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橋下とザイトクの会談 [社会]

橋下大阪市長とザイトクの頭目が面談するということになり、その様子をyoutubeで見た。どちらも、相手の言うことなんか聞かない暴言居士だからどんなことになるのだろうかと興味があった。どちらも極右なのだが、橋下はザイトクのやり方に批判的である。方法論に違いがあるらしい。

案の定、冒頭から橋下が「言いたいことを言ってみろ」と尊大な態度で切り出し、ザイトクが「あんたが呼んだんだから、在日特権についてどう考えるか言え」とけんか腰だ。橋下は「うるせえ、おめえ」と返す。結局、罵詈雑言の浴びせあいで、中身は何もない会談になり、10分程度で終わってしまった。

あえて橋下の主張を拾い出せば、「言いたいことがあれば、選挙で当選して言え」であり、ザイトクの主張したことは「政治家は最低でなりたくも無い」であっただろう。橋下が選挙で勝てば何でも出来ると誤解しており、「俺が民意だ」とまで言っているのは周知のとうり。出来るのは大阪市のことだけで、ザイトクが問題にしている国策とは関係が無い。

ザイトクは自らが社会の嫌われ者であることを意識している。選挙に出ても勝てないし、むしろ選挙民に媚びて本音を隠す右翼政治家を嫌悪している。橋下は俺のような天才は、選挙民を容易に操れると自負しており、それが出来ないザイトクを軽蔑しているから、すれ違いは当然だろう。

結局、何のためにやった会談であったかというと、橋下が在日特権でも右翼業界で主流になりたかったということだろう。在日特権について発言するがアホなザイトクとは一緒にしてくれるなというパフォーマンスをやりたかったに過ぎない。罵詈雑言のぶつけ合いでよかったわけだ。何の中身もなかったのに、会談後、「在日特権について見直しが必要だ」などとマスコミに語った。

在日特権というのは就労ビザのことらしい。普通、外国人は職能を認められて、就労ビザを取らないと働けない。しかし、在日朝鮮人は例外になっている。かつて朝鮮を日本が支配して、朝鮮人は全部、日本国籍にしてしまったからだ。戦後、朝鮮が独立して、朝鮮人に戻ったけど、日本で生まれ、日本語しかしゃべれない人に、就労ビザか帰化の二者択一を強要するのは酷だろう。

世界中どこの国でも同じような扱いをしている。アメリカならアメリカ生まれであれば、無条件で選挙権もある。別に母国の国籍を棄てる必要もない。ヨーロッパでも、二重国籍はごく当たり前で、住むところの選挙権は当然ある。だからこれは特権でもなんでもない。

ザイトクの主張によれば、在日朝鮮人企業は税制でも特権が認められているというが、そんな事実はない。むしろ、大企業特権のほうがあからさまだ。公明党文化会館の非課税なんてのもある。米軍基地にあるアメリカ人特権もすざまじく、豪華な学校や住宅も全部日本の税金から出ている。これに対して何も言わないことが本質を表している。右翼が、支配者の飼い犬だと言われる由縁だ。

多すぎるニセ電話サギ [社会]

毎日、新聞を見ると必ずニセ電話サギの被害が載っている。何百万円もの被害が、複数ある日も多い。警察庁の統計では、半年で268億円に達したという。サギのパターンは、いずれも、少し前のオレオレ詐欺よりも進化しており、すぐにお金を要求したりはしない。あらかじめ、携帯電話を切らせて通じなくしておくとか、バックグラウンドに駅の雑踏や、警察の無線連絡を流すとか演出も凝っているのだ。手口のパターンは大体決まっている。

①駅にカバンを忘れた-->中に会社の小切手が入っていた-->建替えておきたい
②未公開株勧誘-->名義貸してほしい-->名義貸しは犯罪-->一時的に払う金がいる
③過払い保険料払い戻し-->ATMへ行け-->言うとおりに操作-->振り込んでしまう

ほとんどが、知れ渡っているはずのパターンだ。銀行窓口では行員のチェックがはいるから、絶対窓口には行かせない。宅急便で現金を送らせたり、代理の者が受け取りに来たりする。手口をあまり公表すると模倣犯が出てくることを恐れて、中途半端なことしか公表しないのが仇になっているのではないかと思われる。新聞記事を読んでも、ほとんどの人が「何でこんなので騙されるのだろうか」と思うだけのことしか書いてない。

劇場型と言われるように、何人もの人間が交代で登場するのだが、何人ものグループによる組織犯罪というのは捕まりやすい。人数が多ければ多いほど証拠を残す確率が高いし、連絡や共謀に関わる人間が多ければそれだけへまをする確率も高い。

ところが、この犯罪は検挙率が極端に悪い。下請け方式が徹底しているからだ。金を受け取りに行くのは「受け子」という役回りの犯人だが、こいつは仲間のことを全く知らない場合が多い。ネットなどで求人されて、金を受け取るだけの役を引き受ける。おそらく詐欺だとは気がついているのだが、あえてそれは聞かない。捕まった時もただ頼まれただけで犯罪だとは知らなかったと言い通せるからだ。

口座を作る犯人も、その目的を知らないで通す。犯人たちは互いに知り合わず、共謀しないのだ。電話で騙すことに失敗しても、電話を掛けただけだから捕まるわけもない。実際に金を手に入れるまでは、たとえ捕まったとしても未遂でしかない。金を渡してしまったあとで足がつくことはまずない。事の本質は社会が病んでおり、犯罪予備者が広く沈殿していることにある。ネットでこういった人たちがゆるく繋がっただけで犯罪が成立する。警察もこれでは、主犯を捕まえることが出来ない。だから、最初からあきらめてしまっているように思われる。

詐欺電話がかかって来たと通報しても、まともに対応しない事例が多々ある。これほど大きな被害が出ているのだから、せめてまともな捜査体制を取ってほしいものだ。根本的には、非正規雇用や低賃金といった詐欺的手法で人々の希望を奪い、犯罪予備者を生み出している政治を変えるしかない。



これからの日本はどうなるか(2015) [社会]

世界は不均等に発展してきた。文明国と未開の国との違いは、もちろんあった。しかし、文明国が未開の国を支配するという格差が生じたのは、帆船の技術が発達してからである。未開発国が資源を提供し、文明国が工業を発展っさせるというパターンが定着した。

この流れは20世紀まで続き、生活水準の地域格差はどんどん拡大する様相を示した。ところが、ジャンボジェットやインターネットが現われるとこの流れが一変した。安い労働力を目当てに、工業が拡散し始めたし、移民の流入も格段に増えた。先進国では空洞化と呼ばれる現象が目立つようになった。

世界の文明は、人口配置に基づいた再配置の方向に向かっている。東アジアでは、上海を中心にした産業・文化圏への移行が始まったのではないかと思われる。2015年はそのような時にあたる。上海は、東京、香港などの旧中心地を引き継いでアジアの中心都市としての位置を固めて行くだろう。

日本経済は、貿易赤字状態となり、GDPも減少という状況を示している。アベノミックスなどと喧伝されている実体はない。株高だけを根拠に、トリクルダウンでやがては庶民の給与水準が上がるとの期待が残っているが、2015年には、その期待が打ち砕かれることになるだろう。

経済政策は、何も効果を示しておらず、株高は自然な景気の波を表したものに他ならないからだ。その株価も、2015年には、明らかな下降局面に直面する。通貨の乱発で円安となり、生活必需品の物価上昇は避けられない。賃上げが多少あったとしても、消費税と物価高で焼け石に水程度のものでしかない。

円安もこれまでの過剰輸出の反動という側面が強いので、政府の施策で制御されはしないだろう。国内市場の弱さから、再び円高になることは考えられない。空洞化を多分に、国内の労働コストのせいにしてきたが、円安になっても、工場が戻ってくることはない。なぜ、工場が海外移転したかと言えば、個々には労働コストもあるが大きな目で見れば、市場が海外にあるからである。

人口の減少は避けられない趨勢であるし、もともと人口過剰な日本列島などは、むしろ人口の適正化だと考えたほうがいい。上海を中心とするアジア産業の再配置も地政学的には順当なところだ。問題は、こういった問題に、従来どおり、輸出大企業への極端な保護で対応したり、中国封じ込めなどという無理筋で対応することにある。

日本政府は軍事指向を高め、アメリカの尖兵として中国封じ込めのお先棒を担いでいる。秘密保護法、武器輸出、海外派兵などでいたずらに緊張を高め、国家予算を浪費していく。結果的に、社会保障や教育・研究といった百年の計に類することの軽視につながり、ますます疲弊を強める。経済対策も、打つ手がなく、カジノとか原発輸出など、末期的施策の乱発に進んでいく。日本国民が、根本的な見直しを進めるだけの賢明さに到達するのに、2015年は、まだまだ時期早々なのだろうか。

年収1075万円以上は他人事か? -「高度プロフェッショナル労働制」 [社会]

厚労省が新たなホワイトカラーエグゼンプションを言い出した。「高度プロフェッショナル労働制」と名づけているが、ようするに残業代ゼロ制度のことだ。現在の法律では、労働者に残業させれば残業手当を払わなくてはいけない。中には、時間で計れない仕事があり、能力があって、短時間に仕事を済ませてしまえる人には、残業代が払われないことになり、不合理だというのがその理屈である。

しかし、その人の能力は給与査定で評価されており、同じ人が余分に働いたときは、それだけ多く賃金をもらうのは不合理でもなんでもない。新しい制度には、必然性がない。

もちろん、いきなり残業代ゼロなどと言うと反発が強いから、歯止めは掛けてある。この歯止めと言うのが実に怪しい。適用できるのは年収1075万円以上の人だということだ。えらく、高収入に見えるが、大企業を中心に、サラリーマンの25%が、ボーナスを含めるとこれ以上になるという。

しかしながら、話は残業代のことだ。この25%のうち、管理職でない人がどれだけいるのか?もともと管理職には残業手当はないのだから、適用範囲は狭くなる。というか、適用される人がいるのだろうか? というのは、管理職でなくとも残業手当のつかない人がすでにいる。「裁量労働制」の職種だ。弁護士資格があったり、博士号を持った研究者、医者などがこれに該当して、すでに残業代なしで働いている。これは今度の制度の対象とはならない。

今度の制度は、特別な資格がいらず、管理職でもなく、年収1075万円を超える人が対象だというのだから、ほとんど、その対象が想定できない。プロ野球の選手などは、年収1075万円を超えるだろうが、サラリーマンではなく、業務の請負契約だ。厚労省の説明では、株式ディーラーなどがこれに当たると言う。しかし、証券取引所の開業時間は9時から3時までだから、管理業務のない平社員ディーラーの残業手当が問題になるとは思えない。

対象となる人が想定できないような法律案を作るというのが、怪しいと言う根拠だ。言うまでもなく、新しい法律を作ると言うのは、大変な作業で、審議会を開いたり、公聴会をやったりで、費用もかかる。そこまでして、こんな法律を、なぜ作らなくてはならないのか。

答えは、おのずとあきらかだろう。法律さえ作っておけば、1075と言う数字はいくらでも改定できる。将来、この数字が小さくなって行くのは目に見えている。「年収1075万円以上か、俺には関係ねえな」と思っている人が、実は狙われているのだ。「安倍仕打ち」は容赦なく襲い掛かってくる。社員が「定額使い放題」になる日は近い。


戦後70年 21世紀の日本の役割 [社会]

安倍首相が戦後70年談話を準備中である。例によって有識者会議のメンバーをそろえ、御託宣を受けると言う形で安倍氏の見解に箔をつけて発表するつもりだ。メンバーは北岡、西室といった札付きの連中に、アリバイ的に若干のまともな人を加えているが、安倍お気に入りの路線で決着するだろう。

経済同友会が1995年に出した提言では、21世紀の日本は、「経済大国に相応しい先導的な役割を果たさねばならない」などといきまいていた。「世界の政治的安定と一層の経済的発展のための責任を分担し」「日本が既にその責任を担う立場にあるという認識を全ての国民が深め」というわけだが、東アジアにおいては、21世紀の現状との落差が大きいことがわかる。この1996年の提言の延長上に現在を見れば、それは間違いである。

確かに、20世紀と21世紀では大きな違いがある。この違いをはっきりと認識して近隣諸国との関係を見直すのは悪いことではない。しかし戦後70年談話の中身は、20世紀の延長上に幻を見ていることになりそうである。正しく理解すれば、下の図が、20世紀と21世紀の違いを端的に示している。

20世紀に東アジアの経済と言えば、日本が圧倒的であった。21世紀の状況がどう変わったかといえば、日本が東アジアの数ある国の一つになったということだ。近隣諸国との協調に、より気遣わねばならなくなったことは明らかだろう。 しかし、安倍内閣がやっていることは、過去に日本に侵略された周辺諸国の気持ちを逆撫でするようなことばかりである。

侵略を正当化する発言を繰り返し、軍事費を増大させ、領土問題での対立を深める。国内でもヘイトスピーチを蔓延させて平然としている。侵略の象徴であった国歌・国旗を強調して人種対立を煽っている。世界に先んじて武力を放棄した日本国憲法をないがしろにするもはなはだしい。

明らかに、21世紀の状況の変化に逆行している。現実を見ずに、妄想で突っ走るのは、破局の始まりでもある。

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川崎中一殺人事件の背景 [社会]

2008年、リーマンショックで経済はどん底に落ち込んだ。企業の活性化の手立てとしてコストダウンが言われだした。それまで当たり前だった正社員の仕事がどんどん減って行き、非正規雇用が当たり前の世の中になって行った。いくら働いても先の見通しはつかない。都会での生活に見切りをつけた遼太の父親は、漁師になることを決意して西ノ島に渡った。

西ノ島は、今も近海漁業が盛んに行われている。しかし、若者はなかなか島に残らず、後継者不足に悩まされていた。漁師の仕事は楽ではなく、離島の暮らしに飽き足らない若者は島を出て行く。漁協が島にIターンする人を募集しており、遼太の父親はこれに応じたのだ。月給20万円以上の正社員。住居手当も、社会保険もある。

しかし、勤務は午後6時から午前6時。土曜と時化の日が休みだ。都会から来た人に人口3500人の島での暮らしは、簡単ではなかっただろう。慣れない仕事にとまどう父親と、田舎暮らしに疲れた母親とのいさかいが絶えないことになった。遼太が3年生の時に両親は離婚した。漁師への転進に挫折した父親は、妻子を残して島を出て行ってしまった。

母親は、病院で看護助手として働いて遼太たち5人を育てていたが、もちろん暮らしは厳しい。看護助手というのは、病院の雑用係りで賃金も安い。たまりかねて役場に生活保護を相談したら、両親のいる川崎に帰ることを勧められた。体よく追い払われたようなものだ。たしかに、漁業との関わりもなくなり、島に居る理由もない。母親の両親がいる川崎に戻ることになったのが遼太君が5年生の時だった。

5歳から島で育った遼太は都会に出たいとは思わなかった。バスケットボールで地区優勝したり、周りの子ども達とも仲良かったから、島の生活は楽しかったが、1人で残るわけには行かない。母と一緒に人口140万人の大都会に移ることになってしまった。

実家に戻ったはいいが、実家そのものが頼りにならなくなっていた。祖父が寝たきりになり、祖母はその介護で手一杯。娘が子どもを連れて帰って来ても、温かく迎えるといった余裕はない。1人で5人の子育てをしなければならないことに変わりはなかった。都会でもシングルマザーが子どもを育てて行くのは楽ではない。生きることに精一杯で、下の子に目をやることだけで、上の子である遼太のことまで考える余裕はなかった。

貧乏でも工夫をすれば暮らして行ける。スーパーに行けばお買い得の品々も多い。しかし、残業で疲れた母親にそんな余裕はない。近所のコンビニで出来合いのものを買って子ども達に食べさすことが多かった。結果的に生活費はかさむ。働いて稼ぐしかない。遼太にしてやれることは、都会で友達となじめるようにスマホを買い与えることくらいだった。それが良かったかどうか、とにかく母親は考える余裕がなかった。

遼太は、西ノ島では明るく元気な子だったと誰もが言っている。川崎に来て中学生になっても、バスケットボール部に入って、都会生活にも溶け込んでいるように見えた。しかし、実際には、川崎の都会は、島の子がそう簡単に馴染めるものではない。自分が取り残される違和感を味わっていたことだろう。

こうした子どもが親近感を覚えるのは、都会にいながら、学校や授業に違和感を持つ子ども達だ。RFたちと知り合ったのは、ストリートバスケだったという。なかなか帰ってこない母親を待ちながら夜の公園で、バスケットにボールを投げ入れているとRFやKSといった少し年上の夜遊びする子達が近づいてきた。アニメが好きだといったことでも意気投合して遊び仲間になった。

子ども達は携帯を持っていて、付き合いは24時間いつでも続く。こういった子ども達は5分毎に連絡を取り合う。すぐに返信しないと、「無視した」と言われる。いつしか、この仲間たちとの関係は、学校や部活よりも深いものになっていった。ゲームセンターに出入りしたり、都会らしい生活を教えてもらった。

かなり年上だから、対等な友達ではない。子分として引き回されることになる。関係は、だんだんとエスカレートして、万引きを命令されたりして、それを断れば、暴力を加えられるようになる。知り合って半年でのことだから、親も教師もなかなか子ども達の急変する人間関係を把握できない。客観的には、遼太は苛められ役だった。だけども、遼太はそれを受け入れるようになっていた。苛められるけれども、仲間であるということが自分の居場所になっていたのだ。

RFは、体も小さく中学生の時は苛められっ子だったとい。う。父親はトラックの運転手で、母親はフィリピンから来たホステスだった。フィリピンは元はスペインが支配した国だ。RFも容貌が西洋系であり、それが重荷だったと思える。日本は英語のできない外国人に冷たい。定時制高校を中退している。その仲間のKSは、高校生だがやはり定時制である。もう一人のRHは、高校に行かず建設現場で働いたりしている。いずれも、社会から見放されていると感じている子ども達だ。

目の周りに隈を作ったり、相当な暴力を受けていることは誰にもわかった。母親も気づいてはいたが、手を打つ気力を失っていた。どうせ、片親だし、貧しく、特に勉強が出来るわけでななし、非行があっても当たり前だという諦めがあった。それよりも、明日をどう生きていくか。そのことで頭がいっぱいだ。母親も、まともな判断が出来なくなるほど追い詰められていたのだ。

亮太が暴行を受けていると言うことは自然に伝わる。その相手が、RFだと聞いて、バスケの先輩たちは驚いた。RFってあの弱虫のチビじゃないか。あいつなら、俺は何度も殴ったことがある。あんな奴をのさばらせておくものか。5、6人で、RFの家に押しかけた。RFは怖くて家から出られなかった。家人が警察を呼んで、騒ぎになった。押しかけた先輩たちは、俺たちがRFを苛めに来たんじゃない。暴行を謝罪させに来たんだ。取り締まるなら奴を取り締まれと口々に言った。

警察は、子ども達の喧嘩としか受け止めなかった。ともかく、引き揚げろと指示した。大丈夫かと聞かれた涼太は、もう仲直りしたから大丈夫と答える他なかった。しかし、この事件はRFに大きな遺恨を残した。体が小さく、いつも苛められていた自分。あの悪夢がよみがえる。実際、家に押しかけられた時には、震えが止まらなかった。自分が情けなくて仕方が無い。

このままでは、遼太にだって馬鹿にされかねない。いずれ涼太も自分より背が高く立派な体格になるだろう。そのときの惨めさを想像もしたくない。ともかく、遼太に自分の優位を叩き込んでおきたい。つげ口をするなどと言う不正義を俺は絶対に許さない。俺がどんなに恐ろしい男なのかを見せなくてはならない。これはもう、自分の存在自体がかかっている問題だ。RFの頭の中はそのことで一杯になっていった。

涼太がいじめ殺されることになる悲惨な事件は、起こるべくして起こった。一体だれがこの事件を食い止められただろうか。それぞれが、あと少し頑張れればよかったと言うのは事実だ。しかし、ここまでには至らないが、同じような物語が、あちこちにありふれている。庶民の暮らしをここまで追い詰めた者の罪は大きい。

北陸新幹線開通の光と影 [社会]

金沢までの新幹線が開業して、「便利になった」というニュースが流されている。これまで3時間47分かかった東京までの旅程が2時間28分で済むから、確かに早くなったと言える。これで、東京からの観光客も増えて、企業の金沢進出も増えると考えているらしい。ファスナーのYKKが本社機能の一部を黒部市に移すと発表したこともあって、期待は膨らんでいる。

しかし、本当に北陸が便利になったのだろうか?これまでの北陸本線は、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道、しなの鉄道に分割されて廃止される。大儲けできるほどの乗客が見込めないことから、新幹線を渋るJRに利益を保証するための方策である。

分割された鉄道は、当然赤字経営になる。なにしろ、採算の源である長距離路線が全部新幹線に持って行かれるのだ。赤字覚悟のローカル線は全部第3セクターつまり、地方自治体の税金投入で引き受ける仕組みだ。運賃の値上げと赤字の増加で、ゆくゆくは廃線と予定されているのだろう。

鉄道はなにも東京に行くためだけのものではないはずだ。結局は税金を投入して住民の足を奪うことになるだろう。もし、それが地方発展のためにどうしても必要な事であれば、それも仕方がないだろうが、金沢の人たちは本当に得失を吟味したのだろうか。

便利になって観光客が来易いというが、それは同時に帰りやすいと言う事でもある。これまで泊りがけで金沢に来ていた観光客が日帰りで帰ってしまえば、落ちるお金は、むしろ少なくなる。泊りがけだった金沢出張は、当然、日帰りになる。これまで金沢支店を置いていた会社も、本社との行き来が便利になれば、出張所で済ますだろう。

現在の地方の沈滞は、多く、便利になったことで引き起こされている。かつでは地方の工場に張り付いていたエンジニアや幹部が、東京の本社に移り、時々日帰りで出張することになった例は多い。地方に残されたものは、パート労働だけだった。その工場さえも、海外への移転でなくなりつつある。

その昔、有力な大学には、全国から夢を抱いた若者が集まって来ていたのだが、近年は大学に地方出身者が少なくなってしまった。地方は、人材供給の活力さえ失って来ている。新幹線は、地方からあまねく吸い取るほどの利便性を与えるが、決して中央の力を分散させるほどの利便性は与えない。YKKの事例も、よく見ると、「本社機能の一部」であって「本社」の移転ではないのである。

川崎中一殺人はSSWで防げたか [社会]

川崎の中一殺人事件では、子どもを5人抱えたシングルマザーが、生きることに精一杯で子どもの危機に対応できなかったこと、50回以上も電話をかけた教師の努力が及ばなかったことが問題になっている。

文科省は、こういった事例への対応としてSSW(スクール ソーシャル ワーカー)を配置している。全国に1000人のSSWがいて、問題を抱えた子どもに関して、警察や家庭と連絡を取り、学校と一緒になって対応するというものだ。

今回の事件では、学校から教育委員会への要請が無く、SSWが出動することが出来なかった。学校が問題を中に抱え込んでしまう傾向があるという。

しかし、事はそう単純ではない。川崎市は各区に1名のSSWを配置していた。川崎市の中学生は32000人、中学校は57校もある。1人のSSWが8校も受け持ち、もちろん小学校もある。これで全てに対応できるはずが無い。よほど強く事態を認識し、学校ではお手上げになった時にだけSSWを要請することになるのは当然だろう。

SSWは臨床心理士などの専門家を選ぶことになっているが、明確な資格規定はない。多くの場合、「非常勤」である。文科省が補助金でSSW制度の普及を促しているが、その予算は、非常勤を前提にした程度のものだ。つまり、SSWは無資格のアルバイトでいいことになる。学校としては、こんなものを頼りにするわけには行かない。

当然のことだが、生徒からSSWへの相談などと言うことは、ほとんどない。顔も合わせない見ず知らずの人に相談などするわけが無い。SSWというのは、文科省のアリバイ作りのためのものでしかないことになる。こういった事件が起こるたびに、文科省の施策が問われるのだが、やってますよとの言い訳に使われているだけだ。

本質的には、学校が対応するのが一番だ。教師を報告書作りや、「指導」「研修」で追い回すのをやめて、生徒一人ひとりに向き合える余裕を作るのが一番大切なはずだ。少なくとも、生活指導専任の教員が学校に1人はあるべきではないだろうか。副校長とか主任とか、管理職ばかりを増やしている場合ではない。

生活に困った母親に対しても、援助を計ることが全く出来なかった。これは、生活保護のケースワーカーの仕事のはずだが、ケースワーカーにそんな余裕はない。政府は社会保障経費の削減しか考えていない。生活保護のケースワーカーは「不正受給監視員」に成り下がっている始末だ。

本来、機能を果たすべきところを、どんどん締め上げて、麻痺させ、事が起こればアルバイトを配置するなどという馬鹿げた対応が、世の中をますます暗いものにしている。

NHK籾井会長のタクシー代事件 [社会]

NHKの籾井会長が車代のことで話題になっている。公私混同もはなはだしいのだが、それ以前に4万9585円のタクシー代と言うのに驚いた。普通の人は、ゴルフに行くにしても、自分の車で行くか、電車に乗る。4万9585円もかかる所に行くのにタクシーを使うと言う発想がない。

ささいな事かもしれないが、籾井と言う人は、一般市民とは別の世界の人だということがわかる。三井物産やユニシスの社長を務め、タクシー代は会社や役所に払わせるものだということが染み付いていて、自分で払うという発想がなかったのだろう。タクシー代がいくらかかるかは、もともと問題ではないのだ。

安倍内閣は、こういった人たちばかりが集まって出来ている。世の中は、格差によって分断されているのだ。籾井とか、安倍とか、多くの自民党議員とかは、一般の人たちとは、発想も違うし、感覚もちがう。いわば、特権階級という別人種なのだ。こういった人たちが決して一般の人たちを代表することは出来ない。

彼らにとって特権は当たり前のことであるから、NHKの理事から辞表を集めて独裁的に振舞うことも平気だ。自分だけの考えで、常軌を逸した政府よりの報道にNHKを引きずって行こうとする。多くの一般の人たちがどう考えるかには一顧だにしない。

ジャーナリズムの真骨頂は政府に対する辛らつな批判だ。そのことによって、民衆が政府をきっちり監視するように出来る。絶えず国民の目を政府の運営に向けて、警鐘を鳴らしていくのがマスコミの役割だ。それが政府の宣伝機関になってしまえば、もう、ジャーナリズムではない。

NHKは公共放送を謳っている。一般の人たちから受信料を集めて運営しており、会長は一般の人たちを代表する者でなくてはならない。中には政府を熱烈に支持する国民もいるから、その人たちを代弁する役割をもNHKが担うとしても、政府を支持する国民は半分でしかない。

およそ籾井ほどNHK会長にふさわしくないものはない。


給料は増えたか [社会]

新聞紙面に賃上げの話が散見される。日経新聞は、「基本給にあたる所定内給与は前年同月比0.2%増の24万2830円となり、2年3カ月ぶりに本格的な増加」と報道しているし、朝日は、「非正社員にも賃上げ広がる 春闘、正社員上回る上げ幅も」と見出しにある。

景気が良くなって給料も上がっているかの報道だが、その実態は、一番儲かっているトヨタでベア2700円だと言う。1%くらいだろう。中小企業では、もっと少ない。3%の増税が行われたことから見ると差し引き2%の減給と同じことになる。「本格的な増加」どころではない。

消費の低迷が相変わらず続くはずだ。スーパーマーケットの売り上げは落ちているし、家電量販店は苦戦が続いている。消費者としても、3%の節約をしないわけには行かないのだから、仕方のないことだ。しかし、消費の落ち込みは3%以どころではない。今後、また2%増税されると予告されていると、心理的にも、もっと消費は冷え込むからだ。

本来ならば、業績の良い会社は、内部留保など溜め込まずに、どんどん賃上げをして、景気を牽引するべきだ。60年代の高度経済成長期にはどの会社も、内部留保などと言うことを考えずに、賃上げをして、良い人材の確保に努めた。コストダウンばかりを考える世知辛さが、長期にわたって景気を低迷させる根本原因でもある。

どうも、一連の報道は、冷え込み心理を緩和するための宣伝工作であるような気がする。安倍首相は、連日、マスコミの社長たちと豪勢な会食をしている。多分、こんなことでマスコミに協力を取り付けたのだろう。姑息なやり口だ。それにしても、マスコミ側の抵抗がなさすぎる。社会の公器としてのマスコミの自尊心はなくなってしまったのだろうか。

なぜ野菜は安いのか---TPPの陰謀 [社会]

日本の農業は窮地に立っている。収入の柱であった米価は、またもや爆下げである。それなら野菜で勝負ということになるが、こちらも、なかなか農家の収入を十分支えられるほどの値段ではない。

なぜ、こうも農産物は安いのか? 安い輸入品に負けているからだということになるが、ではなぜ、輸入品は安いのか。東南アジアなどの賃金の安い国だから安く作れるのが当たり前だと解釈している人もいるが、実はそれだけで説明はつかない。

こういった地域の農業は、もともと自給自足的なものであった。とても、大量に輸出するような生産量はない。こんな所で大量買付けをすれば、品薄でたちまち値段が高騰する。日本が輸入するおかげで、アジアの農民が豊かになったという話もついぞ聞いたことがない。アジアの農民は相変わらず貧しい。

実は、輸入されているのは、アジアの農民が手塩にかけた農産物ではない。アメリカを始めとする先進国から乗り込んだ大手農業会社が、機械化された大規模農場で、安い労働力をつかって作った輸出農産物なのだ。日本の農家は、こういった農業会社と競争させられている。

農産物の原価は、苗と化学肥料と農業機械。これらは世界中どこでもあまり変わらない。労働力コストの違いは、決して小さいわけではないのだが、一部でしかないことは確かだ。豊富な資金力があれば、農業会社のビジネスモデルは、どこでも成り立つ。貧困対策とか開発援助と称して、開発途上国に供給された資金の多くが、こういった農業会社に流れ、労働者を搾取した輸出農産物の生産に使われている。

日本であっても、こういった農業会社生産は可能だ。広大な土地に、機械化で、だれでもできるようになった農業労働を注ぎ込む。非正規雇用で、田植え時とかだけ働かせれば、労働コストも抑えられる。少なくとも、アメリカ以下の価格で生産できることは確実だ。外国からの輸入には運送コストがかかるから、もちろん国内生産で太刀打ちできる。「攻めの農業」として、日本でも、こういった新しい農業生産がもくろまれている。

ただ1つ問題なのは、農地の値段だ。日本の農地はアメリカの4倍ほどもするから、これを値下げしないことには始らない。そのために、現在の農業を一旦つぶしてしまう必要がある。TPPで、どんどん安い農産物を輸入し、農業を破綻に追い込む。農地の価格破壊が、その目的である。

都会地に近い農地は宅地化されたりするが、地方の農地は使い道がなく、買い手がないので地価が暴落する。これを農業会社が買い集めるという仕掛けだ。おそらく「農業振興」の補助金も多くは、利権がらみの農業会社がせしめることになるだろう。これが陰謀である。

土地を手放した農民はどうなるか? 都会に出て労働者になるしかない。非正規職場を点々とすることになるだろう。晴れた日には、ケータイメールで集められて、バスに載せられて農作業に赴く。かつては、自分のものであった農地で時給800円を稼ぐことになる。

安倍総理はアメリカ議会でTPP受け入れの演説をするらしい。着々と「攻めの農業」への道が進められている。

東洋ゴムの耐震偽装 [社会]

阪神大震災で、高層ビルへの不安が高まった。それ以後、免震構造というものが宣伝されるようになった。高層ビルは安全であるとのキャンペーンである。実際、この後で多くの高層マンションが建設されるようになった。

大きなビルは、鉄骨やコンクリートで固められており、ガタガタした地震のゆれには強い。しかし、ゆーらゆーらと揺れる、長周期の振動にはビル全体が振り子のように揺れて、倒れてしまう可能性がある。高層ビル特有の弱さだ。

そこで免震構造として打ち出したのが、ビルの底にゴムの台座を入れて、地面の振動がビルに伝わらないようにすることだ。ゴムなんかで重たいビルを支えられるのかという疑問があるだろうが、この部材「免震支承」は、薄いゴムの板と鉄の板が何層にも重ねてある。だから、重さで横につぶれてしまうと言う様なことはない。

長周期の振動は横揺れなので、ゴムの層のところで少しずつずれて、振動が伝わらなくできるから、上部の揺れは少ない。しかし、ゴムだからもとに戻ろうとする力が働き、逆にゆれが続いてしまうと言うことが起こる。ここに新たな振動が加われば、積み重なって免震にはならない。だから、振動を減衰させるダンパーと呼ばれるブレーキのようなものが必要になる。

今回、問題になった「高減衰ゴム系積層ゴム支承」と言うのは、ゴム自体がブレーキの役割を担い、ダンパーなしで振動を減衰させてしまう使い勝手の良いものだった。ゴムが、伸び縮みするだけでなく、粘土のように、じわーと変形してもとに戻らない特性を少し持たせてある。

どれだけ伸び縮みして、どれだけ振動が収まるかの性能をあらわすものが、「等価粘性減衰定数・等価剛性」といったゴムの特性なのだが、これに何らかの基準がある訳ではない。ビルを建てる側で、これらの数値を使って設計できればそれで良いのだ。問題は数値のばらつきである。あまり大きなばらつきがあるのでは、設計のしようが無い。

大きなゴム板を作るときには、加硫工程で時間をかけて焼く必要がある。ムラなく焼き上げるには、技術と経験が必要だ。東洋ゴムでは、最終製品の統制に10%以上のばらつきが生じていたようだ。ビルの設計では、数値に余裕をとるので、バラつきを勘定に入れた設計をすれば問題はない。

この製品で圧倒的シェアを持っているのはブリジストンで、東洋ゴムは後追いになった。本社で開発を担当していた社員は、子会社に飛ばされ、子会社「東洋ゴム化工」での生産になってしまった。タイヤなどに比べて売り上げも高くなかったので、人員増もなく、一人で担当することが10数年も続いた。その間昇進とかは無かったと言うことだ。将来性の無い分野に配属された技術者の悲劇だとも言える。

2000年、耐震部材を国土交通大臣が認定することになった。認定と言うと一定の基準数値があって、国が保障しているように響くが、実はそうではない。実際に審査するのは、「日本建築センター」とかの外郭団体である。しかも、この協会が検査を行うわけでもない。メーカーが出してきた書類の数値に対して「認定」と言うだけの協会だ。不合格とか合格ということはない。「国交省認定」というハクをつけて、いかにも高層ビルが安全であるという宣伝をするための仕掛けでしかない。

どんな数値でもいいのだが、認定するためにはばらつきが10%以下であるという基準が作られた。建設する側は、バラつきを10%として設計することになった。顧客への営業、生産工程管理、申請業務、こういったことを一人で担っていた担当者は、納期にせかされ、肯定改善の研究余裕もないままに、申請のデータを少しいじって10%以内のばらつきにしてしまった。これが、今回の事件だ。この担当者が、定年になって、次の担当者が業務を受け継いだが、ばらつきが大きくて認定に出せないことから騒ぎになった。

東洋ゴムは、問題がわかってから、1年以上も事実を隠してきた。その間に、10%以内のばらつきに抑える改善もしただろうし、事件が高層ビルへの疑念に及ばないように国交省との協議もしたに違いない。「免震」装置などと言うが、その効果は、114ガルが90ガルになると言う程度のものだ。「減振」というのがせいぜいだろう。だから、数値を変えて再計算しても、新たに倒壊の危険があるなどと言うことが起こらないことを、あらかじめ予想している。「責任をもって取り替える」などと大見得を切ったはずだ。

追求されるべきは、怪しげな認定制度と高層ビルの安全性そのものである。

官邸ドローン事件を考える [社会]

首相官邸に落下したドローンが騒がれている。「犯人」を威力業務妨害で逮捕したということだが、これは本当に犯罪なのだろうか?ドローンを落下させたのは9日のことで、発見したのは、2週間後だ。つまり、その間、首相官邸の業務は、まったく妨害されなかった。ドローンは、福島の街から拾ってきた砂を100g積んでいた。果たしてこれが「威力」だろうか?近づけば1μSv/hの放射線を浴びるが、政府は、「全く安全」だと認定している。だから「威力」でも「業務妨害」でもあり得ない。

福井県知事選挙の話題にするという意図が、官邸警備の怠慢で遅れてしまったことが、むしろ犯人業務の妨害なんてことではではないだろうか。東電が撒き散らした放射性物質を回収しろと言う要求に対しては、「無主物」と判定した。だから、この砂は、「盗んだ」と言うわけにも行かない。ドローンを飛ばすことについても、今の時点では何等規制がない。犯罪としての立件は難しいのではないだろうか。

この事件では、テクニカルに面白いものが含まれている。一つは、もちろんドローンという玩具そのものだ。飛行と浮上のバランスを回転軸の傾きで取るという操縦の難しさを伴ったヘリコプターだったのだが、プロペラを多数にして回転制御だけでコントロールするというアイデアがすばらしい。今後いろんな所に使われていくだろう。

もう一つは、犯人のブログだ。公開時期の設定で、自分が捕まった後に、記事が公開されて行くようにしていた。従来は、犯行声明を新聞社に送りつけるというような手法がとられていたが、この方法だと間違いなく自分の意見が世間に伝わる。警察発表が、捻じ曲げられたものであることが多い。

今回の事件でも、警察発表では、「原発再稼動反対」と書いてあったことは伏せられていた。放射性の砂だったのだが、警察発表では水になっていた。始めからわかっていたことでも、世間の反応を見ながら、すこしずつ「警察の調べで、わかった」などと発表する。マスコミも独自の取材抜きで、警察発表を鵜呑みにして記事にする。このことはしっかり頭に入れておかなければならない。

このブログの行方も注目される。これまでは、事件が起こるたびにインターネット情報が消されて来た。大抵、犯人側がサイトを閉じる。あるいは、公序良俗に反するとして、プロバイダー側がリンクを切った。しかし、今回は犯人側が公開を希望しているのだ。プロバイダーが勝手に消せば契約違反だ。この事件には、実際のところ被害者がいない。立件も難しいような事件で公序良俗の判断もしがたい。

動機などもブログには詳細に書いてある。犯人は、長く派遣で働いてきて、デジタル化で液晶テレビの増産時期に、(おそらく)シャープの正社員となって工場で働いていた。一応、安定した暮らしにはなったが、独身であり、働いて、平凡な日々を送りながら死ぬのを待つだけの人生に疑問を感じる。話題の原発再稼動に一石を投じたいという気になったようである。会社を辞めて、1年ほども準備して、事に及んだ。

彼は、反原発の運動家ではない。デモや抗議運動に参加したことはないし、「左翼」などと反原発運動を揶揄している。無意味と感じる自分の人生に話題の原発再稼動を結びつけたかっただけだとも言える。普通の人の考えと、政府がやることの齟齬が、こういった無思想な人の気持ちをもつかんでしまう事態であることはまちがいない。

憲法記念日に思う [社会]

日本国憲法が68年を迎えた。ないがしろにされたり、攻撃されたりしながらも、生き延びてこられた。ほとんどの人にとって憲法は、生まれた時からそこにあった空気のような存在だろう。

驚くなかれ、昔はこういった憲法は無かったのである。女性は選挙に参加させないなどと言うイスラム国のようなことは、日本ではあり得ない。これは明らかな憲法違反であり、いかに多数派の政治家だってそんな法律は作れない。ところが日本国憲法ができるまで、大日本帝国憲法のもとでは女性蔑視は憲法違反ではなかった。現実に、女性の投票は、認めない法律が作られていたのだ。

人間には生きる自由がある。全ての人には幸せになる権利がある。全ての人には学ぶ権利がある。愛し合う二人の結婚は妨げられない。政府と公務員は国民のために働かねばならない。こういった、いわば、当たり前の事が、日本国憲法で初めて認められた。それまでは、こんな不遜なことは口に出すこともはばかられた。これが、わずか68年前のことだ。

日本国憲法は画期的なものだった。9条の平和条項も重要だが、それだけではない。日本人が、初めて人間としての自分を手に入れたのが日本国憲法なのだ。これが敗戦によってもたらされたことに不満を持つ人もいるが、内容的には、はるかに経緯の是非を超えている。大日本帝国憲法の下では、国体の変革は犯罪だったから、敗戦によるしか、改めようがなかったとも言える。

満州は日本の生命線だと言われていた。苦しいけど戦争に勝たねば幸せになれない。戦争に勝てば余裕もできて、いろんな事が自由になる。誰もがそう思って、鬼畜米英との戦争に邁進していた。終戦となって、気づいたのは、内心の奥深く望んでいたことは、実はこういった当たり前の権利だったということである。多くの人が新しい憲法の理念を感激を持って受け入れた。国会でも、ほぼ全員一致だったし、圧倒的な世論の支持を得たことも確かだ。

日本国憲法を全国民が一致して受け入れることにより、戦後の復興がもたらされた。国民統合の土台があったからこそ、戦後の混乱を乗り越えることが出来た。憲法は普通の法律ではない。国民に浸透し、圧倒的に支持されるものでなければ意味が無い。改憲論者もこのことだけは心してほしい。拙速で国論を2分3分することが、いかに不幸な結果をもたらすことであるかを考えてほしい。

マイナンバーの恐ろしさ [社会]

数々の反対を押し切り、マイナンバー制度が導入される。国民ひとりひとりに番号を振るのだ。税金や年金などこれまで名前と生年月日などで識別していたことが、一つの番号で確実につかめる。ちょっとアルバイトをして稼いだことも税務署はしっかり知ることになるし、年金が消えることもなくなる。同姓同名といったあいまいさがなくなるからだ。

多くの人たちは、番号を振られることに慣れっこになっている。なんかの会員になれば会員番号がある。お客様番号も勝手に付けられてしまっている。こういった番号はその会の中だけで使われるものだから、退会すればなくなるし、番号を変えてもらうこともできるだろう。A社の番号とB社の番号には何の関連もない。

マイナンバーは、お客様番号とは訳が違う。日本国民を退会することは難しいし、一度振られた番号は、絶対に変えることが出来ない。確実な識別というのは、恐ろしいことでもある。もはや「夜逃げ」なんてことも出来なくなる。マイナンバーが悪人の手に渡れば、死ぬまで追跡される。制度が始まっても、マイナンバーは個人情報として慎重に取り扱って秘匿しておきたいものになる。

ところがである。マイナンバーは、たちまちのうちに広がってしまうことが約束されているのだ。給与所得を把握するために使われるのだから、すべての会社に社員のマイナンバーが登録される。ブラック企業であれ、倒産会社であれ、マイナンバーは知らされるのだ。資産を把握するため、銀行口座はマイナンバーで管理される。だから金融機関は全てマイナンバーを知ることになる。当面、マイナンバーの使用は限定されることにはなっているが、時間の問題だ。やがて学校も卒業証明のためにマイナンバーが必要になるし、警察も免許証の本人確認にマイナンバーを使うことになる。

ネットワークからの情報漏れなどという生やさしいことではない。自分でマイナンバーを広めさせられてしまう。当然のことながら、借金の証文にはマイナンバーを書かねばならなくなるだろう。教える義務はないはずだが、マイナンバーを教えないと言う事は、相手を信用していないと言うことの表現になるから拒むことは難しい。もちろん、サラ金で金を借りても同じことだ。クレジットカードの申込書にはマイナンバー欄がつくようになる。賃貸住宅の契約書もマイナンバーを要求するだろう。ここまで広がると、あらゆる機会にマイナンバーが使われることになる。

マイナンバーを使った信用調査会社が横行するようになる。この番号の人はどういう人物かを調べるのだ。現在でも信用調査会社があり、破産経歴などを把握しているが、同姓同名などがあるから確実性は保障されない。しかし、マイナンバーが導入されるとこれが確実なものになり、範囲が広がる。悪徳商法に対して被害を訴えたら、「クレーマー」として登録されてしまう。ブラック企業で残業代の請求をしたら、「要注意人物」とされ、他の会社への就職に支障がでる。信用調査会社が生殺与奪権を持つようになる。全く事実無根のことを登録するぞと脅す会社も出てくるだろう。

マイナンバーがもたらすものは、がちがちの管理社会である。人々はマイナンバーのために身をすくめて暮らすことになる。実に恐ろしいことだ。

暗雲立ちこめる東京オリンピック [社会]

新国立競技場の問題で混乱が続いている。白紙に戻して検討するにしても、なかなか前途は厳しい。そもそも、2020年の東京オリンピックは安倍晋三のウソで持ってきたものだからだ。

安倍晋三は誘致で二つのウソをついた。一つは、福島の汚染水問題が解決しているというウソで、もう一つが8万人規模のスタジアムを東京に作れるというウソだ。

この混雑する東京に、どうやって8万人がスタジアムに集まることが出来るのか。駐車場は論外として、電車の駅から歩く道が間に合わない。コンサート運営などで、5万人が限度だということがすでに証明されている。

5万人と8万人では建物の難度がかなり違う。1300億円などという予算を本気にする人は最初からいなかったのだ。だから予算を度外視したデザインコンペが行われた。すでに2013年には3400億円という見積もりが出ていた。それを隠して1625億円などと言う数値を発表していたのだ。

8万人の施設は維持費も高い。取り壊しだって莫大な金がかかる。オリンピック以後も使わないことには維持できない。そうなると屋根がいる。これだけの大きさの屋根を支えるとなるとアーチ構造は必須であり、広さの割りに高さの低いアーチは地下の支持構造も大変になる。ザハデザインはそれなりの必然性を持ったものだ。

実際に物を作らねばならないのだから、ウソはいつまでも続かない。開閉式屋根を五輪後として、予算からはずしたりしても2520億円と言わざるを得なくなって、東京都に500億円の出費を要請したことから破綻が始まった。白紙に戻して検討すると言うが見通しは立っていない。

屋根なし案は建設費を下げるが、その後の利用に制約を受ける。屋根無しで8万人の観客を集められるイベントはそう多くない。オリンピック後に、湯水のような維持費の赤字補填をつぎ込む事を隠したに過ぎない。

では、どうすればいいのか? 一番いいのは、正直にウソを謝ってオリンピックを返上することだが、世界に迷惑をかけるというなら、半分の4万人規模のスタジアムにすることだ。そのかわり、5年先のテクノロジーを使って、精細な臨場感のある映像をネットワークで配信する。実際、あまりにも大きく、選手が点にしか見えない会場よりも、このほうが観客も見やすい。

オリンピックも、馬鹿でかいスタジアムといった発想から解き放たれるべき時代にある。

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三上満さんの生き方 [社会]

三上満さんが亡くなった。いくつかの本を読んだり、演説を聞いただけなのだが、この人の生き方には、感銘するところが多い。

人間の能力には3つの種類があると思っている。実際の仕事をこなして成果を出す現場力、多くの人を指導して物事を達成する組織力、じっくりと冷静に考える学問力、この内のどれか一つでも達成できれば、人は人生をまっとうしたことになる。

三上さんはこれを全部達成した。脚本家の小山内美江子は「3年B組金八先生」を三上さんをモデルにして書いたと言う。三上さんは、教育現場で、非行を始めとする教育の問題に敢然と立ち向かう熱血教師だった。彼の実践記録は多くの心ある教師たちの道しるべとなった。東大を卒業して公立中学校の教師になったのだが、そんな人を他に聞いたことが無い。エリート志向とは無縁な教育に対する情熱がなんとも素晴らしい。

三上さんは、自分が教育に取り組むだけで留まらなかった。教員仲間を組織して教員組合を組織していった。全ての子供たちに自分が接することが出来るわけがない事を理解していたからだ。彼の教育実践は決して自己満足ではなかったということだ。組合活動の中でも血のにじむような苦労をしている。

日教組の中でも反主流派で、教師は単なる労働者ではないと言う主張を曲げず、日教組中央からは排斥されることになった。東京都教組委員長時代に、日教組が分裂し、全教委員長、さらに全労連委員長になった。困難の中で組織をまとめる能力は誰にでもあるものではない。

現役を退いてから、宮沢賢治の研究を進めた。「明日(あした)への銀河鉄道 わが心の宮沢賢治」(新日本出版社)は、数ある宮沢賢治研究のなかでも秀逸である。雨ニモ負ケズの中で、「行ッテ」を何度も使い、「行ッテ思想」のこだわりがあることを見出している。三上さん自身も、3.11のあと、何度も東北に足を運び、「行ッテ」を実践した。世の中は空論では進まない。啄木賞の授賞式で、「組合活動で戒告や減給など罰ばかり受けてきたが、賞をもらうのは初めてで嬉しい」と言っていたのが強く印象に残る。

出世、名誉、金、自己満足、 そんなものをはるかに越えた大きな人生だったと言える。

寝屋川の中一殺人事件を推理する [社会]

普段はニュースショウなど見ないのだが、病院の待合室でつけてあったテレビが、盛んにゲストの推理を放映していた。この種の評論家というのはいい加減なもので、まったく推理になっていない。さも、大きな謎があるかのごとく、興味を煽っているのが腹立たしい。時系列を素直に追えば、何が起こったかは明瞭だ。試みに僕の推理を書いておこう。

午前5時8分の映像から二人は寝屋川駅にいたことは確実で、5時11分には犯人である山田浩二も寝屋川駅に来ている。ここで山田の車に乗ったことになるのだが、いきなり二人組みの中学生を車に監禁できるはずがない。自宅に戻ったならマンションの防犯カメラに写るはずだから、自宅には行っていない。福島での職場確保もままならない山田が自宅以外の監禁場所を持っているとは思われない。縛った粘着テープは、まだこの時点で購入していないのである。

二人は夜通し町をうろついたりしているから、おそらく、車に乗せてもらってしばらくして寝込んでしまったのだ。若い子は睡魔に弱い。あるいは目覚めていたかも知れないが、この時点ではまだ「犯罪」に及んでおらず、「親切なおじさん」だったと考えるべきだ。山田は二人を自由にさせたまま約束のあった刑務所での面会をすませた。瞬時に終わったと言う事は、車で寝ている2人を気にしたからだ。

その後、12時39分に大阪府柏原市内のコンビニで、粘着テープを買って犯行の準備に入った。時間的に、ここへは直行だったと思われる。おそらく犯行は、星野君の遺体が見つかった山中だろう。午後10時25分に枚方でガソリンを給油するまで、10時間もあるから、この間に悲惨なことが起こったにちがいない。

何らかの理由をつけて、柏原から奈良方面への山中に誘い出した。二人を脅して、まず粘着テープで縛ってしまう。スタンガンなんかも使ったかも知れない。まさか殺されるとは思わず必死の抵抗はなかっただろう。こうなったあとは、二人いても大きな抵抗は出来ない。争った後がないのはこのためだ。車に大量の血痕がないのは、殺したあと積み込んだからだ。

二人を殺して、星野君の死体を捨て、平田さんの遺体を車に乗せた。軽に死体を2つ積み込むのは難しいし、同じところに二つの遺体を置いたのでは目だってしまう。

10時25分に高槻で給油のあと午後11時10分ころ高槻の現場に行き、平田さんの遺体を遺棄した。そのまま自宅に帰り、午後11時25分にマンションの防犯カメラに山田の姿が記録されたのである。

別に大きな謎がある事件ではない。お母さんが夕方から深夜までパン工場で働かなければならない家庭の女の子、再婚で妹が2人いて、苦労している若い母親の男の子、二人が夜中に出歩いて、殺人者に出くわして短い人生を終わらさねばならなかったという、なんともいえない哀しい現実を見せ付けられただけの事件だ。

パリで多数死亡のテロ------ニュースを読む [社会]

パリで驚くような大掛かりなテロが発生した。まだ日本では詳しいことが伝えられておらず、情報は交錯しているが、合計127人が死んだとされている。現在の所6箇所で金曜日の9時半から10時の間に起こっている。CNNやAljazeeraの情報をまとめて見るとこんなことだろう。BBCによると死者は128人、重傷者は99人である。

場所被害犯人
9:20
9:30
9:53
Stade de France(サッカー場) 4人死亡
-->犯人3人と通行人1人 
 自爆2回--->3回
1人はスタジアム前2人は路上
9:25Le Petit Cambode (レストラン) 14人死亡 黒い車で乗り付けテラス客を銃撃
9:25Rue Alibert(路上)
Le Carilon Paris(レストラン)
 1人死亡 上と同じ犯人が同時に
9:32Rue de la Fontaine au Roi(路上)
La Casa Nostra(レストラン)
 5人死亡 黒い車からテラス客を銃撃
9:40Bataclan(コンサートホール) 99人死亡 2人自爆、1人自爆前に射殺
9:36La Belle Equipe (レストラン)  18人死亡 黒い車からテラス客を銃撃
9:40Comptoir Voltaire (カフェ前路上)  犯人1人死亡

サッカー場はパリの中心から10km北の郊外にあり、あとは中心部の11区で、北から南へこの順に2.5kmの範囲に並んでいる。状況が詳しいのはコンサートホールで、Eagles of Death Metal というバンドが演奏中だった。

入り口付近から若い男たちが入ってきて発砲した。何度か弾を込めなおしながら10分間近く撃ち続けた。黒の服装だったが、覆面はしていなかった。"Allah akbar."と叫んだと言う。爆弾を腰に巻いており、警官が踏み込み3人が自爆 一人は自爆前に射殺された。逃げ出した観客は、路上に多数の死体があるのを見た。さきほど、ISISが8人の兄弟がジハードに決起したと声明を出したというから、イスラム国のテロであることに間違いはない。

これだけもの人たちの命を奪う卑劣な行為を許すことは出来ない。フランスでは、去年にもテロが起こっているが、厳重な警戒をしても再発を防ぐことは出来なかった。現場からエジプト・シリアのパスポートが見つかったとはいうが、パスポートを持ってのテロ出撃もないだろう。犯人たちどうしはフランス語で話していた。銃撃が始まってから、犯人を皆殺しにするまでわずか15分。警備はこの上なく万全だった。犯罪歴のない普通の人がテロリストに変身するといった事件は警備で防ぎようがない。

シリアのIS空爆にフランスが参加したことがテロの理由だ。ISにしてみれば、空高くから爆弾を落としてくる敵には打つ手がない。当然、その後方を狙う。一番弱い後方は本国に決まっている。遠くシリアでの戦争は、政府がしていることであり、パリの市民は関係がないと思っていただろう。しかし、ISにしてみればシリア国内もフランスも同じことだ。

日本の戦争法案も、どこかに出かけていく自衛隊だけの問題ではない。安倍が何かをしでかせば、日本人全体がしっぺ返しを食らう。このことはしっかりと覚えていおく必要がある。なくなった人への哀悼はいいが、「IS撲滅支援」などと下手に発言すれば、「日本にもテロを」と同じことになる。普通の人は、選挙の時点で、誰が選ばれようが、自分の生活には大きな影響がないと思い、軽い気持ちで投票しているだろう。しかし、政治家というのはわれわれの命を奪う結果をもたらす行動が出来る。軽々しく、政治家をを放置してはならない。

犯人たちは、特攻隊として自分の命をも捨てる覚悟でいた。実際、3人は誰をも巻き込まない単なる自殺でしかない。どういった気持ちで、8人ものフランスに暮らす人間が、このような行動に至ったのかはよく理解できない。多分、それが問題なのだろう。相手を「気違い」などとしか思えないのでは問題の解決の仕様がない。イスラム世界に暮らす人たちとの相互理解にもっと留意すべきであることは間違いない。今度の事件で、治安強化などという対応に終始することは無策に等しい。

パリ同時テロ事件の謎 [社会]

パリで129人が亡くなる大規模なテロ事件が発生し、世界から非難の声が上がっている。ISISが犯行声明も出しているから間違いなくISISによるテロだろう。捜査も迅速に進んで、いろんな事実も解明されて来ている。しかし、依然としてこの事件には謎がある。パレスチナでは100人単位の虐殺が何度も起きているし、シリアの空爆でもはるかに多くの一般市民が亡くなっている。フランスの事件だけが多くの哀悼を集めることに違和感がある。

三箇所のテロ攻撃対象の一つがフットボール競技場だというのだが、観客も職員も、何の被害もなく、試合も最後まで続けられた。3人が自爆したが、2人は競技場から少し離れた所で誰も巻き込まずに死んだ。もう一人は競技場の入り口近くだったが、巻き添えになったのは「通行人」だった。つまりこの事件はフットボール場を狙ったテロとは言えない。3人が武装すれば、フットボール競技場に押し入る事も出来たはずだが、犯人たちにその意図はなかったとしか考えられない。これは単なる競技場周辺での自殺事件でしかない。

同じように、パリ中心街での爆発も、犯人一人が路上で爆死しただけで、被害者はなく、現場写真はレストランのガラスすら壊れていない迫力のないものになっている。これもテロと呼ぶには、ふさわしくない。犯人たちに、多数を殺傷する意図が感じられない。犯人たちの行為は自殺を目的としたものであったと考えるしかない。シリア、イラクでの無人機によるテロや大量の爆弾の投下に対する抗議の自殺だったのだろうか。あるいは、自殺しかなくなるほどに追い詰められていたのかも知れない。追い詰めたのは、やはり警備警察だろう。

しかし、あとの現場での銃撃は、レストランの客を狙った無差別攻撃だから、典型的な無差別テロ事件と思われる。しかし、ここでも謎がある。それは、あまりに早い警察の対応だ。犯人たちがレストランの銃撃を始めたのが、9時25分。コンサートホールで警察との銃撃戦になったのが、9時40分。その間わずかに15分だ。犯人たちは観客を人質に取ったとされているから、警察の対応は、犯人たちがコンサートホールに入る前から始まっている。犯人たちはコンサートホールに逃げ込んだ形だ。

わずか、15分で、通報を受けて、出動命令で現場に行き、状況を把握し、中の観客の安全を考慮した決断の上で、犯人たちを射殺することが出来るのだろうか。 犯人3人のうち、2人は自爆したが、あとの一人は、自爆のスイッチを入れる間もなく射殺されている。余りにも早い対応が疑問だ。むしろ警官隊は犯人を待ち伏せしていたのではないかと疑われる。

フランスは、テロの報復として、テロの5日後に原子力空母をシリア爆撃に派遣した。しかし、実はテロの一週間前に、派遣を決めている。テロのあと犯人たちのアジトを襲撃して8人を拘束して2人を殺しているが、やはり、素早い動きで、テロが起こってからの捜査ではないことが伺われる。5000発の銃弾を撃ち込んだというから、強制捜査のやり方も苛烈だ。

フランスが、シリア内戦への本格参入を決め、そのための世論作りとして、ISIS関係者の襲撃を図ったのではないだろうかと疑われる。フランス警備警察は、捜査と銘打ってアジトの襲撃・射殺を行う。警備体制が強化された状況で身動きならない犯人たちはこれを察して、絶望から自殺を図った。一部は市民を巻き添えにしたが、それこそ警察の思う壺で、待ち構えていた警察に制圧された。警察は、市民の巻き添えを考慮することなく踏み込むことをあらかじめ決めていたが、想定以上に被害が大きくなった。事件の真相としてこんな推論が成り立つかもしれない。

ともかく、この事件の謎は残されたままになっている。謎は謎として指摘しておく必要があるだろう。

お笑い軽減税率 [社会]

公明党が「軽減税率」を看板にして久しい。選挙の時も「いまこそ軽減税率」といったポスターを出していた。いかにも減税するような表現だが、実際は増税である。5%から8%に値上げしたばかりの消費税のさらなる値上げに関して、食料品は8%に据え置くということらしい。

公明党は金魚のフン。何でもいいから自民党にくっついて、政権与党のおこぼれにあずかりたいというのが本音だろうが、軽減税率が戦争法案や秘密保護法に公明党が賛成する口実になって来ているのだから、まさか引っ込めるわけには行かないだろう。

しかし、それすらも怪しくなってきているのだから、完全になめられている。自民党は生鮮食料品に限るということにしたいらしい。食生活を支えているのはもちろん加工食品だ。生鮮食料品に限った2%がどれだけのものかは誰でもわかる。しかも減税ではないから「軽減」にはなりえない。「軽減」税率とするには増税を止めるしかない。

盛んに協議している事を強調しているが、自民党と公明党の協議はお笑いでしかない。両者は「税と社会保障の一体改革」で合意している。社会保障は全て増税でまかない、防衛費などは一切削らないという合意だ。社会保障が必要な老齢人口が増えているのだから、この合意を続ける限り、「軽減」税率などあり得ない。所詮は増税なのである。

「税と社会保障の一体改革」と言うのは、そもそもが憲法違反の合意だ。憲法25条は、「国は社会保障の向上及び増進に努めなければならない」と、はっきり定めている。他の支出をなんとか抑えて、社会保障を充実させることが国の使命なのだから、増税がなければ社会保障を削るなどと居直るのは、任務放棄に等しい。

まして、今回は、企業減税と軌を一にしている。かつて50%だった法人税は20%台にまで下がろうとしている。この財源が消費税だったことは、今までも明らかなのだが、今回はあからさまに時期を合わせているから露骨だ。国民は、収入の10%を大企業に寄付させられているというのが現実だ。

公明党が、自民党になめられているのが、軽減税率に関する協議で、よく見えるのだが、実は、一番なめられているのは国民だ。原発再稼働も、諸費税値上げも、秘密保護法も、戦争法案も、すべて国民の多数意見と異なることをしている。それでも、自民党は安定多数を維持しているのだから、これこそがお笑いだろう。ここまでひどい政府を選挙で存続させている国民は、なめられても仕方がないかもしれない。

社会福祉の削減スパイラル [社会]

社会福祉費用が、年々増大している。あの冷酷な安倍内閣でさえ社会福祉予算の絶対値は増額せざるを得ないほど経費の増大が激しい。政府の対応は、福祉の質を落として費用を抑制することだが、そんなことでは追いつかない。

実は医療費の増加は避けようがないものだ。医学の進歩で人間が長生きできるようになったのだから、当然費用がかかる。一度の大病で死んでいた人間が、2度3度まで命を取り留めるのだから、その度に費用をつぎ込まなくてはならない。もちろん、効率的に運用することは大切だが、それだけで収まらず、一人の人間が死ぬまでに使う医療費の額は必ず増大して行く。

医療費に限らず、介護や生活保護などの社会福祉も、自分で稼げなくなる年齢まで生き延びる人が増えれば自然に増えていく。ところが、政府は「税と社会保障の一体改革」などという無茶苦茶な方針を立てている。防衛費や政党助成金、バラマキ予算といった無駄遣いは一切減らさず、社会保障費の増加ははすべて増税でまかなうと言うことだ。

福祉が国家予算を圧迫するなどと考えるのは本末転倒である。食うため、命をはぐくむために働くのが人間の本性であり、それを社会的に実現するために国家がある。外交努力で軍事費を減らしたり、政府運営費など他の支出を抑えたりして、福祉のための予算をいかに作り出すかが政府の腕の見せ所なのだ。日本国憲法は25条で、福祉の充実が国家の使命であることを、はっきりと謳っている。

現在の政府にこういった認識はない。消費税を増やして低所得者の生活を困難にする。税収を増やすことを名目に企業活動ばかりを優遇する。最低賃金を低くとどめて、非正規雇用を増やす。年金も減額して支出を抑えるようにする。憲法9条だけでなく憲法25条もないがしろにする悪質政府の所業だ。

しかし、これで財政が助かると思ったら大間違いだ。結果的に低賃金労働を生み出し、無年金者を増やすことになる。若者の多くが非正規雇用で、将来の無年金者は今の数どころではなくなる。年金があったとしても、減額されて、足りないことになる。

低所得者の圧迫や年金の減額で生活保護が増大するのは避けられない。すでに生活保護はうなぎのぼりに増え始めている。生活保護の多くが老齢者である。今のところ、これにはまだ非正規雇用世代が含まれていないのだから末恐ろしい。すでに国民年金加入者の23%238万人が2年にわたって不払いになっている。

生活保護費が増大するため、結局、社会福祉費用は減らない。おそらく政府の対策は、生活保護の需給制限だが、そんなことで追いつくはずがない。老人ホームの入居費用に月12万円はかかるが、これを独居老人が稼げるはずもない。非正規雇用の未婚率は高く、無年金老人に身寄りがない場合が予想される。すでに特養費用の多くが生活保護費から支払われている。こういった人たちの医療費も当然、国の負担となる。非正規雇用が50%というのが、どれだけ危機的な状況なのかわかっていない。

需給制限が行き詰ったら、次に政府が考えることは、生活保護費の削減あるいは社会保障の放棄だろうが、これも場当たり的な対応でしかない。最低限の社会保障を削減すれば、犯罪率の増加につながることはアメリカなどの統計でもあきらかだ。警察費用。刑務所費用の増大は、社会福祉費用の増大を上回ることになる。今の政府の発想では、こういった費用の増大がさらなる福祉の削減を生み出す。

貧困の代償は大きい。大衆教育の不足が起こる。労働力の質の低下だ。新興国が生産力を高めて行く趨勢の中で、労働力の質が産業育成の決め手になるのだが、日本は決め手を欠くことになるだろう。これでまた税収が減り、福祉の削減が進む、際限ない削減のスパイラルが始まる。

行き着くところは、貧困による短命化だろう。荒廃という一語につきる未来が見えてくる。もはや政治を変えるしかない。

国家と会社を混同しちゃいけません [社会]

朝日新聞に載った中村文則さんの寄稿にあった友人の言葉
「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴らの人権をなぜ国が守らなければならない?」
これには、一瞬、虚を突かれた思いがした。筋が通っている。

会社であれば、「俺は、会社のために一生懸命働いている、だから給料をもらって当然だがサボっている奴らにまで同じ給料をやることはない」となり、同じことを国について語ったに過ぎない。会社などといった組織形態に慣らされておれば、いわば当然の発想である。一瞬たじろいだと言うことは、その発想が、僕にまで染み渡っていたことになる。

会社と国とは違う。会社の運営は主権者である社長が勝手に決めるのであって、社員はそれに従うのが当たり前だ。社長の方針が気に食わなければ会社を辞めればよい。だが国は違う、国民であることを辞められないし、為政者は国民の意向を尊重しなければならない。主権者は国民なのである。会社は社員に給料を払うためにあるのではない。しかし、国は国民の人権を守るためにある。すべての国民が給料を受け取れるようにするのが国の勤めだ。

国は無条件に国民の人権を守らなければならないし、それを全うしない政府に対しては、むしろ反対する義務が国民にあると言ってよい。この友人は、国が自分の外にある存在として、とらえているが、そうではなく、国民が国であり、国が何をするかを決めるのは自分達なのである。

こういった国のあり方については、日本国憲法が明確に示しているのだが、日常生活については、会社のような組織形態があまりにも当たり前になってしまっている。だから中村さんの友人のような発言が生まれる。一人一人が、自分が主権者であると意識する機会があまりにも少ない。物事は、勝手に決められるものであって、個々人はそれに参加するか離脱するかの自由があるくらいであるのが、当たり前になっている。

昔は、小学校には学級会があって、議長や書記を決めて、議論し、遠足や行事に関しても学級会で決めていた。話し合って、相違があれば多数決で決める。自分達が主権者なのだから、それ以外に決めようがないということを繰り返し学んだ。しかし、最近は小学校でも、こういった学級会がなくなってきている。高校の生徒会や大学の学生自治会も活発ではない。

個々が尊重される人間の社会は、自治が基本であるはずだ。会社のような、上位下達の組織は、効率よい生産のための特殊な形態なのである。ところが、それが意識されない。会社があまりにも日常化して、当たり前になりすぎている。結果として日本人には自治能力が失われて来ている。悲しいかなそれが現実だろう。増税、軍拡、無駄使いを推し進める議員達が繰り返し選挙で選ばれているのは、その現れである。

14人の若者が死んだスキーバスの転落事故 [社会]

14人の若者が命を落とすという痛ましい事故が起こった。深夜にスキー場に向けて走るバスが、反対車線のガードレールを突き破って転落したという。まだ詳しい事故の原因は明らかにされていないが、運転手の技能が十分に発揮されていたら避けられた事故であったことは間違いない。大学4年生で、就職も決まり、これからという子を亡くした親の気持ちは察するに余りある。この事件には大きな社会問題が見えかくれする。

真夜中に出発する満員のバスが国道を走っていたのは、安くスキーが出来るからだ。スキー人口は一昔前に比べて激減している。誰しも生活に余裕が無くなりスキーどころではない。携帯電話などといったものが生活必需品になり、これに毎月1万円も払えば、当然レジャー費用は無くなる。スキーに行くとしたら深夜バスに乗るしかない。

アルバイトで稼いで旅行に行くのも若者の見聞を広める手立てだった。しかし、今は旅をする若者は少ない。学費が上がり、アルバイトは生活資金に消えるのが現実だ。国立大学の授業料などは50年で100倍にもなっている。観光地はどこも根を上げる状態であり、わずかな救いを中国人、韓国人の観光客に求めているのが現状である。スキー場も次々と閉鎖されている。

深夜バスが、なぜ安いかと言えば、ひとえに運転手の低賃金によるものだ。バスの運転には資格が要る。簡単に得られる人材ではないはずだが、賃金は低い。徹夜でバスを走らせる重労働が賃金に引き合わないのは明らかだ。だから運転手のなり手がなく高齢化している。今回の事故の運転手も65歳だった。高齢者は他に雇用の道がないから、低賃金を我慢して65歳になっても徹夜で働く。

高齢になっても、人さまざまで、一律に能力が低下するわけではない。だから65歳に徹夜で運転させることも許されているのだという。だとしたら、すべての人が定年ということで年齢を理由に解雇されるのはおかしいことになる。ちなみにアメリカでは、年齢差別による解雇は禁止されており、定年制度はない。定年制度というのは、その後の生活が保障されていることと一体でなければならない。

この運転手もは、10年以上の経験を持つベテランだったが、退職し、契約社員として働いていた。そういった運転手がたくさんいる。バスだけではない。トラックの運転手も高齢化している。タクシーの運転手もそうだ。全般に、資格や修練がいるような仕事はみな高齢化している。日本の社会が技能者を養成しなくなったからだ。

本当は、こういった仕事の賃金は高騰しなくてはならない。そうすれば、若い年代にも資格を取得する意欲がわいてくる。しかし、政府は意図的にこれを抑えている。年金を削って、高齢者を狩りだすことで低賃金を維持し続けようとするのが「一億総活躍」の正体なのである。

看護士なども慢性的に不足している。徹夜勤務もあって母親には苦しい仕事だからだ。その割りに賃金は低い。介護士にいたっては非正規雇用が大半を占める。需要と供給の関係で、待遇がよくなれば自然に不足は解消されるのだが、政府がやっていることは、外国人の導入や国の介護負担削減など賃金を抑制する施策ばかりだ。実際、国の定めた賃金で介護士を雇えず閉鎖する介護施設が続出している。

景気が良くなっても、内部留保が増えるばかりで給料は上がらないのは当たり前だ。政府が賃金抑制政策を取っているのである。こういった人材が不足している分野での賃金があがれば、そこに労働力が集まり、現在、あまっている分野、工場生産や商業などの賃金も上がる。低賃金で潤っている会社の経営者と政府がそれを恐れているのだ。

公営賭博の怪 [社会]

野球が賭博でゆれているが、この根幹は根深い。しかし、日本では賭博が禁止されている。残念なことに、一攫千金を狙う賭博は、他に希望が持てない庶民にとって魅力であり、それが数々の不幸を家庭にもたらすことが明らかだからだ。しかし、賭博の禁止は徹底しておらず、パチンコなどは子どもの不幸につながることが多い。

賭博の禁止は徹底していないどころか、公営で行われている。競輪、競馬といったものがそれだ。苦しい地方財政を補うために、窮余の一策として認められているのだ。収益を公共の福祉に当てるということで、賭博を例外的に認めたものだ。様々な不幸を作り出すが、寺銭収入がないと公共福祉が出来ないから必要悪と言うわけだ。

ところが、近年の公営ギャンブル事情は変わってきているらしい。公営ギャンブルが赤字なのだと言う。競輪などに若い人の人気が集まらず、人口が減った地方都市では運営が赤字になっているのだ。賭博は胴元が莫大な利益を上げられ、それが公営賭博を許す根拠になっていたはずだ。赤字ではなくとも、莫大な利益を上げられなければ、本来違法な賭博を地方自治体が開催する理由はない。必要でなくなった必要悪は単なるでしかない。

当然、即刻廃止すべきだろう。ところが、こういった公営ギャンブルを廃止する動きはなく、「経営の改善に努める」「収益を上げるために宣伝を強化する」などと言っているのだ。とんでもない。そんな努力をしてまで維持すべき事業でないことは明らかだ。ギャンブルは害悪を垂れ流すものであり、それ自体には何の公益性もないのだ。

収支の中身は概略しか公表されていないが、「その他」の支出が何億もあったり、「開催費」がやたら高い。寺銭収益は、なにやら怪しげなところに流れているのではないかと疑わせるに十分である。賭博がプロ野球の健全性を失わせる元であると同様に、公営賭博が地方自治の健全性ていることは確実だ。即刻廃止すべきものであることは間違いない。

利権政治家にとってギャンブルほど旨い話はない。政治で金儲けをするならギャンブルとつるむのが一番だ。「規制緩和」とやらでカジノ解禁を主張する議員は、こういったやからだ。こんな議員に政治を続けさせるわけにはいかない。来るべき参議院選挙で落とさねばならないカジノ議員連目に属する参議院議員の名前を挙げておこう。こいつらを再選させてはならない。

桜井充(参議院議員:民主)
中山恭子(参議院議員:次世代)
大家敏志(参議院議員:自民)
三原じゅん子(参議院議員:自民)
長谷川岳(参議院議員:自民)
岩井茂樹(参議院議員:自民)
世耕弘成(参議院議員:自民)
衛藤晟一(参議院議員:自民)

熊本地震に付け込むやから [社会]

熊本の大地震はなかなか大変なことになっている。今まであまり地震を経験していない所で、しかも、今までになく何度も繰り返す大地震だから、被害も大きい。老人が住む古い家が軒並み倒壊して犠牲者は60人を超えることになった。。地方が寂れていることはずっと前から明らかだった。地震がなくとも潰れそうな家に住まざるを得なかった人達がいる。地震の前に手を差し伸べておかなければならなかったはずだ。

地震発生後は、全国各地から支援の手が差し伸べられており、立ち上がりも早いように感じる。被害が局地的だったから、周りからの支援もしやすい。何よりも津波や原発事故につながらなかったことが幸いだった。東日本大震災の時は、原発が大きな障害になり、救援できずに亡くなった人が多い。原発近くの浜辺には、長らく遺体が転がったままになっていた。
しかし、報道されなかっただけかも知れないが、今回新たに耳にしたのは、避難中の家屋が空き巣に
襲われたことだ。かなりの盗難が発生している。避難所での置き引きまであると言うから驚く。それでなくとも、被害にあって打ちひしがれている人から盗むなど言語道断で、人間のすることではない。怒りを通り越して情けなさを感じてしまう。

ところが、災害を利用したのはは泥棒だけではなかった。救援には、消防や警察が大いに働いたのだのだが、テレビ画面には自衛隊の迷彩服ばかりが映っていた。救援隊は被害者から見つけやすいほうがいいのに、なぜ身を隠す迷彩服を着なければならないのだ。さっそく災害出動の機材を充実させるなどと防衛大臣が発言していたが、福祉を圧迫する防衛費の増額に向けた布石だろう。災害につけこむ被災地泥棒と同じだ。

極めつけは、オスプレイに物資を運ばせたことだ。わざわざ沖縄から米軍のオスプレイを呼び寄せて、岩国から熊本まで運んだ。こんな短距離を飛べるヘリコプターなら自衛隊には山ほど遊んでいる。オスプレイを使って、それをわざわざテレビ報道させたのは宣伝のためでしかない。外国まで直接殴り込める長い航続距離が売り物のオスプレイは重量の割りに積載量も少なく、全く災害出動向けではない。実際、運んだのはわずかの分量でしかない。オスプレイのエンジンが強力で24トンを運べるなどと弁護する奴がいるが、機体が重いので実際には4.5トンしか積めない。しかも最大積載の場合には、滑走路がないと離陸できない。

あまりな宣伝の露骨さに自衛隊内部からさえ批判が出たら、「米軍から支援の申し出があったので受けた」と中谷防衛大臣が釈明した。しかし、翌日には米軍の方が「日本からの要請だった」と暴露してしまった。中谷という人は、その場その場で適当なごまかしを言う人物だと覚えておこう。

災害は悲惨だ。しかし、それに付け込むやからが大手を振って政治を牛耳っていることは、さらに悲惨だ。

18歳 選挙のやり方 [社会]

今年から選挙の投票権が18歳からに拡大された。模擬投票をやったり、選挙に行こうと言うキャンペーンが繰り返されているが、投票は義務だから、忠実に実行しましょうねといったことに終始しているように見える。こんなキャンペーンに騙されてはならない。

選挙権は、もっと重大なもので、これを獲得するためにどの国でも多くの血が流されてきた。明治の昔にはごく一部の金持ちにしか与えられなかったし、女性の場合は第二次世界大戦で負けて、日本国憲法が施行されるまで、選挙権が与えられなかった。権力行使の唯一のチャンスであり、18歳の君がエライ政治家や大臣の上に立つ瞬間なのである。

18歳でも給料をもらえば、税金をとられるのだから選挙権は当たり前のことだ。昔から、選挙権は18歳からにすべきだという議論があったが、時の政府は取り合わなかった。若者は現状批判が強く進歩的であり自民党に不利だと決まっていたからだ。今頃、18歳選挙にしたのは、マスコミを通じてうまく丸め込めば不利ではないという新しい判断なのだろう。若者はなめられている。

議員の選挙は、AKB48の総選挙とは根本的に異なる。AKBの選挙は誰が歌うのかを決めるが、その結果はAKBメンバーに限ったことで、自分の身には降りかからない。議員の選挙は自分の身に降りかかる結果をもたらすのだ。国会で決めることが自分にどう影響するのか。自分は、社会の中でどのような位置にあるのか。選挙投票は自分を知ることから始まる。

世の中の人とたちの利害は相反する。誰にとっても良いことばかりではない。ある人にとって良いことは他のある人には悪いことであることが多い。だから選挙で決着をつける。自分の立ち位置を見極め的確な判断をすることは、生きる技術でもあるのだ。人気投票をやっている場合ではない。

国の運営にはお金がいるから税金を取る。消費税で貧乏人からも一律に取るのか、所得税で余裕のある金持ちから多く取るのか。これも一つの重要な選択だが、これを大所高所から判断できる立派な人を選ぶのが選挙だと思ってはいけない。選挙で問われているのは誰が立派かではなく、自分自身の意見なのだ。自分の意見を議会で代表してくれる人を選ぶのが選挙だ。

世の中が豊かで、自分は貧乏でないと思っている人は、金持ち優遇が良い。消費税の負担が重荷となっている人は税金は金持ちからとってほしいと思う。いったいどちらが多いのか。これを示す機会が選挙なのだ。国に対して進む方向を与えるのは選挙民でなければならない。

最大多数の最大幸福が民主主義の原理だ。世の中の人たちが、自分の利害に忠実に投票すれば、必ず多くの人にとって良い社会が実現されるはずだ。ところが実際にはそうなっていない。政治は複雑であり、ごまかしが横行する。多くの大人たちが、自分をしっかり見つめた投票をせず、「人気」や「知名度」、あるいは、「取引先に頼まれて」投票している。「大所高所から判断できる立派な人物」に投票して満足している人も多い。

求められているのは各自の政策判断だ。アベノミックスと言われる政策では、消費税を増やして、企業の税金は減らす。会社が潤えばやがて給料もあがると言うのだが、これを信じるかどうかが1つの争点だ。アベノミックスは前の選挙でも宣伝され、すでに実施された。消費税の増加分を上回る増収があったのかどうか、各自の判断が問われている。

選挙の争点は必ずしも明確に出てこない。前回の選挙も株高で企業の業績が上がることを売りにしたのだが、選挙後にやったことは、秘密保護法や海外派兵の戦争法案だった。今回も、こういった争点を隠している。日本国憲法をないがしろにしていいのかどうかも、実は大きな争点なのだ。年寄りは兵隊にされず、国内から行けと命令するだけだ。海外派兵で死ぬのは若者ばかりだ。

決して、「選挙に行くこと」だけが大切なのではない。隠された争点、明らかな争点、それを自分の立場から、自分で判断すること、これが選挙のやり方として一番大切なことなのだ。未来は若者たちのものだ。だらしのない大人たちのまねをしてはいけない。

イスラム国のテロに思う [社会]

バングラデシュで7人の日本人が殺され、改めてイスラム国によるテロリズムが問題になっている。様々なニュース解説があるが、警備を強化するだとか、各国が連携するだとかを報道するだけで、実際にはなんの解決策も見つけられていない。

なぜイスラム国の決死隊は自分の命を捨ててまで、日本人を殺さねばならないのかは、いまだに理解できない。一人二人ならキチガイの行動とすることもできるが、これだけ各地でテロ事件が起こるということは、イスラム国の考えに同調して自分の命を捨てる若者が少なくないということだ。被害者の死は取り上げられるが、犯人たちも命を捨てていると言うことを忘れてはならない。

イスラム国にはそれなりの主張があるはずなのだが、不思議なことにイスラム国の主張が報道されたことがない。不思議な現象ではある。我々の住んでいる社会とムスリム世界は隔絶されている。

ガザでは、多くの子供たちや市民が爆撃やミサイルで殺されている。しかし、世界ではこれが重大問題として取り上げられることはない。イスラエルはパレスチナを侵略し続けているが、世界ではこれが重大問題として取り上げられることはないし、どの国も親身になってパレスチナを救おうとはしない。

ムスリム世界の人たちは、世界から見放されているという絶望感を感じているだろう。文化はギリシア・ローマからイスラムに受け継がれた。中世にそれが十字軍に奪い取られ、あたかもギリシャ・ローマの文化は、直接ヨーロッパに受け継がれたこのような歴史観が定着している。世界はムスリムを無視しているのだ。

世界はムスリムを敵視する十字軍に支配されている。工業生産は圧倒的に十字軍のものだ。ムスリム世界で工業を起こそうにもすでに十字軍世界で作ったものが安く流通している。いまさら太刀打ちもできない。外国からの観光収入にたよると言う情けない状態から離脱する道が見いだせない。 解決策がないのだ。イスラム教国の政府は、どれもみな、十字軍に屈服して欧米や日本との「友好」に明け暮れている。誇り高いムスリムの業ではない。

なんでもいいから、とにかく十字軍諸国を追い出し、独自のムスリム世界を作る他ない。十字軍世界からは隔絶されたムスリム世界で、独自の発展を目指すのだ。それをさせない十字軍の干渉を許してしまっているのでは生きている価値がない。死ぬなら、敵を道連れにして、ムスリムの気概を示そう。

想像でしかないが、多分、そんな考えなのではないだろうか。やらせてあげればいいではないか。中央アジアにイスラム国を作るのなら、認めてあげればいい。世界から鎖国したいならさせてあげればいい。イスラム国の支配地域と重なる国々は、自国の一部がイスラム国に取られたというだろうが、国内問題に過ぎない。こういった国々は、外国の援助でなり立っている本当の意味では国と言えない類のものだ。それを有志連合で支援して爆撃までして押しつぶそうとするからテロが各地に広がる。

銃口を向けられ「私は日本人だ。撃たないでくれ。」と叫んだ人がいたと言うことだが、無駄だった。安倍首相は、各国を歴訪してイスラム国攻撃に金を出し、十字軍への参加を表明してしまっている。おまけに戦争法案を出して、実際に海外派兵も準備することが知れ渡っているからだ。イスラム国から見れば十字軍の一員でしかない。政府は殺された人たちに200万円の見舞金を検討しているという。震災でも、秋葉原の無差別殺人でも、こんな金は出さなかった。7人が殺されたのは安倍首相のせいだと意識はしているのかもしれない。

圧倒的な情報不足は否めない。もっとムスリム世界のことを知り、イスラム国の主張も聞くようにしなければ解決の糸口も見いだせないだろう。軽々しく十字軍に同調するのは避けるべきだ。

2016つくばの選挙(市長選・市議選) [社会]

地元つくばで市長選挙、市議会議員選挙が始まっている。一週間しか選挙期間はなく、すぐに投票日だから投票先をじっくり吟味して選ぶ暇もない。こんなことでいいのだろうか。

今回の選挙は、運動公園問題で市民の総スカンを食った現市長が出馬せず新人同士の争いになる。自分の裏庭みたいなところに巨額の運動公園を作ろうとして反発を食い、住民投票では圧倒的な拒否にあった。この騒動がもとで顔が売れてしまい、ハワイでへの不倫旅行が週刊誌にすっぱ抜かれるというおまけ付きで、さすがに再出馬はできなかったのだ。

これまで、つくばは不思議なところで、科学の町と言われながら研究者が市政に関与することがなかった。歴代市長も全部地元の有力者だったし、議員も多くは旧村部の出身者に占められてきた。学園都市の利権をどう配分するかでもめる場でしかなかったとも言える。しかし、新しい住民が増えて、少しづつ変化も見えてきている。運動公園問題での住民投票は、それを端的に示すものだろう。

これまでなら、住民投票の要求など市議会で押しつぶしてしまっただろうが、前回の市議選で最下位で当選した共産党の議席が決め手になって、一票差で住民投票に持ち込まれたのだ。

市長には3人が立候補しているが、事実上、現市長の路線を引き継ぐ自民党の飯岡宏之氏と挑戦二回目の五十嵐立青氏の一騎打ちだろう。他に元民主党国会議員の大泉博子氏も立候補しているが「国会議員では当選できそうもないから市長でいいや」を受け入れる素地はない。五十嵐氏は前回も立候補した新住民二世だが、前回は地元の厚い壁に阻まれた。今回は、かなり支持の幅をひろげ、保守系から共産党までの住民投票運動をバックにしている。

自身で、4年前は未熟だったと弱点を改めた上での立候補という点が素晴らしい。何の反省もない人間には進歩がない。未来が期待できる人だ。政策の上でも確かに変化した。前回は自分のアイデアを押し付ける一人よがりのところがあったが、今回は市民の声を聴く姿勢を前面に立てている。前回競合した山中たい子氏のスローガンは「市民が決める」だったから、これを取り入れたことになる。だから共産党との共闘も成立したのだろう。

学園都市が出来て40年。やっと学園都市らしい市長が誕生するかもしれない。五十嵐氏は学術博士の学位ももっており、研究者の心も理解できるだろう。こういった研究学園都市らしさは、他にも表れている。共産党の新人市議候補である山中まゆみ氏は、「38歳3児の子育てママ」がキャッチフレーズで、戦争法に反対するパパママの会などで活躍してきた人だが、経歴を良く見てみると「農学博士」となっている。環境問題の専門家なのだ。ぜひこういった新しい世代の活躍を期待したい。

これからの日本はどうなるか(2017) [社会]

2017年の元旦を迎えた。今年もこれからの日本はどうなるかを考えて見ることにする。

世界の大きな流れはグローバル化にある。これが何によって引き起こされたかと言えば交通・通信技術の発展である。ジャンボジェット機は世界を一日で移動できる範囲に縮め、インターネットは全世界を瞬時につなぐものとなった。この動きは必然のものであり、今後もグローバル化を軸に世界は進んで行く。

大昔には世界各地はつながりがなく別個に歴史が進んでいた。世界がつながりだしたのは大航海時代からだ。しかし、航海は困難であり、つながりは弱かった。世界が弱くつながることで、先進国が後進国を支配収奪する植民地主義の時代になった。後進国の原料が暴力的に先進国に移動し、先進国の製品が後進国に移動することで、先進国はより大きな利益を上げる時代が続いた。

第二次世界大戦後は民族独立の時代となり、露骨な収奪は見られなくなったが、格差は大きく、発展途上国は不利な競争を強いられることになった。しかし、交通・通信の発達が、さっらに発展して、ある時点で相転移が起こった。世界がグローバル化に向かっていっせいに動き出したのである。

安い労働力を求めて工場が発展途上国に移動するようになり、製品の移動は、工場の移動に変わっていった。最初は単純労働だけが求められたのだが、徐々に現場技術が移転するようになり、インターネットによって、設計・プログラミングなどと言った工業生産の根幹までもが移動することになった。

世界が弱くつながることで引き起こされた地域格差は、つながりが強くなることで、再び均質化することになる。現在、世界はその過程にある。国家が大会社を率いて世界に進出するなど言うのはもはや過去のことであり、グローバル化した世界資本は国家を超えるようになる。国家の考え方を変わらなければならない。世界企業から、いかに国民の身を守るかが政府の役割となる。国家はいわば労働組合のようなものに転換していかなければならない。

しかし、日本の政治状況は後進性を脱却できていない。大企業を軸とした政策に終始し、企業の横暴から国民を守るといった視点はない。経済は循環であるから、いくら大企業が繫栄しても、国民が疲弊すれば、やがて立ち行かなくなる。政府はいわゆるアベノミックスなど小手先の戦術で切り抜けようとするが、当然のごとくことごとく失敗する。景気循環の山に当たっているので、隠されているが、経済の危機は深く静かに進行している。やがて破たんが表に出るときが来るだろう。その端緒がみられるのが2017年だろう。

日本は、アジアでいち早く先進国の仲間入りをして、周辺諸国から収奪する立場に立ったし、戦後も原料を輸入し、製品を輸出する構造を保持してきた。しかし、均質化の波は避けがたく、すでに多くの工場が海外に移転し、国内での現場医術も失われかかっている。人口の減少はこういった動きをますます加速していくことになるだろう。

これから起こることは、グローバル化した巨大資本が国家の枠を超えて市場を支配することである。日本企業もいくつかは世界企業となり発展するが、国籍を失ったものになって行かざるを得ない。これらの企業は容赦なく工場を海外に移転するので、国内の労働力は過剰になる。

全般的な労働力の過剰がある中で、相対的に不足するのは低賃金の労働力である。アジア諸国からの移民は増えて行かざるを得ない。また海外の労働力コストに対抗するために日本の賃金は、極端に言えば、スリランカ並みになるまで下落していくことになる。

当面、アジアの工場建設は、巨大な人口を抱える中国が担うことになる。中国経済は減速気味だが、日本はもっとひどい。技術面での遅れが目立つようになり、アジアでの主導権は大きく後退する。日本ではこういった動きに反発して、復古的な主張がもてはやされ、政府は国威発揚ばかりをやりたがるようになり、軍事力の強化とか中央集権の強化が行われるが、そんなことで流れを変えることは出来ない。

グローバル化が進行する中で、生じるのは格差である。地方が衰え東京への一極集中は続く。富裕層がより多くの富を集め、庶民が苦しみを背負わされる。自己責任論を押し付けられ、自分を卑下して暮らし、マイナンバーで管理され、カジノで有り金は巻き上げられる。自暴自棄の犯罪も増加するだろう。はっきり言って2017年は明るくない。

だが、明けない夜はない。やがて日本人は立ち上がって、自らの医師で国家を運営するようになる。2017年はまだその時期ではないが、変化の兆しが見えても良いだろう。。

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