障害者更生援護施設数(人口100万人当たり) … 47位
  • 知的障害者援護施設数(同)…………………………… 46位
  • 児童福祉施設数(人口10万人当たり)………………… 40位
  • 保育所数(0~5歳人口10万人当たり)………………… 35位
  • 一般診療所数(同)……………………………………… 46位
  • 医師数(人口10万人当たり)…………………………… 46位
  • 看護師・准看護師数(100病床当たり)…………………44位
  • 保健師数(人口10万人当たり)………………………… 38位
  • 民生費(人口1人当たり県・市町村財政合計)…………44位
  • 老人福祉費(65歳以上人口1人当たり・同)……………43位
  • 児童福祉費(17歳以下人口1人当たり・同)……………41位



中国脅威論のまやかし [政治]

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桜井よう子なるうさんくさいおばさんが講演していた。中国の軍事的脅威が高まる今、改憲して軍事強化が必要だというのである。まさかこんなでたらめを信じる人がいるとは思われないのだが、実際には騙される人も多いみたいだ。中国が非軍事の方向に向かっているというと、驚く人が多い。

各国の軍事費を比較するのは、なかなか難しい。ドル立てでは、為替レートが問題になる。円安で日本の軍事費が大幅に減ったわけではないだろう。国家予算に占める軍事費の割合というのも、体制によってかわる。アメリカの軍事費比率が、極端に高いのは教育や警察が、州政府の予算になっているからでもある。財務省が発表する日本の防衛費比率も、大きな額の国債費を分母にいれているのがおかしい。国債費には、軍事に使った費用も含まれている。

GDPに対する防衛費の比率なら、制度にも為替レートにも影響されないようだが、軍事費の範囲が難しい。例えば日本では自衛官の年金などは防衛費とみなしていないが、ドイツでは軍事費に含めている。中国では人民解放軍をダム建設に振り向けているが、日本ではダム建設は公共投資の予算枠だ。中国の軍事費が多く見えてもその内容の比較は難しい。

しかし、毎年の基準は同じだから年次変化というのは正直だ。GDP比率が高まっているのか、低くなっているのかの動向が、その国の軍事化度合いを示していることは間違いがない。上の図は資料をグラフ化してみたものだ。中国は、内戦を経ての建国という経緯から軍が強力なのは事実だが、軍事費はどんどん比率を下げている。国家予算を軍事以外の方面に廻す動向が進んでいるのだ。

中国は、GDPが増えているから、金額は増えているが、物価や賃金も増えているから、増加分は、350万の兵士を食わせて装備させるのに、多く費やされる。海を渡って攻めだすような最新兵器は、自衛隊にはるか及ばないままだ。

かつて冷戦時代には、日本はソ連に直面していた。大陸間弾道弾や水爆をふんだんに持ったソ連の軍事力は、言うまでもなく強力なものだった。今日の中国の比ではない。あの時代を日本は、今の半分以下の軍事費ですごしてきたのだ。対中国で軍拡が必要だなどという馬鹿な話はない。

  防衛費比率を削減して行くのは、中国だけでなく、世界の流れでもある。ドイツもかつての半分以下に軍事費比率を減らしてきている。今や、日本の軍事費比率はドイツを上回るようになった。どの国も、社会保障や年金など切迫した問題を解決するために、軍事費を減らすことをいとわないという選択をしているのだ。中国もそうした国の1つだ。国の重要な施策をほったらかしにして、軍事費を保っているのは日本だけと言ってもよい。とりわけ安倍内閣になった近年は、軍事費が増えており、世界唯一の軍拡国になってしまっているくらいだ。世界に緊張をもたらし、アジアの脅威となっているのは日本なのだ。

明らかな時代錯誤である。今の世界は、軍事がものを言う時代ではない。軍事は問題を困難にするだけであって、どんな問題も解決することはありえない。そういう時代なのである。


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<追記>
中国の場合、為替レートは、GDP自体にもかかわり、換算がややこしい。上のグラフは2011年の換算レートに基づいたものだが、データの扱いによっては違いも生じる。傍証としてストックホルム国際平和研究所から出ている中国の国家予算に占める軍事費の割合を示しておこう。これも多くの人にとって意外なデータかもしれない。中国は確実に非軍事化の方向に進んでいる。日本での中国脅威論の煽り方は異常だ。

安倍内閣の女性閣僚  数はともかく中身が [政治]

安倍内閣が、5人の女性閣僚を入れた。数としては過去二番目ではあるが、その面々を見ると大きな疑問符が現われる。日本の女性は、大きな不当差別を受けている。これは、平均賃金を見ただけでも明らかだ。シングルマザーに至っては、その60%が貧困を強いられている。女であるが故の苦難は現実にある。こうした現状を打開するために、人口の半数を占める女性が立ち上がってしかるべきなのだが、この人たちはとてもそのリーダーにはなり得ない。

入閣した女性議員の経歴は、いずれもそういった女性の苦難とは無縁だ。家庭に恵まれ、女であることを武器に、有力者へのコネを広げていった経歴の持ち主ばかりである。かつて大日本帝国には、女性に選挙権すらなかった屈辱的な過去があり、政治家ならば、これに憤らなくてはならないはずだが、そんな様子は微塵も見られない。安倍内閣の復古路線に迎合してしまっている。性奴隷とされた慰安婦たちの苦難に、同性としての共感を一切見せない。消費税で家計のやりくりに苦慮している主婦たちへの共感すらもない。

唯一、女性らしさを見出せるのは、夫婦別姓への態度だが、それも2人だけだ。宗教への傾斜が強いのも、女性の弱さの反映かもしれないが、政治家としてはいいことではない。男にとりいる世渡り上手な女たちと言うしかない。

有村治子
父親が県会議員で、政治の裏道を心得ているらしい。ICUを卒業してアメリカに留学し、マクドナルドの社員となる。それが、2001年の選挙でいきなり国会議員になった。マクドナルドの会社が支援しただけでなく、酒屋業界とかかなり多くの新興宗教団体の支援をとりつけている。なかなかの世渡り上手だということがわかる。靖国崇拝、夫婦別姓反対、男女共同参画反対と超古式な政治信念の持ち主でもある。右翼団体日本会議のメンバー。これが「女性活躍担当相」では、女性の立場は変わらないだろう。

山谷えり子
父親がラジオパーソナリティーの山谷親平で、マスコミにコネがあった。これを利用してテレビ出演し、知名度で国会議員になった。民社党、民主党、自民党と次々に渡り歩く。利用できるコネはなんでも利用するということだろう。宗教団体は、自身がカトリックであると言いながら、統一教会、神道政治連盟、日蓮宗となんでも使う。あの排外主義者集団ザイトクともつながっているから、あきれる。夫婦別姓反対など古式な家族観に迎合しているやり手ばばあでしかない。


小渕優子
総理大臣の娘。多分、親父のコネでTBSに入社。テレビで顔を売った。親父の急死で国会議員を世襲した。なりあがりではないので、他の女性閣僚ほど男への擦り寄りはなく、夫婦別姓に反対するほどではない。しかし、議員でありながら大学院に通って、少子化を看板にして大臣ポストを獲得するなど、権力欲も強い。少子化担当相としては、結局何も有効な施策はしなかったと言える。少子化問題は入閣の手段だから、経産相になれば出世と考えるのだろう。身代わり出馬から、しぶとく生き残り入閣にたどりついたのは恵友会の資金力のたまもので、今も資金管理団体である自民党支部のほかに「ふるさと支部」とか言う金ずるがあり、企業から多額の金を集めている。

高市早苗
アメリカ仕込みという点では、他の女性保守議員と共通するが、苦労人である。自民党の公認を取り付けるのに苦労している。新進党に入ったりしながら、何度も落選した、何とかして安定な保守本流に近づきたいとした努力の跡が伺える。天理教信徒でありながら、神道政治連盟の支援を受けたり、パチンコ業界や、原発業界からの金も受け取っている。ネオナチとのつながりも明らかになっている。どうやったら権力者に受けが良いかしか考えていないことが明らかだ。もちろん、女性の未来を託せる器ではない。

松島みどり
東大を出て朝日新聞記者となった。番記者として自民党政治家に近寄って、国会議員となることに成功したのだから、実力派ではある。夫婦別姓には賛同している。多少は自分の頭で考えることもできるだろうが、政治家になりたかっただけと言うところで、まともな思考が停止している。



維新市議の繰り返される不祥事 [政治]

堺の北野礼一市議が、政務調査費で自転車2台を買ってゴルフコンペの賞品にしていたことが問題になっている。領収書の偽造などもやっていたようだ。「反省の色を見せたからこれでいいだろ」と居直っているのだからあきれる。こういう人物は、他にも問題を起こしているのではないかと思って調べたら、出るわでるわ。

1994年に学歴詐称で追及されて、議員を辞職している。2005年には選挙違反で逮捕されている。衆議院議員選挙で、自治会役員らを接待しだのだが、解散以前に計画していたということから接待の目的が票のとりまとめと立証されず、無罪になった。2008年には、自転車の女子高生を車ではねて、放置してで逃げ去った。選挙ポスターで顔が売れていることで足がついた。しかしこれも、交通違反だけを問われて終わった。今度の件も逃げ切ろうとしているに違いない。

これだけあれば、札付きだと言うことはわかる。彼にとって、法の網の目をくぐることが日常であって、言い逃れはしても反省はない。あらゆることが方便になる。もともとは自民党だったが、今は維新だ。維新には、こういった問題のある人物が集まる傾向がある。兵庫県議会の号泣議員も、維新に入りたがっていた。

なぜ、こういった人物が右翼になるかの理由を考えておこう。一般に社会活動を営めば、社会正義とか人権の問題に突き当たる。自己の利益だけを優先させて、他者を顧みない、ウラで取引して多くの人を欺く、などという行為は、批判を浴びるのである。この批判を逃れる方策としての右翼化がある。

後ろめたい自己に対する弁護の一つとして「お国のため」という抽象的な看板が役立つ。「お国のために」尽くしている自分には少々のことは許されると考えるのだ。国士思想と言われるご都合主義のエリート意識だ。だいたい社会正義とか人権侵害に敏感なのは左翼であるから、これを否定する意味でも右翼思想が役立つ。こうして、アウトローは右翼化していく。暴力団は多く右翼である。

橋下氏には気の毒だが、彼の回りに群がってくるのは、結局こういった人たちだ。彼が採用した民間人校長たちもひどい有様だし、区長も次々と不祥事を起こしている。彼自身だって、不倫スキャンダルだとか、悪徳弁護士の過去とか、クリーンではないから、こういう連中を律することが出来ない。当然の結末ではある。

問題なのは、マスコミに踊らされて、一時的であったかもしれないが、これに幻想を抱いてしまった市民のほうである。市民が賢くならなければ民主主義は成就しない。


ネオナチ・ザイトクとのツーショット写真(安倍・高市・山谷) [政治]

安倍政権の閣僚の多くが極右団体「日本会議」のメンバーだということが話題になっている。安倍首相の言動から見ても、彼がレイシスト・ファシストであって何の不思議もない。第二次世界大戦に対する反省もなければ、戦争中の非人道的な振る舞いに関して悔悟もない。

第二次世界大戦はドイツとの同盟で行われたのだから、ヒットラーとの信頼関係が全ての基本だ。朝鮮・中国への侵略を正当化していたのは、中国人や朝鮮人は「劣等」で、日本人によって支配されるのが幸せなのだという人種差別であるから、ナチズム・レイシズムを排除する理由はなくなる。安倍首相は、本当は、ヒットラーの何が悪い。人種差別の何が悪いと居直りたいのだろう。

しかし、そこまで根性はない。前政権の時は、ブッシュにちょっとつつかれただけで、政権を投げ出してしまった。ツーショット写真については、一生懸命、「知らなかった」とか、写真は誰とでも撮るとかのごまかしを言っている。山谷の場合は、「ザイトクって何ですか、どんな字を書くんですか」などと、明らかなカマトトを演じている。しかし、ザイトクのブログには、何度も山谷を訪問して、いろいろと相談に乗ってもらったことが書いてある。『松江市「ホテル一畑」 山谷先生を囲んで』などと、明らかにただ写真を撮った間柄ではない。

高市も知らなかったで通しているが、ネオナチ山田一成氏の素性だって知っていたはずだ。謀略本『誰も知らない日本共産党のホンネ』の出版社、「雷韻出版」(東京都目黒区)の社長が山田氏だからだ。自民党は2006年の選挙に、この本を大量購入してばら撒いた。金もかかることだから、いろいろと相談したはずだ。山田一成氏は国家社会主義労働者党の党首を自認し、カギ十字をHPにも掲げている。国際社会でナチスの評判は、もちろんすこぶる悪い。ネオナチとの関係がばれただけで、閣僚辞任は当たり前だろう。

安倍首相の場合は、大阪での選挙演説の時の街頭だから、もっと言い訳はやりやすいのだが、「マスキクンを覚えていてくれた」とコメントがあるから、これもただ写真を写しただけの関係ではない。

面白いことに、これらの証拠写真はいずれも、ネット上で見えなくなっている。これこそ、ツーショットを取った相手と気脈を通じている証ともいえる。騒がれたら、本人側でなく、一緒に写したほうが、隠すのである。

ネットには、魚拓と言われるコピー取りサイトがあり、これを掘り起こせば写真は出てくる。ここに話題の写真を掲げておこう。安部とザイトク増木重夫、高市早苗とネオナチ山田一成、ザイトクに囲まれた山谷えり子の写真だ。現国家公安委員長を囲むうちの5人が、朝鮮学校襲撃事件などで逮捕された犯人たちだから驚く。山田氏のサイトにあるハーケンクロイツもついでに。

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従軍慰安婦問題ー吉田証言の陰謀 [政治]

朝日新聞が20年前の記事を取り消して以来、従軍慰安婦が虚構であるかのようなキャンペーンが続いている。安倍首相は、ことあるごとに、「国ぐるみで性奴隷にしたとの、いわれなき中傷が世界で行われている」などと発言している。ところが、慰安婦問題を謝罪した河野談話については取り消さないのだそうだ。これは言ってみれば矛盾だ。

日本で従軍慰安婦問題が、取り沙汰されるようになったのは、1971年頃からで、1973年には千田夏光が「従軍慰安婦」を出版して戦時中の日本軍のモラルの低さが追求されるようになっていった。軍でも員外として公式な記録に残さず、歴史の裏に隠されていたものが明るみに出るようになったのだ。

公式記録が無いことを盾に、存在を認知しなかった政府も、軍の関与を示す資料を次々と突きつけられるようになると、事実を認めざるをえなくなっていった。現在は、従軍慰安婦の存在自体をを否定する見解は無い。

これに対して、靖国派からの慰安婦否定キャンペーンが1983年頃から始まった。吉田清二『私の戦争犯罪』が出版され、下関から済州島に慰安婦狩りに出かけたという内容で、それを朝日新聞が取り上げたからだ。なにやら怪しげな内容であり、格好の標的となった。

慰安婦問題を実証しようとする論者からは、ほとんど相手にされず、朝日新聞も、1997年には信憑性がないと言う記事を出しているが、靖国派は執拗に吉田証言を取り上げて、慰安婦問題が虚構であるかの議論を繰り返した。

インドネシアでのオランダ人女性の強制連行など、明らかな証拠のあるものも多く、議論すれば負けるのがあきらかなのだが、こういった議論には答えず、ひたすら靖国派は吉田証言を持ち出しては、根拠が無いなどを繰り返した。まともな議論をせず、宣伝だけで押し切るという手法はナチスに学んだものだろう。

国連の報告書も、河野談話も、アメリカ議会での決議も、様々な資料をもとにしており、吉田証言に影響されたものではない。吉田証言だけをとり出して、慰安婦全体を虚構とするのは、ネトウヨだけに通用する論理なのである。

安倍首相に河野談話の取り消しは出来ない。取り消せば、国際的にまともな理由を示さなければならない。オランダなども、はっきりとした強制連行の証拠を握っているのだからごまかせない。まともな議論をすれば、慰安婦性奴隷の事実を認めざるを得なくなる。だから逃げるしかない。

国際的な議論からは逃げるが、慰安婦虚構キャンペーンは繰り返す。これが今も行われていることだ。吉田証言だけを取り上げて慰安婦虚構キャンペーンを繰り返すのは、靖国派の最初からあった戦術だが、これが国家ぐるみの陰謀として今も続いているのだ。産経、読売、文春などの御用マスコミがそれに動員されている。

小渕優子辞任劇の不思議 [政治]

小渕優子が政治資金問題で閣僚辞任することになった。安倍内閣の終わりの始まりだ。しかし、これで群馬県中之条町の町長が辞任というのが意味不明な成り行きだ。中之条町の町政に何の関係があるというのだろう。小渕秘書だった折田氏に、収支報告書に責任があるならば、政治資金の事実を明らかにすることが果たすべき責任の取り方であり、中之条町の町民に迷惑を掛けることに何の意味もない。

明治座やバス代などは大方順当な金額だ。本当は会費がいくらあったのか?その金はどこに消えたのか?町長を辞めることで、詳細な収支についての質問を逃げるつもりなのだろうか。

政治資金での疑惑は何度も繰り返されている。なぜこのようなことが繰り返されるのかも不思議ではある。第一次安倍内閣の時も、政治資金で閣僚辞任が相次いだ。過去に数々の閣僚辞任があるわけだから、政治資金の収支報告で、つじつまを合わせておく位のことは基本中の基本だろう。連中に正直を要求しても無理なのはわかっているが、嘘のつき方が下手すぎる。

よく考えてみると、観劇に関しては、辻褄の合わせようがなかったことがわかる。地元から1000人もの会員を動員できたのは、やはり「オトク」だったからだ。実際、個人で行けば、明治座の天童よしみショーは切符がS席12000円する。12000円の会費で行けば、交通費、食事代が無料で、お土産までもらえるのだから確かに「オトク」だ。後援会が高島屋におみやげ代25万円も支払っている。

「オトク」にするためには、どこからか差額を捻出しなければならない。明治座の団体割引もあるだろうが、それでは旅行社のパックに負ける。優子後援会でなければ出来ない「オトク」サービスとなれば、政治資金からの支出しかない。これが無ければ優子と一緒に明治座なんて誰も行かない。税金から出る政党助成金が廻ってくる政治団体がそのような支出をするのは勿論違法になる。だから、観劇行事は、架空の支出を作って、観劇費用をさらに安く見せかけない限り、どうしても辻褄合わせはできないしろものなのだ。

親父の代には架空の支出を作って辻褄を合わせてきたのだろう。しかし、架空計上は、だんだん難しくなって来ている。それでも、観劇会は後援会の中心行事だから、中止するわけにもいかない。演説会をやるでもなし、機関紙を発行するでもなし、観劇とプロ野球見物を辞めたら、後援会の表の活動はなくなってしまう。後援会を存続させるには、違法を承知でやり続けるしかなかった。

どうせ辻褄は合わせようがないのならば、裏金を作るために、会費収入は少なかったことにしておこう、と言うことになる。有料でありさえすれば値段はどうでもよいとする解釈だ。違法でも、元首相もやっていた事だし、首相の娘だから、追求されないだろうという甘い考えもあっただろう。12000円は決して安い買い物ではない。そう簡単には売れないだろう。売れない切符を人数稼ぎのためにタダとか半額とかで配ったということも考えられる。これは完全な利益供与の違法行為だ。ブランド服や、ネギを買って配っても、選挙区外なら問題にならないといった感覚の持ち主だから気にもしなかったかもしれない。多分、選挙区内でも配っている。

おそらく本人も違法性は知っていた。第一次安倍内閣で、政治資金の取り扱いが命取りになることを目の当たりに見て、秘書と協議したはずだ。ばれた時にも「第3者機関に調べてもらう」とか人ごとのような事を言っていた。たとえ知らなかったとしても、会計責任者に「なんで1000人もいて会費こんだけしかないのん?」と一言問い詰めれば分かることだ。何日にもわたって何も答えていない。引き伸ばして沈静化を狙っているのだと見える。しかし、どうも、その手は失敗だったようだ。

例によって、秘書に任せっぱなしを言うなら、自分自身の議員としての不適格性を証明するだけだ。自分の秘書さえ使えない人に国の運営なんてできるはずがない。

慰安婦問題と安倍晋三の執念 [政治]

従軍慰安婦の問題は戦後も50年の間、あまり問題になったことはなかった。国会議事録には、時々現われるが、軍人恩給を慰安婦にも拡大してはどうかとか、日本人慰安婦を想定しての議論だった。当時は兵隊経験のある議員も多かったので、慰安婦が多数存在したことについては議論の余地はなかった。しかし、いわばウラ組織の状態だったので公式記録はなく、政府答弁になると、結局認めないことになってしまっていた。

正式な記録がない戦争被害者のことは、80年代に、まず炭鉱などのタコ部屋に強制連行された労働者のことから始まった。これは奴隷狩りにも匹敵するもので、国内外に多数の証言もあり、事実関係は確定した。なぜこれが問題になったかと言うと、対日請求権が問われたからだ。日韓条約交渉で、韓国側から8項目の賠償請求があり、これを含めた形で、日本が開発援助金を負担し、韓国は今後賠償請求はしないと言う事になった。しかし、この8項目に入っていない事柄はどうなるのか。強制連行された労働者の被害などは、韓国政府への援助とは関係なく個人としての請求権が残ることになるのか。実際、日本の裁判所への提訴が行われたから大議論になったのである。

朝鮮人慰安婦の問題も、こういった戦後補償の問題として現われて来た。当時の自民党政府は、慰安所は業者が勝手に作ったもので、軍や政府とは関係がないと言う態度を取り続けてきた。1990年の参議院予算委員会では、調査を要求されて「やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねると思っております。」などと答えて、調査さえ拒否している。

それでも、民間の調査で、軍が深く運営に関与していたことが明らかになり、慰安婦問題が政府の責任であることを認めざるを得なくなったしまった。1994年の衆議院予算委員会では、渡部美智雄外務大臣が「一月の十三日の当時はわからなかったわけでございますが、そのような資料が出てまいりますと、それは軍が関与したと認めざるを得ないというように思います。」と降参した。

当時の自民党政府は、一応、戦後民主主義を擁護する立場に立っており、こういった戦後補償問題などでは、野党に押されっぱなしの状態だった。国連でもまともな戦後補償の遅れが指摘されて、苦境に立っていた。これが、1995年の宮沢首相による謝罪、そして河野談話に結びついたのである。政権基盤も弱体化しており、事実、河野談話の5日後に、細川政権が発足し、自民党の単独政権体制は崩壊した。

安倍晋三が議員になったのは、丁度このころで、河野談話の一ヶ月ほど前になる。父親の安倍晋太郎が死んで、長州閥の本流地盤を受け継いだ二世議員だ。弱体化した自民党の弱腰に憤る若手として政界に現われた。なまじ戦後の民主化を擁護するから野党に付け込まれるのだ。戦前回帰の何が悪いと居直れば追及されることもない。こう思ったのである。

「新しい歴史教科書をつくる会」が出来て、安倍晋三新人議員はこれに入れ知恵されて「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、事務局長になった。慰安婦問題が安倍晋三の政界出発点だったのである。毛並みの良さをバックに、この活躍が認められて総理への道を踏み出せたのだ。

それまで、慰安所は軍と関係がないと主張してきた右派勢力は、方針を変えて、強制があったかなかったが問題なのだと主張するようになった。河野談話で「自らの意思に反して」とあるところをとりあげ、「やりたくなかったけど金のためにやった」は含まれない。銃剣を突きつけられて否応無くさせられたのだけが強制である。そんな証拠はない、と言い張ることにしたのだ。

政府機関が大規模に売春を運営したことがすでに、世界標準からみれば、極端な異常であるのだが、新参者の安倍晋三は、強制性が慰安婦問題の全てであると教えられた。信憑性が疑われる吉田清治の本が格好の標的になった。朝日新聞自体が、1997年には信憑性がないという記事を出しており、慰安所批判論者の誰も相手にしない本をしつこく持ち出しては、でたらめキャンペーンを続けたのである。

実際には、ジャワでオランダ人女性に対する、文字通りの強制が明らかになり、それが士官候補生隊というエリート部隊で、隊長の陸軍少将が戦犯で処罰された裁判記録まで出てきて、一部の逸脱と言い訳も効かなくなった。国際的にはもはや決着がついており、悪あがきはみっともないばかりだ。

それでも、安倍晋三の頭の中には、吉田証言だけがインプットされていた。だから第一次安倍内閣の時に、強制があったかどうかの再調査を命じた。結果報告を受けて2007年には、「強制を示す記録は見つからなかった」などと答弁している。報告書には、上記オランダ人女性の問題も指摘されていたのだが、自分で物事を考えない安倍晋三は、インプットされたままを繰り返すだけだったのである。あまり、頭は良くないようだ。

河野談話についても、見直しを画策したが、経過から明らかなように、河野談話の力点は、政府が慰安所に責任があることを認めたことにあり、直接的な強制暴力があったかどうかを問題にしていない。吉田本などを下敷きにもしていない。そういった右派勢力の戦術転換前に出されたものだから当然である。いまさら勝手に民間業者がやったなどという主張は到底無理だから、河野談話の改定は難しい。

しかし、安倍晋三は頭にインプットされたことを繰り返す。慰安婦問題は彼の妄想的執念と化しているのだ。現実を見ず「美しい国日本」を繰り返した第一次安倍内閣から、この点では何も進歩していない。世界は執念だけで動くものではない。アベノミックスも化けの皮がはがれ、経済不調は否応なしに現われてくる。やはり頭にインプットされた消費税値上げに突っ走るだろうが、必ず反発を招くだろう。

衆院選の争点(2014年) [政治]

安倍首相が衆議院の解散を決めた。GDPのマイナスが2期続き、閣僚の金銭疑惑も浮上してきたから、これが拡大する前に選挙をやってしまおうという腹だとはわかる。ほとんど自民党内での支配権を確定して、長期政権を狙うためのご都合主義選挙だろう。しかし、選挙は争点を求める。今回の選挙の争点は、当然、これまでの安倍内閣の施策の評価とこれからの経済運営になるだろう。

安倍内閣は発足以来矢継ぎ早に法案を提出し、突っ走ってきた。秘密保護法を通し、解釈改憲を閣議決定し、消費税を増やし、企業減税を進めたし、辺野古基地の建設も決定した。原発の再稼動も決定した。いずれも国民の大きな反対を押し切ってのものだ。世論調査では明らかに反対意見が強いものをごり押ししたと言える。強気の政策の背後には、株価の上昇があった。消費税で出鼻をくじかれてしまったから、好景気とまでは言えない。

国民としては、今後の政策のあり方を含めて、これらの政策への評価をはっきりと示す必要がある。このまま進んで行っていいのかどうかが選挙の焦点であることは間違いがない。国民の反対を押しつぶした政府は放逐されるのが物の道理と言うものだろう。経済運営については、これから生活が成り立つかどうかの重大な局面を迎えるはずだ。

しかし、選挙は相対的なものである。野党が対案を示してくれなければ、選択のしようがない。政府の施策に反対の立場は、野党の政策に賛同すると言う形でしか示せないのだ。これまでの政府の施策に対して、何がまずかったかを指摘し、信を問うのが野党の役割である。野党が多数ある場合には、その批判の質を競うのである。

ところが、現在の状況は野党不在とも言える状態だ。野党第一党の民主党は、秘密保護法にも、解釈改憲にも、賛成してしまっているし、消費増税に関しては、自民党が延期延期を決定したのを追認するといった始末で、その前まで増税約束を守れと主張していたのだから、争点の持ちようがない。維新にしても、みんなにしても、選挙で争う力のある主だった野党が全部与党化してしまっている。

重要施策に対して、反対したのは、生活の党、社民党、共産党であるが、生活の党は小沢資金問題で味噌をつけて以来、大声が出せていない。社民党は、そもそも消費税を導入した張本人だから、口ごもるところがある。結局、はっきりと批判の立場を貫いたのは、共産党だけだ。今からの問題として大きいのは経済問題であり、2期続けてGDPがマイナスになると言う事態は、アベノミックスの崩壊と言うより、虚構が明らかになるということだ。誰の目にも経済での失策は明らかなのだが、これを真正面から言える受け皿が10議席にも満たない共産党だけだということになる。

政策論争では、自共対立ではあるが、選挙は、利権、組織力、宣伝力、地縁、血縁の勝負だ。自共の勝負となれば、結果は見えている。今回の選挙は、競合野党の主だったところが何にも反対しないのだから、与党から見れば、何も焦点がない選挙となる。国会と国民の「ねじれ」は、解消される見込みがない。選挙民としては、全くの不完全燃焼で終わる選挙になってしまうだろう。

この事態を逆にみれば、選挙民がどれだけ政策を判断材料に出来るかが見所である。確かに共産党の支持率は上がっているが、がっちりと利権で固められた小選挙区制の壁は厚い。将来の政治体制への疑問もある。しかし、今問われているのは政策判断である。選挙民が、政策判断だけで、躊躇無く共産党に投票できるかどうか、それが選挙の焦点になる。

安倍晋三の妄想内閣 [政治]

第一次安倍内閣で、安倍首相が登場したとき、世の中は不況で追い詰められ、殺伐とした世相が世の中を覆っていた。その就任演説が。「美しい国ニッポン」である。なんとまあ現実が見えない人だだなあと驚いたものだ。お友達内閣と言われる側近政治に終始し、しかも閣僚が次々に政治資金のボロを出して、世論にも見放されて、最後は腹痛で崩壊してしまった。

政権交代を期待された民主党が、公約を反故にして自らの墓穴を掘ったあげく、安倍内閣がまた生まれた。今度はマスコミ操作も手馴れて、アベノミックスに期待させる手法に成功して政権も長続きしている。しかし、現実が見えないという本質はかわらなかった。

TBS23で、アベノミックスの実感がないという庶民のインタビューを見せられると、「そんなことはない。実感がないという人ばかりを選んで出しているのだろう」と気色ばんだ。世論調査でも85%がアベノミックスの恩恵なしと答えている。アベノミックスで潤った庶民なぞ誰もいない。

恩恵を被ったのは、輸出産業、大企業ばかりで、中小企業は相変わらず苦しいのだ。それでも阿波首相は言い張る。「中小企業は、値下げを要求されるから、儲かっていると言わないだけだ。」「総所得は増えているから収入は増えたはずだ。」 そう、所得増は全部富裕層に行ってしまっているのだ。

安倍首相には現実が見えないのだ。いや、見ようとしないのだ。旧日本軍が大々的な性奴隷制度を持っていたことは、隠しようもないのに。「強制連行はなかった」などと言い張って、国際世論にあきれられている。帝国日本のアジア侵略も認めようとはしない。ナチスの戦争は侵略でないのかと問われて、答えに詰まり、「侵略の定義が定まっていない」などと逃げた。現実を受け入れず、頭の中の美しい日本に生きる妄想人間としか言いようがない。

貿易赤字からGDPのマイナスへと進み、日本沈没が近づいている。人口が減少し、地方の疲弊は限度に来ている。それでも「景気は良くなっている」などと言い張る妄想内閣に日本を任せていていいはすがない。

原発を再稼動していいのかどうか。消費税をまた2年後に増税していいのかどうか。TPPで農業を壊滅させていいのかどうか。秘密保護法で政府のやることを隠してしまっていいのかどうか。非正規雇用や派遣ばかりを増やしていっていいのかどうか。

国民は、選挙ではっきり判断を示すべきだ。候補者がイケメンかどうかは関係がない。議員先生に世話になったかどうかは関係がない。政党の政権構想すらも関係がない。今、この時点で、どのような政策判断をするかを、機敏に示すのが、選挙に対する国民の使命なのである。


身を切る改革 [政治]

わけの分からないスローガンというものがある。一時「直間比率の見直し」と言うことが言われた。消費税の導入である。「簡素な税制」と言われたこともある。富裕層の減税だった。今度は国会議員が「身を切る」ということで、消費増税を受け入れさせることが出来るという議論がある。

中身は、議員定数の引き下げである。どうして、議員定数を引き下げたら「身を切る」ことになるのか?当選の確率が下がるとでも言いたいのだろうが、小選挙区で議席を押さえている有力議員には痛くも痒くもない。閣僚になったりする確率はむしろ増える。そもそも、定数が減ったから落選するなどと言うことはない。比例復活という手厚い保護まで手に入れているのだから、まったく「身を切る」ことにはならない。

いろいろと問題になっている政治資金の面では、分け前が増える。政党助成金は一人当たりいくらと決まっておらず、総額を議席配分するのだから、一人当たりの配分は確実に増える。企業献金だって、要求する議員数が減るのだから分け前は増える。いろな「口利き」も重みが増す。

どこをどう取っても、自身の「身を切る」ことにはならない。それが、消費税増税の代償になるはずもないではないか。にも関わらず、身を切ることがいかに大切で、自分がいかに真剣に「身を切る」努力をしているかをアピールして、お互いの努力を褒めあっている討論会は、聞いていても馬鹿馬鹿しい。本当の「身を切る」は、政党助成金の廃止、企業献金の禁止だろう。

わけのわからないスローガンが出てくる時の約束事は、マスコミが同調するということだ。「直間比率の見直し」のときも「簡素な税制」のときもマスコミには根回しができていて、この言葉使いには疑問をはさまない。今度も、平然と議員の利権拡大に「身を切る」という言葉が使われている。

勇気が出せない有権者--2014衆院選 [政治]

2014年の衆院選は奇妙な状況を示している。この間、安倍内閣のやって来たことは、ことごとく不評である。原発再稼動は、過半数の国民が嫌がっている。秘密保護法は60%が反対した。集団的自衛権も過半数が否定的だし、消費税増税にいたっては80%が反対するというありさまだ。アベノミックスなる経済政策にも、だれも期待していない。

ところが、選挙の予測では自民党が単独300議席を獲得してしまう様相だそうだ。野党がだらしないとしか言いようがない。政府はアベノミックスを前面に打ち出した選挙だとしている。貿易赤字が続き、GDPまでマイナスになるという事態で、これから経済政策の破綻が明らかになってくるから、その前に選挙をやってしまおうというのが、安倍内閣の魂胆であることは見え透いている。

ところが、民主党が言っていることは、「庶民に恩恵が行き渡っていない」と不満を言うだけである。不満を口にするだけで対案がないのだ。これでは、批判にすらならず、どの選挙区であろうと得票一位を期待できるはずがない。

アベノミックスとは、いわゆるトリクルダウン理論のことだ。景気がよくなれば全て良くなる。景気を牽引するのは大企業と富裕層だ。だから、大企業と富裕層に減税して、庶民が消費税で負担すればよいというものだ。雨だれが滴り落ちる(tricle dpwn)ように、自然に庶民も潤ってくるのだという。

基本的には、有力野党は全部この理論に賛成してしまっている。消費税の値上げは、民主党が言い出したことだし、維新も、生活も、はっきりとした批判が出来ていない。社民でさえ、村山内閣の時代に3%から5%に値上げした実績がある。消費増税をやめて、大企業と富裕層に負担させるほうが消費を向上させて景気がよくなるという政策を掲げているのは、共産党だけだ。

これは何も、共産主義者だけが考える特異な政策ではない。アメリカのオバマ大統領は、はっきりとトリクルダウン理論を否定して、貧困層への援助こそが景気の底上げに必要であり、富裕層への課税を訴えている。アメリカ大統領ですら言うことを、日本で主張しているのが、10議席にも満たない共産党だけと言うのが異常なのだ。

小選挙区制の弊害だと思われる。小選挙区では得票一位でなければ当選できない。一位当選の実績が多い自民党と似たことを言うのが、当選だけを目的にすれば、一番効果が高い。そろいもそろって、右へ倣えの状況なのだ。ところがどっこい、模倣には迫力がない。いくつもの選挙区で、野党候補は苦戦することになる。小選挙区制が続く限り、一党支配は強まっていくだろう。

政策的には、明確な反対派である共産党が対抗するしかない。しかし、その壁は厚い。候補者の言うことはそれぞれに異なるのだが、90%の候補者が一致して声を大にするのは「共産党には投票するな」である。マスコミも「野党協力」とか「野党再編」と言うときに共産党は入っていない。伝統的に共産党=特殊な考え方といったレッテル貼りが横行している。

原発再稼動に反対するのは良い。秘密保護法に反対するのも良い。消費税に反対するのは当然だ。しかし、それを票にするのは奇人変人という扱いになる。空気を読んで気配りする日本人には、常に一般人=多数派でありたいという心情が働く。公的紙片(投票用紙)に極少数派政党の名前を書くなどと言うことには、かなりの勇気がいるのだ。

多くの有権者は自分の考えを投票に反映する勇気がもてない。行き場のなくなった票が、結局自民党の懐に落ち込む。それが、しらけた選挙の実情なのである。自分の考えと候補者の提示する政策をくらべて、さらりと投票できるというのが民主主義の条件なのだが、まだまだ世間のしがらみは強いということだろうか。


自民党の圧勝ではない ----- 2014衆院選 [政治]

衆議院選挙が終わり、マスコミはどこも自民圧勝を報じている。しかし、結果の数字を見ると、新聞の見出しとは、大きく印象が異なる。安倍首相は、選挙明けの16日夜、西新橋・しまだ鮨で時事・朝日・毎日・読売・日経・、NHK・日テレの論説委員たちを招いて会食している。マスコミ操作の結果だろう。

自民党は293から290へと3議席減らしたのだから「圧勝」のはずがないだろう。民主党政権を倒した前回の選挙より、支持を減らしているのだ。得票率は、3回続けて低下している。逆に、民主党は11議席増やしたのだから、野田内閣の失政から立ち直ってきてはいるのだ。これが、どうして「敗戦」なのか。議席を増やしたのに代表が交代しなければならないというのも、わけがわからない。

維新は記者会見を開いて「完敗」と言ったが、1議席減らしただけである。共産党の躍進は、確かにそのとおりで、これは事実と合っている。しかし、他の野党が沈没した結果として、どういう政策に支持が集まったかについての分析は報道されない。前述したように、民主にしろ維新にしろ、他の野党が沈没したわけではないのだ。

今回の選挙で、一番大きな変化があったのは、次世代で、これは、田母神も石原も落選して、議席1/9に激減して、まさに一挙壊滅したといえるから「振るわず」どころではない。次世代は原発賛成、改憲賛成、秘密保護法賛成で、自民党と同じ主張をもっと露骨に表現した党だ。この次世代の壊滅こついては、不思議なことに、大きく取り上げられることがない。

次世代の壊滅と自民党の減少をあわせれば、安倍政権のやって来た施策が評価を下げたことが明らかになったというのが選挙の結果と言わざるを得ない。これに真っ向から反対していた共産党が躍進したこととも符合する。新聞の見出しは、あきらかにおかしい。

自民・維新が微減に終わったこと、公明が3議席増やしたことは、まだ多くの人たちは他に頼むべき政治を見出せず、アベノミックスに期待をつないでいると言うことだろう。行き先は不安だから、暴走はしてもらいたくない。だから、次世代のような極端な右翼は嫌われたのである。維新も極端な右翼なのだが、結いの党の9人を吸収して、原発に若干の反対色を加えたり、官僚の無駄使いを是正するようなことを表に出して、イメージを弱めているから微減ですんだのだ。

原発反対、秘密保護法反対、護憲ということでは、共産党が躍進しただけでなく、社民も2議席を守ったのだから、支持を増やしたことになる。

それにしても、小選挙区制というのはひどい制度だ。得票率48%の自民党が議席の76%を取る。とりわけおかしいのは、重複立候補という制度だ。沖縄の小選挙区では、辺野古基地賛成を叫んだ自民党候補は全員落選して県民の審判が下されたわけだが、その落選議員全員が比例で復活して、のうのうと国会の議席を占める。自民党の全ての小選挙区候補が結果的に比例で繰り上げ当選した。選挙前から、当選が決まっていたと言っても良い。これでは選挙をやる意味がない。

まともな議員人材を確保するためにも、小選挙区と比例の重複立候補の制度はやめるべきだろう。世論と議席の乖離がどんどん広がる選挙制度は、なんとかしなければ未来がなくなる。


民主党は何をなすべきか [政治]

2014年衆議院選で民主党は惨敗したという。しかし、議席は11議席増えたのだ。ある理想を掲げてそのために奮闘する政党であれば、11議席増は前進であり、惨敗と評価されることではない。

なぜ、民主党は11議席増で落ち込んでいるのか?実は、民主党は目的を持たない政党であり、どのような政治を行うかではなく、「政権交代」をやりたい政党なのである。その意味で、前回、議席が落ち込んだのは、「政権交代」だから許容された。野田首相も政権を手放すことが悔しいという執念が見られなかった。自民党との間で、政権を取ったり取られたり、繰り返したいのだ。

今回は、「政権交代」が遠のき、その展望も失われたということで、大きな落胆を受けている。国民から見れば内実を伴わない「政権交代」なぞ何の意味もないのだが、民主党幹部の頭の中はそれだけで埋められている。だから政策そっちのけで、やたらと野党連携をしたがる。今回も、維新に擦り寄って、いくつかの選挙区で、バーター取引をした。維新が候補を立てない選挙区で維新票が民主党に入るはずもない。自民か、次世代に入れるに決まっている。

民主党は、こうした支持者の気持ちがわかっていない。 維新議員の1/4は元民主党だから、民主党議員から見れば、維新との連携もおかしくないのだが、支持者はそうではない。支持者が民主党に期待していることは、安倍政権の暴走を止めることだ。自民党政権の後押しをするような維新や次世代との協力などありえない。これが、まあ、民主党政権の最大の問題でもあった。

今回の選挙にいたる国会論議でも、原発を止め、消費税を増税せず、沖縄の基地をなくす。こういったことで、安倍政権と対決して欲しいのに。全部、自民党に賛成してしまっている。これでは、野党としての存在意義すらなくなる。

このことは、民主党自身もひしひしと感じているだろう。民主党に必要なことは、過去への反省である。なぜ、民主党政権は倒れたのか。国民の支持をつなぎとめるにはどうすべきだったのか。この分析なしに、再び政権交代を目指すなどということはあり得ない。民主党の政権時代の政策はどこが間違っていたのかが判れば、それを公然と改めるべきだ。

消費税の増税を決めたのは間違いだった。沖縄で辺野古基地を推進したのは間違いだった。せっかく決めた八ツ場ダム建設中止を撤回したのは間違いだった。原発再稼動は間違いだった。こういった反省を明らかにして再出発すれば、支持者は民主党に戻ってくる。今でも、根強く民主党に期待する人々は、それを願っている。

まあ、ないものねだりかもしれない。代表選で「過去との決別」などと言うが、一番決別しなくてはならないのが、野田政権時代の過去だという発想には、たどりつかないだろう。

大阪都 公明党変節の裏 [政治]

政治には、駆引きがある。とりわけ、主義主張とかかわりのない変化には取引がある。大阪都構想で対立関係にあった公明党と維新が、一転、友好に動いたのには、やはり裏を勘ぐるべきだろう。維新橋下は、大阪都を頓挫させられたために、口を極めて公明党を罵っていた。衆議院選挙では、公明党が自民党との協力で候補を立てていた小選挙区に、自ら市長職を投げ出して対立候補となることを公言していた。

ところが、この立候補を直前で取りやめた。なぜだろう? 理由は、地方政治に専念するためということになっている。それなら、そもそも、立候補するなどと言う必要もない。単に、国政への進出を示唆するだけなら、どの選挙区にとまで言うわけはない。松井知事まで、動員して、公明党の対抗馬を出すことを強調した。

そのあげくに、立候補を取りやめたのだから、何らかの変化があったことは疑いない。裏取引である。橋下の立候補を取りやめる代わりに、大阪都構想への協力を取り付けたのだ。

このことが何を意味するかはあきらかだろう。公明党という政党は、取引次第で、なんでもする、無定見な政党だということがその一つだ。これは、過去にも、自民党の与党となるために、持論を投げ捨てた経緯があるから驚かない。

もう一つは、これまで、右派ながら、自民党とは異なる体質を強調していた維新が、徐々に自民党的体質を身につけてきているということだ。原発に対する姿勢も徐々に自民党化してきている。政党助成金などに対する批判も薄らいできた。身を切るなどといいながらも、県によっては、議員給与の値上げに賛成するようになってきた。

今回の維新の動きは、いわば保守政党としての成長ないし堕落の証でもある。裏取引などの手腕を身につけ、ますます自民党化していく。小選挙区制度のもとではジリ貧が必定だから、やがては、自民党に吸収されて行くだろう。大阪市民は置き去りにされ、混迷と馬鹿騒ぎの中で、大阪の地盤沈下は引き続き深化して行く。

吉良よし子議員のブラック企業質問 [政治]

日本共産党の吉良よし子議員が、参議院予算委員会で初めて安倍首相に対決を挑んだ。まあ、質問するだけなのだが、「対決に挑む」といった意気込みが充満していた。テーマはもちろんブラック企業だ。

選挙の時からこの問題を取り上げており、当然だと思えるが、選挙時の訴えと議員になってからの行動が食い違っているのが当たり前な風潮の中では、際立って見事な立ち居振る舞いだ。まさに投票した人の期待通りの働きをしている。ツイッターでも共感を示す人がかなり多かったそうだ。

若者の夢を壊して使い捨てにするブラック企業に怒りをぶつけ、政府に対策を迫ると、答えは「確かにブラック企業は良くない。政府はそのための対策を着々とやってます」というのが、お定まりの回答だ。

「ブラック企業なんてありません」とは言えない現実がある。なくなっていないのだから着々と対策を進めているはずがないのだが、「従来からやっている対策」なるものの説明を長々とやって質問時間を終わらせてしまうというのが、いつもの政府側の作戦だ。

議論の流れを追って見ると、なかなか面白い攻防が見られる。のらりくらいと逃げるのを許すかどうか、ここが勝負どころだ。吉良議員の質問は極めて具体的だった。

まず、ゼンショーが運営する「なか卯」のバイト採用試験問題を安部首相にに問う。着替え、社訓の唱和、引継ぎ帳の確認などの始業順序を問う問題だ。

タイムレコーダを押すのは何番目か?

こう問われると安倍首相も一番目と答える他ない。会社がやれと要求することは全て労働時間に含まれる。だから、ますタイムレコーダを押してから、必要なことをやる。それが法律だ。

ゼンショーの「正解」は、タイムレコーダが最後だという。完全な法律違反だ。働かせて金を払わないのは、労働賃金を盗む泥棒に等しい。日本の企業の多くが、こういったセコイ泥棒をやっている。吉良議員はそこを突いたのだ。「もし法律違反があれば、労基署が勧告を出し、常に是正を図っている」厚労大臣はそう言って一般論で逃げる。

吉良議員の追及は続く。ゼンショーは、100回以上も勧告を受けている。知らん顔して違反を続けていたのだ。ゼンショーも認めている事実を厚労大臣に確認すると「個別の企業についてのことは答えられません」である。要するに馴れ合いで済ましており、本当に是正する気がなかったということだ。

ここで吉良議員は、質問を安倍首相に振り向ける。勧告・指導を受けても改めないのは悪質ではないのか? こう問われると安倍首相は、悪質だと答えるしかない。悪質でないと言ってしまうと、何事に関しても政府の勧告・指導を無視してよいことになってしまう。これは口が裂けても言えないことだ。

吉良議員が要求するのは、悪質な企業は企業名を公表しろということだ。悪質な企業の名前を隠してやる必要があるなどと考える人はいない。しごくまともな要求と受け止められる。

名前を公表するだけと言うのは、いかにも緩いことの様に見えるが、実はそうではない。政府が公式に悪質として公表すれば、自動的にそれへの対処が要求される。馴れ合いなど出来なくなってしまうのだ。

このように、吉良議員の質問の流れを追ってみると、実に鋭い。よく考えられた作戦が見える。安倍首相も「貴重なご意見」と言って引き下がらざるを得なかった。 この国会質問の影響は、かなり大きいと思う。始業前にいろんな事をやらせている会社は多いが、総理大臣がタイムレコーダーが最初だと言明したのである。出社して、まず最初にタイムレコーダを押す社員を制止できなくなる。

法律違反のブラック企業があるのに、名前すら公表しないという姿勢への批判も強まるだろう。以前の要求で、企業の離職率を明示しろとということは、一部実現している。ハローワークで、新卒者求人に対しては明示されるようになった。しかし、就職情報誌や再就職の場合には、まだ示されていない。吉良議員の追及はまだまだ続くだろう。

一歩前進を勝ち取るということでは、今回の質問は上出来だった。というか、初めての代表質問としては完璧に近い。こういった議員が多く輩出してくれば、世の中は変わる。テレビ画面では、吉良議員のバックに映った所在無げな自民党議員の間抜け面が逆に目立ってしまっていた。

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沖縄の痛み [政治]

辺野古基地をめぐる反対運動が、オール沖縄で巻き起こっている。本土で安倍内閣の暴走に対して、それなりの反発があるものも、是認する人も多いこととの違いは大きい。本土の人たちには沖縄の心がよくわかっていないのではないだろうか。

なぜ沖縄は、保守の人たちを含めて、ここまで辺野古基地に対して反発するのか。那覇の町に隣接する嘉手納基地を移転することを、だれも改善と受け止めないのはなぜだろうか。

これには沖縄の基地の経過がある。そもそも沖縄の基地は、米軍が上陸して、多くの人たちを殺して占領したことから始っている。単に土地を取られただけでなく、命まで取られた結果なのだ。基地には恨みがこもっている。ところが本土には、米軍基地は正当なものとする政権が続いている。

沖縄の地図を見れば、基地がいかに大きいかがわかる。内陸部の殆どが基地に取られてしまっている。多くの島は内陸部が山なのだが、沖縄は内陸部が平地になっている。この豊富な農地が沖縄がかつて独立国として存在しえた理由だ。その内陸部が基地にされて、人々は海岸線に押し込められている。

農業生産を上げるにも、工業団地を形成して内地の企業を呼び込むにも、基地が大きな障害になっている。とりわけ那覇の町に隣接した嘉手納基地については、ジェット戦闘機機の騒音や、基地犯罪に日常的に悩まされている。この状態が60年も続いているのだ。沖縄の人たちはこれをわかってもらいたいと思っている。60年も放置してきたことを謝ってもらいたいと思っている。

ところが本土の政権が言っていることは、嘉手納基地を5倍に拡大して、辺野古に移転することだ。単なる移転ではなく5倍にも拡大した新基地建設なのだ。これでは、沖縄の人たちにしてきた仕打ちに何の反省もないことになる。やはり、基地を正当なものだという見解の押し付けである。沖縄の心がいらだつのは当然だろう。

沖縄の右派の人たちにも、これほどまでの米軍基地の必要性は理解できない。昔と違って、超大型の空母もあり、飛行機の航続距離も長い。アメリカの出先としては、グアムで十分であり、なにも沖縄に大きな基地を置く必要はない。この時点で5倍に拡大した基地を作れば、未来永久に沖縄は基地に占有されることになるのだ。

沖縄の痛みを、もう少しまともに受け止める必要がある。


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