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徳田毅議員はなぜ辞職すべきなのか [政治]

国土交通・復興政務官だった徳田毅議員のスキャンダルが取りざたされている。政務官は退いたものの議員は辞職せず居座っている。当然議員も辞職すべきだ。

徳田氏は、19歳の女性に酒を飲ませて無理やり性的関係を持った。示談が成立して1000万円を支払っているから、事実関係は間違いない。いろんな言い訳があり、ネット上では、お金を目的とした行為として女性側を非難する意見さえある。そうだとしたら、未成年の買春は犯罪だからもっと罪が大きい。「無理やり」の場合、示談が成立すれば、一応「犯罪」ではなくなる。

犯罪でなければ、議員を辞める必要がないのではない。徳田氏は新婚一年で奥さんを裏切っている。議員の場合、これはプライベートな事とは言えない。議員が選ばれるのには、有権者に選挙公約と言う約束をして、これに対してウソをつかないことを基本にしている。身内に対してさえ、ウソをついていた徳田氏が、赤の他人である我々選挙民に対してウソをつかないはずがない。

徳田氏の行為は、議員としての基本資格が無いことを証明するものであり、即刻辞任がふさわしい。議員も人の子だと言う弁護論は成り立たない。選良などとも呼ばれるように、10万人に一人しか選ばれず、国政をゆだれられている特別な立場なのだ。10万人に一人の存在が、平均以下であってはならないのは当然だろう。

「議員まで辞職する必要はない」などと考える人は、国会議員の責任を考え違いしている。この点では維新の会の橋下氏なども同罪だ。身内にさえウソをつく人間が赤の他人に平気でウソをつくことは自明だ。嘘つきは「選良」にふさわしくない。橋下氏も即刻市長を辞任すべきだ。

居座る徳田議員を辞職させるのは父親としての徳田虎雄氏の責任だということを指摘しておこう。虎雄氏の言葉「政治も経済もホテルや病院の経営と何もかわらん。所詮は経営なんだよ。少々、金が多く動くだけだ。ただそこに泥棒がいるからダメなんだ。親父が政治家だという理由で政治をやっているやつがいる。会社の経営も満足にできないくせに、国の経営に口をだしそれをくいちらしている。けしからん。」がもっとも、ぴったりと当てはまるのが徳田毅氏に他ならないからだ。

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北朝鮮の核実験----対策は何か [政治]

北朝鮮がまたもや核実験を行った。世界が核廃絶に向かっている時代にこのようなことを行うのは愚行と言うしかない。これで、ますます孤立を深め世界の国々から非難を受けるばかりだと言う事は間違いないし、日本に住む我々の安全も脅かされる迷惑な話である。

この事態にどう対応したら良いのか? 政府は何も対策を示していない。経済制裁を強化するなどと言っても、もうこれ以上強化しようが無いところまで強化されている。臨検体制で海上封鎖されているような状態だ。

鎖国体制が北朝鮮にとっても良い状態であるわけはない。にもかかわらず強硬な姿勢を貫いている理由を少し考えて見よう。相手はキチガイだなどと思考停止していては物事を解決することにならない。

北朝鮮は世界を相手に身構えている。ハリネズミの様に外敵に備えているのだ。日本は過去に何回も朝鮮を侵略している。きっとまた攻めてくるに違いないという議論は、北朝鮮国内ではかなりの説得力を持っているだろう。もちろん、日本にそんな意図は無いのだが、それは国交もない北朝鮮には伝わらない。

その日本が、種子島から次々とミサイルを打ち上げ、最近は堂々と軍事衛星まで打ち上げ出した。日本では北朝鮮のロケットをミサイルと呼んでいるから、当然北朝鮮では日本のロケットをミサイルと呼んでいるだろう。過去の侵略戦争を反省して、無くしたはずの軍備をどんどん復活させ、今や航空戦力などは北朝鮮の20倍以上になっている。北朝鮮は恐怖に震える状態なのだ。

国際世論がどうであろうと、強大な日本の武力に対抗するためには、核爆弾・ミサイルしかない。今回の核実験で、広島の半分くらいの小型爆弾の製造に成功し、ミサイルに積めるようになった。これが北朝鮮が考える身の安全だ。

たとえ日本が20倍の戦力で攻めてこようと、3発の核弾頭ミサイルを大飯・柏崎・浜岡にぶち込めば日本国内は麻痺してしまい。日本からの侵略を防げる。ミサイルのぶち込み先は東京かもしれない。いずれにせよ、至近距離だから防御の手立てはない。北朝鮮に上陸した自衛隊は、後方麻痺して支援が無いから、ゲリラ戦で十分戦える。そのため、常々から訓練している。

荒唐無稽なシナリオだが、北朝鮮から見れば現実性を持っていることには注意を要する。このような状態で制裁強化などと言ってみたところで何の意味も無いことは確実だ。では、どうすればいいのか?

相手が行っている事の理由がわかれば交渉の仕方はある。これには日本が主導権を取らねばならない。北朝鮮の核兵器開発の必要性をなくす提案をすれば良いのだ。「北朝鮮が核開発を止めれば日本は防衛費を半分にする」と言う軍縮提案が良い。北朝鮮にこれを拒否する理由は無いし、おそらく提案を受け入れるだろう。

考えて見れば、これまで日本は自らはどんどん軍拡を進めながら、北朝鮮に軍縮を要求してきたのである。そんな事が通らないのは当然だろう。日本が率先して軍縮に向かえば、世界からも賞賛されるだろうし、国内の財政問題も大いに助かる。

賃上げターゲット [政治]

共産党の志位委員長が記者会見でインフレターゲットではなく「賃上げターゲット」を提唱した。もっともな話だ。現在の長引く不況の原因は大企業の内部留保溜め込みにある。共産党は各企業が1万円の賃上げをするためにどれだけ内部留保の取り崩しが必要になるかを一覧表にして示している。
なんと軒並み%以下のわずかな取り崩しですむ。いかに多くの内部留保があるかに驚いてしまう。日本でなければ、株主も労働組合も黙ってはいない埋蔵金の山だ。

金は天下のまわり物、溜め込んでいては経済が良くなる道理が無い。賃上げにより消費が増えれば当然ものは売れる。物が売れれば景気は良くなる。これは、誰しも否定できない理屈だ。

では、安倍政権の主張するインフレターゲットはどうかと言えば、金利ゼロで過剰な資金を企業に貸し出し、企業がその金で工場設備を作れば、雇用が増えて、消費が増える。そうするとものが売れて景気が良くなると言うものだ。

どちらも一応の理屈ではあるが、安倍政権が提唱するインフレターゲットはすでに小泉時代に試されて、ダメなことが分かっている。首相の顔も変わったし、国際環境も変わったからもう一度やって見ると言う事にすぎない。

なぜダメなのか?

金利ゼロで融資しても、企業は工場設備の拡張をやらないからだ。国外に投資したり、ひどいのは国債を買ったりして溜め込んでしまう。売れないのだから工場を拡張する理由がないから当然とも言える。円の価値だけは確実に下がるから円安にはなり、株価だけは上がるかもしれないが、それをもって好景気と言うわけにはいかない。

こうした経済政策の論争が、自民党 v.s. 共産党 で行われていることに注目したい。民主党や維新など政党は多くあるが、はっきりとした経済政策を持って、自己の主張ができるのはこの2党だけと言うことになる。

安倍首相の食っているものーーマスコミ接待 [政治]

前回散々不評で、退陣やむなきに至った安倍首相、今度はなかなか慎重で、とりわけマスコミ対策に余念がない。現役首相と言うのは超多忙なはずなのに、就任以来3ヶ月のうち何日もマスコミ社長と合っている。しかも食事をしながらじっくり2,3時間も話しているのだ。何を話したかは当の新聞には一切書いていない。朝日新聞はは主筆を入れ替えたし、各社とも、えらく政府よりの報道に終始している。

どこで、何を食おうと安倍さんの勝手だが、その金はどこから出ているのか?安倍さんは毎日どんなものをくっているのだろうか? 新聞の「首相動静」から拾って、値段を調べてみた。(暇!!) うーん、どこも私なんかには行けそうもないところばかり。安倍という人は庶民とはかけ離れた所で暮らしているとしか言いようがない。マスコミ対策だけでなく、どうも連日こんなご馳走ばかりらしい、安倍派の政治資金は会食費ばかりということだから、まさに彼にとってはこれが「政治」なのだろう。 日本国民とは不幸な存在であるものよ。

1月7日に、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長と東京・丸の内のパレスホテルの高級割烹(「和田倉」21000円より)

1月8日にANAインターコンチネンタルホテル内の日本料理店で産経新聞の清原武彦会長、熊坂隆光社長。(「雲海」 16800円より)

2月7日は帝国ホテル内の中国料理店で朝日新聞の木村伊量社長。(「北京」 10500円+室料5500円 より)

2月15日は東京・白金台の高級割烹で共同通信社の石川聡社長。(「壺中庵」 31500円より)

3月8日は帝国ホテル内フランス料理店で日本経済新聞社の喜多恒雄社長。(「レ・セゾン」 16000円より)

3月15日は芝公園のフランス料理店でフジテレビの日枝久会長(フジサンケイ・メディアグループ最高経営責任者)。(「クレッセント」 18900円より)

3月22日はテレビ朝日の早河洋社長、これは首相公邸

3月28日は椿山荘内の日本料理店で「毎日」の朝比奈社長。( 「錦水」 16800円より)

飲み食いすべて40%引きにする方法 [政治]

飲み食いすべて40%引きにする方法がある。何人もの有名人がこれをやって新聞にもでており、一部には批判もあるが、合法的なものだから堂々と続けている。この方法で40%引きになるのは給料が1800万円以上の人だけで、サラリーマン程度の収入なら20%引きだ。これは、要するに節税で達成される。

所得には税金がかかり否応なしに引かれてしまう。飲み食いの金をこの所得から除外してしまえば飲み食い代金がその分引かれたのと同じ勘定になる。それが、金持ちなら40%、平サラリーマンなら20%と言うわけだ。毎日高級レストランで飲み食いしている人たちがいるが、この中にはこれを利用している人がいる。

収入から税金が控除されるものの中に「政党への寄付金」と言うのがあるので、これを使う。政党に寄付してしまえばもはや自分の金ではないから自由には使えない。しかし、政党には支部というのがあり、支部を作って自分が支部長になればかなり融通が利く。飲み食いの金を政治活動と称してここから支出すればよい。現在の日本では飲み食いを政治活動と認めているのだ。ちなみに安倍信三さんの自民党下関支部では、料亭やキャバクラなどでの飲食代として108万5150円を使っている。

それでも政党支部の金は全く自由ではない。政党ではなく個人後援会なら全く自由に使えるのだが、個人後援会への寄付では税金の控除対象にはならない。そこで、寄付した金を、政党支部から個人後援会に寄付する。支部長だからこれくらいのことはできる。個人後援会を資金管理団体として届け出ておけばこれは合法的だ。もちろん、企業などにせびって政党支部に寄付させた金も合わせて個人後援会にまわすことができる。個人後援会の金ならもちろん自分で使い放題だ。飲み食いに限らず1件5万円以下なら何に使っても全く報告義務はなく、領収書もいらない。

議員とはこのように税金逃れをしながら、財政赤字で社会保障を削らねばならないなどと言い出すやからだ。それでなくとも高い給料を40%増しで使っているのだ。いやいや、議員全部を一まとめにしてはいけない。議員を全部一緒くたにするのは悪徳議員を免罪することになる。資金管理団体としての個人後援会を持つ議員がこの手を使っている議員だから共産党などはこうではない。他にもクリーンな議員はいる。しかし、維新やみんなの党は、まったく自民党と同じで、クリーンとはいえない。


なぜ靖国参拝が問題になるのか [政治]

安倍内閣になって、100人以上もの議員が靖国神社に参拝したことが近隣諸国の反発を買って問題になっている。靖国神社が戦没者を慰霊するものであれば、どこの国でもやっていることであり、とりたてて問題にすることでもないように思われる。先の戦争では多くの人々が亡くなり、それを悼む気持ちは誰にでもある。

ところが、実は靖国神社は戦没者を祀っているのではない。ここが問題である。特定の個人を名前を挙げてまつり、これを合祀者と呼んでいる。この合祀者の多くは戦没者なのだが、選択がなかなか複雑なのだ。例えば戦没者として最も痛ましいと思える広島の原爆や東京の大空襲で死んだ40万人は合祀されていない。基本的には軍人でない一般人は除外するらしい。

軍人だけかと思えば、坂本竜馬などの勤皇の志士などの侍も含まれている。合祀の範囲は明治以前の幕末にまで及んでいるのだが、西南戦争で死んだ西郷隆盛や会津の白虎隊は除外されている。どうも、侍も軍人とみなし、軍人であってしかも政府に忠実だった官軍側に属した人でないと合祀されないようだ。

どうしてこのような差別をするのだろうか。基本的な基準から外れたさらにおかしな選別もある。合祀者の中には松岡洋右なんて人もいる。この人は外務大臣で、日本が国際連盟から脱退して孤立化したときの立役者だ。ナチスが大好きで日独伊軍事同盟を作って日本を第二次世界大戦に引きずり込んだヒットラーのお友達だ。

松岡洋右は戦争が好きだったかも知れないが、もちろん、軍人ではない。戦後、A級戦犯に問われたが、別に死刑にされたわけでもなく裁判中に病死した。だから戦没者の中に入れることさえおかしな話になる。昭和天皇でさえ、松岡の合祀には不快感を示したというが、靖国神社側は改めることもしなかった。

こうして見ると、靖国神社というのは、「戦争を率先して遂行するのに役だった人」というのが合祀の選考基準になっていることがわかる。軍人でなくともかまわない。戦死でなくともかまわない。ただ戦争推進派であることが基準になっているという国際的に見ても極めてエキセントリックな神社だと言える。信仰の自由で、中にはそのような偏った考えを持つ神社があってもよいだろう。しかし、国を代表するような人たちが、こぞってそこに参拝するとなると、日本の侵略戦争でひどい目にあった近隣諸国としては、反発せざるを得ない。

戦没者を悼む気持ちを表すのに靖国神社へ行く必要はない。安倍首相がアメリカに行って、靖国参拝はアーリントン国立墓地への献花のようなものだと言い訳をしたのだが、そのあと安全保障協議委員会のために來日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行って献花して見せた。アメリカ側の安倍首相に対する見事な回答である。安倍首相の言い草は、とっくに見透かされてしまっている。

先の戦争で日本は何も悪いことはしていないなどと発言している靖国派議員もいる。悪いことでないのだから当然もう一度同じことをやってもいいことになる。これは、もう一度侵略するぞという宣言に等しい。近隣諸国が反発しなかったらそのほうがおかしい。

日本はもう少し、近隣諸国の人たちの気持ちを理解する必要がある。少しばかりの経済的豊かさで傲慢になっているのではないだろうか。


風俗利用を薦める橋下市長ーーこれこそ国辱だが、その真意は? [政治]

橋下大阪市長がまた奇異な発言をやっている。従軍慰安婦は必要だったということから始まり、米軍司令官に風俗利用を薦める話をした。司令官は苦笑いになって「米軍ではオフリミッツ(出入り禁止)だ」と答えたのだが、さらに続けるものだから「行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう」と打ち切られたと言う。

これが、世界に報道されると、日本有数の都市の市長が発言したことで、日本人全体の品性を疑われる。まさにこれこそ国辱ではないか。兵士に慰安婦が必要と言うなら、日本には毎日命がけで戦っている企業戦士がいっぱいおり、これに一体何人の風俗嬢がいると考えているのだろうか。どこの国でも裏社会があるが、それは例外的少数である。ところが大日本帝国だけが大々的に慰安婦制度を作ったから問題になっているのだ。

みずから裏社会にどっぷり浸かり、ホステスとの不倫なんかを実践している橋下氏ならではの発想だが、個人的には一種の居直りだろう。不倫問題で叩かれたが、実のところ反省はしていない。これが当たり前なのだという主張の表現だろうと思う。反論されると逆切れして見せることからもわかるように、殊勝に引っ込むことができない性格なのだ。

橋下氏は政治的には非常に世論に敏感である。受け狙いは彼の身上とも言える。安倍首相が侵略否定発言でアメリカにたしなめられたのを受けて、軌道修正を試みた。右翼の世渡りは絶えず愛国と親米という矛盾した姿勢の調整が絶えず必要なのだ。それが、この発言の前説である「結果として近隣諸国に迷惑をかけた」と言うくだりだ。それで終わると右翼仲間からの批判が高まるので慰安婦正当化を述べなければならなくなった。

そして、その中で自己の正当化の本音が出てしまったというのが事の顛末だろう。 地盤沈下に悩む大阪の人たちの焦りが、つい、漫才師やタレント弁護士に期待してしまうということになり、その結果がこれである。

なぜ日本だけが慰安所を作ったのか [政治]

橋下発言で慰安所正当化があり、「どこの国でもやっていた」というが、もちろんこれはウソで、アメリカや、フランス、ソ連にはなかった。ドイツではあったらしいが小規模なものだ。全軍にわたり大々的に慰安所を作ったのは大日本帝国だけである。

橋下氏は「きれい事ですまない」と言っているが、たしかにどこの国でも兵士の性的要求は頭の痛い問題で、司令官たちは頭を悩ましただろう。ちまたの裏社会にはどこの国でも売春は存在する。だからといって慰安所を設営するなどという安直な解決には、日本以外のどの国も踏み込まなかった。現代人ならだれでも躊躇することを大日本の軍隊は平然と全軍でやってのけたのである。

なぜ躊躇するかと言えば、現代人は女性の人権が侵害されることを罪悪と認識しているからだ。性を金で売り買いしたり、強制することが罪悪であると考えるからだ。誰にも人権があり、これを犯すことはできない。自分も殺されたり、傷つけられたり、侮辱されたりすることを拒否する。この原理は憲法で保障された人権にある。もし人権というものが否定されるなら、自分の拠って立つところもなくなる。人権が正義を代表するものなのである。

フランス革命以来、人権ということが言われてきて人類の普遍原理となっている。ところが、大日本帝国には普遍原理としての人権というものはなかった。陛下の御心に沿うことが正義であり、例えば、殺人が犯罪なのは、人を殺すなかれという陛下の命令にそむくからに過ぎなかった。殺人であっても、戦場などで命令のもとでやれば、なんら罪の意識は生じなかった。

国民は、皇族、華族、士族、平民とランク分けされ、誰もが一様な人間ではなかった。男女の差別もあり、女性は一人前ではないので選挙権も与えないというのが国是だったのだ。明治天皇や歴代天皇は、多くの妾を持ち、男の配偶者に対する貞節を命じなかった。このことから、売春も行われ、身売りなどという女性の売り買いまで認められていた。

もともと人権意識が低く、女性差別もあった上に、中国人や朝鮮人に対する蔑視が重なった。朝鮮人を人と思わない蔑視教育が行われ、多くの日本人がそれに染まっていた。朝鮮人に国家運営能力がないので大日本帝国が代わって統治するなどということが平気で言われていた。日中戦争がはじまると、チャンコロなどと呼んで、中国人を下等民として扱うことが奨励された。

日本だけが慰安所を作った理由はここにある。朝鮮人や中国人の女性を人間扱いしないことが平気で行われたからだ。相手が人間でない、あるいは下等な人間だと信じ込んでおれば、人権を侵害しても何等恥じるところはない。だから平気で慰安婦を集めたりした。アメリカやソ連では、たとえ兵士の規律保持に苦労があったとしても、慰安所を作るようなことは出来なかった。まがりなりにも人権を尊重することが国の基本としてあったからだ。

人権尊重に遅れをとったことは、日本が大いに反省しなければならない点である。日本が、人権を普遍原理として受け入れたのは日本国憲法の成立によるが、今では世界の国々と並んで人権が尊重される国としてありたいと誰もが願っているだろう。

反省のない所に進歩はない。慰安婦問題を真摯に謝罪することは恥でもなんでもない。日本が自浄能力を持っていることを示し、世界の進歩に貢献できることをアピールする誇り高い営みなのだ。

維新の賞味期限切れ [政治]

日本維新の会の凋落が激しい、10%あった支持率が5%に半減しているし、代表の石原爺までが賞味期限を口にするようになった。一時は擦り寄ってきていた「みんな」からは、にべもなく絶縁状を突きつけられている。橋下サンの不倫騒動の時は勢いで切り抜けたが、今度の慰安婦発言ではかなり大きな墓穴を掘ってしまった。

慰安所が必要だったかどうかは、実は一番避けなければいけない話題だったのだが、そこに自ら踏み込んでしまったのは大失策だろう。実際、慰安所は必要なかった。慰安所を作れば規律が良くなるというものではない。むしろ、ストイックな気概がなくなり、軍隊はだらける。諸外国のように慰安所なしで戦ったほうが「皇軍」の名誉のためには良かったに決まっている。慰安所を作ったのは帝国軍隊の敗戦に至る数ある失策の一つだ。もちろん、最大の失策は戦争を始めたことだ。

ところが、ここが右翼のつらいところで、何がなんでも帝国軍隊を礼賛しなければならない。第二次世界大戦で日本は正義だったと言う主張だからこれは仕方がない。礼賛するときには慰安所設置問題は避けるのが常道で、本当は強制の証拠もあるのだが、かまわず「強制の証拠はない」だけを繰り返すのがネトウヨの本筋だった。しかし、橋下サンは弁護士で多少論理的であろうとするから、これに踏み込んでしまった。

一旦これに話題が集中すると右翼としては面倒なことになる。必要なかったと言えば、皇軍の方針にけちをつけることになるし、必要だったといえば、「じゃあ、また作るのか?」と言われる。人間の性的欲求に今も昔もないのだから、「今は必要ない」などとは言えない。とどのつまりは、風俗の利用を勧めることになってしまう。橋下サンも、いろいろと弁解しているが、全く弁解になっていない。結局「必要だった」は撤回できないままだ。

維新のブームは過ぎた。テレビで顔の売れた茶髪弁護士もそろそろ飽きられだしただろう。そもそもの発端である大阪の復興も、よく見れば大都市優遇案であり、とても地方が受け入れられるものではない。国政選挙で全国に広げられる内容など皆無だ。第一、大都市優遇策で一番得をするのが東京だから、大阪の相対的位置はますます低いものになってしまう。石原爺と手を組んだところですでに破綻している。 都議選、そして参院選では維新の退潮ということが盛んにニュースとなるだろう。


アメリカにだけ謝る橋下サンと日本国憲法 [政治]

慰安婦発言で窮地に立った維新・橋下サンは懸命に言い訳を繰り返しているが、ますます支持率が下がっている。言い訳がさらに傷口を拡大している様子だ。国際的な批判を受けて、「愛国者」を自称する右翼がアメリカにだけ謝罪するというおかしな話にはだれも付いていけない。

風俗利用を勧めた相手のアメリカに謝罪するが、橋下サンが差し出そうとした当の本人である風俗で働かざるを得ない女性や、基地周辺の沖縄県民に対しては謝罪しないというのは、あまりにもおかしい。謝罪する相手が違うだろう。

本意は「日本だけが悪いのではない」と言うことであって、決して女性を侮辱することではなかったと弁明しているが、それなら「慰安婦は必要だった」ということに対しての真意をはっきりさせるべきだろう。問われているのは、日本だけが行った大規模な慰安所設営に対する評価だ。

もし、それが正しいことであったとするなら、現代にも通用することで、また慰安婦を集めなければならなくなる。少なくとも慰安婦に代わる何かを提案しなければならなくなる。それでアメリカ軍に対して風俗利用を勧めたのではなかったのか。

「慰安所設営は正当」をそのままにして、風俗利用を勧めたことを謝罪してしまうのは、ますますもって、おかしなことだ。アメリカに批判されたらなんでも謝るという対米従属そのままだ。この謝罪も単なる政治的取り繕いであることをすぐに見透かされる。

なぜ日本だけが大規模な慰安所設置をやってしまったかと言う問題は真摯に受け止めなければならない。明治憲法の下で、人権を普遍原理として受け入れず、国家命令をその上に置いていたことが最大の原因である。国家利益が最高の価値とされ、戦争に命を差し出すことが美徳とされた。人間が軽んじられていたのだ。当然、人権意識はなく、まして敵国の女など、何をしても恥じることはなかった。兵士として命をかける男性だけに選挙権がある中で、女性蔑視もひどかった。このために、慰安所を作るようなことが平然とおこなわれたのだ。慰安所を作ることが当然視されると言う社会であったことが問題なのだ。

若い兵士といっても多くは既婚者だから、慰安所というのは家庭的に問題があるのではないかと思われるし、当時の道徳規範だった教育勅語の「夫婦あい和し」にも反するのではないかとも思えるのだが、この場合の「和」とは夫の浮気に文句を言わないことなのだ。教育勅語を発した本人の明治天皇自身が、正妻一条美子(昭憲皇太后)の他に、公表されているだけでも、葉室光子、橋本夏子、千種任子、園祥子、小倉文子、柳原愛子と6人の愛人を持っていた。日本国憲法に変るまでの社会はそれほどまでに歪んだ社会だった。

どの国にも恥部はある。アメリカもかつて奴隷制を持っていた。しかし、彼らは南北戦争で自らの血を流してまでしてこれを廃止したことを誇りとしている。ドイツはナチス時代の蛮行を徹底的に謝罪し、今では周辺諸国からの信頼を見事に取り戻している。イギリスも植民地時代のアフリカでの行いを謝罪し、最近になっても補償を行っている。慰安所は日本の恥部だが、日本は、多くの人たちの戦災死亡と言う代償を払って、日本国憲法を受け入れることで慰安所を廃止した。

明治憲法の廃止は自発的なものではなかったが、以来65年にわたり、この理想主義的な憲法を保持してきた。これは日本人の努力によるものだ。我々はこれを誇りとする。大日本帝国に戻そうなどという自民党憲法草案などとんでもない話だ。


アベノミックスが不評なのはなぜか [政治]

「美しい国日本」などと全く現状認識を欠いていた前の安倍内閣が国民にたちまち見放された反省からか、第二次安倍内閣では、経済政策を前面に打ち出している。マスコミ対策に力を入れたものだから新聞各紙は「アベノミックス」などと、一様にこれを礼賛しているが、経済学者や専門家には不評なようだ。「アホノミックス」と揶揄する人もいるくらいだ。

小泉時代には「規制緩和・民営化」の持ち上げに追従するアホな経済学者も多かったのだが、今回はそれも少ない。一口に言って、「アベノミックス」には新鮮味がない。使い古された古い経済手法の繰り返しでしかないからだ。金融緩和は何十年も前からやってきて効力が無くなったから問題が起きていることだ。公共投資もしかり、それを財政赤字が増大する中でまたぞろやろうと言うのだから百害あって一利なしと言う評価も当然と言える。

高度経済成長の時代に東名高速道路を作った。全く高速道路がないところに流通の大動脈を創出した経済効果は確かに大きかっただろう。しかし、今、安倍内閣がやろうとしている第二東名高速道路が、どれだけ役に立つものかは誰でも大きな疑問を持つ。重要なのはどちらも同じくらいの費用がかかかり、同じだけ財政赤字を増やすということだ。

同じ道路建設でもすでに道路があるところにやったのでは経済効果はまるで違う。日本の経済はすでに成熟期にあるということがわかっていない。経済発展を目指すということ自体があまりにも古いのだ。円高が輸出を圧迫しているから無理やりインフレにして円安を誘導すれば良いというのも間違っている。円高傾向になって久しい。その間に企業の体質は円高対応で大きく変化してしまっている。今や、単独の国内生産などなく、多くは部品を海外で作ってしまっている。原料だけでなく部品まで輸入しなくてはならないのだから円安の効果もきわめて限定的だ。

今やるべき経済政策は輸出だのみから内需中心への転換である。国内消費の拡大には賃金の上昇が必須だ。設定すべきはインフレターゲットではなく「賃上げターゲット」だろう。多くの企業が抱える内部留保を吐き出させ給与としてマーケットに吐き出させる。国内消費が高まれば自然な円安が誘導される。それに伴って、多少は海外生産を国内に呼び戻してもいける。日本の国民所得は一人当たり3000万円にもなっている。いまさら高度成長は必要なく、これを循環させればいいだけだ。あまりの格差がまともな経済循環を阻害しているにすぎない。

こういった経済政策を提唱しているのは、いまのところ共産党だけしかない。共産党は貧しいものの味方だから、常に賃上げを政策とするが、今や、経済全体にとってそれが必要な時代になっている。他の政党は目先の現象に振り回されてアベノミックス以上の対案を出せていない。資本主義に拘泥しない政党だからからこそ、客観的に経済状態を把握して提言できると言うのも皮肉なものである。

それでも、アベノミックスを評価する人もいる。ここしばらく、乱高下はしているが、株価が上昇しているのは事実だし、GDPもプラスに転じている。しかし、よく見ると、株高は民主党政権の時に始まっている。GDPの変化もそうだ。アベノミックスは予算が4月から始まったばかりだから、実際にはまだ何も実行されていないのだ。アベノミックスを評価する人は、資本主義では自然に起こる経済変動の一部を見ているにすぎない。






都議選を考える---東京都民はアホの集まり [政治]

東京都の都議選が始まった。東京都民ではないのだが、この都議選には注目している。その理由は一言で言って東京都民がどれくらいアホかを見たいということにつきる。

このところ東京には選挙が続いている。老害を指摘されたが、「まだやることがある」と、それを押し切って出馬した石原知事が再選され、当選したかと思ったらすぐに、「知事としてもうやりたいことはない」と辞めてしまった。これほど東京都民をバカにした話はない。ところが、都民は性懲りもなく後継者の猪瀬を次の知事に選んでしまうのだ。

石原知事は、最初に当選したとき、立川基地を返還させるなどと言って知事になったはずだが未達成だ。大赤字の都民銀行なるものを作ってその建て直しをやる責任もあるはずだ。「知事としてもうやりたいことはない」などと言える義理ではない。

こういうことは都議会で追及されねばならないのだが、都議会議員は自民党も、公明党も、民主党も、みんなの党も、オール与党化してしまっている。都政の現実と言えばムダ使いの塊でしかない。とんでもない数の職員がおり、下の方はともかくも、数多い幹部職員たちの給与はきわめて高い。おまけに山のようにある外郭団体はまさに天下り天国になっている。

極めつけは、東名と関越を結ぶ外環道の建設だろう。わずか16kmに1兆2800億円の大盤振る舞いだ。これだけでも高知県の全予算の2倍になる。この道路がどれくらい役に立つものだろうかを考えてみればその馬鹿馬鹿しさがわかる。関越道が外環につながっただけでもインターチェンジは慢性的に渋滞している。これが東名にもつながればさらに渋滞が広がるだけだ。通過時間は今とたいして変わらない。ムダ使いがこれ以上やりようもないほどになってしまい。石原のお殿様が最後に考え出したのがオリンピックというお遊びだ。猪瀬知事が失言して遠のいたとはいえ、トルコの内紛に乗じて開催される可能性もある。

こうしたムダ使いが許されているのは、豊かな財政のためだ。なにしろ、全国にある工場や、営業所、そして店舗の収入のほとんどが、本社のある東京で課税される。どこの自治体も財政難で苦しんでいるが、東京だけはムダ使いのやり放題が続いているというわけだ。地方は東京にむしり取られている。維新が石原と組むなどということは彼らが言う地方分権なるものがインチキであるということの証左にすぎない。打倒東京という姿勢がなければ地方分権などおぼつかないのは明らかだろう。

ムダ使いのおこぼれがおいしいので、都議会議員はすべて与党化してしまうのだから度し難い。実際、今の都議会というのは知事提案に賛成ばかりで通している。これだけ財政が豊かなら、本当は東京の福祉は10倍良いものにできる。保育所なんかいくらでも作れるし、都営の地下鉄はタダにできる。ところが、都民は「他の県に比べてそんなに悪くない」程度でごまかされてしまっている。財政の違いに気づかず、都民のものである税金を政治家に山分けされて、ニタニタ笑っているわけだからアホとしか言いようがない。

都議会の現実とは、ありあまる財源の山分け協議会のことだ。今までもずっとそうだったが都民はそれを受け入れてきた。おそらく今度も都議会与党である自民、公明、民主、みんなが多くの議員を出すだろう。東京都民がどれだけアホかをまた確認できる。東京は良くも悪くも日本の代表である。東京都民が賢くならない限り、日本全体が賢くなれない。あれよあれよと言う間に沈没して行く日本を見ているのもつらいものだ。

もし、この選挙で東京都民が野党の急先鋒である共産党や、多少とも批判精神を保っている社民党を伸ばしでもしたら、日本にもまだ未来があるということだ。かすかな期待で都議選を注視したい。

2013年都議選の結果 [政治]

東京都民はアホの集まりなどと書いたが、選挙結果は自民・公明の全員当選ということで、やはり東京はアホが多いと言うことが確認された。しかし、その中身を見ると東京都民も学んではいることがわかる。民主党の激しい凋落は、期待はずれの反動がいかに大きいかを物語るものだ。前回の選挙では民主党が大躍進して第一党になったにも関わらず、石原に擦り寄って、与党的立場に終始した。「民主党政権とはなんだったのか」でも書いたように、これは有権者側の誤解であり、民主党が何なのかがわかっていなかったということだ。民主党とは自民党の冷や飯食いの集まりにすぎないのであるから、何か新しいことを期待するほうが間違っている。

同じようなことが維新にも言える。大阪で維新が躍進したのは、凋落する大阪の経済をなんとかしてくれるという期待感からだ。公務員の待遇を落としてその分住民サービスを充実してくれると期待したが、結局、いじめのあった高校を潰したり、組合とのチャンバラをやっただけで、職員の待遇を落しはしたが行政内容はちっとも良くならなかった。あげくに、事もあろうに石原とくっついてしまった。東京に全部持って行かれてしまったのが大阪凋落の原因なのだから、東京都知事とくっついたのでは大阪振興になるはずもない。これも期待するほうが間違っており、維新は改革政党ではなく、単なる右翼であって、自民党を補完政党でしかないことがわかっていなかったということだ。自民党が復活すれば用済みになる。都議選では維新の看板は自民党の公認が得られない二流右翼の印象でしかなかった。

共産党が17議席に倍増したことは、民主党に期待して裏切られた人たちの論理的な選択肢として当然の結果と言える。しかし、これは一部分であり、多くは、どうせ同じならと、自民党に戻ってしまったのだから、まだ都民のアホは続いている。一部とは言え、覚睡した人たちもいるということだから、都民もやはり学んで来ていることがわかる。共産党が野党第一党だから猪瀬知事も、絶対多数をつかんでいるとは言え、議会運営は手ごわいだろう。民主党とは違い、共産党は「確かな野党」だからごまかせない。

都議選は参議院選挙の前哨戦だ。過去の例からみても、都議選の傾向は参議院議員選挙に引き継がれる。良くも悪くも東京都民は先進的なのだ。民主凋落、維新壊滅の動きは変わらないだろう。問題はこれらの票がどこへ行くかだ。上向きになっていた株価も停滞気味であるが、この一ヶ月でアベノミックスをどれだけ見透かせるかが参議院選挙の見所だろう。実体経済、まして庶民の暮らしは、ちっとも良くなっていない。


ブラック企業の社長が議員に?---ワタミ [政治]

ブラック企業の社長が参議院議員に立候補している。自民党が比例区で公認するのだから、集票力があると評価されているのだろう。教育再生会議の委員になったり、自ら学校経営に乗り出したりしているから、教育に一家言あるつもりなのだろう。しかし、ブラック企業と教育が相反するものであることは言うまでもない。本人はブラック企業だと思っていないらしい。

従業員を自殺に追い込むまでこき使ったことが社会問題になって、なんらかの言い訳が必要になったと見えて、最近は、ブラック企業ではないと強硬に主張している。その論拠は、外食産業の平均離職率が44%であるのに対して、その会社は42%でしかないというのだから笑える。従業員の半数近くが一年で辞めていくという会社なのだ。

この会社には3万人の従業員がおり、この人たちの生活を支えていることを自慢するが、半数が一年で入れ替わるということは、この10年に15万人の人が愛想を尽かして辞めていったということになる。「定額使い放題」では従業員はたまらない。厚顔にも従業員に対して選挙への協力を婉曲にではあるが押して受けているようだし、顧客にも立候補の挨拶状を送って選挙違反のそしりを受けている。

自伝本によれば、つぶれかけた居酒屋を手に入れて、異常な頑張りで立て直したのが会社の始まりだそうだから、本人は働き者である。それだけなら評価したいのだが、彼がやったことは、従業員にもそれを押し付けたことだ。低賃金で働かせ、本来従業員に払うべき賃金をケチって資産を築いた。

外食産業などというものはそう儲かるものではない。個人経営の食堂では一生懸命働いて、やっと生活できる程度だ。利益率が低いことは、チェーン店でも同じことだ。この会社だって一人当たりの営業利益は高くもない。社長が一人金持ちなのは、単に従業員から少しずつピンハネしているだけに過ぎない。3万人から年間1万円くすねただけでも3億円になる。

こういった金持ちを成功者としてあがめていいとは思えない。居酒屋などという産業は昔からあったもので、経営者の創造性などどこにもない。どうやって人の金をくすねるかと言うことにだけ長けた「成功者」が多くなればなるほど、不幸な日本人が増える。

こういった人を比例区の候補として恥じない政党というのも異常だ。金は正義なりという思想の表現に他ならない。日本人全員がブラック企業で働かせられる社会にだけはして欲しくない。

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2013参議院選挙の見所 [政治]

2013参議院選挙の見所

参議院選挙が公示され、マスコミでは「ねじれ解消」の成否がとりざたされている。しかし、そんなものは見所でもなんでもない。与党が多数になり、参議院も自民党が制覇することはわかっている。「ねじれ」などと言うが、二院制の場合、むしろ両院で力関係が逆転しているほうが当たり前だろう。どちらも同じでは二院制の意味がない。アメリカでは議会は大統領の野党が多数になるのが普通だ。一極集中という日本の異常がまた復活することになるだろう。

選挙の見所というのは、そういったものではなく、国民の意見が政策にどのように反映されることになるかだ。議員の任期は6年だから、政策のうち、目前の判断が一番白黒をはっきりさせる。原発なら、30年後のことなどではなく、今再稼動をどう考えるのかに注目すべきだ。消費税なら、2015年に10%にするのかどうかが問われる。各党の対応を表にしてみると次のようになる。

自民民主公明維新みんな生活社民共産
原発再稼動賛成賛成賛成賛成賛成反対反対反対
来年消費税10%賛成賛成賛成賛成賛成反対反対反対
憲法96条先行賛成賛成消極賛成賛成反対反対反対
辺野古基地賛成賛成賛成賛成賛成反対反対反対
TTP参加賛成賛成賛成賛成賛成反対反対反対


はっきりと2つに分かれていることがわかる。自民、民主、維新、みんな、公明は官僚が主導する現体制派=与党であり、生活、社民、共産が反体制派=野党ということになる。

争点がないなどといわれるのは、自民党と民主党や維新の間でのことだ。同じように共産党と社民党の間でも争点は全くない。しかし、現体制派と反体制派の間には明らかな対立点があり、争点は、はっきりしている。

だから、今度の選挙の見所は、現体制派と反体制派の増減が焦点であり、民主党の浮き沈みによる「ねじれ」などは、いわばどうでも良いことである。

対立する2つのグループ内での選択は、政策ではなくその政党の実行力や信頼性になる。現体制派ではしにせの自民党に信頼を置く人が多いだろう。ぶれまくった民主党の凋落は否めないし、賞味期限が切れた維新に期待する人も少ないだろう。反体制派は、いずれも大勢力になっていないが、終始一貫している点では共産党が一番評価される。実際、野党の中では一番集票力もある。ばらばらでは現体制派に押されっぱなしになる。今回は、票を共産党に集中して与党に対抗すべきだろう。


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注)
この表で多少紛らわしいのが「みんな」で、再稼動反対であるかのような発言もある.。しかし、公約では「原子力規制委員会が定める世界標準に適合しない限り原発の再稼働を認めない」と明記。裏を返せば、規制委の基準に適合すれば再稼働を容認するということだ。憲法96条でも、3月14日の憲法審査会で、「みんなの党は、憲法96条、すなわち改正要件の緩和をアジェンダのなかで掲げており、軟性憲法への改憲を志向しています」などと表明している。

憲法と国のかたち [政治]

憲法改変の議論の中で安倍首相などが言い出していることは、憲法を「国のかたち」を表すものにしたいということである。「国のかたち」として中心に据えたい事は、万世一系の天皇を戴いて発展した長い伝統と文化を持つ国ということになるらしい。

しかし、こういった規定を「国のかたち」として体系的に取り入れるのは、実は簡単ではない。世襲制の天皇と言うのは、身分制度に基づいたものである。象徴などではなく、はっきりと元首とした場合は、国の原理として身分と言うものを認めなければならない。事実、長い日本の伝統を見れば、政治形態はすべて身分に基づいたものであった。上下の身分をわきまえて調和を保ち、下は上を敬い、上は下を可愛がる。その頂点に将軍なり、天皇があった。

この長い伝統の延長線上に民主主義を置くのは難しい。身分制度の対極として現れたものが民主主義である。人はみな平等であり、生まれながらにそれぞれが尊重されなければならない。これは誰もおかすことが出来ない権利である。日本国憲法はこの原理に基づいているし、他の多くの国々でも採用されて、「人類普遍の原理」となっている。

日本だけでなく、ほとんどの国の歴史と伝統はこの民主主義の原理と矛盾する。どの国でも「伝統」と戦って民主主義が獲得されて行った。だから、民主主義を掲げる「国のかたち」として万世一系の天皇などを持ち込むのは、哲学的に大変難しい。

自民党の憲法草案では、万世一系の天皇を元首に持ち上げることを謳いながら、「民主主義」「人権」などの言葉を、唐突に並べる愚をおかしている。矛盾したものを並べるから、前文でも、なぜ民主主義でなければならないのか、なぜ人権は尊重されなければならないかを一切語ることができない。哲学が無いのだ。結果として全く品性のない文章になってしまっている。このような文言をもって憲法と呼ぶには世界に対して恥ずかしすぎるしろものだ。

独自の伝統と文化だけを国のかたちとして強調した場合、もう一つの矛盾がある。誰でも天皇になれるのではない。天皇がなぜ元首たりえるかといえば、それは天皇の神性に基づいている。「世界で唯一の神の国」と言わざるをえない。神の国である限り八紘一宇の精神を発揮せざるを得ない。神が、外国が定めた国境などにより、ちっぽけな日本列島に閉じ込められていること自体が原理的にはおかしい。必然的に世界征服が出てくる。第二次世界大戦を戦った日本の精神的支柱は八紘一宇なのである。

自民党憲法草案では、日本国憲法にあった人類の到達点である先進的な憲法という、位置づけがすっぽりと消えてしまっている。世界のことがまったく語れないのだ。もし、語るとすれば、世界は天皇に従属すべきであるとしか書きようがないから押し黙るしかない。人類的視野も世界も語らない憲法という時点でもう品格もくそもあったものではない。

憲法とは国の基本だから哲学でなければならない。そこまで突き詰めてないのじゃない? と言われるかもしれない。まさに、それが自民党の意図するところだ。憲法などという面倒なものはいらない。多数派のやり放題のどこが悪いというのが彼らの本音だ。これまでも憲法を軽視してきたが、この際96条を変えてしまい、単なる法律程度のものにしてしまいたいと言う事だろう。96条改変で日本は憲法不在の国になる。

2013参議院選挙の結果ーー「ねじれ」は解消したのか [政治]

参議院議員選挙が終わり、自民・公明の圧勝ということになった。改憲派議員が70%を占めるという危機的状況になった。その中身を見てみると地方区が圧倒的に自民党になっている。比例区の得票率で見ると自民党支持は30.6%しかないのだが、地方区では64%を占め、特に31ある1人区では93.5%を取ってしまっている。一党独裁と言われる中国ですら全人代議員の1/3は野党なのだから、日本はそれを上回る独裁体制ということになる。(中国の議会は100%共産党だと信じている人がいるが、それは間違い)

三分の一しか支持しない勢力が絶対多数を牛耳るという民意と議会の「ねじれ」は極限に達した。議員削減で比例区を減らしててしまったから、ますます「ねじれ」が多くなったのだ。定数削減でますます議席確保安定化できる議員たちにとって定数削減は、まったく「身を切る」はなしではない。

小選挙区は二大政党制を看板にして導入されたが、今回の結果を見ればそれが完全な虚構だったことがわかる。日本のような均質性の高い国、中央集権の強い国では、小選挙区制は一党独裁しか生み出さない。アメリカでは長く、小選挙区制のもとで二大政党制が続いているが、これは広い国で地方性が高いからだ。民主党は伝統的にマサチューセッツなどでの民意を代表し、共和党はテキサスなどを代表している。両州の政治感覚のちがいは大きい。日本は小さな国であり、地域によっての政治風土のちがいなどほとんど無い。よらば大樹の陰となって、大政党に一極集中してしまう。結果として、議会と民意の「ねじれ」が、うまれる。

こうした「ねじれ」の結果、生み出されるのは政治不信であり、民意を代表しない選挙に投票する人が少なくなる。参議院選挙では52.6%しか投票しなかった。だから投票行動で積極的に自民党を支持した人は有権者の1/6だけだと言う事になる。これが圧倒的多数として振る舞い、国を動かすのだから、あらぬ方向に突っ走ってもおかしくない。 適切な人が選ばれる選挙制度こそが、その国の盛衰を決める鍵だ。タレントや二世、官僚ばかりが跋扈する現在の議会が、おかしな選挙制度に基づいていることは誰でもわかりそうなものだ。

小選挙区制を止めること。ビラやネットを自由にし、運動期間を長くして十分な議論を保障することで、選挙制度を改革することがぜひとも必要だ。


麻生「ナチス発言」の波紋 [政治]

麻生前首相がまたまた「失言」を繰り返した。憲法改定はナチスに学べというもので、本人の言い分では、あわててやることはないと言う主旨だったとのことだ。その内容を見てみると、この人は漫画しか読まないなどと言われているとうり、改めて不勉強な人だと感じた。事実関係が、全くでたらめなのだ。

「ワイマール憲法が、知らぬ間にナチス憲法に変わっていた」などと言ったのだが、ナチス憲法なるものは存在しない。ナチスは憲法を変えておらず、徹底した解釈改憲をやったのだ。ワイマール憲法は非常に先進的な民主主義的憲法だったが、第一次世界大戦の戦勝国による「押し付け憲法」だとしてナチスはこれを排撃した。このあたりの状況は、自民党の今に似ている。

憲法を完全に骨抜きにするためにやったことは「全権委任法」の制定だ。ワイマール憲法には、国家の非常時には憲法の効力を停止できると読める条項があった。実は、自民党の「改憲案」にも、こういった条項がこっそりと入れてある。当時、単独過半数にも達していなかったナチスだったが、中道右派との連立で、ヒットラーが首相になった。その首相に全権を委任するという法律を通した。憲法を越える法律だから、三分の二の賛成がいる。

ナチスの台頭に反発して共産党など反対勢力も国会ではかなりいたのだが、どうやって、三分の二を達成したかと言うと、議員の三分の二ではなく、出席者の三分の二と解釈した。その上で「国会放火事件」をでっち上げて、共産党議員に逮捕状を出した。出席できる議員の中ではナチスと中道右派で三分の二はある。中道右派と言うのは、消費増税を通して、原発再稼動を容認した民主党のようなもので、ふらついているから親衛隊が、右から少し脅せばどうにでもなる。

「全権委任法」が出来てしまえば、なんでも好きなように出来る。ナチス以外の政党を全部非合法にしてしまった。これも自民党改憲案にあるのだが、非常時には人権も制限できる。「公共秩序を破壊する潜在的危険分子」は予防拘禁することが出来るようになり、ドイツの政治運動は死滅してしまった。全権委任法は時限立法で1937年には失効したのだが、そのときにはナチスに反対する勢力は皆無になっていた。

このような歴史から、ナチスの改憲手法の何を学ぶというのだろうか。法制局長に極端な解釈改憲派を選任した安倍首相は、麻生氏の提言を実践しているのかもしれない。というより、首脳部の議論では、国民が知らぬ間に「解釈改憲で憲法を完全に規骨抜きにしてしまう」というのが、規定の方針になっていることを、麻生氏が漏らしたのだろう。

この麻生発言に対して、世界中からの批判が起こり、早々に発言を撤回することになった。しかし、反省はしていないようだ。アジア諸国からの反発には強弁するが、欧米からの批判にはきわめて弱いといういつもの対応だ。ナチスの盟友であった大日本帝国を評価する立場からは、ここまで強い世界の反発を予測しえなかったことにつきる。

安倍首相も「戦後レジームからの脱却」などと言っているが、世界はそれを許さない。現在の世界は、第二次世界大戦の反省の上に立脚しているのだ。東北大震災は2万人が亡くなる大惨事なのだが、第二次世界大戦では300万人の日本人と1500万人のアジア人が死んだ。まるで桁がちがう。この禍は100年や200年で忘れてはならない。それが、世界の共通認識であり、この認識を共にしない日本政府は極めて異常な存在といわねばならない。


県知事選挙-----茨城県民はもっとアホ [政治]

東京都民はアホの集まりということを書いたが、上には上があるもので、茨城県民はもっとアホだっぺよ(=である)。茨城県というのは、医療や福祉の指標を見れば、全国43位とかの福祉貧困県なのだが、決して金が無いわけではない。財政指数からいうと、全国8位の豊かな県だ。財政赤字を恐れて緊縮財政をやっているかと言うと、そうでもない。この20年間にどんどん負債は増えて、2兆円を超えた。

一体この金はどこに消えたかと言うと、不要な土木事業だ。船が来ない那珂湊の港湾整備、各地の売れない工業団地の造成、これまた売れないTX沿線の宅地造成、さらに巨大な霞ヶ浦導水路、八ッ場ダムにも巨額の出費。やらずとも良いことに大金を使って、しかもことごとく失敗している。県住宅供給公社なるものも、破綻して、県自体がその債務を引き継ぎ、800億円を超える出費になるという事態に陥っている。明らかな失政なのだが、誰もこれを追求しない。

県議会ではオール与党体制が続いている。何しろ野党議員は共産党の1名だけで、しかも厳しく質問時間の制限をつけているから、何でもフリーパスで通る。知事はすでに全国最多の5選をやり、次また6選を宣言している。全国には退職金を辞退している知事もいるのだが、橋本知事は4年ごとに4千万円、すでに2億円近くをしっかりお手盛りで、貰っている。

こんな知事が全国初の6選を果たす勢いだということだから、茨城県民はアホとしか言いようが無い。これまで自民・民主・公明の推薦を受けてきたのだが、さすがに6選となると、これらの党も推薦するわけにも行かない。ところが、自民党なども、もはや橋本知事を引きおろすこともできない。独自候補は立てずに自主投票ということになっている。多選の弊害とはこういうことで、知事は強大な権限を持っているので、5選もすれば、県内に支配構造を張り巡らしてしまうのだ。政党に代わって県内の全ての市長に推薦させている。

なぜ多選が悪いかというと、予算権・人事権を持っている知事が長くなると、周りはどうしてもイエスマンばかりになってしまう。軌道修正は効かないし、行政にも新しいアイデアが出てこない。漫然と借金を増やしながら、同じような土木事業の失敗を20年にわたって繰り返したのはこのためだ。

知事としては、多少は県民の福祉でも点数を上げて、名知事としての名を残したいと思っても不思議はないのだが、福祉貧困県の実情はいかにもひどい。小学生全部の医療費無料化などは、財政が逼迫していない県ならどこでもやっているのだが、茨城県はまだやっていない。ほかの福祉もおして知るべし。県内各地の商店街は見るも無残な寂れ方をしているし、実際所得の減少は他県を超えている。知事には、県民のためになることをやろうと言う気持ちがこれっぽちも見られない。

なぜ、県民に目が向かないかというと、橋本知事は、自治省からの天下りだからだ。自治省というのは内務省を改名したものであり、かつては、官選知事を配下にしていた。自治省を経て知事になるのは天下りなのだ。自治省の課長から知事になったのだが、骨の髄まで官僚体質が身についているので、国の意向しか頭に無い。こういった官僚には、県民の目線でものごとを考えるなどということは、そもそも不可能なのだ。

東海村の原発は老朽化しており、100万人もの周辺人口があるという、全国でも一番再稼動してはいけない原発なのだが、この再稼動に対しても、「国の方針が決まってから」と、いまだに態度をはっきりさせない。北海道は道を挙げてTPP反対で動いているが、北海道に次ぐ農業大県である茨城県の知事は、いまだに、「国のほうで考えること」という態度を崩さない。あくまでも国の意向に従うというところで、官僚の面目躍如というところだろうが、茨城県の住民にとっては災いでしかない。

先代の竹内知事も官僚出身だ。しかも、在任中の汚職がばれて、有罪判決を受けるというおまけつきだ。それを性懲りも無く、またもや、ありがたく天下りを受けて、5選まで失政を続けさせているのだから、アホさ加減は東京都の比ではない。今度の知事選では、茨城大学副学長だった田中重博さんがたまりかねて立候補を決意したと言う。田中さんは自治体問題の研究者だから地方自治のプロでもある。田中さんの言うことが、茨城県民にどれくらい通じるかが茨城の民度を表すものになるだろう。

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「集団的自衛権」のわかりにくさ [政治]

「集団的自衛権」をめぐって解禁だとかの議論がされているが、「集団的自衛権」などと言う言葉の意味がわかりにくい。国連憲章の51条には、加盟各国に集団的・個別的な自衛権を認める主旨が書いてあるのだが、この国連憲章は1945年6月、まだ連合国と日本の戦争が行われている時に出来たと言うことに注意する必要がある。国連は日独伊と対戦する連合国を母体とするもので、国連自体が一種の軍事同盟であったのだ。当時としては、国連非加盟の国が加盟国に戦争を仕掛けてきた場合を想定せざるを得なかった。ほとんど全ての国が国連加盟となった今では、加盟国の一部が軍事同盟を結んで他と対立することは、国連の主旨に反するだろう。

そんな「権利」をわざわざ問題にしているのは、おそらく日本だけだろう。もともと「個別自衛権」が、自衛隊を合憲とするために国連憲章に飛びついて引っ張り出した権利なのだが、これまで政府の憲法解釈の根幹をなしてきたものだ。今度はその根幹も取っ払ってしまうというのだから、法律論としては、もう、無茶苦茶だ。

日本国憲法は1項と2項に分かれているが、1項は国際紛争を戦争で解決しようとしないことを表明している。アレキサンダー大王の遠征当時は、国際問題は全て戦争で決着をつけるというのが常識だったが、現代においては、どの国もそんなことは言わない。パリ条約以来、戦争で決着をつけると言う問題の解決法は国際的に禁止されている。だから、第一項はどの国でも受け入れていることだ。日本国憲法の特色は第二項にある。

第二項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と軍備を持つことを禁じており、戦争をやろうとしても出来ないように第一項を具体的に補強したものだ。ところが、冒頭の「前項の目的」と言う言葉に着目して屁理屈が考え出された。第一項で達成しようとしている目的は、他国に侵略する侵略戦争を防止することだから、自衛のための武力はここで言う戦力にあたらず、禁止されていないというのがその理屈だ。

自衛隊が発足したころは、戦力とはならない程度の小さな武力と言っていたが、軍事予算が肥大化すると、そうも言えず、武力の大きさではなく、その行動規範が戦力でなければ良いというようになった。戦力を持っている米中も第一項は受け入れており、侵略戦争をやってはならないという規範はもっている。アメリカ軍は「国防」省に属し、米国防衛のための戦力と位置づけている。戦力と自衛力のちがいが、一体どこにあるのかということが当然問題になる。

そこで考え出されたのが「集団的自衛権」という概念だ。日本の自衛隊は日本本土が攻撃された時に自衛するためのものであって、海外権益が侵害されたとか、同盟国が攻撃されたとかで出動できない。他の国の防衛戦力というのは、直接に侵攻されなくとも、海外施設を犯されたり、同盟国が攻撃されたりしても発動される。つまり、「集団的自衛権」を持つものが戦力であり、それを持たなければ戦力でなく、憲法違反にならないとしたのだ。

実際、集団的自衛権は過去において侵略に用いられてきた。傀儡である汪兆銘政権が、南京政権や八路軍に攻撃されているので、集団的自衛権を行使して日中戦争を引き起こした。同盟国への攻撃に対抗する自衛戦争と言うわけだ。およそいかなる侵略戦争も祖国防衛のスローガンを使わなかったものはない。集団的自衛権を発揮するといえばどのような戦争も可能になる。

世界第4位の軍備を戦力ではないとするのは屁理屈ではあるが、集団的自衛権をもたないというのは、侵略戦争を防止するひとつの歯止めにはなっていた。今、安倍内閣がやろうとしている「集団的自衛権」を持つという解釈改憲は、日本を底無しの泥沼に引きずり込む。これをやってしまえば、もはや何の歯止めも無く、自衛隊は戦力ではないという屁理屈さえかなぐり捨てることになる。

日本が立憲国家としての体裁さえ捨てて、憲法の完全無視というナチスのやり方に進めば、行き着く先は大破綻でしかない。

堺市長選挙----市民自治の抵抗 [政治]

堺が大阪に攻められている。橋下維新の手が大阪都構想に追随しない堺に伸びてきたのだ。市長選挙は現職と維新候補の争いとなったが、共産党なども政治的立場を超えて現職を推すことにしたから、堺独立派と大阪追従派の戦いの様相を示している。

堺が大阪に攻め立てられるのは実は初めてではない。中世、堺には町人たちによる自治都市があった。貿易の中心地として発展したのだが、大阪の豊臣秀吉によって攻め立てられ解散させられた。大阪は商都となったが、これは堺から強制移動させられたものたちが築いたものだった。大阪は堺を食い物にして太った。

それでも、港湾と後背の大阪平野や紀州の物産に支えられて堺の独自の再興があった。酒造や製糸、線香、刃物、鉄工などの工業が発達した。この勢いも再び大阪のために阻害されることになった。江戸時代にも堺町奉行が廃止され大阪町奉行の管轄に入れられということが起こり、大阪優先の大和川の付け替え工事で港に砂の堆積が起こってしまった。

大阪中心の行政のために、こうした圧倒的な良港の利点が失われたことは明治になっても尾を引いた。幕末が勤皇派に主導されたために、天皇陵が近い堺での開港がならなかったという理由もあったのだが、神戸に貿易港の座を明け渡してしまうことになった。

このように、堺は何度も大阪の被害にあっているのだが、それでも堺市民はしぶとい。戦後も独自の発展を見せ、政令指定都市にもなった。大阪市と全く同格である。文化的には大阪とは一味ちがった独自のものを発展させてきている。交響楽団が本拠を堺としたり、回転寿司だってくら寿司は堺の生まれだ。自転車部品のシマノとか特色ある企業も多い。

それが、維新の大阪都構想では、解体させられ、大阪市の一部同様に扱われることになる。長い自治の伝統を持つ堺に対する大阪の襲撃がまたもや起こったのだ。財政的にも堺の予算は多く大阪都に吸い上げられることになる。堺を餌食にして大阪を太らせる策略でしかない。

大阪は戦いの矛先をまちがっている。大阪の地盤沈下の原因は東京への一極集中にある。東京と戦う以外に道はないのだ。ところが橋下維新は、東京の石原と手を組み、地方の小都市をいじめにかかっている。おまけに当の石原から「日本に都は2ついらない」などとバカにされる始末だ。それでもニタニタして東京にくっついた姿勢を崩さないのだからだらしなさすぎる。

堺市民はこの大阪の侵略に対して、はっきりと抵抗の意思を示すべきだろう。堺の自治の心意気が現れる選挙結果であってほしい。やがては、それが全国各地の自治の励ましになる。

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橋下流、騙し演説のテクニック [政治]

堺市長選挙での橋下氏の演説をyoutubeで聞いてみた。もっと若々しいと思っていたのだが、最近はすっかり中年オヤジ顔になってしまっている。観衆は少しまばらで、人気の衰えを見せていたが、歯切れよく語り、平気で罵詈雑言を使ってみせるパーフォマンスが受けているようだった。聴衆の中には説得力を感じている様子が見られた。こちらも、相手方の主張に上すべりがあるような気がしてきた。あとから、よく考えてみると彼の演説のまやかしに気が付く。

「堺がなくなるというのはウソです。堺はなくなりません。」と彼はさけぶ。だれも堺の街自体がなくなることを心配しておらず、堺の自治がなくなることを心配している。相手候補が維新は堺の街をなくすとして維新攻撃をしているかのようにすりかえての反論だ。相手の主張をすりかえての反論は彼の常套手段らしい。堺の街がなくならないことは当然なので、彼の主張がもっともだと感じるようにする策術だ。大阪都は堺市をなくすことに間違いはない。

「なんでも、堺市だけでできるわけがない」とも言う。泉北ニュータウンのリニューアルで府営住宅の建替えを例にだしての議論だ。市が府営住宅に手が出せないのはあたりまえだ。聞いているほうは、そうだと思う。ここですかさず、ワン大阪が必要で大阪都が必要だということに結びつける。府営住宅は府の仕事だから府がやるべきで、堺市ができないことは何等問題ではないのだが、出来ないということを繰り返し強調して限界を意識するように持って行き、大阪都に結びつけるのが彼のテクニックだ。府と堺市でできることに、なぜ大阪市も一緒にしないといけないかの説明は一切無い。

「泉北高速鉄道の運賃が高い」とも訴える。これは大阪都とは関係がないのだが、堺のだれもが感じていることだから、ひきつけられはする。比較に東京の地下鉄を持ってきて都であることと関係があるように感じさせる。ここですかさず民営化すれば安くなると具体策を印象づける。東京メトロは民営だから安いというのだがそんなことはない。東京は都営地下鉄もあり、堺を通る私鉄の南海よりもはるかに安い。お役所仕事の非効率を言うことで、受けをねらうが、民営だと効率は上がってもその分「利益」に吸い上げられることを忘れてはならない。

「堺は衰退してしまう」と脅すことも忘れない。不景気の中で、誰もが持っている不安をあおり、このままではいけないと思わせる。だが、大阪都で巨大な大阪市の負債を一緒に抱え込むことで、これが解消するものではない。不景気も大阪都とは直接関係がないのだ。思い切り不安をあおれば、わらをもすがる気持ちになり、まるで彼が提示する大阪都が解決策のように見えることを使っているにすぎない。

これが橋下演説の全てだった。つまり、まともな内容は一切なかったということだ。いずれも騙し演説といえるもので、その場の雰囲気で聴衆を引き回してしまうものだ。こういう手合いに騙されないためには、自分の頭で冷静によく考えてみるしかない。以前、選挙で勝ったときには「僕が民意だ」と豪語した。堺市長選挙はあきらかに大阪都構想反対の民意を示したものだが、彼はこれにどんな詭弁を使ってくるのだろうか。

オバマの挑戦ーー国民皆保険と予算執行停止 [政治]

アメリカの債務不履行問題が報道されて、基軸通貨の信用問題がクローズアップされているが、むしろこの騒ぎをアメリカの内政問題として見るほうが現実的だと思う。基軸通貨の信用問題はどうせ前から言われていたことで、一朝一夕で変わることではない。

なぜ、アメリカでは政府期間が閉鎖となるような騒ぎになるのかは、日本ではなかなか理解されない。三権分立が厳しく守られているアメリカでは予算の執行は議会の同意がなくては、大統領といえどもままならない。下院は共和党が握っているし、上院も民主党は過半数ぎりぎりである。この中でオバマ政権は、画期的な政策を打ち出してきているから、たいしたものだと言わざるを得ない。今回の騒動は、共和党が予算執行を認める条件として、国民皆保険の多少の骨抜き迫ったことで起こった。

アメリカという国は対外政策においては、傲慢な度し難い国家であるが、内政的には、やはり優れたものを持っている。そもそもオバマを大統領にするなどといったことは、日本ではあり得ないようなことだ。誤解を招くような表現になるが、黒人の地位は、日本で言えば在日朝鮮人のような存在だ。国政経験も上院議員を3年勉めただけである。その上院でも黒人議員はオバマ一人だけだった。

オバマが注目されだしたのは、2004年大統領選挙の時の民主党大会からだ。イリノイの州議会議員でしかないオバマが基調報告を行ったのだが、その演説が評価された。しっかりとした政治理念を情熱を持って語ることが出来れば、無名であっても引き立てられる。黒人であっても結局は大統領になれた。これはすばらしいことではないか。日本で、タレントや二世ばかりが議員になるのとわけがちがう。優れたリーダーを選び出すことができるかどうかは国の命運を決めることになる。現在の日本の選挙制度は目を覆うばかりの惨状だといえよう。

初めての黒人大統領と言うだけではない。やはりハンディーとなる黒人であることを超えた実力の持ち主であったことは明らかだ。就任早々、皆保険法案を通してしまった。軍縮も決定してしまった。おそらくオバマは歴史に残る名大統領となるだろう。

アメリカには国民健康保険がなく、健康保険は民間企業にまかされており、利益にならない貧困層は保険から見放されている。保険産業は巨大な利権の元になっている。軍事産業が強力である事も良く知られた事実だ。これを全部敵に廻す事をやりとげる政治手腕は、驚くしかない。保険制度は、民主党が安定多数を保持していた時代に、クリントンも公約していたが、早々と挫折した。

オバマ健康保険は、日本で言う自賠責保険のような二階建てで十分なものではない。しかし、今、どこの国でも、社会保障を削減して、景気をよくすることばかりを考えている。そういう時代に、大掛かりな社会保障の拡充をやるということがどんなに大変なものかは、理解できる。きっぱりとした政治理念とそれを推し進める強い意志がなければ出来るものではない。

今回の予算停止騒動でも、オバマは皆保険に関しては一切の妥協を拒否した。そのために、政府機関の閉鎖まで起こったが、くじけない意思の強さをしめした。クリントンには決してまねの出来ない強さだ。国民への説明にも迫力があった。下院での多数を背景にした共和党のごり押しに批判が集まった。この間、共和党の支持率は20%にまで落ちたという。

共和党が、強硬に出た背景には、Tea Partyの進出がある。日本で言えば維新に当たる。地方議会で勢力を伸ばし、第三極と称していたが、要するに極端な右翼である。左派に妥協する既成右派にいらだち、右派の主張を押し通す強さを強調して右派中の支持を集めたわけだ。 この現象は日本でも同じように起こっている。第三極と称して人気を集める手法も良く似ている。

しかし、結局、Tea Partyに踊らされて強硬姿勢を取った共和党は墓穴を掘った。政府に前代未聞の混乱を引き起こしたとオバマ政権を攻めることにならず、共和党の支持率激減という反応を示したアメリカ国民の理性を日本人が持ち合わせているかどうかには自信がない。

病んだアメリカからも、民主主義の成熟をまだまだ学ばなければならない日本の現実を突きつけられた気がする。

タカ派の平和ボケとはどういう事か [政治]

「タカ派の平和ボケ」というのは軍事評論家の田岡俊次さんが使い始めた言葉らしい。「平和ボケ」とい表現は、タカ派がハト派に対して使ってきた言葉で、理想論ばかり言って弱肉強食の現実を見ないことを指していた。戦後続いた平和な時代になれてしまって思考力がボケてきていると酷評するわけだ。

田岡俊次さんが指摘するのは、実はタカ派こそ平和ボケしているのではないかということだ。言うまでもなく戦争は厳しい現実だ。勝っても負けても大きな犠牲を払う。現実を見据えたタカ派は、見通しをつけた上で強硬論を主張する。嘗てのタカ派、例えば中曽根康弘元首相なんかは、自分が戦争も経験しており、強硬論にもそれなりの深みがあった。

ところが、最近のタカ派の主張は、実に上滑りで、中曽根元首相から見ても危なっかしいものだということだ。戦争がどのようなものかがわかっておらず、ゲームの戦争しか経験していない。強気に出れば相手が引っ込むものだと決めてかかっている。軍備を拡大して勇ましいことを言うばかりだ。平和ボケしたタカ派の頭には、戦争ごっこしかない。

現実を見れば、原発を多数作ってそれに依存している状態では、国防もくそも無い。通常のミサイルを一発打ちこんだだけで大混乱になる。TPPで食料を持久できなくなる国に戦争を担えるはずもない。こういったことに、全く関心を持たず、やみくもに強硬なことを言い立てるのは、まさに「タカ派の平和ボケ」そのものである。

軍事の専門家と言われる自衛官も、だれも戦争を体験していない。防衛省の幹部は、予算獲得と発注業務だけに長けた官僚そのものである。上意下達で物事がすべて済むから戦争がないときの軍人ほど官僚的なものはない。無駄使いだけで毎日暮らすのであるから一番、汚職が多くなるし、平和ボケも多くなる。

軍備の拡大も、いったいどこまでやるのか、目標を何に定めるのかを考えていない。人口10億の中国を未来永劫に東シナ海に軍事力で閉じ込めておくなどというのは、まったく現実が見えていないことだ。では、どこで折り合いをつけるか? 何も考えていない。軍事費は国家にとって大きな負担だ。現に、あらゆる社会保障を切り詰めるという代償を払っている。

大日本帝国の中国侵略も同じような道をたどった。 ズルズルと支配範囲を広げてしまい、収集がつかなくなってしまった。 このときも、国内は連戦連勝に沸いていた。戦争すれば、必ず勝つ。戦争中も国内は平和であった。どんどん攻めて行けというマスコミ論調は、厳しい現実を見ない平和ボケであった。平和ボケが無謀な戦争に日本を引きずり込んだ。タカ派の平和ボケこそが、恐ろしい結果をもたらすものだといえる。

山本太郎叩きこそ政治利用 [政治]

山本太郎議員が園遊会で天皇に手紙を渡したことが天皇の政治利用だとして叩かれている。天皇は政治権力を持たないのだから、これに直訴するというのは、意味のない行動であり、国会議員としては、思慮を欠いていたとは思う。

しかし、これを政治利用だというのはおかしい。彼は、手紙を渡しただけであるから、年賀状を出すのと同じであり、取り立てて政治利用にはあたらない。手紙の中身で、彼が天皇に何か政治的行動を求めたのなら、政治利用未遂になるかも知れないが、惨状を訴えただけなら、普通の手紙でしかない。手紙の中身も議論せず、手渡したことだけを取り上げて、文句をつけるとすれば、戦前の不敬罪しかないが、現憲法ではそんな規定はない。

手紙でなく口頭で言えば政治利用ではないというのもおかしい。石原ブレーンの米長邦雄が園遊会で天皇に「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と同意を求めた方がよっぽど政治利用だ。このときは逆に天皇から、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」たしなめられてしまったが、自民党などはまったく問題にしなかった。

これは結局、天皇を利用して、日の丸・君が代を強制することであって、これこそ天皇の政治利用である。 オリンピックの招致に皇族を使ったことも政治利用だし、天皇を前にして揃って、戦前式のバンザイを唱えて見たりするのは、明らかな政治的デモンストレーションであり、これに天皇を引き込もうとしたのは政治利用だ。自民党は一貫して天皇の政治利用をやってきた。

山本議員の行為に対して、「議員辞職に値する」などと騒いでいるのは、おそらく政治利用の独占を侵害されるという恐れないし「やっかみ」の心情吐露だろう。原発反対の運動を天皇を利用して押さえつけようということなら、実は、山本議員叩きをしている人こそ、政治利用の張本人なのである。



猪瀬5000万円裏献金事件 [政治]

猪瀬5000万円事件

徳田毅議員が、徳州会の資金力にものを言わせた悪質な選挙違反を行ったことは確定的だが、これに猪瀬知事も連座していたことが明らかになったようだ。記者団とのやり取りに、その実態が浮かび上がる。つっこみ所満載の筋書きだ。

都知事選に立候補するに際して、11月6日に徳田虎雄に挨拶に行った。
--なぜ、遠くの病院にまで行って徳田虎雄に挨拶しなくてはいけないのか?金以外にないでしょう。

その結果、徳田毅議員から連絡があって11月14日に会っている。この時金の話が出た。--あいさつした虎雄本人ではなく、毅だということは金が徳州会のものであると、当然わかる。

11月20日、議員会館に出向いて5000万円を現金で受け取った。
--普通こんな大金は振り込む。現金で受け取る意味は、裏金の意識があったということだ。

受け取った時に非常に簡単な借用書を書いた。
--貰っては不味い金という認識があった。形式的に借りる形にするが、金でなく別の形で返せばよいという口約束の表れ。無利子だし、返済期限もない。

5000万円は自分名義ではなく、妻名義の貸金庫に入れた。
--貸金庫を用意したのは5000万円を受け取る前日だ。銀行口座に入れるのはまずいという認識があった。本人名義であることすらまずいと思った。

「今年1月下旬ごろ、金を返す旨を徳田毅氏に連絡し、2月4日に借入金の返却の方法を打ち合わせすることになりましたが」
--何で「返却の方法」を「打ち合わせ」なければならないのか?借金なら単に返せばいいはずだ。金でない返却の方法をいろいろと?徳州会は都から多くの補助金を貰っている。

その後、選挙違反が明かるみに出てから秘書が持って行って返し、借用書は木村三浩氏を介して郵送されてきた。
--何で郵送するのに「人を介して」なのだろうか?借用書を書いた借金なら、当然返却金と引き換えに借用書の返還を求めるはずだ。

猪瀬知事も、金まみれのドロドロした世界に足を突っ込んでいることに間違いはない。選挙違反に問われるか、はたまた賄賂に認定されるか。しかし、彼らは世事に長けている。またしても、限りなく黒に近い灰色で終わることだろう。


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悪政山盛り安倍内閣 [政治]

衆議院選挙の時から言われてはいたが、安倍内閣に多数議席を与えてしまった結果は、悲惨なこととなって現れている。

原発は着々と復活し、防衛費が増大し、消費税が増やされる一方で、法人税が値下げされる。露骨な大企業優先政治だ。円安の効果が庶民の生活をじわじわと苦しめだしている。小麦や石油の値上がりは必至だし、公共料金も続々値上げされる。一方で、給料は上がる気配も無い。それどころか、派遣法は改悪され、派遣期間が無限に延長可能になる。TPPは秘密理に着々と交渉が進み、農業は壊滅をまじかに控えることとなった。

これだけ足蹴にされても、羊のようにおとなしいのが日本人だ。残念なことに、日本人は、政治の恩恵をこうむったことが無い。お上は、つねに下々をいじめてきたから、それが当たり前だと思い込んでいる。下がったとはいえ、まだ半数近くの人が安倍内閣を支持しているというのだ。日本人は、もっと怒らなければならない。政治家を甘やかしすぎていると悟らねばならない。

人々の怒りを予想しているのはむしろ為政者のほうだ。いくらなんでもこれだけやれば国民の怒りを買いそうなことぐらい誰でもわかる。だから、これに備えることも進めている。秘密保護法のような悪法もできた。日本版NSCなどといっているものも発足した。日本語で言えば「大本営」である。教育委員会を行政の配下におき、教育統制を進めるし、マスコミもNHK人事に見られるように、着々と統制下に置くことが進んでいる。これからも、実行しなくとも相談しただけでつかまる「共謀罪」の新設や、戒厳令に相当する「非常事態基本法」が出てくる。

盛んに周辺諸国の動きを協調して、怒りの矛先をそらす工作にも余念が無い。中国の人たちが、低賃金で働くことが、日本の低賃金のすべての原因であるかのごとく言い含める。どこの国の人も、働かないわけには行かないのだ。大もうけをして、内部留保をがっぽりと溜め込んでいる日本企業の低賃金のために、周辺諸国の労働者は、余計に低賃金になっているのだ。労働コストは相対的なものだから、日本の賃金が上がれば、中国の賃金も上がる。

貿易赤字が続いているから、景気の波も早くも下り坂の兆候が見られる。消費税の増税で、どうしようもなく困難な経済状況が現れれば、たとえ様々な手立てを尽くして世論誘導をしても、このからくりに気が付く人も増えるだろう。しかし、それまでに払う国民の犠牲は、あまりにも大きい。

24兆円をドブに捨てる [政治]

安倍内閣の暴走は、とどまるところを知らない。支持率も50%を割り込んでいるのに、またもや24兆円をドブに捨てると言い出した。財政赤字は過去最高に達している。社会保障の議論では、いつも財政赤字を言い出すのに、防衛費の時は一言も財政を口にしない。

離島防衛が今回の防衛費増額の口実だが、誰も住まない岩礁に、なんで24兆円もつぎ込むのか。24兆円というのはとてつもない巨大な金額だ。現在の消費税総額が10兆円程度だから、法人税の自然増加分を含めれば、これで消費税の全廃だって出来る。高校はもちろん大学の授業料まで全部タダにも出来る。

これだけ金を使っても、「防衛」にはなんの役にも立たない。原発に小さなミサイルでも打ち込まれたらそれで終わりだし、いくら海兵隊がいようと関係がない。近隣からの攻撃を防御する手段はない。武器で防衛できる時代はとっくに終わっている。

24兆円は、まるまる無駄になる金だ。防衛産業と、そのキックバックで潤う防衛官僚がニンマリとほくそえむだけで終わる。

それだけで終わらない可能性もあるからやりきれない。24兆円がムダでないと言う為に、小競り合いを演出する可能性さえある。専守防衛をやめて、攻撃的兵器を増やしてしまっている。周辺諸国にちょっかいを出して、緊張を高め、秘密保護法を使っての情報操作で、24兆円をさらに増やす魂胆をするかもしれないと本気で心配になる。欲にはきりがないからだ。

産軍複合体にむしられて、沈没して行く国に住むしかない不幸な国民は、どうすればいいのか。この事態を何とかするためには、結局、自覚を高めるしかない。たとえ届かなくとも、声を上げていくしかない。

猪瀬辞任の裏にあるもの [政治]

東京都の猪瀬知事が辞任を表明した。5000万円の不明朗な授受の結果だから当然の事ではあるが、この辞任に至るまでの経過は、いままでの汚職事件とは少し異なるところがある。

こういった事件の場合、自民・公明の与党は、八百長質問で時間稼ぎをやったり、野党の発言を封じたりの手口で、揉み消しを図るのが常なのだが、今回は両党とも悪乗りするごとく追求を繰り返した。明らかに、猪瀬おろしの風が吹いていた。自民党の高村副総裁が、「5千万円の大金を受け取った。この外形的事実だけで、出処進退を決断するのに十分だ」などと発言している。この判断基準だと自民党には、とっくに辞任していなければならない人がいっぱいいるから、全く異例の態度である。徳州会からは、金額は多くないにしても、石破幹事長や田村憲久厚生労働相も金を貰っている。

猪瀬知事は、辞任の記者会見で「政治のアマチュアだった」と述べているが、これはまあ本音だろう。猪瀬知事にとって、不幸だったのは東京オリンピックが決まったことだ。オリンピックはとてつもない大きな利権だ。保守本流に位置しない、ある意味で型破りな知事がいては、利権の配分構造に支障をきたす。オリンピックが決まって以来、猪瀬おろしの風が強まった。オリンピックの人事にたいする懸念発言が一番強かった。

石原が指名したので、自民公明も支持はしたが、猪瀬知事には選挙の時点ですでに不満を持っていた。今回の5000万円にも、謀略的要素がある。猪瀬氏をそそのかして徳州会から選挙資金の提供を受けさせたのは、いったい誰か? 結局この選挙資金は使わなかった。使えるはずがないのだ。

日本の選挙制度では、選挙に金は使えない。選挙期間中に金を使えば違反になる。金が使えるのは選挙公示される前の「政治活動」である。知事選は「政治活動」をやるまもなく選挙に入ってしまった。選挙のアマチュアである猪瀬氏に、金が必要だと吹き込み、徳州会の金にすり寄らせたのは、都議会自民党だろう。猪瀬本人にも、やばいとは意識できたから、貸し金庫に隠したりした。ある意味で、猪瀬おろしはこの時から準備されていたと言える。

安倍も早い段階で、ポスト猪瀬を指示している。オリンピックの利権を安倍直系で支配する意図だ。猪瀬氏には、辞任で雲隠れすることなく、裏事情を明らかにしてほしいものだ。

やっぱりな。 続き


辺野古埋め立て承認だと! [政治]

沖縄の仲井真弘多知事は、辺野古基地の受け入れを意味する埋め立てに慎重姿勢を保っていたが、27日に決めるとした。これに先立ち、異説反対で当選した自民党県議に圧力をかけて賛成に廻らせた。さらに、知事は県職員に対して、賛否両方のスケジュールを立てさせたりもした。24日には今後毎年3000億円の沖縄振興予算を決めるなどという発表を行った。明らかに、辺野古埋め立て承認を準備している様相だ。26日の安倍首相との会談が、セレモニーとして用意された。会談の冒頭部分を記者団に公開するのだから、下工作は十分で、結果は見えている。

会談後、知事は、首相が示した基地負担軽減策を「驚くべき立派な内容だ」と評価したという。普天間基地の早期返還に関して県は公式に要求を出していたのだが、安倍首相がそんな立派な回答をするはずがない。いったい、どのような回答だったのだろうか。

県は、5年以内の早期返還を求めていたが、首相が言ったことは「防衛省に作業チームを設ける方針」を伝えただけで、アメリカと交渉するともなんとも言っていない。もちろん、5年の約束などしていない。それどころか、来年度予算には、25億円の普天間基地整備予算をつけている。5年後になくすことと全く矛盾する。

県はオスプレイについても、半分を沖縄以外に移すことを要求していた。回答は「オスプレイの訓練の約半分を、沖縄県外で行う検討もする」ということだ。検討するだけでやるとは言っていない。さらに、検討の対象も訓練を県外でやるというだけのもので、現在でも沖縄から県外に出かけての訓練はやっている。オスプレイの配備削減は拒否したことになる。県が要求していた牧港補給地区の変換も政府部内の作業チームで「検討する」だけである。どこをどう解釈しても「驚くべき立派な内容だ」とはならない。

辺野古基地の計画は、埋め立てがさらに拡大されている。埋め立て申請では、オスプレイ発着場も追加されたし、米海軍佐世保基地の強襲揚陸艦ボノム・リシャール(全長257メートル)も接岸可能となり、さらに、同艦に収容しているエアクッション型揚陸艇(LCAC)が上陸できる「斜路」も明記されている。佐世保からも、さらに沖縄に配備を持っていくような内容だ。実際、辺野古基地は、とてつもなく広大な整備された基地になり、普天間をさらに拡大したものである。米軍が言っていることは、有り余るくらい立派な施設が辺野古にできたら、普天間は使わなくても良くなるというだけのことだ。

長年基地に苦しんできた沖縄の人たちが、これで納得できるはずが無い。安倍首相がやったことは、3000億円の沖縄振興予算で、沖縄自民党の議員と知事を買い取ることだ。2月に行われる名護市長選挙も、どんどん金の爆弾を投下してくるだろう。すでに、2つに分裂していた賛成派を強引に一つにした。秘密保護法を使って、裏工作を隠すこともできるようになった。裏工作は着々と進めている。

こういった裏工作に打ち勝って、なんとか名護市長選挙で沖縄県民の意志を示して欲しいものだ。負けるな沖縄!

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