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内閣府職員のボート変死事件の真相(推理) [社会]

内閣府の職員が北九州の沿岸で変死した事件は、様々な憶測を呼んでいる。12月7日からの会議に出るために留学中のアメリカからソウルに入り、すぐに、偽名を使いゴムボートを買った。送り先を釜山のホテルにして受け取り、釜山では、ケーブルや動力電池を購入している。12日ころボート上で死亡したと見られ、18日に北九州沿岸で発見されたが、波が高くて転覆し、20日に海底から遺体が見つかって大騒ぎになった。

政治がからんだ謀略事件かという憶測が巷に飛び交っているが、日本政府は韓国に捜査依頼も出しておらず。事件性はないとの見方をしているらしい。関係者には、うすうすこの事件の真相がわかっている様子だ。当事者はだれも説明しないが、本人の周辺では、動機が理解できるのだ。動機はパスポート事情により、日本にこっそり帰る必要が生じたということだ。

おそらく、白石さんは、恋人に会いたいとか、留学半年のホームシックとか、日本にどうしても帰りたい事情があったのだ。問題はパスポートにある。内閣府の役人が出張するときは、普通の旅券ではなく公用旅券になる。公用旅券には数次旅券と一次旅券があるのだが、よほどの外交官でなければ一次旅券しか発給されない。一回の出張にしか使えず、帰国時点で返納しなければならない。だから、途中で帰国することはできない。途中で帰るとすれば2回の出張にわけなければならないし、パスポートも二通いる。役人としては、私情で出張を二回に分けてくれなどと言えるわけもない。韓国を足場に、こっそり、日本への往復を考えたのだ。

釜山から対馬までは50km。ゴムボートに船外モーターをつければ、2時間とかからない。ゴムボートは大きな浮き袋だから沈むことは絶対にない。少なくとも素人はそう考える。冬で寒いがこれくらいは厚着をして我慢できる。対馬まで行けばあとは国内だから問題はない。国内線の飛行機だって船だって自由に乗れる。ゴムボートで海峡を渡ることを無謀とは言い切れない。時間と気温だけを考えればそう難しいと考えなくても不思議はない。

7日からソウルでの会議に出ると理由をつけて6日に韓国に行き、ボート屋に直行した。身元がバレないように偽名を使ったりして現金でゴムボートを買い込んだ。かなりの高額だから当然残りのウオンを保持している。ソウルで別のホテルに荷物を置いたのは、出張報告でソウルのホテルの領収書がいるからだ。安いホテルなら不在で荷物だけ置くこともよくあるから不思議がられない。本人は釜山に行き、8日に送ってもらったボートを受け取った。船外モーターの動力用バッテリー、防寒着などは釜山で入手した。

防寒着を二重に着込んで出発したのだが、対馬海峡は潮流が激しい。素人が磁石を頼りにすすめば、島を素通りすることも考えられる。対馬を見逃してしまって、北九州を目指す航路になってしまった。しかし、バッテリーの寿命はそう長くない。バッテリーがなくなれば進まない。北九州に到達する前にバッテリーが無くなったとしよう。オールがついているので、それで漕いだかもしれないが、そんなには進めない。夜になれば、寒さも厳しくなる。玄界灘の荒波も厳しく、波はボートの上まで押し寄せる。ボート上で凍死したに違いない。海上を漂って18日に発見された時にはすでに死体となっていた。

このような筋書きを考えれば矛盾はない。公用旅券などというやっかいなものを持たされると方便を考えたくなる。他にも過去にこんな帰国をやった人がいて、内閣府の若手職員の中では口コミで手口が知れ渡っているのかもしれない。ひょっとしたら内閣府幹部も、韓国での、たいして必要性もない会議への出席を認めた時点で、暗黙の了承を与えていたのかもしれない。だから事件性は無いなどと言って韓国に捜査依頼も出さないことになる。時代遅れの公用旅券などという制度のなせる業だ。

都知事選のボナパルティズム [社会]

都知事選挙が終わった。結果は、舛添要一  211万2千票、宇都宮健児 98万2千票、細川護熙 95万6千票、田母神俊雄 61万8千票というものであった。またしても、東京は都民を顧みない知事を戴くことになったようだ。

選挙は、原発問題が大きく浮上する中で行われた。しかし、原発問題が争点となったわけではない。舛添はしきりに争点隠しをおこなったし、結果から見ればそれは功を奏した。それでは、都民は何を基準に舛添氏を選んだのだろうか。舛添氏は以前にも都知事に立候補して惨敗を期している。舛添氏の個人的魅力ではありえない。争点隠しをするくらいだから、政策を積極的に訴えたものでもない。

自民党・公明党・大企業労組が推す候補者だから指示に従い従順に舛添氏に投票したという人が多かったということだ。原発は怖いが、政府がなんとか舵取りしてくれるだろう。軍事の突出が続いているが、まあ戦争なんてことにはならないだろう。経済の雲行きもあやしいが、ここ何十年かやりくりしてきたのだから、まかせておけばなんとかなるだろう。そんな票が多かったのだと思う。

日々の暮らしの中で、歴史の激動というのは感じられない。昭和の初期にだれもあの15年戦争の悲劇を実感するものはいなかった。黒船がくるまで、将軍家はおろか侍自体がこの世から消えてしまうなどとは誰も思いつかなかった。しかし、歴史のうねりは怒涛となって確実に押し寄せるものなのである。

「なんとかなるだろう」というのは、保守的な姿勢であり、今回の選挙結果はそれが主流であることの表れではあるが、田母神氏の票が年齢が若いほど多かったことは、それに加わった右傾化の流れを示している。極端な右翼である田母神氏の得票は、日本の右傾化の反映と見るしかない。200万人の日本人と2000万人のアジア人が死んだ戦争に対する反省をおざなりにしてきたことのツケが回ってきている。

バブル期の夢が忘れられない気持ちが、排外主義へと向かい、不調の原因をアジア諸国に向ける。過去の侵略を正当化する極端な右翼思想が受け入れられる下地がうまれ、インターネットをを通じて、拡大拡散されている。こういった情報に敏感な世代には、しっかりした歴史認識がないまま、南京大虐殺はなかっただとか、従軍慰安婦はいなかっただとかの荒唐無稽なことが事実として受け入れられることが起こる。

社会は進歩しているのだが、進歩が時として、逆行現象として表れることがある。丙午生まれの女は夫を食い殺すとして嫌がられたのは迷信であり、当然消えていくものであるが、丙午年の出生率が最も落ち込んだのは1966年だ。産児制限が進歩したために、かえって迷信が普及したことになる。

もう少し大きな歴史の流れでも、こういった逆流は起る。1789年のフランス革命のあとで、ナポレオンの帝国に戻った。フランス国民は帝政を熱狂的に支持した。もちろん、フランスにはその後共和制が根付いたので大きな歴史の流れは、結局変わらなかったことになるが、あの時点で歴史が逆行したことは事実だ。ボナパルティズムと言われる歴史の逆行現象は、時として起こるものなのである。

日本も今、ボナパルティズムに覆われようとしているのだろうか。日本の夜明けはまだ遠い。

「俺たちサギ」に気をつけよう--ホリエモンの逆襲 [社会]

「オレオレ詐欺」が流行っていて、なかなか根絶できないが、「俺たちサギ」というのも昔からあって、なかなかなくならない。今回の東京都知事選挙でも「家入かずま」という候補者が出ていた。細面のやさしそうな、なかなか格好のよい青年に見える。記者会見でも、少しはにかみながら、素人っぽく語っていた。なんでも、学校でいじめにあって、不登校を経験したらしい。弱いものの気持ちがわかると強調していた。

今の政治は、なんだか偉い人たちが、かってにやっていて、俺たち若者にはよくわからない。若者が、ツイッターでつながり、意見を集めて行けば、政治を身近なものにできる。政策は、ざっくりしたものしかできていないが、これから多くのつながりで作り上げて行く。俺たちには金もないけど、つながることができる。もっとインターネットを活用して、俺たち若者がリードできる世の中にして行きたい。

ざっと、こんなところが彼の会見の内容だった。金もない若者が、よく300万円の供託金を出せるものだと思ったら、同席しているのが、刑務所から出所してきたホリエモンだった。本人も実は、いくつかの会社の社長だから「金もない」は明らかなウソだ。実業家とか会社の社長などという連中はほとんどの人にとって、年齢とは関係なく、「あいつら」であり、決して「俺たち」ではない。

俺たち若者がつながればいい政策ができるなどというごまかしは、ずっと昔から続けられている。すべての悪徳政治家が、若いころ必ず一度は口にするセリフだ。

誰もが満足する政治というのはない。原発廃止は、苦労して東電の社員になり、やっと人並み以上の収入を得られた人にとってはきわめて不満足なものだ。低賃金でバイト社員をこき使い、荒稼ぎしている青年社長にとって、ブラック企業規正法は悪にちがいない。政治とは、対立する利害を決着させるものであり、誰の利益を優先するかを決めるものだ。どこに対立があるのかを見極めることが肝要になる。

現在の対立は当然、今の政治で潤っている金持ちと、働かされて給料が少ない庶民との対立であり、年齢ではない。若者がインターネットでつながればよい政策ができるなどと、幻想を振りまくのは、ごまかしの表れだ。

彼のホームページを見ると、明らかに他の候補のホームページとは異なるデザインの凝ったものだ。随分と金もかかっていそうだ。そこに「俺たち」が集めた政策が載っている。ツイッターで寄せられた若者の意見を集約したものだそうだ。ツイッターで集められはするが、それをどう集約するのだろうか。気に入ったものだけを選んであたかも「俺たち」が言い出したように装う。

ダンスを規制する風営法はおかしいとか、インターネットで議会の透明性を上げるとか、耳障りの良い政策も、大きく、掲示板風に貼り付けられているのだが、小さく書いてある政策には唖然とするものがあった。「最低賃金を時給500円に引き下げる」「猪瀬を副知事にする」「法人税を引き下げる」「障碍者施設を民営化してしまう」。こんなものをツイッターで望んだ「俺たち」がどこにいるのだろうか。これは、詐欺でしかない。

原発再稼動については何も語らない。ブラック企業の規制については何も語らない。憲法の平和条項についても何も語らない。しかし、スポンサーである堀江は自民党から立候補したこともある人物だ。おのずと姿勢はあきらかだろう。候補者がこういったことに口をつむぐこと自体が詐欺かもしれない。

刑務所から出てきた堀江は依然として金をしこたまもっており、こうした「俺たち詐欺」は金権主義復活の第一歩かもしれない。実は、家入かずまの知事選出馬は、区長選挙に立候補するための布石だったということだ。合法事前運動費なら「あいつら」金持ちにとっては、300万円くらい安いものだ。

賃金は上がるか [社会]

アベノミックスを宣伝する政府は、会社ばかり儲かって、労働者には何の恩恵もないという批判を鎮めるために、会社が儲かればやがては賃金があがると説明した。どうやら、今年は、自動車メーカーなどが、14年ぶりの賃上げを認めるらしい。それはそうだろう。消費税が上がるのだから、このままでは新たな賃下げと同じことだ。

連合傘下の自動車労連などが、会社に要求した賃上げがいくらかというと、定昇を除いた純増月額3500円だという。これを会社がどの程度認めて、さらに下請けや中小企業にどの程度波及するかは今後の推移によるというから、上限3500円ということになる。

3500円といえば、月給35万円の場合、1%でしかない。一方で、消費税は3%上がるというのだから、これは、結果的には賃下げになる。生活防衛のためには支出を切り詰めるしかない。支出を切り詰めれば、売り上げは減るだろうから、売り上げにたよる商店などはますます厳しいことになる。

国家財政は安部政権になって以来、赤字を最高にしているが、この借金で公共投資のバラマキが復活しているから、建設投資や住宅投資は増えているという。消費税増税の前の駆け込み需要を含んでいるから、なんともいえないのだが、建設業界などでは、人手不足も起こっているから、この分野では、賃金の上昇があってもおかしくないが、それが起こる前に経済が冷え込んでしまう可能性もある。

2013年に労働者1人が月々もらった現金給与総額は平均31万4054円で、前年を73円下回り、過去最低を更新した。庶民にとっては、アベノミックスなるものの恩恵はないのだが、金に余裕のある部分はちがう。すでに株価の上昇があるので、金持ちは潤っている。そもそも、金持ちは消費税の影響を受けない。社長は、毎日会社の金で、役員会の昼食とか、接待で晩飯だから自分で払う消費税は少ない。格差はますます増大する。

金持ちも、金をいずれは使うのだから、そのときに消費税を払うことになると考えたのだが、どうも違うらしい。金持ちは金を使い切らない。収入の大部分が金融投資に向かうばかりで、決して消費に回らないようだ。金融商品ばかりが売れて、いまや株式市場にある金が、生産・消費を循環する金の何倍にもなっており、さらにこれが増えている。

本来「金は天下の回り物」だったのだが、回らない金ばかりになるというのは、やはり経済の奇形だろう。円安になったのに、さっぱり輸出が増えない。自動車メーカーなどは国外に生産を移してしまっているから、輸出の増やしようがない。他の産業も、部品調達や原料調達を国外に依存しているので、円安で輸入価格が上がれば同じことだ。

必要なのは、国内に生産を呼び戻すような地道な構造転換だろう。こうした奇形経済の下でそれが簡単に達成されるとは思えない。政府が思い切った賃金上昇政策を取るしかないのだが、今のところその気配もない。過去には1960年代に池田内閣が「所得倍増計画」というのを打ち出したことがある、自民党政府だってやれないことはないのだが。

日本の歴史認識の混迷 (History Confusion in Japan) [社会]

歴史認識の混迷について英語で書いてみる。どれくらい読んでくれるものか。

Recent words of Prime Minister Abe have been giving upset to the world. His statements often challenges to the common understanding of the history. He talks as if Japan had done nothing wrong during the World War II. Everybody knows that 20 million Japanese and 200 million Asians were killed in the war. The war cannot be a good thing for all the people in Asia including Japanese ourselves. Yet he says there were nothing wrong. Some of the Japanese share the same view with Prime minister Abe. Actually number of people who support the view of Mr. Abe is not small. He has been winning in the elections.

This is quite different attitude from Germans. Germany has been strict against war criminals. German foreign policies have been based on the deep reflection and the regret for the last war. This gained the trusts from the surrounding countries and lead to the formation of EU, while Japan is still under tension with surrounding countries especially China and Korea.

The difference is in the complexity of the history. For Germans, it is easy to find who was wrong and when they made mistake. For short, Nazi was wrong and Germans made mistake when they support Nazi. But for Japanese, it is not so simple. Emperor Hirohito may be responsible to the war but Japan was ruled by emperor for many years. Political leaders at that time were just successors of the traditional policies. Nobody can tell when Japanese made mistake. It all happened naturally and gradually.

In early days, Japan was isolated from the rest of the world. When we opened the country we had to protect ourselves from the westerners. Common understanding is we were somehow successful. Japanese at that time were said grate in learning quickly from westerners. The largest knowledge obtained from western culture was the effectiveness of the war together with the war technologies. We found ourselves good at war.

The first Sino-Japanese war resulted with huge amount of compensation money. Actually steel and other industrial fundamentals of Japan started using this money. Russo‐Japanese war was not as fruitful as Sino-Japanese war. Russians just gave us the right to set up the railroad in China. To make use of this result, it was necessary to put Chinese territory under control. The gradual invasion into China naturally happened.

Such imperialism was already out of fashion in 20th century. Countries other than Nazi and Fascist were all against Japan. So, Japan fought the war allied with Nazi and Fascist but it was not a new move. Japan did not change anything, just kept the imperialism as all the western country had it in 18th and 19th century. What has changed was the rest of the world. Japan failed to make change toward peace. The government declared the war against US to protect the "right" to colonize China. It was considered as an "defense" against the western powers.

German mistake was in making their decision toward war but Japanese mistake was in not making decision toward peace. We did not do wrong we just did not do right. This difference makes comprehensive understanding of history difficult. Mr. Abe may be the representation of this confusion. However, it is indeed very dangerous to have a confused person as the leader of the country.

[和訳]
安部首相の最近の発言が世界をあわてさせている。彼の発言が世界共通の歴史理解をひっくり返すものだからだ。彼は、あたかも日本が第二次世界大戦で何も悪いことをしていないかのような発言をする。あの戦争で200万人の日本人と2000万人のアジア人が死んだことは誰もが知っている。あの戦争が、日本人も含めたすべてのアジア人にとって良かったはずはない。それでも彼は、間違っていなかったと言い、日本人の中には阿部首相と同じ考えの人もいる。実際、安部首相の考えを支持する人は少なくない。なにしろ、彼は選挙で勝ち続けているのだ。

これは、ドイツ人の場合と大いに異なる。ドイツは戦犯に対してきわめて厳しく対応してきた。ドイツの外交政策は、あの戦争への深い反省と悔後を基にしている。これが周辺諸国からの信頼を獲得してEUを形成するにまで至ったのだが、日本の場合、いまだに周りの国々特に韓国・中国とのはギクシャクしたままである。

この違いは、歴史の複雑さから来ている。ドイツ人にとって、何が間違いだったのか、どこで間違ったのかは簡単だ。言ってしまえば、悪かったのはナチスであって、ナチスに政権を持たせたのがドイツ人の間違いだった。日本の場合は、そう単純ではない。昭和天皇がおそらく戦争に責任があるだろう。しかし、天皇が権力を持っていたのはもっと前からのことだ。戦争を遂行した政治家たちも以前からの路線をただ踏襲したにすぎない。いつ日本が間違ったかは誰も明確に指摘できない。すべて、徐々にごく自然に進んでいったのだ。

ずっと昔、日本は世界から隔絶されていた。開国したときには、西洋列強から身を守る必要があった。これには、なんとか成功したということになっている。日本は立派に、西洋から急速に学んだ。西洋文明から学んだ最大のことは、戦争が役に立つということと軍事技術だった。戦争が得意になった。

日清戦争では莫大な賠償金を獲得した。実際、日本の鉄鋼を始めとする産業の基礎はこの賠償金で始まったものだ。日露戦争は日清戦争ほど儲かるものではなかった。ロシアから手に入れたのは中国での鉄道施設権くらいだった。この権利をを利用するためには、中国の国土を支配下に置かねばならなかった。中国への侵略は自然なものだった。

こういった帝国主義的侵略というのは、20世紀になって、もう世界では時代遅れの政策になっていた。ナチス・ファシスト以外すべてから非難を受けた。だから、ナチスやファシストと手を組んだ。これは、日本にとって別段新しいことではない。すべての欧米諸国が18世紀や19世紀にやっていたような帝国主義を維持しただけである。変わったのは日本以外の世界の国々だ。日本は中国を植民地にする権利を「守る」ためにアメリカにも宣戦した。西欧に対する「防衛」だったのである。

ドイツの誤りは、戦争へと舵を切ったことだが、日本の誤りは平和へと舵を切らなかったことだ。日本は間違った選択をしたというわけではなく、正しい選択をしなかったのである。この違いが歴史を正しく深く理解することの妨げになっている。安部首相が混乱した歴史観を持っているのはこの表れであろう。しかし、こういった混乱した人物が国のリーダーであるとすれば、もちろん、それは大変危険なことではある。

徳田議員の辞職 (Resignation of Congressman Tokuda) [社会]

徳田毅議員がとうとう辞任した。姉の逮捕で、どっちみち失職は免れないのだからいまさらの辞任はむしろ往生際が悪い所業だ。このブログでは、選挙違反の前に、女性問題が取りざたされた時に辞職すべきだと述べた。その後の経緯から見れば、やはりあの主張は正しかったということになる。

政治家と言うのは、主義主張を持って、その同意を求める選挙にでる。その主張の内容は様々であってよい。有権者は候補者の主張を判断して投票するのだから主張が気に入らなければ投票しなければ良いだけである。だから、候補者としての最低条件は、正しく自分の主張を伝えることであり、ウソをつくことは、民主主義の根本を崩すことになる。

女性問題を起こすような人は、身内にさえウソをつく人間であることを証明しているようなものだから、大衆に対しても平気でウソをつくjのは当然だ。身内にはウソをつくが赤の他人にはウソをつかないなんてあるはずがない。だから立候補する資格がない。

人間は不完全なものだ。脛に傷を持つ人は少なくない。女性問題を起こすような人物に国会議員の資格がないなどと言えば、やたら堅い意見だという人がいる。そんな清廉潔白を政治家に要求するのは無理だなどと言う人もいるだろう。しかし、それは違う。全ての人に完全性を求めるのではない。国会議員は100万人に1人の「選良」なのである。100万人に1人の逸材が、ウソつきをであっていいはずがない。

国会議員や地方首長は我々の命を預けるような人である。場合によっては多くの人の命さえ失うことを決める権限を持っているのだ。しかるに、鹿児島2区では、現実に徳田毅議員に投票した人が多かった。多くの人は、国会議員を、あまりにも軽々しく考えすぎている。徳田議員は、やはり妻を欺いただけでなく選挙民も欺いていたことが明らかになった。

この意味では、選良としての資格のがない輩はいっぱいいる。全て、即刻辞任すべきだ。枡添東京都知事もそうだし、橋下逢坂市長もそうだ。こういう連中は平気で選挙民を欺くということが、明らかな人間である。主義主張や政策に関わらず、まず選ぶ対象から排除すべき人間なのである。

Congressman Tokuda finally resigned. Since his sister condemned the election law violation, it is obvious that his seat will be taken out any way. In that sense, he did not know when to give up. He should have resigned when his affair was reviled as I wrote on this blog. I was right. The consequences after that tells it by it self.

Politicians ask agreement on his opinion through the elections. He may have any kind of opinions. If you don’t like it you would not vote for him. The minimum requirement for the political candidate is to tell truth on his opinion. If he is a liar, it all destroys the fundamental of the democracy system.

A person who cheat his wife is a person who tells lie to his family. No one who tells lie even to his family can not be honest to the others. Liar should not be a representative of the people.
Men are not perfect. Many people has something to be hided. It might sound too square when a person having affair with the other woman should not be an election candidate. Somebody might say demanding absolute honesty is too much for politicians. That is wrong. Everybody can not be perfect but the representative is a person who is selected one out of million. A liar is out of scope for the representative.

Our lives sometimes depend on the politicians. They have power to decide things that might be fatal to us all. But many people voted for him in word 2 of Kagoshima. Shame on people who vote in elections with no seriousness. Now it is very clear a person who cheats his wife, like Mr. Tokuda, is a person who cheats all the citizen.

There are more who lacks of capacity. They should all resin right now. Governor Masuzoe of Tokyo and Mayer Hashimoto of Osaka are among them. It is clear that they tell lie without hesitation. They should not be even candidates of any elections what so ever regardless their political opinions.

捕鯨禁止の判決 [社会]

オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)が3月31日、日本の南極海での調査捕鯨を国際捕鯨取締条約違反と認定、今後実施しないように命じた。これは、南氷洋の捕鯨であり、日本近海の小規模捕鯨は継続されるから、食文化が全滅するという問題ではない。日本政府は困惑を隠せない様子だが、考えてみれば当たり前のことだ。

南極海での乱獲が鯨資源を大幅に減らしたのは事実だし、日本も資源保護には賛成していた。真正面から、資源確保のためにどれだけの捕鯨が許されるべきかという議論はしなかった。各国の鯨殺戮罪悪論に迎合する形で、取引したつもりだった。日本に許されていたのは「調査捕鯨」だったのだが、これを拡大解釈していた。日本政府は、調査捕鯨の名目である程度の捕鯨枠をもらったのだと理解していたようだ。そんな田舎町の議会のような腹芸は通用しない。

年間850頭も捕獲して、鯨肉の販売もしていたのだから、「調査捕鯨」はごまかしだといわれても仕方がない。捕鯨協会などのホームページには、あくまでも調査目的だと説明されている。この説明が面白い。

「日本人の身長は10人計っただけではわからない。精度を上げるためには数が必要だ。」というが、10人計っただけでも、2m以下だということはできる。鯨の保護をするための調査にどれだけの精度が必要だというのか。本当に必要な調査なら、各国でやるべきだろう。世界100カ国が850頭取ればどういうことになるかと考えれば矛盾は明らかだ。

開発途上国に援助資金を出しておけば、「調査捕鯨」の名目で、日本の捕鯨を認めてくれるだろう。既成事実を積み上げていけば、禁止になったりしないだろうというやり口が国際的に通用しなかったという事例と受け止めなくてはならない。

憲法条文を読めば明らかな軍備禁止も、拡大解釈して既成事実を積み上げ、あげくに、現状に合わないことを理由の改憲を言い出す。こういった手口が日本には横行してきた。今また、憲法の勝手な解釈で、集団的自衛権の行使という対外軍事行動をやろうとしている。閣議ごときで憲法の解釈を捻じ曲げられるということがおかしい。こういったことが通用するのは日本独特の異常性なのだ。

国際条約や憲法は、あくまでも条文に即して理解されなければならないのに、既成事実や、裏取引で、いくらでも解釈を変えることができるなどと思っている。異常な日本政府の考え方が露見したのが今回の国際司法裁判所の判決だろう。

「ハンマー持ったら」---日本社会の現状 [社会]

昨日「腰まで泥まみれ」について書いたが、当時の歌として忘れられないのが、同じくピートシーガーが書いた「ハンマー持ったら」(If I had a hammer)だ。このハンマーと言うのは大工道具ではなくて、裁判官が判決を言い渡す前にトントンと叩く木槌のことだ。アメリカ映画によく出てくる。正義の判決を出すべきだ。ベトナム戦争なんて馬鹿なことをなんで止められないんだという若者の苛立ちを反映している。70年頃、誰もが歌ったはずだ。

この歌も、今の日本にぴったりしている。この格差のひどさはなんだろう。一方で貧困にあえぐ人たちが増えているというのに、金持ち優遇が続いている。社会保障はどんどん切り捨てられているし、年金も少なくなっている。「サービス残業禁止」の判決を出すべきだし、「非正規雇用禁止」の判決も必要だ。GDPが十分あるのだし、企業の内部留保も多いのだから、全ての人にまともな暮らしができる給料を出せるはずだ。

原発を再開するとか、軍備を拡張するとか、不要な公共事業に補助金をばら撒くとか、そんなことばかりに金を使って、財政赤字を膨らませて、挙句の果ては消費税の増税である。どんな貧乏な人からも8%をふんだくるという悪税の代表みたいなものだ。これに正義の判決を下さないでどうする。

原理的には全部可能だ。命がけで立ち上がる必要もない。マスコミに踊らされず、どの候補の政策が自分たちの利益になるかをまともに判断して投票すればよいだけだ。それが、できないということに、若者でなくとも苛立つ。

♫♫ もしも僕がハンマーを手にしたら、朝から晩まで、判決出しまくるぞ。
♫♫ あいつら、政治家がやってることは、全部違法だ。
♫♫ もし、僕がベルを持って人を集められたら、朝から晩まで鳴らしまくって、みんなで世の中変えてやるぞ。
♫♫ もし僕に歌が歌えたら、朝から晩まで歌いまくって、あちこちで訴えるぞ。

しかし、実際のところ、僕に出来ることは、せいぜいブログで吼えるだけのことに過ぎない。悔しくはある。


If I had a hammer,
I'd hammer in the morning
I'd hammer in the evening,
All over this land

I'd hammer out danger,
I'd hammer out a warning,
I'd hammer out love between my brothers and my sisters,
All over this land.

If I had a bell,
I'd ring it in the morning,
I'd ring it in the evening,
All over this land

I'd ring out danger,
I'd ring out a warning
I'd ring out love between my brothers and my sisters,
All over this land.

If I had a song,
I'd sing it in the morning,
I'd sing it in the evening,
All over this land

I'd sing out danger,
I'd sing out a warning
I'd sing out love between my brothers and my sisters,
All over this land.

Well I got a hammer,
And I got a bell,
And I got a song to sing, all over this land.

It's the hammer of Justice,
It's the bell of Freedom,
It's the song about Love between my brothers and my sisters,
All over this land.

It's the hammer of Justice,
It's the bell of Freedom,
It's the song about Love between my brothers and my sisters,
All over this land.

イラク派遣自衛隊員の自殺要因 [社会]

湾岸戦争でイラクに派遣された自衛隊員のうち28人が自殺していたことが話題になっている。この自殺率はかなり高い。後方支援であり、戦場には行っていないことになっているが、大きな心理的負担があったことを示している。

自衛隊員は、災害救助などで危険な仕事をすることが多い。心理的負担はある意味で日常的なものだ。命がけの仕事は覚悟の上だろう。しかし、イラク派遣はこういった任務とは違った格段に強い圧迫になった。

自衛隊が莫大な予算を使ってイラクで何をやったかというと、給水とか道路整備などの事業で、戦闘地域ではないところのはずだ。しかし、実際にはイラク全土がテロによっていつでも戦闘地域になる状態だった。危なくて給水車で出かけたり、道路工事をやったりは、簡単にできない。

だから、ほとんどの作業は、現地の作業員を雇ってやらせることになった。自衛隊員が、実際には、何をやっていたかというと、基地に篭ってひたすら待機していただけだ。いつロケット弾が飛んでくるかと怯えながら、何もせずに暮らすだけの毎日。これは堪えるだろう。

延べ1万人が派遣されたというが、何もすることがないのだから、こんな人数はもちろん必要なかった。莫大な予算を消化して実績を作るためだけの政治的派遣だったからだ。

災害救助の場合は、アクティブに作業し、実際に救助された人々から感謝されることも多い。しかし、イラク戦争には大儀がない。3.11テロはイラクには何の関係もなかったし、化学兵器もイラクにはなかった。アメリカが言いがかりをつけて起こした戦争に過ぎない。だから、外国軍隊はイラク人たちにとって迷惑でしかない。

当然、自衛隊員に向けられるイラク市民の目は冷たい。他国に勝手に土足で踏み込む軍隊に温かい目などありようがない。、もちろん、感謝する人の報道はあったが、「やらせ」に過ぎない。一般の人々の心根はおのずと伝わる。一般市民とテロリストの見分けもつかない自衛隊員は毎日テロに怯えるしかない。いくら強固に武装していても、一般市民を攻撃するわけには行かない。目に見えないテロリストに対して、武器など何の役にも立たない。ひたすら、基地に篭って、怯えながら毎日を過ごすしかなかった。これは、なかなかの心理的圧迫だ。

自分自身は、国内でのうのうとしている政治家たちは、しきりと海外派兵をしたがっているようだが、この負担は大きい。今後も海外派兵をするたびに、自衛隊員は自殺に追い込まれる。いやいや、莫大な出費で、社会保障や医療を減らされ、絶望して自殺に追い込まれる国民は、それ以上に多いかもしれない。軍事をもてあそぶ政治家こそ社会の害悪である。



人種差別に甘い日本 [社会]

サッカー、スペインリーグの試合(4月27日)で、バルセロナのダニエル・アウベス選手に対して、バナナを投げ込んだ観客がいた。これは、黒人を猿扱いする差別表現の一種なのだが、この観客に対して、サッカー場は、永久入場禁止の処分をした。それだけではなく、基本的人権の侵害だから、禁固3年の罪になるとして、警察が逮捕した。

人種差別ということが、これほど重い罪だということに驚く日本人も多いだろう。日本は人種差別に対して甘い国なのだ。ウクライナの内紛も、民族対立の側面が表に出てきている。いろんな民族が隣り合わせのなっている地域では、民族の違いをうまく処理しないと大変な事態を招く恐れがある。なんとかして、人種対立を紛争にしない努力が絶えず必要なのだ。だから、人種差別を助長するような行為は、社会全体にとって害悪だとする認識が、はっきりしている。

サッカー選手の事件は、ヨーロッパにアフリカから流れ込んでくる人たちが多くなっていることから来ているのだが、日本でも、今後、中国、朝鮮、東南アジアからの流入人口が、どんどん増えていく。これは、交通が発達すれば、地理的に避けられないことだ。

日本では、これまで外国人の定住が少なかったので、人種紛争に対する経験が少ない。だから人種差別に対する意識も低いと言われている。海に囲まれた島国であり、昔はそう簡単に外国人が流入すすこともなかった。鎖国という時代もあった。日本列島は日本人が住む国で、日本人以外を考慮する必要がないと考えている人が多いだろう。しかし、時代は変わっている。数万円の切符でいくらでも外国に出入りできる。人種の混在はもはや止めようがない流れとなって行く。

日本に、人種問題がなかったかというと、そうではなく、在日朝鮮人の問題はずっとあった。在日朝鮮人の問題は、過去の朝鮮侵略が尾を引いており、アメリカの黒人問題と類似の様相もあるし、北海道ではアイヌが差別されたこともある。アメリカの黒人ほど多くなかったので、差別に対する抵抗運動が大きくならなかっただけだ。多くの日本人が人種問題に対して、見て見ぬふりをしてきたと言える。

そういった対応ももはや限界に来ている。日本は、今後、アメリカ型とヨーロッパ型両方の人種問題を抱えて行く。多様な民族が共存できる社会に、日本を育て上げていかなくてはならない。これをうまく処理しないと憎悪が渦巻く住みにくい社会になる。しかし、そういった動きは今のところまったくない。スペインサッカー協会の処置に驚く我々は、世界の流れに明らかな遅れを取っている。

ザイトクなどという露骨な人種差別主義者が大手を振って歩いていることは、世界の倫理標準から見て、極めて異常な事態だろう。やたらと中国との対立を強調して、経済不調の責任を転嫁しようとしている安倍内閣自体が、もはや世界的には時代遅れもはなはだしいと言うことだ。

持続可能な社会保障 [社会]

政府が「持続可能な社会保障」などと言い出して、「改革」を進めている。要するに社会保障の切り下げである。生活保護の水準を下げ、健康保険の個人負担を増やし、介護の水準も下げる。こうしないと持続不可能に陥るというのだ。これはおかしい。

人類は進歩してきた。社会保障の充実は進歩を示すものだ。憲法25条は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」としている。社会保障を切り下げるなどというのは論外なのである。これは国家の存在価値を否定する。

これまでも社会保障というものは、経済の発展と共に充実されて来た。今だって、不景気ではあってもGNPが極端に下がっているわけではない。政府が行う最も重要な施策が持続できなくなるというのはどう考えてもおかしい。何か変な所にお金が消えているか、収入を不当に減らしているかのどちらかだ。

金持ちの税金は70%から50%にまで減った。企業の税金も50%から35%にまで減ってきている。一方で存在しなかった消費税は8%にまでなった。当然、社会保障にかかる経費は増える。この調子で金持ち・企業減税を繰り返して行ったら、どれだけ水準を下げても追いつかなくなる。貧富の差が増えてくればそれだけ社会保障の必要な人も増えてくる。社会保障の持続を難しくしたのは政府なのである。原因を放置して、水準の切り下げをするのは無茶苦茶だ。

もう少し長い目で考えてみよう。人類の社会保障は増えていくしかない。医療の進歩で、これまで一回の大病で終わっていた人生が、3回の大病に耐えられるようになった。当然、医療費は3倍増えるのである。遠い将来、国家予算の大部分が医療に使われるのは、むしろ当然だ。国のこうした費用をどう捻出していくかが政治家の仕事になる。

社会保障以外の出費をどうやって減らして行くかを考えれば、他を減らすしかない。公共事業や軍事費がそれだ。軍事費を使わなくても良い政治が必要だし、道路の整備などの公共事業はどこかの時点で、もう行わないようにする見極めが必要である。それが当たり前の考えだろう。軍事費や、公共事業に支出して、足りないから社会保障を切り下げるなどというのは、本末転倒もはなはだしい。

世界一ぼったくりの消費税 [社会]

消費税が8%になり、続いて10%に上げるという。消費税はどこの国でも取っている。日本はまだ安いなどと宣伝しているが、実は日本ほどひどい取り方をしている国はない。なるほど、単に税率だけを見れば、フランスやイギリスの消費税率は高いように見える。しかし、これらの国では食料品や日常品の税率を押さえている。だから日常品に対する容赦ない8%の消費税はかなり高いものだ。

それでも、北欧の国々に比べれば少し低い。だが、北欧と数字で比べるのはフェアでない。年金も医療も全て国が負担している国だ。年金や医療保険で多額の金を出させておきながら8%もの消費税というのは、とんでもないぼったくりだと言うしかない。日本より日常品消費税率の低いフランスやイギリスでさえ医療費は国が負担する。日本は世界一の消費税ふんだくり国家だ。

この表にアメリカがないのは、アメリカには消費税という国税はないからだ。売上税は地方税であって国は一銭も取らない。州によって違うから、例えばグアムなんかでは、消費税ゼロだ。

これほど多くの税を庶民から巻き上げて置きながら、年金や医療のサービスが乏しいのはいったいどうしたことだろう。金はいったいどこに消えているのか。政党助成金などといった訳のわからない支出や、軍事費、数々のムダ使いもさることながら、公共投資というばら撒きと企業減税が一番大きい。あのトヨタが5年間所得税を一銭も払っていないということには驚くばかりだ。

政府はこの上さらに法人税を引き下げようとしている。その理由に、日本の法人税はアメリカより高いなどと、またしてもごまかしを言っている。確かに数字の上では高いように見えるが支出が違う。日本では失業保険の企業負担は半額で、半分は従業員が払う。アメリカでは全額が企業負担だ。それも非常に手厚い。1年勤めれば、2年くらいも失業保険がもらえるくらいだから当然企業の社会負担は大きい。こういった企業の社会負担を免除しておきながら法人税を下げるというのは極端な優遇処置だ。

日本ほど庶民から絞り上げて、金持ち、大企業を甘やかしている国はない。国民よ怒れ!!

一般消費税率日常品消費税率
デンマーク25%25%
ノルウェー24%12%
スウェーデン25%12%
イタリア20%10%
日本8-->10%8-->10%
スペイン16%7%
ドイツ17%6%
オランダ19%6%
フランス19.6%5.5%
ポルトガル19%5%
スイス7.6%2.4%
イギリス17.5%0%
アイルランド21%0%
オーストラリア10%0%
メキシコ15%0%

ネットの匿名性とフェースブック [社会]

匿名の郵便物は誰しも怪しむ。しかし、ネット上ではハンドルネームでの書き込みがむしろ普通だ。こういったネットの匿名性が様々な意見を表明する機会を作ったとも言えるが、逆にこの匿名性を利用した悪質な書き込みも広がった。いわゆるネトウヨの下品な書き込みには辟易する人も多い。こういったことから、実名でのコミュニケーションを安全な形で行いたいという要求が高まり、SNSが始まった。この中でもfacebookがその使いやすさから人気を集めている。

友達の輪を広げる機能があるから、当然多く普及する。facebokはweb pageの一種ではあるが、それがどのように見えるかを書き手が完全にコントロールすることができないと言う特徴があり、それが「友達の輪を広げる」という機能を果たすと同時にいくつかの問題を引き起こす。

実名で登録しなければいけないし、一度書けば、その内容を訂正することも出来ない。自分の書いた記事が、別人のfacebookに自動的に現われたりする。それどころではない。自分が他人のfacebookにコメントしたり、「いいね」と共感したことが、たちまちのうちに他の友達にも伝わってしまうのだ。

プライバシーに関しては、一応「友達」を設定し、友達以外に見えないようにすることもできるが、これも複雑で友達の友達経由で写真などが見えることがある。最大の問題は友達が一色であることだ。誰だって会社の得意先友達と、同級生友達は違う。しかし、facebookでは一様に「友達」としかならない。

同級生を相手に給料が安いだとかサービス残業させる部長の性格が悪いだとか書いていて、部長に「俺もfacebook始めた」と言われて友達要求が来たら困ってしまう。だから、facebookには、あたりさわりのないことしか書けない。どのfacebookを見ても、良いことしか書いてない。facebookは必然的に幸せな自分を自慢する記事のオンパレードになる。

本当によく知っている友達から見れば、こういったfacebookの虚飾はそらぞらしい限りだ。facebookは、薄っぺらな交友関係を広げるかわりに、親密な人間関係を損なう。facebookが普及してきて、営業用にも使えることになり、中には社員にfacebookを開けと指示する会社もある。これは一種のハラストメントではないかと思える。

自分のプライバシーを会社に捧げ、心から満足して会社に尽くしている自分を演出しなければならない。自分のfacebookに配置された友達の発言でも、友達が多い場合には、勝手にプライオリティーが設定され、どの友達の発言を見せるかは、勝手に決められてしまっている。facebookの作り出す世界は、現実の社会とは関わりなく、幸せ者の集まりになってしまう傾向があることに気をつける必要がある。


保険というのは詐欺ではないだろうか [社会]

スーパーマーケットのクレディットカードを作ったら、おまけで障害保険がついてきた。無料なのだから文句を言う筋合いはないのだが、死亡した場合に25万円くれると言うのでは何の役にもたたない。そう、思っていたら、月々980円払えば2500万円にアップグレードできるという案内が来た。それだけではなく、怪我で入院すれば毎日3000円とか、骨折した場合は10万円とか、いろいろと効能が書いてある。

年をとれば、骨も弱くなるし、バランスも悪くなるから、たいした金額でもないから、こういった保険に入っておくのも悪くないかという気になった。一度加入すれば90歳まで自動的に継続される。90歳までに一回くらい怪我をするだろうから、元を取れるのは確実な気がする。こんなことで、保険会社は経営が成り立つのだろうかと言う疑問も湧いてきた。

で、細かな字で書いてある支払い条件に目を通してみた。「病気によるものは除外」と書いてある。2500万円は事故死の場合に限るのだ。それだけではない。年を取って骨折しやすくなるのは骨粗鬆症になるからだが、これも病気であって対象外のようだ。リウマチも病気だから、多くの年寄りの骨折は対象外になる。

ちょっと体をねじったとか、骨が丈夫なら起こらないような状況での骨折を除くという意味だろうが、しかし、転倒したりすれば、骨が弱っていなくても骨折する。この場合には支払われるのではないかと思ったら「重大な過失があった場合は払わない」とある。だいたい転倒などということは、足を踏み外したとかの過失によって起こる。重大かどうかは保険会社の判断によるのだから、払われないと考えたほうが良さそうだ。

いったいどんな場合に支払われるのあろうか? 誰かに殴られて怪我をするというのはどうだろう。「喧嘩・自殺・自傷を除く」とあるからこれもダメだ。ならば、地震はどうだろう。逃げ遅れて、柱の下敷きになれば怪我をする。やはり、これもダメで、「地震、津波などの天災を除く」と書いてある。

保険で支払われる金額が大きいようにかいてあるが、これでは、いかなる場合も支払わないというのと同じだ。入院の一日3000円もご丁寧に1週間以上入院した場合に支払われると書いてある。いまどき、よほどの大怪我でない限り、一週間で処置が終わり、自宅で寝ていろということになるから、色んな条件をクリアした場合ですら、支払いに至ることはないだろう。

あちこちで、やたらと保険を宣伝している理由がわかった。保険会社は丸儲けなのだ。病気で入院したら、とんでもなくお金がかかるという脅しもよく使われている。日本では高額医療費給付制度があるから、一ヶ月5万円以上支払った場合、後日返金される。保険というのは脅して金を巻き上げる恐喝ないし詐欺ではないかと思う。


東京オリンピックは成り立つのか [社会]

1964年の東京オリンピックは日本に高度経済成長の加速をもたらした。高速道路や新幹線さらには、電話やテレビの普及や給与上昇にまで貢献するという大きな効果があった。しかし、今度のオリンピックでいったい何が期待できるだろうか。社会は変化しており、オリンピックがもたらす効能も柳の下のドジョウというわけにはいかない。第二新幹線を走らせたとしても、最初に新幹線を走らせた時のようなインパクトがあるはずがない。しかし、同じような金はかかるから、馬鹿なことだ。

それどころか、まともな開催ができるかどうかも危うい。安倍晋三が、原発事故が片付いたかのような嘘までついて引っ張って来たのだが、2020年に、どれだけの日本人がのんびりオリンピックを楽しめるだろうか。2014年には株価が上がったりしているが、これはアベノミックスによるというより、順当な景気循環が株価上昇の時期にあるだけだ。2020年には再び底になっているだろう。若者の半分は非正規雇用で、オリンピック見物どころではない。年寄りも年金が減額されて青息吐息だろう。ひょっとしたら、憲法を変えてどこかで戦争をしているかもしれない。人口そのものが今よりかなり減っているはずだ。

働く人たちにはもちろんオリンピックを見に行く暇はないのだが、それだけでなく東京に観戦しに行くにはとんでもない金がかかることが懸念される。ホテル代はとてつもなく跳ね上がるだろう。何しろ、オリンピックが終わればがら空きになることが決まっているのだから、ホテルだって、やみくもな設備投資はできない。ホテル室数は、会場を埋めるのは、決定的に足りない。だからホテル代は高騰する。

世界のホテルチェーン、たとえば、ヒルトンとかマリオットは、ことごとく東京進出に失敗した。一極集中で、本社のほとんど全てが東京に集中しているのだから、社用であってもホテルの需要は各国に比べて極端に少ない。かつては、日本的経営で、会社の慰安旅行なども多かったのだが、いまや、非正規雇用が増えてそんなものもなくなっている。だから、観光客は土日にしか来ない。土日しか客が来ないところで、営業は難しい。観光地のホテルはどこも値下げ競争で激安になっている。オリンピックの短期で設備投資は回収できない。

日本人の働き方の問題が根底にある。年休20日が法律上保障されているのだが、消化率が極めて低い。日本以外では、年休を消化するのは当たり前のことなのである。どこの国でも時は金なりは浸透しているから、日本のようにサービス残業などあろうはずがない。残業代を払わないなどというのは、泥棒であり、犯罪行為とみなされている。労働組合がそんな犯罪は許さないのが普通なのだが、日本では大企業の労働組合は完全に会社の手先に成り下がっている。

オリンピックは、選手だけでなく、設備だけでなく、観客という大きな要素があって成り立つ。日本は、オリンピックを開催するにふさわしくない国なのだ。安倍晋三や石原は、何の見通しもなく、自分がイベントで盛り上がりたくて飛びついただけのことだ。

社会的にも、これまでのオリンピックとは大きく異なっている。どこにでもある大型液晶テレビは、おそらく3D画像を4Kあるいは8Kの精細さで映し出し、インターネット経由で、各種競技のチャンネルが無数にできる。これは、技術的な話で、実際には濡れ手で泡の儲けをたくらむやからが暗躍するから、放映権などということで、すったもんだする。この問題で、日本政府とオリンピック委員会が、世界から顰蹙を買うのは、今既に見えている。

それでも、ある程度の観戦は、いながらにして行えることは確実だ。それも画面の迫力はこれまでとは格段に違う。わざわざ暑い会場に、安い給料のなかから、多額の出費をして、出かけて観戦する日本人がいるのだろうか。いや、遠くの外国からも人は来ない。遠い国から、出かける価値はほとんどなくなっているだろう。

考えられるのは中国、韓国からの観戦者くらいのものだろう。世界人口の1/4は中国人だし、距離的にも近いから2020年のオリンピック外国人の多くが中国人になるのは避けがたい。中国の富裕層は、ある程度高いホテル代を払ってでも来てくれる可能性があるが、日本政府の対応いかんで、これがなくなる可能性すらある。やたらと中国を刺激する政策を連発しているからだ。

まばらな観客席の会場で、選手たちはテレビカメラだけに囲まれて競技をするはめになりかねない。これはもうオリンピックではない。


定額使い放題の社員 [社会]

産業競争力会議が、ホワイトカラーエグゼンプションの導入を打ち出した。どういうことかというと、意欲的な社員に対しては、8時間労働などという枠をはずして、成果のみで評価する多様な働き方をやれるようにしようということだ。極端に言えば、ある日は出勤せず、家でじっくり構想を練る。ある日は、徹夜でガンガン企画書を書くといった働き方だということだ。

裏を返せば、残業代なしで定額使い放題の社員ということになる。ブラック企業による悪用を防ぐために、年収1000万円以上の労働者に限るという歯止めがついているし、本人の同意も必要だから安心だとしている。

本当に安心だろうか?

現在も、管理職になれば残業代はつかない。1000万円以上も給料を払っているのだったら、管理職待遇にすれば良いだけのことだから、何も労働法を変えることもない。管理職でなくとも、裁量労働制というのもあって、SEとか研究・企画・立案・調査・分析の仕事は、残業代なしの待遇にすることもできる。冒頭にあげた例は企画だからこれにあたり、適切ではない。

実は裁量労働は完全な「定額使い放題」ではない。実際の拘束時間によらず、8時間とみなすということで、あくまでも8時間労働が基本にある。だから、深夜とか休日に出勤した場合は手当てを出さなくてはいけない。ホワイトカラーエクゼンプションは、深夜も休日も手当てなしで働くというものだ。

一般の仕事で、年収1000万円というのは、非常にまれだが、大企業で管理職直前の人にはそういう場合もあるようだ。それも基本給が1000万円以上ではなく、残業代を含めると1000万円を超えるのだから、これは単に給与の1000万円頭打ちということになる。それでなくとも一番過労死の多い部分だから、法改正で死人が続出することは間違いない。本人の不同意など起こりようもない。

現状、あまり必要とも思われないのだが、わざわざ労働法の改正までやろうというのだからなんか怪しい。会議メンバーの竹中平蔵が“小さく生んで大きく育てよう”と制度設計の狙いを語っているのだからこれは恐ろしい。1000万円はやがて400万円に下がるだろう。実際、経団連の提言では、具体的に400万円という数字を出している。サービス残業が常態化しているが、これはあくまで非合法だ。サービス残業を合法化する手段として導入されるのがホワイトカラーエグゼンプションだろう。残業はすべてサービス残業」と言う事になる。

企業優遇もここまできたか。多くのサラリーマンはまさに地獄の入り口に来ている。社員はすべて「定額使い放題」になる日は近い。やりたい放題に対して、いい加減怒らなくてはならない。


労働力の流動化 [社会]

ホワイトカラーエグゼンプションの導入とか、解雇の自由などと、アメリカに倣った「改革」で労働力の流動化を促す政策が進められようとしている。労働力の流動化とは、適材低所で、能力がありながら、窓際でくすぶっていなければならない人材に活躍の場を与えるという意味では必要なことだ。こうした人材の有効利用が、これからの経済の進展には必須だ。しかし、これがこのまま日本で適用されたら地獄を見ることになる。

アメリカ映画では「You are fired」の一言で、ダンボール箱を持って会社を出て行くシーンが良くあるし、ホワイトカラーエグゼンプションも、年収23660ドル以上なら適用されるというすざましいことになっている。よくこんなことで暮らしていけるなあと思えるのだが、アメリカ人は陽気である。

実は、雇用の構造がまったく違うということがある。雇用保険が充実しており、全額会社負担で、1年勉めれば2年位も雇用保険で暮らせる。この負担を含めれば、アメリカの法人税は低くない。雇用保険が充実しているから、気に入らなければさっさと会社を辞めて職探しをする。上司と対立して首になっても、能力さえあれば再就職は容易だ。引き抜きも多いので、会社も、悪い待遇では、優秀な社員をつなぎとめておくことができない。待遇の中に休暇も含まれている。ホワイトカラーは基本的に残業などしない。

アメリカの場合、残業手当がないのだから残業はしないということになるのだが、日本の場合、ホワイトカラーエグゼンプションは際限ない残業を意味してしまう。この違いは雇用構造の違いだ。日本の雇用保険は最悪で、10年勉めても半年しかもらえない。しかも、その原資の半額は自分で払っているのだ。会社を首になったというだけで、無能力者の烙印を押されることもある。

実際、日本で能力のある人材が会社を辞めることは少ない。終身雇用に殉じるのが一番の出世街道になっており、それが一番活躍できる道だ。本当は、労働力の流動化が一番必要なのは、こういった優秀な人たちである。創成期に零細企業だったアップルが、超大手ヒューレットパッカードから人材を引き抜いた話は有名だが、日本ではあり得ない。俺は能力があるから、失敗してもまた転職すればいいだけだと思える世の中が活力を生み出していることがわかる。

この原因は、日本独特の下請け構造にある。子会社には、親会社からの天下りが常態化しており、これに公務員、銀行からの天下りが重なる。新たな人材を受け入れる余裕はないから人事が硬直化するのだ。大会社が中小企業を支配してしまっているのが問題なのだ。中高年の優秀社員の転職などあり得ない。日本で労働力の流動化を策するならば、まず親会社からの天下りを廃し、雇用保険を抜本的に充実させなければならない。そうでなければ、ただ単に労働者をいじめて、社会を沈滞させるだけのことになる。残念ながら、日本はその方向に進んでいる。

海外派兵は憲法解釈の問題なのか [社会]

安倍内閣が閣議で、集団的自衛権を行使する決定をした。我々は、世界唯一の平和国家であることを誇りにして来たが、7月1日はこの誇りを踏みにじられた屈辱の日として記憶される。

集団的自衛権の議論は、憲法の解釈だとされているが、不思議なことに、議論の中で憲法の条文が全く出てこなかった。普通、解釈というのは条文の語句をどう理解するかによっている。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」のどの語句をどう理解すれば、海外派兵が出てくるのか。自国が攻撃もされていないのに、同盟国を助けるために他国を攻撃することが、どう交戦権の否定で成り立つのか。要請があれば、地球の裏側まで行って戦うのが、戦力でないとどうして言えるのか。そういった議論は皆無だ。

学者集団である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が集団的自衛権の容認を答申したというが、その答申の中にさえ、条文の語句は出てこない。そもそも安保法制懇は安倍の私的諮問機関であり、なんの権限もないものだ。ほとんどのメンバーは政治学者であり、憲法学者は入っていないのだから当然とも言える。

なにを議論したかと言えば、「どういうように解釈したことにすれば都合がいいか」でしかない。正しい解釈は何なのかという観点は最初からないのだ。つまり、これは解釈の変更ではなく、憲法をどれだけ無視するかのレベル変更というのが実際だ。抜本的に憲法無視が進むことで、日本は世界唯一の平和国家から、世界唯一の憲法無視国家に転落したのだ。

今や日本は、権力者のやりたい放題で、法律を無視できる国だということだ。日本国憲法第25条「社会福祉 、社会保障および公衆衛生の向上 および増進につとめなければならない。」を無視した社会保障の削減が続いている。機密保護法で、政府は施策を闇に隠すことも出来るようになった。憲法無視はますます進むだろう。

考えてみればこれは恐ろしいことだ。どの国も、自国の憲法に対しては誠実である。そうでなければ国家の存立が疑われる。早い話、「借金返します」という証文も権力者の手にかかれば「返さなくても良い」と「解釈」されるのでは、社会が成り立たない。

行き着くところは、コネ社会である。法律や条文は、どのようにでも解釈できる。正しいかどうかより、権力者のコネがあるかどうかが重要になる。権力者の顔色を伺うことが生活の基本になる。永田町あたりでは、もう、そういった社会が形成されているかもしれない。昨今の保守政治家の気骨のなさは、それを物語っている。


介護職員に外国人の問題--奴隷労働 [社会]

介護の必要がある人が増えている。人口の年齢構成からくる必然だ。ところが介護職員が不足している。なり手がないのだ。夜間も勤務がある重労働であるにも関わらず低賃金だから当然のことだ。ほとんどが非正規雇用だ。

労働力確保のためには賃金・待遇を上げるしかないのだが、無理やり低賃金を保とうとしている。介護保険など、現在の介護制度は低賃金を前提にしているからだ。そのために、フィリピンなど賃金の安い国から介護職員を採用する特例を認めることにしたということだ。

低賃金の外国人労働者を多く受け入れることには、それなりの社会負担が伴う。学校、失業保険、生活保護、治安、それぞれの分野での得失を十分考慮して移民政策を考えねばならない。例えば、日本人がアメリカの永住権を取ろうとすれば、かなり厳重な審査がいる。学術で言えば、単に博士の学位があるだけでは通らず、業績に関する審査もある。資産で言えば1億円以上もの金をアメリカ国内で投資できなければならない。各国とも低賃金労働者の流入をいかに抑えるかに腐心しているのが現実だ。日本の対応は、あまりにも場当たり的としかいいようがない。

フィリピン人介護職員を使っていた「寿寿」の事件は、さらに悪い状況を示している。渡航費用を会社の立替による労働者の借金として、これで縛りをかけていた。「身売り」と同じだ。その昔、日本では、生活に困った親に「前渡金」を払って、借金を返す「年季」が明けるまで娘を遊郭でただ働きさせることが横行していた。一種の奴隷制度だ。「ただ働きさせる権利」を売り買いすれば、まさに人身売買と同じことになる。

日本国憲法のもとで、こういった奴隷労働はもちろんは禁止されている。しかし、「規制緩和」であらゆる契約の自由を推し進めると、こういった奴隷労働も復活するかもしれない。憲法も政府が勝手に解釈変更出来るようでは、心もとない。低賃金を保つための外国人労働者の受け入れは、このように国民の権利をなし崩し的に侵害していく糸口にもなりかねない。より弱い立場の労働者を創出することによって、労働者全体の雇用条件レベルを下げて行く手法は、いつも行われる手口だ。

介護などの仕事は、賃金を上げるべきである。その原資は、もちろん税金から出すしかない。富裕層には相応な増税が必要だし、企業減税もやる余裕はない。政党助成金とかのわけのわからない支出はやめるべきだし、防衛費も削るべきだ。日本が、内部から崩壊しようとしているときに、可能性の少ない外敵などにかまっておられるはずがない。

恐ろしいシナリオ [社会]

以下は、もちろん、完全なフィクションである。しかし、解釈改憲の時代、ありえないとは言えない恐ろしい話だ。

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某月某日。経済制裁にあえぐ北朝鮮では、食料にも事欠く状態が続く。そしてついに暴動が起こった。日本海に面した38度線のすぐ北にある高城だ。太白山脈を超えなければならないので平壌から見れば辺境の地になる。

平譲でさえ苦しいのだから、辺境の地には食料配給が後回しになっていた。38度線で区切られてはいるが、高城には、同じ江原道に属す韓国側に親戚がある人たちが住んでいる。国境を越えて親戚に助けを求めることが続いた。これを押さえようとする警察との衝突が暴動に発展した。

暴動への弾圧は徹底していた。しかし、飢えには勝てず、38度線に配置された警備隊も暴動に同調してしまい、北朝鮮は内乱状態になった。韓国軍も支援に入り、米韓安保条約でアメリカ軍も介入した。暴動は反政府組織へと強化されていった。もちろん、平壌からは軍隊が出動し、大規模な流血の惨事となった。

国連が調停に入り、ともかくも北朝鮮軍と反政府軍との間に休戦協定が成立した。もちろん北朝鮮政府から見れば、国内を分断されたわけで、韓国からの侵略と見なすのは当然だ。しかし、米軍・韓国軍の力は圧倒的であり、北東アジアでの戦乱を望まない中国の態度は北朝鮮を全面的に支援する姿勢から程遠いものであったから、力の差で北朝鮮はねじ伏せられるしかなかった。

国連を介して、日本にもPKO参加が要請された。解釈改憲で、歯止めがなくなった日本は、このPKOに自衛隊を派遣した。米軍の後方支援が主な任務だ。イラクの時とは異なり、前線近くまで弾薬や人員を運ぶし、自らも自衛のための武装を強化している。安全のため、戦車に乗って移動する必要があるとして、多数の戦車も送り込んだ。

米軍も大規模に出動したが、国家統一のチャンスとはやる韓国軍をなだめる役割もあった。アメリカ軍は主としてソウル近辺に配備された。米国内では、朝鮮半島への介入に批判的な意見も強く、アメリカ兵の損害を避ける意味から、前線への兵力はあまり多くなく、無人爆撃機などが多数配備された。もちろん沖縄の米軍基地は臨戦態勢に入っている。しかし、グリーンベレーなどの特殊部隊はあちこちに配備され、北朝鮮との小競り合いを起こした。

北朝鮮は、内戦を認めず、アメリカと韓国による侵略であると主張した。しかし、この二国との戦争に対する国連の調停は受け入れざるを得なかったのだ。休戦は実現しているものの北朝鮮では各地に食料危機が続いており、北朝鮮政府の崩壊は時間の問題かとも思われる状況だった。

CIAがつかんだ情報によれば停戦中の前線のすぐ北にある元山に、1980年代に拉致された日本人が幽閉されているということだった。アメリカは特殊部隊を投入して、この日本人を強行奪還する作戦を立てた。同時に、北朝鮮側の内部の都市攪乱を行うという狙いもあったのだ。グリーンベレーの精鋭と機関銃を積んだ高速車両が、深夜、嘉手納基地からオスプレイで飛び立った。車両は作戦終了後の脱出用だ。

朝鮮半島の情勢は、内紛で終わらず、日本も含む多国間の戦争が起こる一触即発のの危険な状態ではあったが、秘密保護法で、こういった状況は国民に一切知らされない。一部の新聞が報道しようとしたが、事前に記者たちが拘束されてしまった。日本人は、何も知らずに通常通りの日を送っていた。歌手の離婚騒ぎが茶の間を賑わしていた。

元山市中心部を急襲した米軍部隊は、拉致された日本人がいると思われる収容施設に突入した。警備兵との戦闘があったが、もちろん米軍の精鋭部隊の敵ではない。建物に侵入した特殊部隊は、計画通り収容所の部屋に到達した。しかし、北朝鮮の警備隊は、爆薬に点火して自らも自爆する形で収容者もろとも吹き飛ばしてしまった。日本人救出はできなかった。

緊急事態に、支援の北朝鮮軍が増強され、特殊部隊は応戦しながら、南への脱出を図った。これはもちろん予定の行動だが、追撃する北朝鮮軍の増強は素早かった。かなりの犠牲を出しながらの退却になった。停戦ラインに到達したが、勢いづいて追撃する北朝鮮軍はここでとどまらなかった。停戦ラインを超えてさらに追撃してきた。米軍は、後方支援のため停戦ライン直近の戦闘地域まで進出していた自衛隊に助けを求めることになった。

北朝鮮軍は、交戦相手国である韓国軍・米軍を攻撃するが、日本の自衛隊は攻撃しない。しかし、目の前で米軍が全滅しかけているのに見殺しにはできない。前線に出てきているからこういう状況が起こるのも仕方がない。撤退している米軍の中に救出された日本人がいるかもしれない。解釈改憲の基準を満たしていると現場指揮官は判断した。

自衛隊の戦車が一斉に火を噴いた。北朝鮮軍は不意の攻撃で打撃を受けて撤退した。撤退しただけではなく大きな動揺が走った。ついに日本が攻めてきた。北朝鮮には、過去の日本による侵略の恐怖が染み付いている。北朝鮮から見れば、日本が先制攻撃を仕掛けてきたと判断される状況なのだ。

米軍の増援部隊も到着したし、韓国軍はもう全面戦争を開始した。沖縄の基地からは、平壌に向けて全機発進の命令が下された。平壌放送は悲壮な声明を報じた。朝鮮人民は、最後まで戦う。我々は、過去にも何度も戦いに敗れた。しかし、朝鮮人民は不滅である。たとえ壊滅したとしても、不死鳥のように蘇るだろう。朝鮮人民は侵略者を無傷で返さないと宣言した。とりわけ過去何度にも渡って朝鮮に侵入し、今回もまた先制攻撃をしかけてきた日本に対しては、激しい恨みの言葉を発した。

実力の差はいかんともしがたい。米軍の航空部隊はたちまちのうちに平壌を火の海にしてしまった。韓国軍は怒涛のように北進し、平壌を陥落させるのに数時間もかからなかった。あちこちの北朝鮮軍部隊は、自殺行為とも言えるマンセー突撃を繰り返し全滅していった。北朝鮮政府首脳が篭る官邸は、爆撃により一瞬で全壊した。一部の情報によれば、爆撃が始まった時点で自殺したとも伝えられる。北朝鮮は崩壊したのである。北朝鮮各地に秘匿されていたミサイル基地も次々と米軍航空部隊につぶされていった。しかし、この爆撃をくぐって3発の長距離ミサイルが発射された。

日本海に展開していたイージス艦は。このミサイルを的確に捕らえて、通報した。日本から朝鮮に向かう自衛隊機もこのミサイルを目撃して、ロケット弾を発射したりしたが、もちろん打ち落とせるわけがない。横田基地に配備されたパトリオットなどは、発進の準備をしている間に、もうミサイルが到着してしまうありさまだ。発射されたパトリオットもあるが、ミサイルでミサイルを打ち落とすのは、ピストルでピストルの弾を撃つようなものだ。まず当たらない。

北朝鮮のミサイルの標的になったのは、嘉手納基地、浜岡原発と大飯原発だ。嘉手納基地は滑走路に穴があいただけでたいした被害になりようがなかった。しかし原発の被害は甚大だった。原子炉に直撃を受けて暴走が始まった。冷却は効かない。炉心全体がメルトダウンして核燃料が飛び散った。日本全体が停電で完全な機能麻痺に陥った。被害は福島原発のように生易しいものではなかった。周囲100kmにわたって住民は次々と急性放射能障害を起こしていた。症状の見られない人も、発ガンは時間の問題だったが、医療品、食料品は決定的に不足になった。

北朝鮮は崩壊し、アジアの緊張はなくなった。アメリカは、日本の身を犠牲にした戦いを賞賛し、特別に、日本人の在住を許可することにした。国会と中央省庁は、ネバダ砂漠に作られたNewTokyoに移転することが決定した。アメリカ在住が許されたといっても、それはアメリカで家を買うだけの資金力があるものに限られた。日本の富裕層は大挙してアメリカへ渡った。残された一般の日本人は、発ガンの恐怖におびえながら、飢えをしのいでいく毎日を過ごした。日本列島の人口は減っていき、やがて無人島になるだろう。

すべての始まりは、あの2014年7月1日の解釈改憲から始まったのだ。多くの日本人がこれをを改めて思い知った。

情報流出の根本問題 ----- ベネッセ事件 [社会]

ベネッセが大量の顧客情報を流出させて問題になっている。派遣社員が逮捕され、これがシステムの技術的な問題ではなく、人為的な事件であったことが明らかになった。下請けの派遣社員にこういった大切なデータを丸渡ししていたことが批判されているが、実は、これはそう簡単な問題ではない。

どの大会社もSEは外注が多い。そういった技術が社内にないという理由もあるが、社内の人事体制に組み込みにくいと言うことが根本にある。日本の会社の処遇は、年齢とともに、だんだん上の役職に上がって行く事を前提にしている。しかし、SE等の分野は専門性が高く、社内では行き止まりにならざるを得ない。質の高い若年層も、他の社員とは処遇の水準が異なる。

だから、これからも、ベネッセがこの部門を全部自社でやることはないはずだ。外注となれば、コストの競争になる。こういった人が売り物の業界では、余剰人員は許されない。コンスタントに受注できればいいのだが、受注には波があるから絶えず人数の調整がいる。仕事の一部を他社に廻したり、派遣に頼るのは必然なのだ。

これは、ベネッセに限らない、もっと大切な情報を扱う、政府機関でも、情報は殆ど外注だし、当然、下請けから派遣へと情報は漏れる。入退室を管理したり、技術者をガチガチに縛ることで、管理を徹底することは、すでに行われているようだが、そんなことでは不十分であることが今回証明されたといえる。ピラミッド型にこだわる人事のありかたが根本問題としてある。

もう一つの問題も指摘しておこう。派遣社員だけが罪に問われ、情報を買ったほうが罪に問われないのはどういうことだろう。買い方がいることで、情報を手にした者が誘惑されたと見ることもできる。大量の名簿があれば、どこから来たのかの疑問が湧いて当然だ。「まさか盗んだものとは思わなかった」は、見え透いた嘘だ。こういった犯罪を防ぐために一番有効なのは名簿の買取を禁止することだ。買った側を免罪することで問題が継続している。

同じことが他でも行われている。古本屋に並んでいる未読の新刊書はなんだ。金券ショップにある大量の新幹線回数券もそうだ。買う側に根本的な問題がある。最近多発しているオレオレ詐欺でも「単にATMから引き出しを頼まれただけ」などということで、大元の犯人がなかなか捕まらない。頼まれただけだが逃げ口上である。

なぜ、こういったことがいつまでも通用するかというと、支配者たちが、いつもこの手口を使っているからだ。不法投棄も頼んだ大元は「まさか不法に投棄するとは思わなかった」で逃げるし、政治家は、「秘書が勝手にやった」で済ますのが常套手段だ。すべて嘘である。

電力会社の献金-----独占は最悪の利権 [社会]

暑い。冷房をつけないわけにはいかない。節電を心がけて、なるべく我慢するようにしていたが、どうやら今年も電力危機などと言う言葉を聞かないようだ。原発は全部止まっているのに電力は十分供給されている。電力5社は、値上げの結果黒字になったと言う。再稼動の必要性は、いったいどこにあるのだろうか。

安倍首相は、九州電力の社長と会食して、川内は任せてくださいなどと請け負った。原子力規制委員会は川内原発が基準に合格していると結論した。地元の鹿児島県知事は「安全が確認された」などと発言している。着々と再稼動に向かって進んでいるように見える。しかし、どこにも再稼動の必然性が見出せない。ただ単に電力会社の嗜好で再稼動に進んでいるかに見える。

関西電力の内藤千百里元副社長が、政界工作として歴代首相に毎年2000万円を献金していたことを暴露した。おそらく各社合計で1億円になるだろう。中部電力の元役員も、愛知県など4県の知事に多額の献金をしていたことを証言している。これまでも、日本の原発政策はこういった電力会社に操られて動いてきたと言える。これに対して中部電力は、「そんな事実はない。調査はしない」と突っぱねる気配だ。

おそらく、各地の知事は電力会社に金を渡されている。識者・学者も電力会社から多額の寄付金を受け取っている。これでは、原発がたとえどんなに国民から批判されても生き残るはずだ。原発事故で明らかになった東電の無策・無責任体質は、こういった利権に守られた構造の結果だ。

問題は電力会社がこういった金を出せるということだ。普通の民間企業であれば、絶えず競争下に置かれ、無尽蔵な買収資金など出費できない。しかし、電力会社は独占企業であり、電気代は好きなように決められる。国の認可が必要なのだが、このように金をばら撒けばどうにでもなる。ばら撒き資金はいくらでも調達できるのだからやり放題だ。

民間活力などと言って、お役所仕事の非能率を民営で排除できると言われることが多いが、実はこれは競争によって生まれるものなのだ。だから独占の場合は民営の利点はない。もし、国営なら「調査はしない」などと突っぱねることはできない。独占は公然とものごとの隠蔽が許される最悪の利権構造なのである。

手口はもっと巧妙だ。簿外で処理するために下請け会社に資金を出させる。もちろん、下請け会社には発注価格で補填する。国なら入札にしなければならないことも、民間企業だから企業秘密にできる。東電の役員には天下りが多い。独占企業というのは、まさに利権の塊なのだ。

生活保護とあなたの給料の関係 [社会]

ほとんどの人は生活保護なんか自分の給料と関係がないと思っている。しかし、実は深い関係があるのだ。

自分の給料は、大体、会社の業績と社会一般の相場で決まる。「こんなことならアルバイトでも出来る」とか、上司に嫌味を言われることもあるし、常に仕事を派遣に切り替えるようなことになる脅威もある。自分の能力が高く評価されている場合も、やはり給料は世間の相場からかけ離れたものにはならない。世の中の賃金相場が自分の給料に影響を与えているのは事実だ。

世の中の賃金相場がどのように決まるかは、やはり需要と供給のバランスなのだが、そうすると、求職が多く求人が少ない分野では、賃金が限りなく下がることになる。いくら働いても喰えないのでは国が崩壊する。そこで最低賃金法で労働者の賃金を下ささえするようになっている。当然ながら、この最低賃金が世の中の賃金相場に大きな影響を与える。給料はこの最低賃金からの上積みで決まるからだ。

最低賃金がどのようにして決められるかはかなり複雑だ。国の審議会が目安を提示して、さらに各地方で審議会が開かれ、地方別、分野別に細かく定められる。公益代表、労働代表、使用者代表が参加するが、その基準は、「必要な生計費」「賃金調査結果」「支払い能力」ということになっている。相場とか経営側の支払い能力などは絶対的ではないので結局一番効いてくるのは「必要な生計費」ということになる。

これをどう見積もるかが問題になるのだが、実はこれは「生活保護との整合性」で見ることが定められている。つまり現実的には生活保護基準が最低賃金を決定し、それとの比較でいろんな人の給料が定まるのだ。日本国憲法25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定している。だから国は、「健康で文化的な最低限度の生活」の内容を定めなければいけない。それを決める機会が生活保護基準になっているのだ。様々な手当てや保障、課税が生活保護基準に連動する仕組みになっている。最低賃金もその一つだ。自分には関係がないと思って生活保護基準を引き下げろなどといきまいている人は、実は自分の首を絞めているのである。

それだけではない。最低賃金は国の根本的な経済政策を定めるものでもある。一定以上の賃金を払えない会社は、企業として成り立たないから潰れろということでもある。どのような企業も賃金さえ低ければ成り立つが、将来を考えれば、大きな利益を生み出し、高い賃金を払える企業を育成しなければならない。最低賃金がこの判定基準となって国の経済政策が決まる。

人口が1.2億人で国民総所得が600兆円もあれば、単純平均で1人年収500万円、4人家族なら年収2000万円ということになり、時給780円という最低賃金は、各国と比較しても余りにも低いといえる。政府が、生活保護費をけちって、抑えてきたために、最低賃金が低くなり、コンビニ・宅急便・外食といった低賃金に依存した企業ばかりがはびこってきているのが現実だ。日本に開発型の産業を取り戻すためには、最低賃金を引き上げねばならない。そのためには、生活保護基準を引き上げる必要がある。

風が吹けば桶屋がもうかるといった論法に見えるかもしれないが、そうではないことがおわかりだろうか。これは制度上の必然なのである。



なぜ日本人は中国・韓国が嫌いなのか [社会]

最近、中国や韓国に対して嫌悪感をあらわにする書き込みがネット上に多い。もちろん安倍政権の右傾化路線とそれを支えるマスコミが煽っている隣国観が影響を与えてはいるのだが、同じ隣国でもロシアやフィリピンに関しては、それほどでもない。なぜだろうか?同じアジアでも、タイやベトナムには寛容である。

日本人は元来、自意識過剰なところがある。日本が外国にどう思われているかを気にしたりする。明治以来、日本はアジアの特別な国であるという意識にとらわれてきた。早々と文明開化で欧風文化を取り入れ、まるでアジアの中のヨーロッパであるかのごとく振舞ってきた。欧米列強のまねをして周辺侵略もやった。

敗戦でへこまされはしたが、戦後も高度経済成長を成し遂げ、アジア唯一の経済大国と自認して来た。このプライドが結構しみついているのだ。人種差別が激しかった南アフリカでは、アジア人であるにも関わらず日本人は名誉白人的な取り扱いをされて悦に入っていた。日本人の世界を見る意識は「(欧米日)と(その他)」だったのだ。

これは右翼的な発想にかぎらない。70年代に、反戦運動が高まり、アメリカと同じようにフォークソングを歌ったり、長い髪をなびかせたりしているのは日本だけだった。ビートルズに酔いしれているのは、アジアでは日本だけだと思っていた。中国人は人民服を着ており、韓国も軍事政権の統制下にあった。それが、当たり前で、日本人の地域観はアジアではなく、やはり、「(欧米日)と(その他)」だったのだ。

ところが昨今の経済事情は変化している。中国・韓国の発展はめざましく、GDPでは中国が日本の上に立った。韓国も、自動車やエレクトロニクスの分野で日本と対等に近づいている。北京でもおしゃれなカフェでギターの弾き語りが聞けるし、韓国のPSYが全米ヒットを飛ばしたりしている。ふと気がつくと、日本はもはや特別ではなく、アジアの中の一国になっていた。

今まで慣れ親しんできた「(欧米日)と(その他)」という地域観は、もはや通用しなくなろうとしている。これが、多くの日本人をいらだたせ、不安を掻き立てているのだ。日本は特別な国ではない。それをあらわに突きつけているのが中国・韓国の存在である。他の国はまだそれほどではない。赤ちゃんには優しい五才児が、4才児に「いっちょね」と言われて腹を立てている状況に似ている。

これは、冷静に受け入れるしかない。日本は単なるアジアの一国でしかない。それは、地理的にみれば当たり前の事なのだ。アジア人口40億人のうち1億を占めるに過ぎない。そういう存在だと言う事を意識して隣国との関係を築いていかなければならない。家族・隣近所と仲がよいことが幸せな暮らしの秘訣である。

実習生と農家 [社会]

農業が苦境に陥っていることは誰もが認める。農産物の値段は安く、過酷な労働になかなか値するものではない。日本の農業は、どんどん潰れて行っている。

農産物の値段が安いのは、言うまでもなく輸入品が出回るためである。賃金の安い開発途上国の産品と太刀打ちしようもない。これまでは、関税による保護が多少ともあったのだが、TPPが来れば、壊滅的な打撃を受けることは必至である。

長年政府自民党を支えてきた集票基盤である農家は、ここに来て完全に見放された。政府が農家に提供したのは実習生の受け入れという姑息な手段だった。「攻めの農業」と称して、大規模化を奨励したのだが、農家にそんな労働力は。ない。実習とは名ばかりで、安い労働力として、外国人労働者を雇わせることにしたのだ。

茨城県鉾田市で、農家27戸が東京入管から5年間の実習生受け入れ停止処分を受けた。残業手当の未払いがその理由だが、農家は戸惑っている。自分たちも、長年、一日8時間以上の労働をしてきたわけで、残業の意識もなかった。第一、大手の一流企業でも、サービス残業は当たり前で、年休を100%消化する労働者などどこにもいない。

外国人労働をあつかう入管は国際的な基準で物事を見ざるを得ない。どこの国でも労働時間は金と等価だ。だから残業割り増しを払わないなどと言うことは、泥棒に等しい犯罪である。ところが、日本では、一流企業でも堂々と泥棒が横行しているのだから、異常という他ない。こうした異常を背負わされてしまったのが農家だったのである。

これと前後して、たかの友梨会社の労働法違反事件が起こった。社長のビデオがyoutubeにアップされているが、「労働基準法を守っていたらこの会社は成り立たない」には唖然とする他ない。労働基準法は理想ではなく、あくまでも最低基準だ。これを守れない会社は存在すべきでなく、直ちに潰れて良い。ましてや、社長が華々しくテレビに登場することなどあり得ない。

農家が実習生に頼ることは、結局は労働賃金の水準引き下げにつながり、結局は自分の首を絞めることになる。農業に対しては、国が環境保護・景観保護・食の安全確保への貢献を認め、適正な支払いをするべきだろう。その財源は、もちろん公共事業の抑制と軍事費の削減しかない。

人口問題の深刻さ [社会]

日本の人口が減り始めている。2014年は前年に比べて21万人の減少である。1億3000万に対する21万だからたいした事はないと思う人もあるだろうが、今後さらに進んで行く。5,6年で人口減少は300万人に達する。これは、あの太平洋戦争末期の5,6年で戦死した人数に匹敵すると言えばその重大さが分かるだろうか。

これまでの日本社会は、すべて増大を前提として成り立ってきた。会社は売り上げが増えることが前提で成り立っている。国の各種整備事業は、利用人口の増大が前提だ。電力会社は、電力需要の増大を想定して、原発再稼動を画策している。しかし、この全てがひっくり返るのである。ピラミッド型の組織で、事業の拡大がなければ、年功序列は成り立たない。

人口が減少すれば、当然すべての需要は減る。マンションなど住宅産業は、家余りの中での営業だから売れるわけもない。これは全ての産業部門に波及する。GDPは全ての人が生産した価値=収入の総和だから、給与水準が増大しない限り人口とともに減少する。もちろん、給与が格段に増える展望はない。日本は奈落の底に落ちていく。

政府は、少子化対策として、わずかばかりの子ども手当ての支給などと、馬鹿げた対策しか出していない。そんなもので人口が増えるわけがない。たとえ抜本的な対策を取ったところで、その効果が現われるのは20年後であるから、当面の人口減少は避けようもないのだ。

一貫して企業利益優先で、働く人々が、たくさんの子どもを育てる豊かな生活環境を整備してこなかった政府施策の付けが廻って来たと言えばそれまでだが、深刻な状況はすでに現われている。人口減少には地域の隔たりがある。ちなみに東京都の人口は今でも増えているのである。

そのあおりを食って、地方の没落が激しい。地方小都市はどこの商店街もシャッター通りになっている。さらに田舎に行けば限界集落候補の町ばかりになっている。空き家が多く、住人も老人ばかりだ。オリンピックだなんだと浮かれている場合ではない。アベノミックスで株価を上げたりする一時的な経済対策ではどうしようもない現実が迫っているのである。

今からでもしっかりとした対策を立てる必要があるのだが、まず必要なのは、これまで、何が間違っていたのかを明らかにすることだ。それなしには、役立たず政策しか出てこない。社会の抜本的な改革が必要な時なのだ。

地方創生などと言う空々しい言葉が使われているが、これは単に地方を切り捨てるだけのものでしかない。地方を地方中核都市に置き換え、周りの町村を潰して中核都市を少し太らせれば良いと考えているに過ぎない。付け焼刃で、すぐに破綻することが見えている。事はもっと根本的なのだ。

合格者が減った司法試験 [社会]

司法試験合格者が2000人を切った。2000年に始まった法科大学院は危機に陥っているようだ。明らかに司法改革は修正を余儀なくされている。

なぜ、見通しが崩れたのか?司法改革の狙いは弁護士の活動の場を増やすことにあったといわれている。アメリカでは、物事を裁判で決着する風潮が高く、多くの弁護士が社会のあらゆる分野で活躍している。弁護士の社会的評価も高い。日本もそれに倣って弁護士を増やせば、法律を国民生活に浸透させて行けるというものだ。

これは考え方が逆だろう。法律が日常となって初めて弁護士の需要が増えるのだが、日本の裁判制度では弁護士の活躍が非常に限られている。良い弁護士に頼めば、給料が増えるだとか、隣地のマンション建設を阻止できるだとかは、起こらない。まじめにやってくれれば、弁護士なんてだれがやっても変わらない。判決はすべて、判例にしたがって決められるからだ。

アメリカでは、判例に拠らず、陪審員の表決で決まるから、説得力のある弁護士であるかどうかが勝敗の決め手になる。日本の裁判制度では弁護士の出来ることは論点の整理でしかない。弁護士の需要が増える社会的素地は生まれるはずもないのだ。日本では、司法試験のような難しい試験はないのに、弁護士より医者のほうがよほど職業として人気がある。

誰でもわかる無謀な司法試験改革がなぜ行われたのか? 理由は他にあったのだ。高収入の自由業として弁護士はもちろん人気がある職業ではあった。志望者が多く、司法試験の難しさが高まっていた。なかなか現役では合格出来ず、合格年齢が年々上昇していた。実はこれが問題だったのである。

日本の法曹界では、裁判官、検察官、弁護士と言う序列が厳然としていた。弁護士は検察官になれなかった司法修習生の集まりと見下されていたし、法曹界を牛耳っていたのはもちろん最高裁判所だ。官が民を支配する構造は温存されている。公務員は年功序列であるから、若くして任官しないとエリートコースは歩めない。司法試験合格年齢が上がると、優秀な人でも官界を敬遠するようになる。実際、裁判官志望は減り、多くの優秀な人材が、弁護士を目指すようになったのだ。

本来保守的なはずの「官」が率先して行った司法試験改革は、こうした法界序列が崩れるという危機感が作用して始まったのだ。やたら難しい試験をするのではなく、若くしてエリートを選抜して法曹教育を施す意図だった。本当は、東大、京大など一部のエリート大学だけに絞りたかったのだが、法科大学院を設置するとなれば、どの大学にも法学部はあるから、公開の基準では絞ることが出来なかった。

雨後の竹の子のように、法科大学院が出来て、結局、大学院卒業者にも試験をしなければならなくなってしまった。法よりコネ、憲法が平気で蹂躙されるような国で、法律を国民生活の基盤に据えることの難しさというものだろうか。今回合格者数を減らしたということは、弁護士の活躍の場を増やすことの見通しを失ったことを意味する。

法科大学院修了者に受験回数の制限をして、法曹エリートを官界にとどめる体制は確保したから、もう、それで彼らにとっては、本来の目的を達成したのかも知れない。しかし、本当に必要だったのは、コネや権力ではなく、法が、全ての人々に平等に行き渡る世の中を作ることだったはずだ。首相の一存で憲法の解釈を自由自在に変えられるのでは、望むべくもないことだ。




朝日新聞の誤報謝罪 [社会]

朝日新聞が、勇み足を謝罪するケースが相次いでいる。原発で、吉田調書の内容をすっぱ抜いて、「吉田所長の命令に反して950人が逃亡した」と報道したわけだが、公開された調書では「第一発電所内の、放射線レベルが低いところに退避しろと指示したつもりだったが、第二発電所に行ってしまった」と述べている。確かに正確ではないが、東電の幹部社員たちが、早々と第一発電所を出てしまったのは事実だ。東電の無責任体制という評価を根本的に覆すものではない。なぜ、これほどまでに謝罪を大きく取り上げるのだろうか。

さらに不思議なのは、25年も前の慰安婦報道について、今頃、記事の取り消しを行ったことだ。朝日新聞は吉田清治の『私の戦争犯罪』を大きく取り上げて報道したが、内容がずさんで、研究者からは、あまり相手にされなかった。朝日新聞自身も、1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載した。この誤報については、ずっと以前に決着済みとも言えるものだ。インドネシアなどでの慰安婦の強制連行については、いろいろな証拠が出ているし、とくに『私の戦争犯罪』の真偽が問題になるわけでもない。

それを、今頃、大仰に謝罪して見せるのはどういうことだろう?

安倍首相がマスコミ対策を周到に行っており、新聞社の社長たちと会食に余念がないことは良く知られている。新聞社はいずれも、ネットとテレビに読者を奪われ、経営が苦しい。政府広告などの収入にも依存しなければならない状態が続いている。読売サンケイなどは、まったくの政府広報紙になり下がっており、たとえば、沖縄の辺野古基地に反対の世論調査結果を「反対は予想を下回る55%」などと報道した。よく見れば賛成はたったの7%しかないのにだ。

こういった「政府すりより」が、新聞の標準となって来ているなかで、朝日はそこまで政府に従順ではなかった。政府からの圧力は多大だと思われる。朝日が断固とした姿勢をもっているわけではないことは、消費税報道を見ればわかる。消費税導入の直前には、他社と並んで賛成キャンペーンに参加していた。朝日の中には、政府べったり経営陣もいることは確かだ。

今回の「謝罪」は、朝日の経営陣が安部政権に屈服して、編集局の入れ替えで、路線変更を策したものかも知れない。今後の朝日の報道姿勢には注目していく必要があるだろう。右派一色のマスコミが、ずるずると日本を奈落の底に引きずりこんでいくことだけは避けて欲しいものだ。

茨城空港の目隠しフェンス [社会]

茨城空港は数年前に出来たローカル空港なのだが、わけがわからない事が多い空港ではある。羽田や成田にも、そう遠くないのだから、必要性に乏しい。羽田にでも飛んでくれれば乗り換えも出来るのだが、近すぎてそうも行かない。一流航空会社はもちろん乗り入れないから行き先が極めて限られてしまう。

良いところは、便数が少ないのに広い無料駐車場があることだ。車で乗り付けて、そのまま飛び乗れるから手軽だ。満席ということもあまりないから切符も取りやすい。帰りは新幹線で帰ったりした場合、東京から茨城空港までの直通バスが500円で乗れる。JRで普通に来れば2200円かかる。このサービスを含めて県は、路線を維持するために多大な補助金を出しているのだが、その言い訳に「乗客は少ないけど利用者は多い」と言うのがある。

なるほど、空港はけっこう賑わっている。2階の展望デッキに人は多い。飛行機を見に来る観客が多いのだ。旅客機のほかに、自衛隊のジェット機なども見られるから、航空ファンにとっては、いい場所かも知れないし、他に遊びに行くところも無い近隣の茨城県民にとっては、格好の暇つぶし場所でもある。農産物の直売とかもやっている。

その見物客に圧倒的に不評なのが、展望デッキのフェンスである。デッキにはガラスフェンスが張り巡らしてあるのだが、これが特殊なもので、正面しか見えないように出来ている。目の前に来た飛行機は見えるのだが、斜め方向から飛来してくる様子は見えない。離陸着陸が見たいのに、止まっている飛行機しか見えないことになる。

もともと百里基地という自衛隊飛行場に平行滑走路を増設して空港にしたのだから、正面には自衛隊基地がある。自衛隊基地の軍事機密を守るために作られたフェンスだというのであるが、それにしてはおかしい。自衛隊基地は正面だから丸見えだし、端の方に機密部分があるとも思われない。 第一、フェンスは隙間がいっぱいあって、そこから見えるし、カメラのレンズを差し出すことも出来る。米軍基地だって、外からの見物を制限したりしない。そんな外から見えるところに秘密をさらしたりするはずがない。かなり高額の費用を掛けているが、機密保持のためには役立たずでしかない。

百里基地には、長い反対運動の歴史がある。基地を作るために農民を追い出したりしたからだ。反対運動で、日本最初の女性首長を生んだ盛り上がりもあったのだ。今でも、自衛隊の誘導路は反対運動が作った「平和公園」のために、「くの字」に折れ曲がったままになっている。

おそらく、茨城空港は、県の箱物行政と自衛隊の癒着で生まれたものだろう。自衛隊としては、滑走路を増設して使いにくい誘導路を解消できるし、県は、土木業者に税金を振り撒ける。空港がある都会県として威張りたいというアホな側面ももちろんある。

自衛隊との協議の中でこのフェンスが持ち出されたにちがいない。空港の斜め左に、自衛隊が見せたくないものがあるのだ。それは、通称「違憲山」と言われる小高い丘でそこには「自衛隊は憲法違反」という大きな看板が立っている。反対運動の名残だ。自衛隊としては目障りこの上ない看板で、これが大勢の見物客の目に留まることだけは避けたかっただろう。そのために多大な金を使ったのである。この看板も、だいぶ朽ちてきて目立たなくなって来ているので、評判の悪いフェンスを取り替える計画もあるらしい。

よく見えるようになってから、「自衛隊は憲法違反」の大看板をリニューアルすると面白いことになる。フェンスを復活する表向きの理由説明が難しいだろう。

資本主義の非効率 [社会]

「資本主義の非効率」などということを聞いたことがないという人も多いだろう。むしろ効率を追求しすぎるのが資本主義の弊害だと理解されているようだ。民営化すれば効率的になるとして、何でも民営化しようとする傾向さえある。

しかし、「資本主義の非効率」という事が盛んに言われた時代もある。1960年代、ソ連のフルシチョフ首相が平和共存を打ち出し、資本主義と社会主義が優劣を競争する時代であると宣言した。世界初の人工衛星を打ち上げ、高度な社会保障を実現し、社会主義の優位性を誇示していたようである。

よく例に出されたのは、石鹸の生産だ。資本主義国では、石鹸の生産費用の多くが宣伝費になってしまう。製品の優劣よりも、イメージ戦略が大切で、ソープオペラと言われるようにテレビ番組のスポンサーは石鹸会社が多い。結果的に石鹸の値段は高くなる。社会主義国では、どの石鹸の性能が良いかを判断して、大量生産できるから価格ははるかに安い。

資本主義と社会主義の経済競争の結果は、明らかな社会主義の敗北であり、ソ連は崩壊してしまった。お役所仕事のほうが、「資本主義の非効率」を上回る非効率を持っていたことが明らかになったと言える。

しかし、それで「資本主義の非効率」が解消されたわけではない。相変わらず無駄が多いのである。それは必要な無駄なのかもしれない。市場経済の利点は、判断をしないことにある。国がどの製品が良いかを決めてしまうと訂正が効かない。少なくとも間違った判断をした役人の責任が問われる。しかし、市場に任せた場合、売れる製品が変わっても誰の責任にもならない。いい製品が選ばれて行くのである。結果が必ずしも適正でないこともあるが、それは必要な無駄のうちなのだろう。

民主主義も無駄が多い。選挙とか、ろくでもない議論に時間を費やし、なにも決められないようなことが良く起こる。リーダーシップを発揮する人が、さっさと決めれば話が早い。しかしこれも必要な無駄なのだ。製品の良し悪しでさえ国が決めることは難しい。まちがった方針は、政権交代という形で抵抗なく正して行けるのが民主主義の利点だ。民主主義は、政策の市場経済であるとも言える。

今日では、この市場経済の利点は広く認識されており、日本共産党は社会主義になっても市場経済は残すと言っているし、政権交代はあると明言している。えっと驚くが、考えてみれば、市場は資本主義以前からあり、なにも資本主義だけのものではないのだ。ソ連が市場経済を否定したのは、社会主義を国家主義に置き換えるスターリンの誤りの一環だったとしているようだ。

むしろ今日の市場を歪めているのは資本主義である。発展した資本主義には独占が生まれる。独占は市場経済の否定につながる。どう考えても原発はコストがかかりすぎる。市場で淘汰されるはずなのだが、電力会社が独占であることから、無理やり電力料金を原発に注ぎ込んでいる。大企業が支配する業界では、下請け企業が、市場で獲得できるはずの適正価格が得られないことが常態化している。新しいベンチャーが生まれないのだ。

政治でも、独占企業の御用政党=自民党の独占が強まっている。小選挙区制で流動化がなくなり、国民の反対が多い、秘密保護法や、消費増税が次々と実行されるようになった。やはり資本主義が市場経済を破壊しているのだ。上意下達が浸透し、県議会などではどこも一様にオール与党化が進み、白熱の議論など見られなくなった。

日本人が、本当の意味での市場の大切さ、民主主義の大切さに気づいて立ち上がり、新しい社会の仕組みを構築できるかどうか、ここ20年が勝負なのだと思う。

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